02. 2013年9月09日 15:54:15
: niiL5nr8dQ
JBpress>ニュース・経営>政治 [政治]海上自衛隊は間違いなく「戦闘地域」にいた これでいいのか? 集団的自衛権論議(その2) 2013年09月09日(Mon) 筆坂 秀世 一度、日本での集団的自衛権論議を離れて、グローバルスタンダードではどうなっているかを見てみたい。 筆者自身が2001年10月10日、参院予算委員会で取り上げた事柄をまず紹介したい。同年9月11日、アメリカでの同時多発テロがあり、その報復ということでブッシュ政権がアフガニスタン攻撃を開始して2日目の時点であった。 当時、小泉純一郎内閣で外相は田中眞紀子氏であった。以下は、その時のやりとりである。 (筆坂)外務省でも結構ですが、NATOは今度のアメリカでの同時多発テロに対して、10月2日、NATO条約第5条に基づいて集団的自衛権の行使を正式に決定しました。翌3日にはアメリカがNATOに対し集団的自衛権の行使による支援要請を行い、そしてNATOの大使級理事会は集団的自衛権の発動として8分野の支援を決定いたしました。 この8分野というのはどういうものでしょうか。 (田中外相)1は情報の共有及び協力の向上、2、テロリストによる脅威に一層さらされている、またはその可能性のある国家に対し、個別的または集団的に適切かつ、みずからの能力に応じて支援を提供すること、3、関連施設の安全を向上させるための必要な措置、4、テロに対する作戦を直接的に支援するために必要とされるNATOの責任地域における特定のアセットを補てんする、5、テロに対する作戦に関連する軍事飛行のために包括的上空飛行許可を提供する、6、給油を含むテロに対する作戦のために港湾及び飛行場へのアクセスを提供する、7、常設艦隊の一部を東地中海に展開する用意、8、空中早期警戒戦力の一部を展開する用意等でございます。 要するにNATOは、直接の武力攻撃だけではなく、それを支える兵站活動を集団的自衛権行使の一部、すなわち武力行使と見なしているということである。 この根拠は当然のことだが、NATO条約にある。その第5条では、「締約国は、そのような武力攻撃が行われたときに、各締約国が、国際連合憲章第51条の規定によって認められている個別的又は集団的自衛権を行使して、北大西洋地域の安全を回復し及び維持するためにその必要と認める行動(兵力の使用を含む。)を個別的に及び他の締約国と共同して直ちに執ることにより、その攻撃を受けた締約国を援助することに同意する」とされている。 「兵力の使用」というのは、武力を使用した強制措置のことである。それを「含む」ということは、それ以外の行為であっても自衛権の行使、すなわち武力行使と見なしうる場合があるということだ。 国際司法裁判所の判決では「後方支援も武力行使」 集団的自衛権の行使を巡って、国際司法裁判所(ICJ)で争われた事件が1つだけある。それが1986年6月27日のニカラグア事件判決である。 この背景には、1979年、ニカラグアでソモサ独裁政権が打倒され、サンディニスタ民族解放戦線主導の革命政権が樹立される。これに対しアメリカは、反政府武装勢力コントラへの支援を行うとともに、ニカラグアによるエルサルバドルの反政府勢力への支援を止めさせるとして、ニカラグアへの武力行使に踏み切っていた。そしてその根拠として、国連憲章第51条に基づくエルサルバドルへの集団的自衛権の行使だと説明していた。 結論から言えば、ICJ判決は、「ニカラグアにおける同国に対する軍事的・準軍事的活動との関係において、アメリカによって主張された集団的自衛権は正当化されない」というものであった。 このICJ判決で注目したいのは、判決がアメリカの軍事行動を不法と批判したということではなく、何が武力行使にあたるのかということについてもその考え方を整理して示していることである。 同判決は、「裁判所は、武力攻撃という概念が、相当な規模で生じる場合の武力集団による行為のみならず、兵器又は兵站もしくはその他の支援の供与でなされる、反徒への援助も含んでいるとは考えない。このような援助は、武力による威嚇又は武力の行使とは見なされうるし、あるいは、他の国家の国内又は対外的な問題に対する干渉には相当しうる」とした。 要するに兵站や後方支援は、武力攻撃とまでは言えないが、武力による威嚇や武力行使とは見なされるということである。 世界に通用しない日本政府の解釈 小泉内閣はアメリカのアフガニスタン攻撃に対して、日本が補給、港湾、空港の使用許可、米軍施設の警備強化、軍事作戦に転用された部隊の補完等々を後方支援として行うことを決めた。これらが集団的自衛権の行使にはならず、憲法上も許されるとした根拠は、「日本は武力行使をしない」「日本は戦闘地域には行かない」の2点であった。冒頭に紹介した予算委員会での私と小泉首相のやりとりでも、首相はこのことを繰り返し強調したものである。 しかし、「武力行使をしない」という言い訳が通用しないことは、NATOやICJ判決を見れば明瞭である。NATOが集団的自衛権の行使を表明して行う後方支援を、日本が行えば集団的自衛権の行使にはならない、などという理屈が世界に通用するわけがない。 このことを追及した際の小泉首相の答弁には、笑ってしまったものだ。「そこは、世界の見方と日本国内の見方とは違う」「世界の常識は常識として、日本としては・・・武力行使はしません、戦闘行為には参加しません」「日本としても苦労しているんですよ」と答弁したのだ。 問われているのは、世界の常識に照らしてどうか、ということなのである。また戦闘行為は、本来武力行使よりもはるかに狭い概念なのである。それを武力行使は、戦闘行為そのもの、あるいは武力攻撃そのものであるかのように狭い解釈をして、「日本が行うのは集団的自衛権の行使ではない」という詭弁を弄してきたということだ。 「戦闘地域には行かない」の嘘 もう1つの「戦闘地域には行かない」というのもまったくでたらめであった。 米軍は戦争を行うときには、戦闘地域(コンバットゾーン)を設定する。アメリカ陸軍の解説書は、コンバットゾーンについて、「戦闘地域において、指揮官は、近代兵器に簡単に打ち負けてしまう兵隊を扱っている。ライフルと大砲の射撃が毎日発生する。死の恐怖が広がっている。・・・いつどこで敵が現れるかまったく分からない。ストレスのある状態はふつうである。通信はしばしば途絶えがちになる。このように確実性はまったく不明なのである」としている。 アフガニスタン攻撃で設定されたコンバットゾーンは、国で言えばアフガニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、パキスタン、オマーン、アラブ首長国連邦等であり、海域はアラビア海、ペルシャ湾、オマーン湾、アデン湾、紅海にまで及ぶ範囲であった。海上自衛隊は、コンバットゾーンに含まれるアラビア海北部で燃料補給などの支援活動を行った。「戦闘地域に行かない」どころか、戦闘地域そのものの中で兵站を担ったのである。 この点での政府の言い分は、子供だましにもならないものだった。法制局長官は、巡航ミサイルが発射されている場所では、他人が殺傷されていないので戦闘地域ではないとか、戦闘が行われていない時間帯は戦闘地域ではない、などと答弁したのだ。 日本が世界の常識といかに外れてしまっているか、明らかだろう。 まともな議論に戻すべし いま安倍晋三内閣の下で集団的自衛権の行使そのものを認めようという動きが強まっている。私が一番危惧するのは、このようなごまかしの議論の上に、屋上屋を重ねるような結論を導き出すことだ。 この間の政府答弁の変遷を振り返ってみると、岸信介内閣の立場が一番すっきりしていた。基地の提供や様々な経済的支援は、それが集団的自衛権の行使であっても憲法上許される。しかし、例えばアメリカ本土まで行って、直接の戦闘に参加することは、たとえアメリカが同盟国であっても憲法上許されない、という立場だ。 ここでは例がアメリカ本土になっていたが、それはベトナム戦争でも、アフガニスタン攻撃でもあてはまる。 いま集団的自衛権を行使できるようにするということは、ベトナム戦争のような場合に、韓国軍と同じように出兵できるようにするということだ。これに賛成か否かが問われている。安倍内閣は、このことを正直に語るべきである。国民は、冷静にそれに対する判断をすべきである。中国憎し、韓国憎し、の感情論で結論を出してほしくはない。 |