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今年の夏は例年になく熱かったが、
暫く暑さと混乱の日本国土から自分自身を遊離に誘導していた中で、思考が離れた空間から行うことが出来たようであり、
日本の政治状況を読み解くキーワードとして使いやすいものを見出すことが出来た。
宦官とは、言うまでもなく中国歴史上に長く支配的官僚として猛威を振るってきた集団であるが、
明治以後の国家体制により発生させられた官僚集団は心性として「宦官」である。
「宦官」は決して君主ではなく国民でもない。
政治権力の主体ではない。
この宦官的官僚が日本を政治的に支配しているのであり、彼らの君主は在日米軍の軍事暴力を置いている米国である。
ところが一方の「ペット」とは、
宦官に誘導された多くの国民の在り方を示すものである。
ペットの最大特徴は「自活力の無いこと」である。
「飼われて餌を貰って居候をすることである。」
日本の宦官も米国のペットでしかない。
国民一般のペットと違うところは、高級ペット?であるから、飼われて餌を貰って芸を飼い主に披露するのである。
国民のペットは芸はしない。
食って寝て死ぬだけだ。
ではペットはどこから餌を貰っているのか。
年金とか給与であるから即ち勤め先や自営や退職後だから詰まりは日本国という国なのだ。
国から餌を貰って飼われている気分だから勿論、野良猫や野良犬や野鳥達のように自活できないし自活しない。
ペットの運命の困ったところは自活できないのだから、飼い主がペットに餌を与えられなくなったら「野垂れ死に」する他にないか新たな飼い主が現れればそれに尻尾を振って擦り寄る他に無いことだ。
またペットは飼い主の実態に無関心であり突然に捨てられる事を予測できないのだ。
だから突然に捨てられる。
ペット化された生き物は自活力を持つ野生動物に戻ることは大変に難しく、飼い主の運命が傾くとペット達の運命は悲惨なものとなる事例が多い。
日本国民の多くが心性をペットと化した理由は日本の国の歴史的歩みによるものであり、決して本来のものではない。
しかし、上述したように一旦ペット化すると自活力を取り戻すことは出来ないのでこれからの日本国民は自活力を失わないようにそれを養いようにしなければならないし、ペット化した人達が復活するようにと彼らに過剰な期待をしてはならない。
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