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2013年09月08日
今日9月8日午前5時頃には、2020年のオリンピック開催都市が決定しているだろう。個人的には、オリンピックをこの目で見たい希望はあるが、殊更に願望するほどでもない。公正なジャッジをするつもりなら、ヨーロッパとアジアの架け橋的都市であるイスタンブールに軍配をあげたいところだが、シリアの隣国と云うのは不運だ。政治的には、猪瀬と安倍が力んでいるオリンピック故に、失敗すれば良いだろう、と云う裏心情もある(笑)。注:東京に決まった
昨夜の最終プレゼンテーションを聞く限り、原発汚染水、放射能問題に、IOC委員やジャーナリストを納得させる論理的説明が安倍晋三からなされたわけでもない。「状況はコントロールされている。東京にダ メージが与えられることは決してない」、「汚染水は港湾内で完全にブロックされている。抜本解決のプログラムを私が決定し、着手している」等々と訴え、答えているが、思考停止で機能停止の日本政府の“東京絶対安全神話”を語るしか方策がないようだ。それは当然のことで、汚染水漏れは物理学の当然の原理で、人智がコントロールすること自体、不可能なのである。この辺をIOC委員が投票の際、どのように“武士の情け”をかけてくれるかは、時の運だろう。
ところで見出しの最高裁大法廷の婚外子相続差別は憲法違反であると云う決定には、幾つも興味深い問題が含まれている。神保哲生のビデオ・ニュース・ドットコムの番組を視聴して、色々と考えた。噴き上がり右翼やネトウヨの間では、この最高裁決定にブーイングが勃発しているようだ(笑)。何故そうなのかも含め、筆者の“風が吹けば桶屋が儲かる”式の想像を逞しくしてみた。その前に、ビデオ・ニュース・ドットコムの紹介記事、及び最高裁違憲決定の朝日新聞の記事を参考に添付、その後で筆者の“風が吹けば桶屋が儲かる”な想像を語っておく。
≪ 最高裁、婚外子相続差別に「違憲」の判断 なぜ立法府は自ら動こうとしないのか
最高裁大法廷は9月4日、結婚していない男女の間に生まれたいわゆる婚外子(非嫡出子)の相続権を婚内子の半分と定めた民法の規定を「違憲」とする判断を下した。参加した裁判官14人全員による全会一致の決定だった。
今回の決定は、2001年7月に死亡した東京都の男性と2001年11月に死亡した和歌山県の男性の遺産相続の裁判で、いずれも妻と内縁関係の女性との間にそれぞれ子供をもうけていた。どちらも一、二審は規定を「合憲」としたが、婚外子側が最高裁に特別抗告し、今年2月、最高裁はこの二件を小法廷から大法廷に移す決定をしていた。
最高裁は決定文のなかで、婚姻・家族の形態や国民の意識の多様化と、国連の委員会から法改正の勧告を繰り返し求められていることを理由に挙げた。
菅官房長官は最高裁の判断を受けた4日の記者会見で、「立法的手当ては当然」と語っている。
婚外子の相続差別の問題については、法の前の平等を定めた憲法第14条に違反する疑いが強いことから、司法サイドから立法府に対して民法改正を促す働きかけが繰り返し行われてきた。
1979年に法制審議会が非嫡出子の相続分は嫡出子の相続分と同等とする旨の改正条項を含んだ「相続に関する民法改正要綱試案」を発表している。95年に初めて最高裁大法廷で「合憲」判断が下り、2000年から2009年にかけて最高裁で繰り返し合憲の判断が下されてきたが、そのほとんどが賛成3、反対 2の僅差の合憲判断であり、反対意見の中に繰り返し「立法府によって可及的速やかに改正を期待する」などの意見が表明されていた。しかし、立法府は民法を改正する動きをまったく見せなかったために、2011年以降、大阪高裁による違憲判決、名古屋高裁での適用違憲判決など高裁レベルではこれを違憲とする判 断が下されていた。
しかし、立法府は一向に民法を改正する動きを見せなかった。2001年から野党によって相続差別を改める民法改正の法案が議員立法で繰り返し提出されてきたが、主に自民党の反対で毎回、審議されないまま廃案になっていた。 原告弁護団の岡本浩弁護士は4日の記者会見の中で、2年前に大阪高裁が「違憲」判決を出し、上告されず確定していたことに触れ、「裁判所としては、立法府がどうしても対応しないという思いがあり、それが全員一致の結論に至ったのではないか」と語った。
なぜ立法府は違憲判決を受けるまで自ら動こうとしないのか。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。≫
(ビデオ・ニュース・ドットコム:ニュース・コメンタリー)
≪ 民法の相続規定、婚外子差別は違憲・無効 最高裁大法廷
【田村剛】遺産相続の際、結婚していない男女の間に生まれた子(婚外子)の取り分を、結婚した男女の子(婚内子)の半分とする民法の規定について、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允〈ひろのぶ〉長官)は4日、「法の下の平等を定めた憲法に違反しており、無効」との判断を示した。
最高裁が法律を違憲と判断するのは、9例目。社会や家族の根本を定めた民法が対象となったのは今回が初めてとなる。国会は早期の民法改正を迫られる。
問題の規定は「婚外子の相続分は婚内子の半分」とする、民法900条4号ただし書き。1995年、大法廷が「婚内子の立場を尊重するとともに、婚外子を保護するもので、合理的な理由のない差別とはいえない」と合憲判断を示していた。この規定は1898(明治31)年施行の明治民法に盛り込まれ、戦後の現行民法にも引き継がれて、115年間続いてきた。
「出生による差別だ」との批判が絶えず、1996年には法相の諮問機関の法制審議会が「相続分は同等」とする民法改正案を答申した。しかし「不倫を助長する」などと保守系議員からの反発が相次ぎ、歴代内閣は一度も改正法案を提出できていない。
海外では欧米諸国に加え、アジアでも差別解消が進み、95年の大法廷決定以降、日本は国連の人権機関から、10回にわたって差別解消を求める勧告を出されてきた。
今回の違憲判断は、(1)01年7月に死亡した東京都の男性(2)01年11月に死亡した和歌山県の男性――の遺産分割をめぐる家事審判の決定のなかで示された。 男性にはそれぞれ婚内子と婚外子がいる。一、二審は判例に従って規定を合憲としたため、婚外子側が同等の取り分を求めて最高裁に特別抗告。規定が違憲かどうかが争われていた。最高裁は、通常の小法廷での審理ではなく、法律を違憲とする際に必要な大法廷での審理を進めていた。≫ (朝日新聞)
この最高裁決定で、自民党の憲法改正草案を策定した人々は、苦虫を噛みしめているだろう。否、適当に大日本帝国憲法に倣った方向性を書き出しただけだから、あまりピンと来ていないかかもしれない。特に条文改正ではなく「新設」において、以下の文脈がある。 ≪(家族、婚姻等に関する基本原則) 第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。 2 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 3 家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。≫
つまりは、為政者にとって都合のいい、家族と云う単位を典型的家族観に立脚して、規定しようとしている。アベノミクスが大好きだと云う“自由主義”が、此処では胡散霧消して、自己矛盾を起こしている。現憲法でも、夫婦の単位を両性のと表現しているので、男女が夫婦となることを前提としているが、実はこの点では、改正の必要は世界的にはありそうな問題である。それはさておき、自民党や霞が関が草案を考えた意図は、極小の政府にするので、福祉は家族共助の精神で実行すべし、そう言っているのだ。
この問題は、核家族化する都市生活者の介護問題を直撃するだろう。血縁における扶養義務を際限なく拡張解釈し、見ず知らずの親戚まで、面倒をみる悲劇さえ生まれるだろう。生活保護の問題にも当然波及する。大嫌いだった、叔父叔母の面倒まで、見させられる破目に追いやられる。増大するばかりの医療費の抑制も視野に入っているだろう。このような案が出来あがるには、一つの右翼思想の枠だけなら理解しやすいのだが、そこに霞が関的行政問題の解決と云う方法論が組み込まれている為、不純な改正草案になっている。
斯く斯く然々の問題を抱える自民党憲法改正草案は、典型的家族観を前面に押し出し、「法の下の平等」と云う現憲法の精神を捻じ曲げようとしていた。しかし、今回の最高裁の決定は、「自民党憲法改正草案」など歯牙にもかけない、手厳しい「法の下の平等」を司法は決然と守るぞ!と宣言したことになる。なんびとも「法の下の平等」であることが、家族観にも及ぶわけで、この決定は、憲法改正は駄目だ、と司法がメッセージを示したとも受けとめられる。
また、少子化対策における、婚外子の扱いにも影響を及ぼすに違いない。グローバル社会を標榜する癖に、グローバルな倫理や道徳・観念になると、突然筆者の如き鎖国論者になる(笑)と云うのは、ご都合主義過ぎるではないか!世界的に国民の婚外子の率が統計にあるので見ておこう。婚外子の割合が、厚生労働省「人口動態統計」の中で、2002〜2003年で世界比較が出ている。
それによると、日本の婚外子は1.93%とで、グローバルに見ると、異様に低い率になっている。ちなみに、婚外子の率が高い順に羅列してみると、以下のうようになる。アイスランド:63.6%、スウェーデン:56%、ノルウェー:50%、デンマーク:44.9%、フランス:44.3%、イギリス:43.1%、フィンランド:40%、アメリカ:33.96%、オランダ:31.3%、ドイツ:26.2%、スペイン:23.2%、イタリア:10.8%となっている。如何に日本が突出して少ないかがよく判る。
勿論、こと統計による婚外子は養子縁組による婚外子も含まれるので、今回の最高裁決定の事例、愛人の子供だけがカウントされているものではないが、少子化の異様な低下は、硬直した社会の目と結婚観と家族観による国民の自制が否応ない圧力を掛けている事を窺わせる。特に未婚の母問題では、謂わば覗き見趣味的な報道も目立つし、さも悪のような奇異の目が不快さを感じさせる。逆に言うなら、そのような国が、グローバルな視点で金儲けだけ精進する等と云う話はお笑い草なのである。グローバルなのか、儒教なのか(笑)、中途半端はやめようぜ、と云うのが今夜の結論である。子供が国の宝だと云う言葉通りの、少子化対策を、筆者は見たことも聞いた事もない。
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