http://www.asyura2.com/13/senkyo153/msg/541.html
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馴れない避難所生活で1600人近く亡くなった。
避難所暮らしが続く、被災者だが、気になって阪神大震災の仮設住宅入居者について調べたところ、5年でやっとゼロになったそうだ。
ガラスバッジの測定では福島でも十分低くなったようだが、●●●●が●●を流して被災者の帰還を妨害している。
年老いて住宅を再建する資金もない人々も大勢いるだろうが、東北の被災者はいつころ自宅に帰還できるのだろうか?
結局、公営住宅を建設して移住するしかないのか?
兵庫県被災地連絡会から
http://www.hisaisha.net/archive/2000/01_14.html
阪神大震災から5年 仮設住宅入居者ゼロに
2000年1月14日
一九九五年一月十七日に起きた阪神大震災で、被災者向けに建設された仮設住宅で最後の入居者が十四日、引っ越しをして、ピーク時に約四万六千世帯が暮らした仮設住宅が解消された。約五年という前例のない長期間に及ぶ仮の住まいは、震災復旧の象徴として注目される一方、「孤独死」など社会問題をもたらした。今後は被災地の本格復興に向け、転居した被災者への支援策などがより重要になる。
仮設住宅の最後の転居者となった森山正憲さん(四七)はこの日午前十時半、暮らしていた兵庫県明石市大久保町の「高丘三丁目仮設住宅」で、明石市の職員に部屋のかぎを渡し、退去した。
明石市内の自宅は全壊し、母親が震災から約三週間後に病死。間もなく父親も入院し、半年後に死亡したため、一人で仮設に移り住んだ。自分で建設していた自宅はまだドアのついていない部屋もあるが、電気工事などが終わるのを機に引っ越しを決めた。森山さんは「仮設住宅がなくなっても、復興住宅での自殺や二重ローンに苦しむ被災者の問題は残っている。仮設解消は復興宣言ではない」。
これを受けて、貝原俊民・兵庫県知事は「長い間、厳しい環境の中でご苦労された被災者のみなさんの努力に敬意を表します。今後は恒久住宅移行後のコミュニティーづくりや生きがいづくりなどの施策をきめ細かく行い、真の生活復興に取り組みたい」との談話を発表した。
仮設住宅は災害救助法に基づく国庫補助で大阪、兵庫両府県の十八市十一町に四万八千三百戸が建設された。市町が建設用地を確保し、設置権者の府県に申請する方式で建設発注が繰り返され、建設費は概算で千四百億円を超えた。入居は震災発生の翌二月から始まり、ピーク時は四万六千六百十七世帯にのぼった。同法規定の使用期限二年が特例として三回延長される中、転居先希望と自治体があっせんした住宅の条件があわないミスマッチも起きた。
兵庫県と神戸市などは転居先となる災害復興公営住宅の大量建設や「阪神・淡路大震災復興基金」の補助による移行支援措置、心のケア対策を実施。昨年一月一日現在で五千八百四十一世帯まで減るなど入居世帯の減少が進み、同十二月二十日には神戸市内の入居ゼロが確定した。しかし、全仮設の解消めどを十二月末までと表明していた兵庫県は、残り一世帯となった同二十七日に時間的な余裕がないことから年内解消を断念していた。
(1月14日付 朝日新聞夕刊)
<参考リンク>
■被災地復興 「資金難が再建の壁」仙台 被災者・研究者シンポ
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-28/2013082815_02_1.html
■土地・設備・資金、問題を抱える中小企業再建を考える【前編】
http://www.rise-tohoku.jp/?p=1444
■[Part2] 復興の「鶏と卵」 人が戻るのが先か、インフラ回復が先か
http://globe.asahi.com/feature/110807/01_2.html
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