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「消費増税の前にやるべきこと」論はどこにいったのか
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2013年9月5日 郷原信郎が斬る
昨年、民主党野田政権が、消費増税実施の方針を打ち出した際、選挙公約に反してまで増税を行うべきか否かをめぐっての民主党内での最大の争点は、「消費増税の前にやるべきことがあるのではないのか」、つまり、税金の無駄遣い、天下りの排除、特殊法人改革など、予算執行の面での課題を残したままで、納税者に負担増だけを求めるのは筋違いではないか、という点であった。
野田政権が、そのような民主党内の反対を抑え込んで、自公の協力で増税法案を成立させたこともあり、その後、「消費増税の前にやるべき」論からは、急速に世間の関心が離れていった。
今、自民党安倍政権が来年春に予定通り消費税の増税を実施すべきか否かをめぐる議論は、もっぱら、アベノミクスによってようやく好転しつつある景気が、消費増税によって「腰折れ」しないかどうか、というマクロ経済的な面に集中している。
しかし、マクロ経済の観点からいかに優れた政策論であっても、最終的には、ミクロ経済の実態と無関係ではあり得ない。財政の均衡も、税収を計算上増加させることだけではなく、予算執行が適正かつ効率的に行われ、所期の経済的効果を及ぼすことで初めて実現されるものである。そういう意味では、消費増税をめぐる議論も、財政の均衡、金融政策などのマクロ経済的な観点だけではなく、予算執行の現場で何が行われているのかというミクロ経済的な実態論が不可欠のはずである。
先週、久々に、女川、石巻、名取などの東日本大震災の被災地を訪れ、公共事業に携わる業界関係者から復興事業の現状について話を聞いた。そこで目にしたこと、耳にしたことからは、現在の復興事業をめぐる予算執行の適正性、効率性に多大な疑問を感じざるを得ない。「消費増税の前にやることがあるのではないか」という、ある意味では当然の議論を思い起こさせるものであった。
復興予算が被災地の自治体の発注能力を超えて配分されるために、その多くが基金として積み上げられ、自治体側は予算を使い切ることに汲々としている。このような状況においては、自治体側関係者の非公式の要請や裁量が幅を利かせ、本来、公共調達において求められる手続きの公正さ、効率性、競争性が軽視されることになりかねない。そして、発注者と受注者との間に「非公式」の不透明な関係ができることで、ムダが生じていく。
被災した自治体の職員や応援派遣の全国の自治体職員、業界関係者が、被災者の救援や被災地の復興に向けて、使命感を持ち、懸命の努力をしている。しかし、膨大な公共工事を公正に、効率的に発注する予算執行のシステムが整備されていないと、そのような復興事業関係者の努力も、納税者に課せられる重い負担も、本当の意味の被災地の復興、被災者支援につながらない、ということになりかねない。
このような公共事業の発注をめぐる問題状況は、震災復興事業に特有なものなのか、現在の公共事業一般には問題はないのだろうか。
民主党への政権交代後、「コンクリートから人へ」のスローガンで公共事業費が大幅に削減されただけでなく、極端な競争入札至上主義によって、中小の建設業者はダンピングの嵐に飲み込まれ、倒産・廃業が相次いだ。そして、昨年暮れ、再度、自民党が政権に復帰した後は、安倍政権が打ち出した「国土強靭化計画」の下で、公共事業費は再び大きく膨れ上がり、平成26年度概算要求では、前年の17%増にも達している。まさに、この数年間、公共事業の発注をめぐる環境は激変の連続である。
復興事業における上記のような現状も、過疎化に伴って低下していた工事発注量が、震災復興で激増し、自治体の能力を超えた発注を行わざるを得なくなったという急激な環境変化によるものであろう。このところの環境の激変が、品質・価値の高い社会資本の整備を可能な限り安価に行うという公共事業の目的に反する事態を生じさせている疑いは、否定できない。
しかし、実際には、このような公共事業予算の執行の現場の問題には全く目が向けられることなく、消費増税の是非に関して、消費増税による景気の「腰折れ」への対策として、「景気対策としての公共事業発注」が当然のように話題に上っている。
そもそも、消費増税の理由となった巨額の財政赤字が大きく膨らんだ原因の一つが、バブル経済崩壊後の1990年代の数次にわたる景気対策の公共事業発注である。国債を増発して投じられた膨大な国家予算が投じられたことが、十分な景気浮揚の効果も生じないまま、乗数的に国家債務を膨らませていった。
この頃の公共工事の発注には、バブル経済とその崩壊によって公共事業をめぐる環境が激変したのに、それ以前からの非公式システムとしての「談合システム」が公共調達全体に蔓延していたという重大な問題があった。
高度経済成長期にほぼ完成し、日本の公共調達全体に、非公式システムとして定着した業者間の話合いで受注者を決定する「談合システム」は、右肩上がりの成長経済においては、不良業者の排除、業者側の発注官庁に対する非公式の協力の確保など様々なメリットももたらす一方、予定価格によって落札価格の上限が拘束され、談合による受注業者側の利得も限定されることで、デメリットもそれ程大きくはなく、高度経済成長期の膨大な社会資本整備に一定の機能を果たした(拙著【法令遵守が日本を滅ぼす】(新潮新書:2007年) 第1章)。
ところが、バブル経済の崩壊で、経済は右肩上がりからデフレに大きく変化、それ以降の公共調達においては、入札における競争での価格競争による効率性、事業者の価格低減が求められていた。しかし、それ以前からの旧態然たる談合システムが維持されたことで、価格競争が制限されたまま膨大な公共事業が発注され、公共事業関連業界に膨大な超過利潤をもたらし、そこへの新規参入も相次ぎ、受注業界は非効率な経営状況のまま水膨れしていった。この時期の公共事業は、砂地に水をぶちまけている状態で、景気対策の効果が殆どなかった。
談合システムは、その後、21世紀に入り、独禁法の運用強化、相次ぐ談合摘発などを受け、2006年に大手ゼネコン間で「過去のしきたり」からの訣別の合意が行われたことでようやく解消された。しかし、それ以降も、公共事業をめぐる環境は激変を繰り返し、発注官庁や業界の混乱は今なお続いている。
公共工事の発注が不透明、不公正なまま行われ、公共事業のムダや非効率が横行する状態が続けば、1997年の消費税増税時と同様に、消費増税によって税収が増加しても、公共投資による景気刺激効果は限定され、財政収支の改善にはつながらないという最悪の事態になりかねない。
来年春に予定されている消費増税が、予定通り実施されるにせよ、延期ないし修正が行われるにせよ、国家予算の執行が、適正かつ効率的に行える状況にあるのか、という問題から、決して目を背けることはできない。
今一度、「消費増税の前にすべきこと」を考えてみる必要があるのではなかろうか。
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