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何故安倍政権は沖縄を切り捨てるのか。それは、彼らが靖国神社や8月15日という日付に固執し、それに囚われてしまっているからではないか。その結果、彼らは、沖縄にとっては8月15日より特別な日が存在するということが理解できなくなっているのではないか。
このように他人の立場に立てないということが、麻生副総理の「ナチス発言」にも繋がっているのだろう。そして、安倍政権はこの発言がどれほど日本の国益を毀損しているのかさえ理解できていない。
ここでは、『月刊日本』9月号に掲載された、作家・佐藤優氏のインタビュー「戦後はまだ終わっていない」を紹介したい。
『月刊日本』9月号より
http://gekkan-nippon.com/?p=5496
特別な時間は八月十五日だけではない
―― 佐藤さんにとって8月15日はどのような意味を持っているか。
【佐藤】 実は私にとって8月15日というのはあまり大きな意味を持ちません。戦後生まれの世代にとっては、祖父母や両親が昭和20年8月15日をどのように迎えたかという、家族の物語として記憶が受け継がれて行きます。私の場合、母が沖縄戦を体験している関係で、沖縄戦が終結したとされる6月23日という日付のほうがはるかに重い意味を持ちます。また、父は北京城外の飛行場で通信兵をしていましたが、デリー放送を傍受して、玉音放送の前に日本がポツダム宣言を受諾したことを知っていたので、玉音放送そのものには衝撃を受けなかったそうです。
歴史には、ギリシャ語でクロノスとカイロスという、二種類の時間の流れがあります。クロノスはクロノロジー(年表・時系列表)、クロニクル(年代記)という派生語が示すように、数直線的に伸びてゆく、単なる時間の連続です。それに対して、カイロスとは超越的に介入してくる、クロノスを切断するような特別な時間のこと、その前と後では世界のあり方が変わってしまうようなタイミングのことです。たとえば、誰にでも誕生日というものがあります。他人には何の意味もない日付でも、その日が誕生日である人には、自分が生まれる前と後とを切断する、重要な日付となります。
多くの日本人にとっては、8・15という日付は、戦前と戦後を切断する重要な日付、すなわちカイロスです。しかし、沖縄にとってはそれは必ずしもカイロスではない。沖縄だけでなく、満州で敗戦を迎えた人にとっては、ソ連が参戦して生命の危機が間近に迫った8月9日の方がカイロスと受け止められているでしょう。
朝鮮人や台湾人にとっては、8・15は別の意味でカイロスです。彼らは当初、日本人とともに泣きました。なぜなら、彼らも大日本帝国臣民として戦っていたからです。しかしその後、彼らにとって8・15の意味は変容しました。それは大日本帝国から解放された日として、別な物語の中で読み替えられたのです。
このように、それぞれのカイロスはその立場、どこで終戦を迎えたかによって、実は差異があります。相手にとってカイロスがいつで、それがどのような意味を持つかを知ることは、他者の内在的論理をつかむためには極めて大切です。本土で終戦を迎えた大多数の日本人にとっての8・15というカイロスも大事ですが、それを外部から見た時に、他にどのようなカイロス、あるいは理解がありうるのかを考えることで、世界の中の日本の位置が等身大で見えてくるはずです。
―― 8・15も、外国にとっては別な意味を持つカイロスであるため、靖国参拝が毎年問題になる。
【佐藤】 靖国参拝は、私は信仰の問題として捉えています。慰霊とは信仰に基づく行為です。総理であろうが閣僚であろうが、強固な信仰を持っているのならば、自らの信仰を貫いて参拝すればいいのです。しかし、外国や国内の賛否の意見に揺れ動くようでは、それは信仰が中途半端ということですから、参拝しないほうが良い。まして、中立的な慰霊施設などという、新しい国家神道を作るようなことには断固反対です。
―― 戦後68年間の歩みをどう捉えるか。
【佐藤】 戦争をめぐるカイロスは8・15で終わりではありません。外交の世界で戦争終結のカイロスを追ってみると、45年8月14日ポツダム宣言受諾、9月2日同宣言調印、47年5月3日新憲法施行、52年4月28日サンフランシスコ平和条約発効、72年5月15日沖縄返還、以上が重要な日付となります。
新憲法施行は、日本が新しい政治体制として生まれ変わったことを示す、国際的宣言です。そしてサンフランシスコ平和条約はアメリカ占領下からの部分的独立、それから20年後の沖縄返還はアメリカによる日本占領の終了です。
こうして見てくると、戦争終結をめぐるカイロスは、未だ終わっていないことに気づきます。沖縄返還はアメリカ占領の終了と言いましたが、実際には未だに沖縄本島の20%が米軍基地に合法的に占拠されたままです。また、わが国固有の領土である北方領土、竹島も、未だにわが国に帰ってきていません。こうした問題をこれから解決した時、その日付が次のカイロスとなるのです。
つまり、「もはや戦後ではない」どころか、まだわれわれは、文字通り戦後の課題を未だ果たし終えてはいないのです。
国益を毀損する麻生副総理のナチス発言
―― 安倍総理が掲げる「戦後レジームからの脱却」という文脈では、「憲法改正」も果たすべき課題ということになる。
【佐藤】 ここで大事なのは、現実を無視した観念論に逃げないことです。憲法は押し付けられたものだ、だから憲法改正だ、自主防衛だ、核武装だ、というように、観念ばかりが先行した机上の空論に陥っては却って危険です。
観念は必ず現実の壁に阻まれますが、その時に、反知性主義が猛威を振るう可能性があります。反知性主義とは、客観的事実を無視して恣意的に物語を作り上げることです。たとえば最近だと、麻生副総理による「ナチス憲法」発言がありました。(以下略)
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