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「「日本は、させてはいけない人を首相にしてしまった。」山内徳信氏インタビュー:岩上安身氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/11941.html
2013/9/3 晴耕雨読
https://twitter.com/iwakamiyasumi
以下、連投します。
これより、8月30日、岩上安身による山内徳信氏インタビューの実況ツイートを行います。
山内氏は読谷村村長を6期務めた後、7月まで参議院議員を務められました。
沖縄戦の時は小学生で、戦中、戦後と、激動の時代を経験されてきた人物です。
岩上「アメリカがシリアで開戦するか否か、そういうアメリカが進めていく戦争に日本が自動的に組み込まれていくかもしれない。順を追ってお話をうかがいます。この読谷村では戦中、戦後、当時どのように生活されてきたのでしょうか」
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山内氏「14世紀、当時の琉球の王様は、読谷の北にあるところから中国に貿易に行った。琉球王国の発展に寄与した人。ここは農林漁業の豊かな、教育熱心の村でした。アメリカに最初に任命された沖縄主席は英語が達者な人物でした」
山内氏「読谷村は、沖縄本島にアメリカが最初に上陸した場所。事前に徹底的に調査されて上陸した。4月1日の上陸の1週間前から、ものすごい爆撃で全て焼き払われてから上陸しました」
山内氏「皇民化教育、軍国主義教育で軍国青年を作っていく。『鬼畜米国』と教えられました。日本が1等国民でアジアの人々は2等3等だと民族差別もすごかった。そうでないと戦場で人を殺せなかったんです」
山内氏「実際に戦争になったときから、日本軍への尊敬や信頼関係は逆転しました。防空壕の中で赤ちゃんが空腹で泣いて訴えても、日本兵は『殺せ』と言う。お母さんがタオルで声を押さえる場面を何度も見ました」
山内氏「アメリカが放った弾を計算すると、沖縄では1坪に9発の弾が撃ち込まれたということになる。飛行場ができる前も、後の姿も私は見ています。肥沃な畑が飛行場に変わっていく。飛行場があったために上陸地点になってしまった」
山内氏「読谷と嘉手納の飛行場を占領してしまえば、本土への攻撃も充分。物資を陸揚げできる場所も読谷にあった。戦争では基地が一番の標的になる。だから基地を作らせてはいけない。朝鮮戦争のとき、爆音で一日、20回も30回も授業が中断することがあった」
山内氏「戦争に巻き込まれる可能性がありました。なので、そのときに南米へ移民した人もおりました。朝鮮戦争があって、日本はサンフランシスコ講和条約で一応の独立を果たした。そこから沖縄の根本的な悲劇が始まったんです」
山内氏「沖縄を切り離してアメリカの統治下において本土は独立。読谷、那覇、宜野湾などで、キャンプ・ハンセンなどの基地が作られていった。それに沖縄の人々は抵抗して、伊江島での闘いを沖縄本島にも広げていかなければならないということになった」
山内氏「いろんな団体が協力していくようになりました。滅茶苦茶な基地接収を止めるのに、基地のアメリカの軍用機を使ってアメリカ本国へ抗議に行くということもありました。戦後の沖縄を救おうと、米国へ移民した人々の動きもありました」
山内氏「戦中は英語を使えなくて授業で先生が困っていました。アメリカの白人は戦争に勝つからと、戦後処理についても勉強してきていた。沖縄の言葉で『どこへ行くの?』と聞かれたこともありました。私たちが戦中に教えられてきたことと全然違いました」
山内氏「アメリカの捕虜になった時、母が『毒が入っているから』とお菓子を食べるなと言いました。『神の国』だというような合理的でない発想。『先手必勝でハワイの真珠湾を落とせる』と山本五十六は言ったかもしれないけど、野蛮な精神主義ですよ」
山内氏「負け戦と分かっているのに、真珠湾までのこのこ行くから、沖縄も、広島もやられた。身の程を知らない。相手を侮った日本は東京大空襲も地方の都市も皆攻撃された。敗戦後の日本政府の努力もなされないまま今日まできてしまった」
山内氏「アジアの国々に対する総括もされていない。日本は、させてはいけない人を首相にしてしまった。浅い迎合的な思想が日本人にはまだある。これは日本外交のアジアの国々との関係も悪化させている要因です」
山内氏「平和外交でアジアの国々をリードしていける存在にならないと。歴史の過去と現在とを認識した上で、今後を考えていかないといけない。それをできていないのが安倍首相です」
岩上「読谷というところが基地というところから脱却していったという話がありますね」
山内氏「アメリカの海兵隊が沖縄に来ることになって、読谷も接収されていくということになりました」
山内氏「アメリカの独立宣言には幸福追求権、人権、言論の自由がある。私たちも同じpeopleでしょと抵抗した。退学まで追い込まれたが、ひめゆりのナカソネ先生が東京へ渡り石垣出身の早稲田大学の先生が転校の手続きをしてくれました」
山内氏「東京で沖縄の運動をしたら、帰りのパスポートが出なかった」
岩上「緊迫感があったんですね」
山内氏「読谷村の青年団を代表して残波岬のミサイル発射に反対する集会を開いて、『パスポートを出さない』と、嫌がらせも受けました」
山内氏「1952年、読谷村全体の85%は米軍基地でした。その後帰村運動をして、私が村長に就任する1974年は74%。訓練事故で小学生や女性が死亡することがありました。戦後、たびたび人権が侵されていた。基地に脅かされない安全な村を作ろうと」
山内氏「教え子たちが私たちのところに押しかけてきました。『先生、私たちと一緒に立ってください』と。若い人の声、可能性を無視してはいけないと、決意を固めました。総決起集会を開くその日まで教員でしたので、その日の午後に退職届を出しました」
山内氏「20年近い運動を通して、憲法にあることを、この村で実現しようと訴えた。教師を辞めて入ったんだから後には引けないと。憲法の3原則を守ると。255ヘクタールの読谷飛行場を取り返す、と唱えたら、保守系の議員から『非常識だよ』と言われた」
山内氏「しかしこれは人為的に作られたものだから、自然にできたものではないんだから、人が解決するもの。飛行場を撤去するロードマップの道筋を作るまでやめないと言いました。圧倒的な支持を得られて、24年間、6期村長を続けました」
山内氏「青年たちは運動場を、老人たちは福祉センターを作ってくれと言ってる。まず基地の中に運動広場を作る計画を立てた。基地の工事は60%完了していたが、文化村を作る構想があったので、お年寄りと座り込みをやりました。彼らも責任を感じていた」
山内氏「警察から、機動隊が出て座り込みのお年寄りを排除するという知らせが入りました」
岩上「60%進んでいた計画を白紙撤回しようとしたんですか」
山内氏「パッとひらめいたのが、アメリカの最高責任者ジミー・カーター大統領に手紙を書くこと」
山内氏「土日で一気に書き上げて月曜の14時に記者会見。沖縄タイムスと琉球新報が夕刊で大きく書いてくれた。朝日も書いてくれた。外務省と防衛省からは抗議の電話がかかってきて、『自治体の長がアメリカの大統領に手紙を出すというのは、おかしい』と」
山内氏「2ヶ月ぐらいでアメリカから『白紙撤回する』と、運動広場を作っていいと返事をもらった。でもぬか喜びはできんから、アメリカのしたたかな性格も知っているつもりだから、運動広場は日本政府の補助金で作って、アメリカに知恵で勝つ必要があった」
山内氏「読谷の陸上競技大会を米軍に見せて、彼ら若い人も基地を作らすなと言っているから、これは村民の総意だから基地は諦めてくれと言いたい。あなた方、押しきれないよと。ここが勝負の分かれ目だった。防衛省の中にも努力してくれた職員がいました」
山内氏「アメリカ軍の基地を管理する不動産部長にできた野球場を案内した時、『次は何を考えてる』と聞くから、読谷の南に読谷村役場を作って、赤瓦をしつらえた琉球建築で作ると。米軍が見てもすごいと思わせるようなものを作らなければと」
山内氏「みんなの目にかなう設計にしてくれということでできたものがこれです」
岩上「かつて基地として接収されてきたものを交渉で取り返してきた、これをどちらで学んだのですか」
山内氏「基地を取り戻せる構造は文化の構造。文化村としてやっていくと」
山内氏「文化は金儲けが目的ではありません。人々に夢や希望を与えるのは文化。そこに基地を置いてはおけないねという発想。琉球王国の時代やその前の時代、中国や朝鮮、東南アジアの文化もここにあると」
山内氏「外交の秘訣は歴史を語れること。相手を揺さぶるには相手を感嘆させられるような話をする。基地が多いと、人間的な豊かな環境も作れない。文化村には3つの構想があります。1つは伝統的な焼き物の村にするということ」
山内氏「2つ目は機織り。4つのセンターに女性たちが通ってくれた。3つ目は紅芋で洋・和菓子を作るということ。ヘルシーな紅芋はヒットすると。地元の原産物を使って作るということ」
岩上「皇民化、軍国教育がある中で、アメリカの民主主義、歴史を学ばれた。それを逆手にとって交渉された。今、憲法が改正されようとしていて、若い世代は憲法・民主主義のありがたさを知らずにきてしまった。私たちと違った体験をされていると思いますが」
山内氏「戦前は、大自然に依拠している。山、海、川の幸を大事にしてきた。読谷に2つのホテルを誘致したとき、ビーチは読谷村が整備すると言いました。管理はホテルにお願いする。大自然の海までやりたい放題にはさせないよと」
山内氏「教科書に書かれていることではない、社会教育の場が自治体、地域にある。大地は最高の教科書。子どもたちの豊かな人間性がつくられていくのが、ふるさと教育論です」
岩上「普天間を返すと言いながら、辺野古に移して大きな基地を作るということになった。これに反対されてきたと思いますが」
山内氏「普天間には夢がありました。都市計画を学んで、ふるさとを21世紀にふさわしいように残さないと、と講演で言いました」
山内氏「基地は戦争のためのもの、人を殺すためのもの。そんなものがあるのは不健全。基地がなくて良かったなと思ってもらうことが大事。基地の多くが返還になると日本政府も財政が負担になります。後治療も早めにやったほうがいい」
山内氏「第一次産業を盛んにすることも大事。他では4年5年かかると言われたけど、読谷では要請した翌年から調査費がつきました。『あんたらには迷惑をかけんから』と言って、国の職員にもその気になってもらいました」
山内氏「村長になった者がやるべきことは、一番生活が困難な人のための政策。自然を大事にすること。日本が生きていく道はこれしかない。国境があることは元凶。ナショナリズムをあおるようなことになる」
岩上「21世紀になって、ナショナリズムの高揚が強調されているように感じますが」
山内氏「普天間は使い勝手が悪かった。辺野古なら、飛行場もあれば軍艦も着岸できる。北部訓練場は人を殺すための訓練もできるからアメリカとしてはほしかった」
山内氏「沖縄の人々は、『ここが昔の射爆場か』とゴルフ場やホテル、肥沃な農地に変わった姿を見て、誰も文句を言わない。基地の跡地を自分たちの力で使いたいということになってきている。沖縄の平和と観光がないといけない。文化の光をみるのが観光」
山内氏「人の交流が大事。そこで世界の人類が結びついている。それを全部潰すのが戦争」
岩上「一方、北朝鮮の話になると、朝鮮総連と関係があったりすると、北朝鮮のシンパなどと言われてしまったりするかと思いますが」
山内氏「何万人も慰安婦として連れてきた過去に触れず、戦後の拉致問題だけにしてしまっている。また警備当局は知っていたはずなのに、拉致が横行する状態を許した。神経が過敏になってしまうのは分かるけれども」
山内氏「戦前や戦中を知る世代の罪滅ぼしとして教科書の無料配布など、国会議員がやるべきことだと思いました。少なくとも独立国家なら、対話と制裁の対話の方をもっとしていくべき。6者協議の世話役のアメリカ人にそのように述べたんです」
岩上「仲良くしようと言いながら、返すものは返してもらうと」
山内氏「熟したりんごやみかんは地に落ちる。落ちたものからは芽が出る。早く芽を出すこと。古いものにしがみついていてもしょうがない」
山内氏「本土復帰運動は平和憲法でなければならないということを言ってきました。日本国憲法は、今後も守り通していかなければならない。経済は下部構造、上部構造は文化だと私は考えています。戦後は生活の基盤を所得倍増などといって進化してきました」
山内氏「歴史は前に進んでいくんであって、歴史から学ばなければならない。日本の安倍首相には歴史認識について『あなたはヒットラーになるな』と言いました。彼は過去から学ぼうとしない。地位協定、日米安保、これでいいのと」
山内氏「安倍首相にやってほしいのは、ひとりよがりの歴史認識でなく、ドイツのヴァイツゼッカー大統領の様な発言をしてほしい。日本にもこういう首相が誕生したかと。戦後レジームから脱却するなら、憲法改正じゃないでしょと。中国とも仲良くしてほしい」
山内氏「過去の歴史から見ても、中国を抜きにしての外交安全保障はありえない。不幸な道を歩む方向にいっている。アメリカに利用されながら、中国に尖閣へ出て行く口実を与えて、アメリカの小軍になるような国作りはいかんだろうと思いますね」
岩上「かつてなかったほど、中国は拡張主義的になり、過去の負い目もあって居丈高になり、今なら中国に勝てると言っている人たちがいます。この危機は乗り越えられるとお思いですか」
山内氏「今の中国と日本の関係では日本が怖い。中国の台頭は歴史の必然」
山内氏「倒すための空手ではなく、自分を守るための空手。過去にはナポレオンでさえ敗退した、その歴史から学ばなければならない。先手必勝という言葉があるが、兵器がこれほど進んだ時代には、そんなことはありえない。間違っていると」
山内氏「解決できる力を持っているのは総理。あおりたてることを言っちゃいかんのです。向き合って戦った時に何が残るのか、総理の責任は重いですよ。なんでもやれると思ったら間違い。やってはいかん、そう思っています」
岩上「粘り強く対話をし、平和を求めていく、この沖縄の姿勢を日本にも求めていくと」
山内氏「人間の信頼関係ができるかできないか。日本の経済発展のためにも中国の信頼を失ったらいかんですよ」
これで実況ツイートを終了します(了)
インタビューの動画記事はこちらからご覧ください→http://t.co/kf0NC35cCi
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