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2013-09-02 反戦な家づくり
参院選の大敗から1ヶ月以上が過ぎ、そろそろネジの巻き直しかなと思うこの頃になって、どうも不穏なニュースばかりが耳に届く。
不穏というのは、原発や被曝やTPPや集団的自衛権や増税や、そうした事どもももちろんのことながら、それに立ち向かってきた仲間ウチでのいざこざである。
詳細はここでは書きたくない。未確認情報でもある。
しかし、負けがかさむと仲間割れが頻発するというのは、どうも本当のことらしい。
いったい、何が運動を壊すベクトルなのか。少し考えておきたい。
たぶん、運動を壊すベクトル、方向性は3つあるように思う。
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ひとつは弾圧、ネガキャンなどの、直接的な敵からの攻撃だ。
日本の場合、汚職かハレンチ罪での冤罪デッチアゲか、その手前のマスメディアを使ったネガキャンということになる。
最近で言うならば、小沢一郎さんへの陸山会事件であり、植草一秀さんへの痴漢デッチアゲである。
こうした、謀略やデッチアゲは、権力を持つものが抵抗するものを潰すためには、必ず使う常套手段だ。
あたかも料理人が包丁を使うように,当たり前のようにして権力者はこうした手段を使う。
もちろん、これは相当の影響力をもつ人に対してことであり、ちょっと運動や選挙にかかわったからと言って、誰彼なく捕まるわけではない。
逆に言うと、全然弾圧されない運動というのは、敵にとってまだまだ痛くない、影響がない運動だとも言える。
痛くない というのは、ツッコミどころが間違っていて、どんなに激しく突いても痛くない、と言うケースと、方向は急所を突いているけれどもあまりにも運動の範囲が小さい というケースがある。
たえず、それを自己点検しながら進んでいく必要はある。
弾圧は成功の証でもあり、政権の生命線である政策に真っ向から反対し、それをひっくり返す可能性が出てくれば、無傷で済むわけはない。
そして、実はそうした弾圧そのものでは、運動を潰しきることはできない。
小沢一郎という個人の知名度と能力に完全に依って立つ、いわゆる小沢グループとその支持層は、陸山会事件によって確かに大きなダメージを受けた。総選挙と参院選の大敗も、もちろんその影響は大きい。
しかし、あれだけの大キャンペンにもかかわらず、そして、これだけの大敗にもかかわらず、それでも小沢を立てて国民の生活を第一を実現しよう という数十人の政治家と、94万人の国民がしっかりと残っている。
植草一秀さんに対する仕打ちは、ある意味陸山会事件よりもさらに過酷だった。
それでも、本人の心が折れなければ、弾圧で潰すことはできないということを、植草さんは身をもって示した。
竹中平蔵は、これで二度と人前には出てこれないだろうとウハウハ喜んでいたに違いないが、植草さんはドン底から這い上がってきた。
そして、今や国民運動を牽引していくくらいの覚悟と影響力をもって復活を果たしている。
両方のケースとも、1億2000万人に対するマスの印象としては、弾圧による効果はあり、マイナスイメージはぬぐえない。
しかし、これから運動にかかわっていこう、黙っていられないという数万人、数十万人に対する影響力は、弾圧前よりもはるかに強いものになっている。
弾圧は不可避だが、それに折れず、一歩下がってもより層の厚い、覚悟の強い運動になって再起する。
それを何回も繰り返すことしかない。
行っては返す波のような運動でしか、権力をもつものへの抵抗はかなわない。
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そうした弾圧という方法に比べて、むしろ運動へのマイナスが大きいのが、主導権争いだ。
古今東西、ある程度の大きさの組織になると、かならず主導権争いが起きる。
それは、トップの座を争う場合もあるし、絶対的なトップがいる場合はその側近の座を争う場合もある。
まったく、不思議と言えば不思議だが、人間が感情の動物である以上、ねたみや恨みや思い込みなど、他人から見ればどうでもいいことで、大事な運動が機能停止したり分裂したりする。
尊敬する相手だからこそ、認めてもらえないと逆恨みしたり、ちょっとした行為を悪意にとってしまったり、そうした感情に囚われると、国民の生活が第一のハズが自分の感情が第一になってしまう。
これは人間の性(さが)と言ってもいいかもしれない。
運動のやり方も、人によって得意技やセンスや気質があるから、色々あって良いはず。
なのだが、どうしても「俺のやり方が一番だ」てなことになる。自分で一番だと思っている分には害はないが、ついついそれを口に出す、さらには他のメンバーやグループの批判めいたことを言う。
ここまで行くと、もうおきまりのコースである。
いったい、何が一番大事なのか、運動の広がりが大事なのか、自分のグループが大きくなることが大事なのか、理屈で考えれば誰でも分かることが、カットなると見えなくなってしまう。
これ自体で運動が潰れるわけではないが、こういう様を見て嫌気が差して多くの人が運動から離れていく。
ひとつ記憶に留めておきたいのは、こうした感情のもつれは、単純に個人的な理由もあるけれど、意図的に仕組まれることもあるということだ。
運動が大きくなれば、当然ながらスパイ的な人物も入ってくる。(当然です。当然と思わなくては)
そういう人物が、意図的に、事実を微妙にねじ曲げて伝えたりして、感情のもつれを作り出す場合があると言うこと。
ムカッときたときは、あれ、ひょっとして俺は乗せられてるのかな。。。 と思い返してみることを忘れないでいただきたい。
そして、当事者どうしてきちんと話し合うこと。人を介しての噂や、ネットでのやりとりではなく、顔を合わせて話し合えば、溶ける誤解もある。
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以上の、弾圧や主導権争いよりも、一番やっかいなのは、正義の味方である。
つまり、何が正義か での争いはもっとも手のつけようがない。
これも詳細は省くけれども、ほとんど同じ主張をしている政党やグループや市民団体が、特に個人的な因縁がなくても、なぜかまとまることができない。
これは、彼ら彼女らが考える「正義」が微妙に違うからだ。
逆の言い方をすれば、妥協の仕方が分からない、妥協という技術をまったく持ち合わせていたい ということでもある。
日本人は、幕末から自由民権までの民衆運動をたたきつぶされ、帝国憲法と帝国議会を定められてから120年間、政治とは無縁に生きてきた。
いや、生きさせられてきた。
あの戦争があっても「国体」は生き残り、原発が爆発しても原子力村はピンピンしている。
この異常な国の基盤、簡単に言えば国民の洗脳は、120年前から始まっていると私は思っている。
なぜならば、江戸時代の農民はもっと自立していた。
約束を破る代官にたいしては、一揆をおこして命がけで約束を守らせた。
そうした自立した精神を叩き折ったのが120年前の明治政府であり、以降一貫して国民を「何も考えなくても生きていける」生き物として育成してきた。
もちろん例外はあって、その例外の人々がまず抗議の声を上げるわけだが、なにぶんにもまったく政治的に訓練されていない。
正義を主張することはできても、政治、つまり実行する手段にまで載せる訓練は、日本人は有史以来まったくやったことがない。
だから、99%同じ主張でも、1%がクッキリ違うと、アレでは駄目だコレでは駄目だという話になり、昂じると感情のもつれにまでなってしまう。
主張と政治は次元が違う。
主張を具体化するのが政治なのであり、そこには技術や長期中期の戦略があるのだが、それを理解することなく、間の前の違いで あいつは寝返ったとまで言われたりする。
これは、政治を訓練するしかない。
なにせ、有史以来一度もやったことがなくて、最近の120年間はことさら意図的にそういう世界から遠ざけられてきた民が、始めてとり組むのだから困難は仕方がない。
もうどうにもこうにも、四の五の言ってられないという危機感しか、この訓練を促進するエネルギーはないだろう。
だから、その現実性はともかくも、5月27日に山本太郎さんが各党を集めて「統一比例名簿」を持ちかけたことは、大きな歴史的な意味をもっていると思う。
こうした努力を、一歩一歩重ね、各党、各グループ、各人が、どうしたらまとまれるのか。どうしたら力になるのか。どうしたら危機を脱することができるのか。真剣に考えてみることだ。
→ 山本太郎さんが提案した統一名簿を巡る各党の議論は今後を考える上で貴重な資料
少数で反対を唱えていれば、ある程度妥協してくれた時代は、今はもう過去の思い出だ。
特に、敵の本丸を崩すには、数がなければ絶対に実現はできない。
アッチが悪い、コッチが悪い ではなく、まず自ら胸襟を開き、きちんと妥協する方法をあみ出すこと。
この訓練を積むしか、絶対に道は無い。
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関西では、いわゆる小沢支援者グループどうしは仲良くやっている。
昨日、3.3女子会の主催で中村てつじさんの講演会があり、6団体が協賛と言うことで、多くの方が集まり、政治を市民の手に!プロジェクトもひと言挨拶をさせてもらった。
現在の安倍政権の、とんでもない暴走のスピードを見ていると、とにかく アベヲトメロ だけでも一致して集まることが必要だ。
そのためには小沢グループだけでなく、さらに、社民党、みどりの党や、瓦礫や原発の市民運動グループ、もっと言えば民主党や自民党のなかで内心忸怩たる思いでいる地方議員など、幅広く、ケースバイケースで連携していく必要がある。
そんな「いい加減」な場をつくれたらいいなと思い、そういう広汎な集まりに相応しい講師を捜している。
どなたか、言い方がおられたら、ぜひ教えていただきたい。
もし、具体的につてがあるのならば言うことなし、そうでなくても、この方はどうか という方がいれば教えて下さい。
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