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<戦後の歴史は勝者の作ったもの>台湾少年工を反日に利用しようとした日本基督教団(アメリカ籍)と保坂治男元校長<反日勢力>
http://www.asyura2.com/13/senkyo153/msg/285.html
投稿者 会員番号4153番 日時 2013 年 8 月 31 日 09:54:30: 8rnauVNerwl2s
 

「台湾少年工が1945年を境として、敗戦国民と戦勝国民の両方を体験した稀有の存在であり、その体験から得た結論が、自信を失った敗戦後の日本人の歴史観に、転換を迫るというのだ。
戦後の歴史は勝者の作ったものであり、勝者に都合のいいものであることを、台湾人は命懸けで知ったという。私が本書を多くの日本人に勧めるのは、そこにも理由がある。」
(李登輝元台湾総統)
 
 
 


「二つの祖国を生きた台湾少年工」を読んだ。

日々戦況の苦しくなる日本に自ら志願した少年工達。

故郷台湾を遠く離れ、「祖国日本」のために命をかけた姿は感動させる。
 
敗戦で敵国の中国人となり、戒厳令下の台湾での2.28事件にも負けず、日台友好の礎を築いた。


しかし、彼らを反日に利用しようとした勢力がいた。

大和市立柳橋小学校の保坂治男元校長が呼びかけた「1998年度 平和のための戦争展かながわ」。

日本基督教団宣教師でアメリカ籍台湾人の張端雄氏は、志願した少年工を「徴用」と呼び、日本を悪者に仕立てようとしたのだ。

元少年工の黄さんは、親日家ぞろいの元少年工を「ミスキャスト」と影で囁きあっていた主催者たちの本性を見た。

元少年工の講師は、苦しい戦況の中、懸命に誇りを持って仕事に命をかけた当時の体験を語った。


反日、東アジアの不協和音を生み出す。西早稲田の反日勢力が行う悪行こそ暴かれるべきだろう。


<参考リンク>

■<強制徴用も捏造>台湾の元少年工に旭日小綬章 日台交流かけ橋<親日台湾が反日韓国の嘘を暴いた>
http://www.asyura2.com/13/senkyo148/msg/747.html


■<国際的スパイ組織>西早稲田の反日中共・北鮮組織と反戦・平和を唱える日本の似非左翼の国際連帯について説明してほしい。
http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/663.html


■<崔勝久さんも登場>斎藤芳夫さん 上溝九条の会運営委員、元八路軍衛生兵<中共のスパイが正体を明かして講演??>
http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/613.html


■「"平和のための戦争展" 日本基督教団」検索
 http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E5%B1%95%22+%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9F%BA%E7%9D%A3%E6%95%99%E5%9B%A3&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&x=wrt


■「保坂治男」検索結果
 http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%BF%9D%E5%9D%82%E6%B2%BB%E7%94%B7&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&x=wrt

※反日 似非左翼 アメリカ 日本基督教団 朝鮮人  

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コメント
 
01. 2013年8月31日 10:45:50 : 4emYoBXJ9s
牧師、
こうしたプロテスタントらの言う「人権」を啓蒙するために、日本の習俗や古くからの価値観を否定し、破壊してきたのが戦後だ。

その嚆矢は日本国憲法の人権概念に始まる。
この「人権」は、いわば勝手に押し付けられたものだが、日本人は日本人なりにそれを咀嚼すればいい。人権概念それ自身に罪はない。

だが、それをプロテスタントらの言う「人権」には、一部日本の習俗・伝統的価値観と異なるものが入っているのだ。

それゆえにこそ慰安婦問題で米欧は日本に口を突っ込むのだし、日本はその言いざまの真意・底意を掴めないでいる。


彼らの言う「人権」と日本人の言う「人権」が違うということ。
困ったことに、それを同じものだと思っているところが、そもそものボタンの掛け違い。

かの外国製の「人権」を喜び習った法律屋や人権家なぞは、こっちが本家とばかりに日本の感性を否定するものさえ出る始末だ。


02. 2013年8月31日 14:03:37 : M7Vpw55vac
>>1
質問 でわあなたの言っている ”日本人の言う「人権」”ってどういう事ですか?

03. 2013年8月31日 14:47:23 : 4emYoBXJ9s
>>02
>質問 でわあなたの言っている ”日本人の言う「人権」”ってどういう事ですか?

01だが、

(笑)申し訳ないが、それが簡単にこうだと書けるのなら、慰安婦問題で日米の温度差、見解の差など生まれないだろう。橋下市長も言を撤回する前に気づいたかも知れない。

ただ話題になっているコトを種に、「違い」は書けるかも知れない。

そう、端的に言うなら、
往時、日韓ともに存在した、公娼という文化を認めることが出来るか否か、だ。
 


04. 2013年8月31日 16:40:01 : M7Vpw55vac
>>03
でわ、あなたはなぜ”公娼”という文化を認める 事ができるのですか?



05. 2013年8月31日 21:44:01 : azalFscSic
台湾人には2種類いる。戦前から台湾に住んでいた本省人と戦後中国大陸から移住して来た外省人だ。台湾少年工はもちろん本省人。当時は大日本帝国の臣民として軍隊や工場に参加できる者は名誉であった。アメリカ籍台湾人の張端雄氏が本省人だとは限らない。戦後中国人政府の弾圧で本省人も多数アメリカに逃れた者はいるが、ベトナムのように自国内から外国勢力を排除できない台湾人のダメさ加減は、まぁ日本人なら理解できるでしょうw

06. 2013年9月01日 10:39:23 : qXNU2Yan4g
01だが、

>>04
>でわ、あなたはなぜ”公娼”という文化を認める 事ができるのですか?

もちろんだ。
時代劇や戦前のドラマを知る日本人なら、そうした文化があったと知っているだろう。ただし、その末端にいる業者が、人権蹂躙をなしていたかどうかは別としてだ。

文化として世間が認めていたということは、そうした営業行為を公的な立場から、取り締まり、指導する働きかけも当然あったし、世間もそれを期待していたということ。
もちろん、けっして胸を張れる業種ではないと知っていた上で、日本人はそうしたものを社会から排除しようとはしなかった。今の日本人の多くも、そうした過去を責めたりはしない。

橋下市長の、風俗を活用云々も、けっして褒められる発言ではないが、そうした日本人の感性を持つものなら、米軍という存在の不条理さの前に、うなづいた方も多いと思う。


では聞くが、あなたは、往時の公娼という文化を認めることができるのかな?


07. 2013年9月02日 05:00:43 : M7Vpw55vac
>>06
レスをどうも。

このやりとりは、人権という事に関して始まったんですよね。

私の質問の真意は 公娼という文化 に対して倫理的な正当性をあなたは認める事ができるのか?ということだったのですが、

>文化として世間が認めていたということは、そうした営業行為を公的な

立場から、取り締まり、指導する働きかけも当然あったし、世間もそれを

期待していたということ。
もちろん、けっして胸を張れる業種ではないと知っていた上で、日本人は

そうしたものを社会から排除しようとはしなかった。今の日本人の多くも

、そうした過去を責めたりはしない。

私の質問に対するああなたの答えは、主にこの部分だと思うのですが。


上に書かれている事があなたの言う”日本人のいう人権”に関するあなたの見解なのでしょうか。

>営業行為を公的な立場から、取り締まり、指導する働きかけも当然あったし、世間もそれを期待していたということ。

一体この考え方のどこに公娼制度の当事者だった女性達の思いや見解や主張がふくまれていると言うのですか?

この公的な立場が取り締まり指導する事の目的は何だったのか?また世間が期待したこととは何だったのか?

それは ”世間や公的と呼ばれる人達が認識する社会の秩序を守る事”というのがあなたの認識なのではないですか?

そして”社会の秩序を守る事で、公娼で働く女性達の人権を守っていたのだ” とあなたは主張するかもしれませんが

それはあなたの言う、世間や公的と呼ばれる人達の一方的な視点、立場に基づいて語られている局所的な人権論であり狭義のいわゆる必要性倫理と呼ばれるもので、そのような論を基にして、”だから公娼文化には倫理的な正当性があるのだ” 等とは決して言えないと私は思います。

なぜなら、この問題で一番重要である、当事者である公娼として生きなければならなかった女性達の”真意の思いや 立場や、視点に立った”倫理的 人道的な価値観等を内包した主張、人権論理ではないからです。

あなたが例に出した”公娼制度”

この公娼制度の当事者はそこで働いていた女性達ですよね。

「そもそも体を売りたくなんかない」「そもそもこんな所に来たくはなかった」「身売りなんてされたくなかった」「自分の意思で来たのではない」「こんな所で働きたくなんかなかった」等の 自発的ではない、その様な状況に追い込まれ、不本意にその状況を受け入れなければならない様な立場の、この様な当事者達の切実な真意の気持ちや思いの側に立った倫理観、人道的見地から生じる人権という概念が、あなたの主張している論からは抜け落ちているのではないですか。

あなたは>>01の投稿で日本国憲法の人権は勝ってに押し付けられたもの と言われていますが、この公娼文化 制度 というものは、またそれと同時に存在した人身売買というものは、それこそ、あなたが言う世間とか公的とかというものが、当事者の女性達に勝ってに押し付けた、あなたの言う世間とか公的とかにとって都合のよい論理、価値観なのではないですか?

だから私は、あなたが言う”日本人のいう人権だ””文化だ”といって当事者の女性達の立場、視点、気持ち等を無視し、その様な価値観を”慣習だ””文化だ”と言って彼女達に押し付けている”公娼制度” そして”人身売買”に対して倫理的正当性を認めることはできません。

つまり”公娼という文化”を正しい事だとは思いません。

間違った事だと思います。

悪い事だと思います。


08. 2013年9月02日 10:52:18 : GHECwK9ldI
01だが、
>>07

>このやりとりは、人権という事に関して始まったんですよね。
>
>私の質問の真意は 公娼という文化 に対して倫理的な正当性をあなたは認める事ができるのか?ということだったのですが、

繰り返しになるが、そんな「人権」などという高邁で、抽象的な話は、ここでさらっと記すほど簡単な話ではない。むしろ、それを論じれると挑むかにみえる、考え方そのものが一種の傲慢さにみえるがね。
それと、質問の真意から外れていたとの指摘だが、その“倫理的な正当性”については以下に書く。


>そのような論を基にして、”だから公娼文化には倫理的な正当性があるのだ” 等とは決して言えないと私は思います。

あなたはちょっと勘違いしているぞ。
私はそんなことは言っていない。「公娼文化には倫理的な正当性がある」などとね。

世にある文化、風俗習慣の多くは、気づいた頃には既にあったものばかりだ。むろんそれらに対する倫理的な判断はあったが、それを、こうすれば善いとばかりに変えられるものと、なかなか変えられないものもあった。社会はそれを、そのまま受け入れざるを得なかったものもある。
そうしたものは、あなたの言う“社会の秩序”を維持するために、外部から種々の規制がなされたのは言うまでもない。

わたしは、もうそれだけで、社会という大きな枠からの愛情を感じている。なぜなら、存在を許されているからだ。
日本には、そうした大らかさがかつてあった。
今の人はホームレスに厳しいが、かつては“乞食”とか“ほいと”とか呼ばれた人々も、モノを生産する能力、稼ぐ能力が無い者として、ある種、存在を許されていたところがある。つまり餓死するまで社会は無視しようとはしなかった。

そうした日本人の大らかさ、倫理判断を基に人を強いるような、そんなことをしない大らかさは、ひとつの愛情だと思うがね。
そうして、社会が存在を許したものは、もう既に文化なのだ。価値判断をとりあえず停止して、社会が受入れた姿でもある。


>「そもそも体を売りたくなんかない」「そもそもこんな所に来たくはなかった」「身売りなんてされたくなかった」「自分の意思で来たのではない」「こんな所で働きたくなんかなかった」等の 自発的ではない、その様な状況に追い込まれ、不本意にその状況を受け入れなければならない様な立場の、この様な当事者達の切実な真意の気持ちや思いの側に立った倫理観、人道的見地から生じる人権という概念が、あなたの主張している論からは抜け落ちているのではないですか。

だから、その話は別だと前にも記したはずだ。公娼という文化があることと、その現場での運用が倫理的に問題があったこととは別の話だ。そこがやはり判らないようだね。

当時、かわいい娘を身売りさせた親もいただろう。そうした親を一概にわたしは非難することは出来ない。そうした苦渋の判断をした親の思いは想像に余りがあるが、もうその段階で、そうした職業は倫理的に問題があるのは明らかだろう。
だが、そうした倫理判断だけで片付けられる問題でもなかったのだ。日本人は何もあなたが言うような「公娼文化には倫理的な正当性がある」から、その存在を許してきたわけではない。

それと、現場での犯罪はちゃんと処罰されている。人権蹂躙は当時であっても当然罪だった。
「戦時中の朝日新聞 慰安婦強制連行したのは朝鮮人業者と報道(NEWS ポストセブン)」
 http://www.asyura2.com/13/senkyo153/msg/325.html


>またそれと同時に存在した人身売買というものは、それこそ、あなたが言う世間とか公的とかというものが、当事者の女性達に勝ってに押し付けた、あなたの言う世間とか公的とかにとって都合のよい論理、価値観なのではないですか?

ほうら、出た。
やはり、文化としての公娼と、その倫理性をごちゃ混ぜにしてしまう。
誰に都合が良いとか、そういう話ではない。そうした業態が、好むと好まざるとに関わらず、世にはニーズが存在した、ひとつの文化だったのだ。

むろん、現場にいる心ある者も、それを見る世間も、そうしたものから卒業できればいいなと思っていただろうし、そのとおりになって今がある。そうした変化は、誰かが社会と闘って勝ち取ったとか、為政者が英断を下したとか、そんな話ではなくて、社会がそうしたものを必要としない程に豊かになり、卒業できる条件が揃ったから可能となったのだ。

それを倫理的にけしからんとか、不道徳だからとかと規制しても、人間の個々の思いは自由なのだから、そうしたものはアングラ化するか、犯罪となるだけでしかない。
むしろ、あなたのような価値判断をして、外部強制的に何かを変えてしまおうという姿勢には、傲慢さというか、違和感を感じる。


>つまり”公娼という文化”を正しい事だとは思いません。

わたしの問いかけは、“往時の公娼という文化を認めることができるか否か”だった。
それについて、正しく答えられているとは思えない。
何も、「公娼という文化」の倫理的是非を論じていないのは上記したとおり。かつて存在した“往時の公娼という文化”を認められるかどうか、だ。もちろん今、現代日本はそれを認めていないのは云うまでもない。

そうした時系列での人間の進化・発展をみることが出来ないのは、いったい何故なのだろうか、とも思う。
同時に、そうした倫理判断で善し悪しを判断してしまう、愚かさを感じてならない。

在日米軍が犯した性犯罪をみるといい。それは、そうした公娼を悪と断ずる、プロテスタンティズムの倫理的性急さと頑さから、自然にアングラ化し犯罪化した姿なのではないかとも思うがね。
つまり、倫理的性急さと頑さが、意に反して「罪」を生んでいるという図だ。

橋下市長が後に撤回した、風俗活用発言も、繰り返しになるが、けっして誉められたものではないけれど、その奥にあるのは、日本の「性」に対する根源的な許容性、大らかさ、それを参考にしたらどうだという問いかけだったと思うが。


09. 2013年9月02日 18:22:28 : M7Vpw55vac
>>8
レスありがとうございます。
今日も暑かったですね。

あなたの問いかけ>かつて存在した“往時の公娼という文化”を認められるかどう
か、

あなたは私に過去の日本において、公娼という文化が歴史的に存在したかどうかという有無を質問しているのですね?

倫理的に公娼文化を認めるとか、認めないとかではなく、歴史的にそういう事実があったかどうかを聞いているのですよね?

私の答え
日本の過去に、日本の社会の中に公娼制度が存在したという歴史的事実を私は認めています。

私の質問 公娼文化というものは倫理的に正しい事なのか 正しくない事なのか あなたはどう考える? 

あなたは>当時、かわいい娘を身売りさせた親もいただろう。そうした親を一概にわたしは非難することは出来ない。そうした苦渋の判断をした親の思いは想像に余りがあるが、もうその段階で、そうした職業は倫理的に問題があるのは明らかだろう。

と言っているのだから、公娼というものは倫理的に問題がある 倫理的に正しくないと考えているわけですよね。

ということは、私もあなたも、
”公娼という文化が過去日本の社会の中に存在した。
しかしそれは、(公娼制度というものは)倫理的に正しい事ではなかった。”

と考えているのですよね。

二人とも同じだと思うのですが。


10. 2013年9月03日 16:17:14 : 6xrqm9CENM
01だが、コメントをありがとう。
>>09

>私の答え
>日本の過去に、日本の社会の中に公娼制度が存在したという歴史的事実を私は認めています。

いや、答えているとは思えない。

“往時の公娼という文化”を認めるか否か、から
“歴史的にそういう事実があったかどうか”に、すり替わっている。つまり、「文化」の語が抜けている。

これは些末な揚げ足取りではない。
03で記したように、慰安婦問題で日米の温度差、見解の差の、その肝となる概念が、その「公娼という文化」の存在なのだから。なぜなら、牧師等はこれを認めないだろう。

繰り返しになるが、
わたしの問いかけは、往時の“公娼という文化”を、あなたは認められるかどうかだ。

前のコメントでも触れたが、
公娼という文化があることと、その現場での運用は別だと記したように、そうした「文化」の存在を区別し、認めることが出来るか否か。その重きは「公娼という文化」にある。もちろん“往時の”という但し書きがつくけれども。
それは、前に記したように、倫理的判断を超えた場に立ち、過去を俯瞰できるかどうかでもある。


11. 2013年9月04日 05:25:26 : M7Vpw55vac
>>10
コメントありがとうございます。

昨日は入道雲がすごく印象的でした。
今日はあまり暑くならないといいんだけど。と思ってます。

>倫理的判断を超えた場に立ち、過去を俯瞰できるかどうか


それは

歴史的に、”公娼という文化”が日本に存在したかどうかを認めることができるか否か、と私は理解したのですが、違うのでしょうか?

>”公娼という文化が過去日本の社会の中に存在した。
しかしそれは、(公娼制度というものは)倫理的に正しい事ではなかった。”

これが私の考え方なのですが・・

あなたが、”文化を認める”と言っているのは”>文化として世間が認めていた”つまり”世間”=当時の人達 の価値判断基準を私が認める事ができるか否かということなのでしょうか。

しかし、あなたも、今までのあなた自身のコメントの中で言っていたと思うのですが。
>世にある文化、風俗習慣の多くは、気づいた頃には既にあったものばかりだ。
>社会はそれを、そのまま受け入れざるを得なかったものもある。
>社会が存在を許したものは、(もう既に文化なのだ。)
>価値判断をとりあえず停止して、社会が受入れた姿でもある。

つまりあなたの質問は、社会=当時の人達 が”価値判断をとりあえず停止した”(思考停止、自己の判断をしない)という、当時の人達による、あなたが言う様な”判断(選択)”を私が認めることができるか否かということなのでしょうか?

しかしながら、あなたが言うには、つまり当時の人達は”公娼という文化”に対して”価値判断”をしていないのですよね?
なぜなら、”公娼という文化”は ”気づいた頃には既にあった”いわゆる既成事実だったから。

あなたは暗に自ら言っていると私は思うのです。
当時”公娼という文化”が存在したという既成の事実があって、当時の人達がその存在を許した(認めるという判断をした)から”公娼という文化”が社会に存在した訳ではなかった。と

>わたしは、もうそれだけで、社会という大きな枠からの愛情を感じている。なぜなら、存在を許されているからだ。
 ↑
だから
”>存在が許されている”のではなく、”>気づいた頃には既にあった”という既成の事実が存在していたのであり、当時の人達がそれに対して何らかの”判断”をして”許す”事をした訳ではない。とあなた自身が暗に言っていて、認めていると私は思うのです。

つまり”公娼という文化”を ”社会=当時の人達 が存在を許し”また積極的に”社会=当時の人達 が受入れた”訳ではない、とあなた自身が暗に言っていると思います。

なので私は、

>わたしは、もうそれだけで、社会という大きな枠からの愛情を感じている。なぜなら、存在を許されているからだ。

というあなたの主張は矛盾している様に思います。

私にその当時に経ち返って、その既成事実”公娼という文化”を受け入れられるかどうか?

つまり、あなたが、おっしゃりたい様な、当時の人達が思考停止をして個人の価値判断をしなかった様に、私も思考停止をして、個人の価値判断をしないという事(選択)ができるのかできないのか?
という事を、あなたが私に問うているのなら、私には、それはできません。と私は答えます。

これがあなたの問いに対する私の答えになるのでしょうか。

なぜと問われれば、私は過去を踏まえながら現在を生きているからです。
決して盲目的に既成事実に従うという価値判断基準ではないからです。

盲目的というのは、

あなたは、既成の事実だから、個人の価値判断はしない とおっしゃるのでしょうか?

もしそうだとすると、あなたが生きる上での価値判断基準は、極端な言い方をすれば、過去から続く慣習、風習等の既成事実に全て従う、順ずる、甘受するということになるのですか?

もしそうであれば、そこには、あなたという個人は本当に存在するのですか?

では、もしも、あなたが受け入れたくない既成事実だったら、慣習や風習、文化だったら、あなたはどうします?

それでもあなたは、既成の事実だから、慣習や風習、文化だから との理由で、それ等に従うのですか?

あなた≒過去からの既成事実 ということなのですか?

個人という概念などは、あなたの中にはないのですか?


私の物事の判断基準は、既成の事実が存在したからそれを認める、又それに従うというのではなく、私が今まで生きてきた中で、経験、体験してきた事の中で、感じたこと、考えたこと、それでいろいろ、教訓として得たり、反省したり、また考えたり、そういう事を繰り返しながら得てきたもの(過去)を基にして、現在において判断、行動している様に思います。

決して既成の事実だからという理由で、それに盲目的に従う 等という価値判断基準ではないと恐れながら自負しております。

話のぶり返しになりますが、
そもそも、当時の人達は個人の価値判断をしないと言う選択 などしていなかったのではないのでしょうか。”公娼という文化”は既成事実であり それに対する価値判断などしていないとあなた自身も言っている。つまりあなたの言説からも当時の人達はその既成事実の存在云々に関して関わっていたとは言えない。 

それに当時の人達の事も、社会とか日本人等の概念で一概にすることはできないのではないでしょうか?

>現場にいる心ある者も、それを見る世間も、そうしたものから卒業できればいいなと思っていただろうし

とあなた自身も言っていた様に、すでにその時代に公娼という既成事実はあったけれども、当時を生きた人達の中にも、自らの価値判断を基にして、当事者達の立場を想像し、共感し、考え、それで、”公娼という既成事実、文化”は良くない事だ。と考えていた人達もいたと私も思います。


>>9でも答えたように、
かつての日本において”公娼という文化”が存在したという既成事実の存在は認めるが、”公娼という文化”公娼制度というものは倫理的観点から正しい事ではなかった。
繰り返しになりますが、これが私の考えです。

終わりですが、長文になってしまいましたが、どうもすみません。


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