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★孫崎享氏の視点ー<2013/08/28>★ :本音言いまっせー!
『日本を疑うニュースの論点』が8月26日出版された。
「おわりに」を若い人用に書いた。若い人に政治に関心持ってもらい
たいと思って書いた。
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今年7月、70歳を迎えた私は、ほぼ毎日、皇居一周5キロをジョギング
している。マラソンの完走が目標なのだ。
体力には自信がある。とはいえ、自分の姿を鏡で見るたび愕然とする。
気づかない間に年齢を重ねてしまったものである。
幸いにして私は、若い世代と話す機会が多い。大学のゼミで講義をする
こともあるし、講演には若者もたくさんやって来る。
また、私のツイッターは、大学生なども多くフォローしてくれている。
本書のもとになった「ニコニコ生放送」のチャンネルを立ち上げたとき
にも、会員登録してくれたのは20代が最も多かった。
将来の日本を背負うのは、こうした若い世代である。彼らには是非、
世の中の動きに関心を高めてもらいたいと願っている。
一昨年に行われた内閣府の世論調査によれば、
「今の生活に満足している」人の割合が最も高いのが20代なのだという。
その割合は75パーセントに及ぶ。つまり、4人に3人の若者が
生活に「満足」している。
日本の経済は不況から脱してはいないが、世界的に見れば、生活水準は
平均をはるかに上回る。犯罪も少なく、戦争やテロの恐怖に怯えて暮らす
ようなこともない。そう考えれば、満足に値する環境なのかもしれない。
それでも私は「75パーセント」という数字に驚いた。
自分が20代だった1960年代を振り返ると、若者の意識は今と大きく
違っていたように思う。
私が東京大学で受けた英語の授業では、ジョン・オズボーンの戯曲
『怒りをこめてふりかえれ』を教材に使っていた。
英国の階級社会を痛烈に批判し、大きな話題となった50年代の作品である。
オズボーンら若い作家たちは英国で「怒れる若者たち(Angry Young Men)」
と呼ばれ、社会現象を巻き起こしていた。
日本には英国のような階級社会は存在しないし、当時は今ほどの
「格差社会」でもなかった。それでも私たちの世代は「怒れる若者たち」
の空気を吸い、社会や体制に対する強い問題意識を持つに至った。
50人ほどいた大学のクラスで、支持政党を尋ねられたことがある。
当時は自民党の一党支配が盤石な時代だったが、自民党支持と答えた
学生はわずか2人に過ぎなかった。私を含め、学生運動に熱を上げていた
ような学生は多くない。ごく普通の学生の間でも、安易に体制を
肯定しない雰囲気があった。
私が外務省に入省したのは1966年である。入省後、研修所で受けた
英語の授業ではこんなことがあった。講師を務めていた米国人女性が、
「ベトナム戦争で米軍を支持するか」との質問を投げかけてきた。
当時はベトナム戦争の真っ只中である。授業を受けていた同期は24人
いたが、「米軍支持」と答えたのは2人だけだった。
しかも多くの同期たちから、米国批判の意見が次々と飛び出した。
そんなクラスの様子を前に、女性講師が顔を真っ赤にして怒りだした
ことを懐かしく思い出す。
彼女には、“同盟国日本”の外交官の卵としてあるまじき姿だと映った
のであろう。
外務省に入った私たちは、「体制」側のパスポートを手にしたばかり
だった。だが、「怒れる若者たち」としての矜持も同時に持ち合わせて
いた。
あの頃、日本に溢れていた「怒れる若者たち」は、いったいどこに
行ってしまったのか。確かに時代は変わった。
しかし現在でも――いや今だからこそ、若者たちが怒るべきテーマは
たくさんあるはずだ。
政府は今、原発の再稼働に向けて着々と準備を進めている。
福島であれほどの事故を経験したにもかかわらず、原因究明すら十分に
なされないままで「再稼働ありき」の方針が独り歩きする。
TPP交渉への参加も決まった。ISD条項によって日本の主権は
侵害され、世界に誇る国民皆保険制度も実質的に崩壊していくだろう。
貧富の差によって受けられる医療が違い、平均寿命までも所得水準に
影響を受ける。そうした米国の社会を日本が後追いすることになって
しまう。
安倍政権は国民の高い支持を背景に、集団的自衛権の行使容認や
国防軍の創設を目指している。それが実現すれば、自衛隊は米軍の
下働きの部隊に成り下がる。イラク戦争のような戦場に、日本の若者
が派遣される可能性もずっと高まってしまう。
私自身に残された時間はそう長くない。原発問題にしろ、国防軍の
創設にしろ、また憲法改正にしても、すべて最も大きな影響を受ける
のは若い人たちなのである。自分たちの人生が、政府によって狂わ
されてしまうかもしれない。だが、若者たちの危機感はあまりにも
薄い。
もう一度、悲惨な原発事故が起きて自らが被害にあったり、
必要な医療が実際に受けられなくなったりしない限り、我が事として
は考えられないのだろうか。そのとき初めて危機が存在したことに
気づいても、もはや手遅れである。
未来予測とは、目に見えるものではない。自分で考えて、初めて
立ち現れる現象である。考えない人には、無縁のことであると
言ってもよいだろう。そして、本書で私が繰り返し行ってきたように、
目の前の情報を「疑う」ことがその第一歩となる。
歴史とは、現在、そして未来を理解するためのものだ。
だから私たちは、過去から学ばなければならない。
とりわけ若い人には、歴史に目を向け、そこから将来について考えて
もらいたいと思う。
価値観や関心を共有する身近な人たちとだけ付き合い、ツイッターや
フェイスブックで日々の生活について語り合う。
そんな生活を送っていれば、とりあえず居心地は良いかもしれない。
誰かとぶつかり、傷つくこともなく、今の生活も悪くないと感じても
当然だ。
だが、その居心地の良さとは、私たちの先人がつくってくれた環境の
おかげなのである。しかし、社会や政治に関心を持たず、自らの努力を
怠っていれば、居心地の良い環境は砂のように私たちの手のひらから
零れ落ちていってしまうだろう――。
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