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2013年08月26日 Electronic Journal
2012年6月4日の午後、法務省内において、小川敏夫法務
大臣は退任記者会見を開いたのです。実は、小川法務大臣はその
翌日5日午後4時30分に野田首相に会うためのアポイントメン
トを取っていたのですが、前日の4日に電撃的に法務大臣の職を
解かれたのです。
5日に小川法相が野田首相と会う目的は、検察に対して指揮権
を発動することを改めて伝えるためであり、そのことがわかって
いた野田首相は小川法相を罷免したのです。
小川敏夫氏が法務大臣に就任したのは、2012年1月13日
のことであり、就任後わずか4ヵ月4日後の罷免です。法務大臣
としての職責には何も問題はなかったので、明らかに指揮権発動
を口にしたために罷免されたことは明らかです。
小川法相は2012年5月11日に野田首相と会い、指揮権発
動をする必要があることを伝えたところ、野田首相は「しばらく
考えましょう」と反対していたことは既に述べています。
おそらく野田首相は、その後、法務省関係者を呼んで事情を聞
いたか、あるいは法務省高官が野田首相を密かに訪ね、小川法相
の指揮権発動を止めて欲しいと請願したものと考えられます。
常識から考えれば、被疑者の取り調べの後で、検事が上司に提
出する捜査報告書が捏造されていたという事実は、大阪地検の証
拠改ざん事件のあった直後のことだけに、法務大臣としてはもち
ろんのこと、総理大臣としても絶対に見逃してはならないことで
あり、指揮権を発動すべきだったのです。
まして、その捏造捜査報告書が、小沢一郎氏を強制起訴した第
5検察審査会に捜査資料の一部として提出されていたことを考え
ると、小沢氏はその捜査報告書によって強制起訴されたともいえ
るのです。このような検察の振る舞いを国のトップとして容認す
ることは本来ならできないことです。
それにこの時点では小沢氏は民主党を離党しておらず、野田氏
にとって小沢氏は同じ党の仲間なのです。もし、この件で野田首
相が小川法相の指揮権発動を認めていれば、それは小沢氏にとっ
てはもちろんのこと、民主党にとってもイメージ回復に資するこ
とは確かであったのです。
したがって、野田首相の腹のなかでは、消費増税で反対された
腹いせもあり、このさい小沢氏を潰しておこうという気持があっ
たものと考えられます。小沢氏にとってプラスになることはひと
つもやりたくないと考えたのでしょう。愚かな宰相です。
このまま処置を検察に任せると、検察としては捏造捜査報告書
の件は、田代検事の記憶の混同として懲戒処分で済ませ、幕引き
を図るに決まっています。事実検察はそれをやっていますが、野
田首相はそれを助けたのです。政治主導が聞いてあきれます。
しかし、野田首相は就任4ヵ月でどこにも落ち度のない小川法
相を罷免するのは苦労したはずです。基本的には、問責決議を受
けている田中直紀防衛大臣と前田国土交通大臣を交代させるとい
う名目でついでに小川法務大臣も切られたのです。しかし、小川
大臣には落ち度はない。そこで密かに何か探せということで出て
きたのが、委員会室でケータイで競馬サイトを見ていたことが大
袈裟に報道されたのです。しかし、これは「委員会中」ではなく
「委員会前」に40秒ほど見ていたに過ぎず、大臣の罷免に値す
るものではないのです。小川氏自身はこれについて次のように述
べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
そのとき私は党首討論に遅れないよう早めに委員会室に向かっ
たところ、開会の14分前に着いてしまった。閑散とした室内
で何気なく、私は携帯端末を取り出し、競馬サイトを開いた。
競馬をやる、すなわち馬券を買うためではない。私は趣味で競
走馬を持っているが、その日が水曜日で週末にレースに出場す
る予定の愛馬の調教日だつたので、サイトでその調教を確認し
た。iモードから「メニュー」→「マイページ」→「競馬サイ
ト」→「登録馬情報」→「馬検索」→「調教」と進み、調教時
計を確認して終わり。時間にして40秒ほどである。委員会が
始まる13分ほど前のことであり、私は非難の集中砲火を浴び
なければならないような行為ではないと思っているのだが、マ
スコミには大きく取り上げられた。 ──小川敏夫著
「指揮権発動/検察の正義は失われた」/朝日新聞出版刊
―――――――――――――――――――――――――――――
ここで話を小川法相の退任記者会見の場面に戻します。法務大
臣としての最後の会見に小川法相は、ある覚悟を秘めて臨んだの
です。会見は、穏やかな雰囲気で始まり、ある程度進んだところ
で、記者から「大臣としてやり残したことは?」という質問が出
たので、小川氏は次のように口火を切ったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
検察に対する国民の信頼が大きく傷ついています。検察が身内
に甘い、適当な形で幕引きをしてしまうということがあれば、
国民の信頼回復は得られないのではないか、と非常に心配しま
した。そうした中で、私自身は指揮権の発動ということを決意
したのでありますが、総理の了解を得られないということで、
大変残念に思っております。 ──小川敏夫著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
会見場の雰囲気は一変したのです。法務省の高官は口をへの字
に結び、何人かは席を立ったのです。さらに、小川法相は、捜査
報告書は明らかに捏造であり、指揮権の発動は慎重であるべしと
の意見もあるが、検察内部の事件に対し検察が消極的対応をして
いる場合には、むしろ積極的に指揮することが、法務大臣の職責
であると一気に発言したのです。
その後、小川氏は多くの職員に見送られて法務省を出ています
が、多くの記者が小川氏を取り囲んで質問を続けたのです。しか
し、小川氏はそれに一切応じようとはしませんでした。そして、
新しい法相は、再び滝実氏が任命されたのです。しかし、法務・
検察当局は、早くも対策を協議して小川氏への反撃を開始しはじ
めたのです。 ── [自民党でいいのか/40]
≪画像および関連情報≫
●「なぜ、クビになったかわからない」/小川元法相
―――――――――――――――――――――――――――
現在も余波の続く6月4日の小川敏夫前法相「指揮権発動」
発言──小川氏は、小沢一郎氏の陸山会事件をめぐり、東京
地検特捜部の田代政弘検事(当時)が虚偽の捜査報告書を作
成したとされる問題について指揮権の発動を決意したが、総
理の了承を得られなかったと述べた。多くのメディアは政治
と検察の均衡を損なうとして批判的に報じている。その真意
をジャーナリスト・青木理氏が質した。
――昨年末、関係者の間では麻原死刑囚の執行も間近と取り
ざたされていました。
小川:僕の大臣就任はオウムの平田(信)が逮捕された後の
1月13日。その前には一切麻原の件には関わらなかった。
その後逃亡犯が次々と出てきたからとりあえず消えたんじゃ
ないか。でも実際、彼らもやりたかったと思うよ。共犯者の
裁判が終わり舞台が整ったなんてことが新聞で盛んに流され
ていましたから。あのマスコミへのリーク情報を見ると、執
行への環境作りをしようとしたとしか思えない。
――小川さんの(指揮権)発言に対しても大手紙から一斉に
批判がでました。
小川:各社横並びの記事ですよ。法務官僚が総力をあげて法
務記者クラブに吹き込んだのでしょう。
――田代検事が不起訴になったら検察審査会にかければよい
との社説(朝日)もありました。とはいえ、検察が捜査をす
るつもりがなければ証拠も何もない。
小川:そうですし、検察審査会は捜査機関じゃない。僕は今
回の発言を政治介入だと批判記事を書いた記者に聞きたいで
すよ。 つづき/http://bit.ly/1d7CU3p
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