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2013年08月25日 世相を斬る あいば達也
松江市の教育委員会は委員会も開かず、教育長及び数人の幹部で合議のうえ、自らの思想信条を盾に、自分の意志を通そうと云う特定の人物の再三の陳情(要求)に屈し、「大変過激な文章や絵がこの漫画を占めている」という意見が出たとの理由で、図書館、各校長に学校での閉架を要請した、と云うのが表向きの話。この問題は同市議会においても採決され、不採用が決定していた。なぜこのような顛末が起きるのか、非常に不思議だ。迷彩服風の出で立ちの人物の陳情が功を奏したのか、いずれにせよ、松江市の各校長は全員が要請に過ぎない教育委員会の要請に従順に服従したらしい。
ところが、上記の顛末には続きがあった。この要請が世間のブーイングが激しさを増し、松江市や松江教育委員会に苦情が殺到、マスメディアの一部も、教育委員会の独断専行を厳しく指弾した。その結果、教育委員会の敢えなく独断専行要請を撤回、従前通り閲覧できるようになったそうである。時事通信は以下のように伝えているが、「閉架」措置を決定、校長らに要請した教育長は既に交代しており、別の人物が現在教育長になっている。
≪「はだしのゲン」閲覧制限を再検討=撤回を視野―松江市教委
2012年12月に死去した漫画家中沢啓治さんが自身の被爆体験を基にした漫画「はだしのゲン」について、松江市教育委員会が同月、市内の小中学校に閲覧制限を要請していたが、要請の撤回を視野に再検討する方針を決めたことが、20日までに分かった。
市教委などによると12年8月、「はだしのゲンは間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書館からの撤去を求める市民からの陳情が市議会にあったが、市議会は同年12月に全会一致で陳情を不採択としていた。
しかし市教委は、作中にある女性への暴行場面や人の首を切る描写を問題視。同月中に市内の全小中学校に対し、作品を図書館の倉庫などにしまい、子どもから要望がない限りは自由に閲覧できない「閉架」措置とするよう要請した。要請は市の教育委員会会議で議論されずに、市教委の独断で2度にわたり行わ れていた。
清水伸夫松江市教育長は20日までの取材に、「手続き的にどうだったか調査する必要がある」と要請に至った過程の問題点を指摘。また、議会が陳情 を不採択としたことや、市内外から反発の声が多数寄せられていることを受け、「今後は撤回も視野に、委員会会議の意見を聴いて再度検討したい」と話した。
22日には同会議が開かれ、閲覧制限が議題として取り上げられる予定。清水教育長は、「遅くとも月内に一定の結論を示したい」としている。≫(時事通信)
ことの発端と当時の教育長の暴走に、どのような因果関係があるか判然としないが、当時の教育長ら関わった5人の話がふるっている。この辺のことを、朝日の記者武田氏が詳しくツイートしているので読んでみよう。
≪ 朝日・武田肇ツイッター
1、松江市教委が、中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を市内の小中学校に求めていた問題で、現地に3日間出張した。たまたま、山陰中央新報が特報 した日、社会部内勤だったのが縁だ。結果的には松江総局の皆さんの頑張りで、私は足を引っ張っただけになったが、現地ならではの発見もあった。
2、現地で取材する前は、今回の問題は、市教委が外部の政治的圧力に屈してゲンの利用制限を決めたのかと、ぼんやり想像していた。しかし、限られた期間の取材でわかったのは、そうではなく、閲覧制限は、外部の圧力には踏みとどまった市教委が、独自の検討、独自の判断で導いた結果だったということだ。
3、少しややこしいが、市教委がはだしのゲンの利用制限を学校に求めた「発端」は、ゲンについて「誤った歴史認識を植えつける漫画であり、撤去すべき」と主張した男性の陳情だった。これがなければ始まらなかったのは、間違いない。しかし、経過を詳細に検証すると、単純な流れではなかった。
4、以下はわずか二、三日の出張中の取材結果であり、「真実」はその通りではないかもしれない。現時点までに関係者を直接取材し、入手した情報を踏まえた仮説に過ぎない。さらに取材が進めば別のストーリーになるかもしれない。そうした限界を踏まえたうえで、一つの記録として記しておきたい。
5、今回、はだしのゲンの利用制限の呼びかけを決めた市教委事務局のメンバーは、当時の教育長ら幹部五人だ。この五人は昨年のある時点までは、はだしのゲンを平和教材として無条件に高く評価し、ゲンを撤去せよという外部の要求については断固拒否ということで意見一致していた。ある時点までは…。
6、ある時点とは昨年10月、この五人が、陳情を審査した市議会対策として、はだしのゲンの全巻を読んだときだ。この五人には、ゲンを平和教材として授業で 使ったことのある元教諭も含まれるが、五巻までしか読んでなかった。そのほかの幹部も、ゲンを読んだことはあったが、途中の巻までだった。
7、全巻、具体的には10巻目を読んだとき、五人の心がガラリと変わったという。特に衝撃だったのは、旧日本軍兵士の性暴力の描写だったという。「これが、同じゲンかと思った」。取材に応じた幹部はこう明かした。別の幹部は記者に「あの描写をお子さんに見せられますか?」と問いかけてきた。
8、市教委事務局の五人は、10巻を読んだ段階で「子どもに見せるべきでない描写があり、何らか対策をとらないといけない」ということで一致したという。その五人の思いは、昨年12月初め、市議会が陳情を全会一致で不採択とした後も変わらなかったという。ここから、五人の「独断」が始まっていく。
9、五人は事実上の「密室」で二つの方針を決めた。まず、対応は、10巻だけでなく、全巻とすることだ。10巻だけを対象とすると、市教委事務局が検閲や墨塗りをしているという印象を与えかねないという意見が出たからだという。ある幹部は「ゼロか百の選択肢しかないと思った」と話した。
10、もう一つは、市教委が閉架を強制することになれば学校の自主性や図書館の自由を冒すことになるため、校長への「お願い」とすることだった。当時の幹部の一人は「これは図書の運用を変えるに過ぎず、自由の制限でないと考えていた」と話した。こうした軽い認識のもと、教育委員にも相談しなかった。
11、市教委は軽い認識だったが、昨年12月半ば、「お願い」を伝達された校長たちの受け止めは違った。1月、「現場の混乱を避けるため」という理由で、市教委 が二度目の「要請」を伝達すると、ゲンは一校を除いて子どもたちの目から「消えた」。多くの校長は市教委の要請を強制と受け止めたのた。
12、以上のように、今回の問題は市教委が外部圧力に屈して行ったという単純な構図ではないと思う(現時点での取材では、だが…)。外部の陳情があり、議会が審査し、その対策として市教委事務局が「勉強」する中で、独自に問題点を「発見」し、独自に対応し、結局、陳情者らの望む方向に進んでいた。
13、しかも、そこに重大なことをしているという自覚も乏しかった。私は、単純に政治的圧力に屈したという構図でなかったこの過程にこそ、より深刻さを感じる。 また、曖昧な基準と、一見柔らかな「お願い」で一つの作品を丸ごと子どもの目の前から遠ざけ、その権力性に無自覚なことに恐ろしさを感じる。
14、こうした経過から、いくつもの教訓が浮かび上がる。それは、今後記事を書く中でじっくり考えていきたい。できれば、いろんな方の意見も知りたい……そんな思いを胸に、泊まり勤務に就くため、大阪に戻ってきた。14終わり ≫(朝日新聞:朝日・武田肇ツイッター)
まぁこの5人が≪全巻、具体的には10巻目を読んだとき、五人の心がガラリと変わったという。特に衝撃だったのは、旧日本軍兵士の性暴力の描写だったという。「これが、同じゲンかと思った」。取材に応じた幹部はこう明かした。別の幹部は記者に「あの描写をお子さんに見せられますか?」と問いかけてきた。≫、つまり自分達の情緒のなすがままに、独断暴走したと云うことで、特定市民の極めて執拗な陳情に屈したわけではない、と主張している。如何にも自分達の自発的行動だとしているが、仮にそうであれば、尚更問題なのである。言論表現の自由を、自分達の情緒に委ね、権力を行使したと云う認識が欠落した5人組が居たと云うことが問題なのだ。
安倍内閣では、本質的に最も右寄り政治家と言われている下村文部科学相は松江市教育委員会の校長らへの要請を「教育上好ましくないと考える人が出るのはあり得る」。子供の理解力に委ねるべきという意見に対しては、「その通りだと思うが、相当露骨なもの、子どもの発達段階においていかがなものか、という作品を(学校図書館に)入れてはいけない。教育上の配慮は要る」と、教育委員会の決定(教育委員会は公式決定かどうか、経緯の調査中)を支持した。菅義偉官房長官も、「教委の判断で学校に指示することは通常の権限の範囲内だ」と支持している。しかし、稲田朋美行政改革相は、「民主主義の基盤は自由な言論、表現の自由が確保されていることだ。そういう意味では、最大限に憲法的な自由は確保されるべきだ」と、松江市教委を批判している。流石に弁護士と云うことか?
ところが、この話が面白い方向に動きだしている。様々な立場で、様々な思惑で、「はだしのゲン」封殺を望んだ人々が“ほぞを噛んでいる”だろう事象が起きている。まぁ不都合な真実を脅しや、尤もらしい情緒を持ちこんで、短絡的に蓋をしようと企てた人々に、天の配剤が下されようとしているようだ。朝日が以下のように報じている。陳情した人物が「読みたければ、買えば良い」と言ったらしいが、今、まったく「はだしのゲン」など知らなかった人々が、「はだしのゲン」を買い求めていると云う。なんとも皮肉で愉快な話だ。
≪「はだしのゲン」、アマゾンでベスト10入り 増刷も
【宮野拓也】漫画「はだしのゲン」が、松江市教育委員会による閲覧制限問題を機に読み直されている。ネット通販大手「アマゾン」では、10巻セットがコミック部門で10位以内に入り、発行元が増刷を決めた。市内の図書館での貸し出しも好調だ。
単行本を初めて発売した汐文(ちょうぶん)社(東京)。刊行するコミック版や愛蔵版全10巻セットの出荷数は、いつもの7、8月なら2千セットほどなのに、今年は7千セットになった。今も2千セットの増刷をかける。
例年、終戦の日の15日を過ぎると売れ行きは落ちるが、今年は、昨年末に作者の中沢啓治さんが亡くなったことに加え、閲覧制限が注目され、今も全国から注文が相次いでいる。
「私も小学校で読んだ。娘にも読ませたい」「本の内容を後世に伝えられるように頑張って」などの激励も100件ほど寄せられているという。
社長の政門(まさかど)一芳さん(57)は「閲覧制限がきっかけとは皮肉だが、中沢先生は一人でも多くの読者に読まれることを望んでいると思う」。
文庫版全7巻を発行する中央公論新社(東京)でも、例年の倍の増刷をしているという。
島根県立図書館(松江市)では23日現在、所蔵する27冊すべてが貸し出し中。巻によっては最長6週間待ちだ。同館は「いつもなら子どもが手にしているが、(閲覧制限問題の)報道後は大人が読む姿を見かける」と話している。≫(朝日新聞)
筆者は中学時代に読んだのだが、性的描写が云々とか、暴力シーンがどうのこうの等とは全く感じなかった。ネット上でも10巻の問題の部分は読む見ることが可能だが、作者の中沢啓治が刺激的でない描き方をしている。文章をじっくり読めば、“こんなことまでしてしまう人が出てしまうのだな”と云う印象は持った。しかし、それこそが戦争だと云う事実認識が必要だと云う点で、子供であっても理解は可能である。戦争や原爆被害をモチーフにすれば、悲惨さや残虐さが出てくるのは当然で、避けて通ることは出来ない。嫌だとか、悲惨過ぎるとか、史実と異なるとか、現場を生中継することは出来ないのだから、嘘だと云う人もいれば、真実だと言う人もいる。嘘だと言い張る人は、戦争や原爆被害を“美しく”美談で美化し、それを訴える漫画を世に出せばいいのだろう。誰もとめたりしない。
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