01. 2013年8月23日 21:45:41
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特集ワイド:続報真相 どないなんねん「堺の乱」 「大阪都構想」命運かけ来月市長選 毎日新聞 2013年08月23日 東京夕刊 中世に自治都市として繁栄し大茶人、千利休らを輩出した堺の「独立」が揺らいでいる。来月15日に告示される市長選(29日投開票)の最大の争点は日本維新の会共同代表、橋下徹大阪市長が実現を目指す「大阪都構想」に堺が加わることの是非だ。かつて大阪城のあるじ豊臣秀吉は天下統一にその財力を使おうと、武力で制圧した。それから四百余年−−「堺の乱」の行方やいかに。 「この選挙は『シティー・プライド』のかかった戦いなんですよ」。堺市役所4階応接室。竹山修身(おさみ)市長(63)がいきなり身を乗り出した。 シティー・プライド? 「町の誇り、市民の誇りです。大阪都構想では、堺市はいくつかの特別区に分割される。そうなったら、先人が育ててきた歴史や文化がズタズタにされるんですよ」 市役所までの道のり、同じポスターを何度も見かけた。竹山市長と日本サッカー協会の川淵三郎最高顧問ががっちり握手している。中央に「堺はひとつ! 堺を無くすな!」の大文字。とことん郷土愛に訴えかける作戦らしい。「高校の先輩なんですわ」。市長が相好を崩した。 一方、大阪維新の会が擁立した新人候補は同じ建物の7階上、議員応接室で迎えてくれた。「都構想で堺市が二つか三つの特別区になることに対して『分断だ』という批判がありますが、堺市をそのまま一つの区にする選択肢だって当然あります。現在、大阪府と大阪市で行われている法定協議会に入り、こういう議論を早く始めたい」。180センチ、86キロ。堂々たる押し出しの西林克敏市議(43)=4期、23日付で辞職=が滑らかに弁じる。「区や市の行政区分を超えて、祭りなどの文化を共有している地域はたくさんあります。行政上の線引きと文化圏は別物」と、現職への対抗心をあらわにした。 大阪都構想とは、政令指定都市の大阪市と堺市を解体し複数の特別区に再編。その特別区が福祉や教育など身近なサービスを担う一方、府を廃止して新設される「都」がインフラ整備などの広域行政を担うというものだ。府と政令市の二重行政解消を狙う橋下大阪市長にとっては維新結党の原点。ある意味で国政以上に重視していることは、先の参院選後に共同代表辞任を表明した際、「大阪の改革に専念したい」と語ったことからもうかがえる(結局は続投)。 橋下市長が大阪府知事だった2009年、府政策企画部長を辞して堺市長選に打って出たのが現職の竹山氏だ。知事の全面支援を受けて初当選したはずなのに、なぜ? 「あの時、都構想はまだ世に出ていなかった。橋下さんの応援はありがたかったが、市民の利益に反することはできません。府と堺市に二重行政はない。うちにとって都構想は百害あって一利なしだ」 法定協への参加すら拒んでいる竹山市長への維新側の憤りは強い。「協議のテーブルにさえつかないのは住民の負託に応えていない証拠。『堺民族主義』をあおっているだけです」。大阪維新の会の大阪府議団幹事長、今井豊府議は声を荒らげる。 シティー・プライド、堺民族主義……どう呼ぶにせよ、この都市の個性を知らずして市長選を読み解くのは難しそうなのだ。「堺」ってどんなまちなんだろう。 歴史を振り返れば、改めてその独自性に気付かされる。 特に輝きを放ったのは中世〜近世の初めだろう。豪商の活躍を描いたNHK大河ドラマ「黄金の日日」(1978年)もこの時代が舞台。15世紀の応仁の乱以降、貿易拠点として成長し中国大陸や東南アジア、さらにスペインやポルトガルとの取引が始まる。莫大(ばくだい)な富を得た堺商人らは会合衆と呼ばれる自治組織を結成。都市の周囲に環濠(かんごう)を巡らせ、雇い兵を配置して防衛した。16世紀には宣教師のザビエルやフロイスが訪れる。フロイスは堺のことを「東洋のベニス」と書き残している。 この財力に目を付け、直轄地にしたのが織田信長だ。信長が武田騎馬軍団を打ち破った長篠の戦い(1575年)で使われたのは堺で生産された鉄砲だった。後継者の豊臣秀吉は大阪に堺商人を強制移住させる一方、環濠を埋め立て無力化する。豊臣氏が滅亡した大坂夏の陣の戦災で町は焼失し、「黄金の日日」は終わりを告げた。 明治維新後の1868年には「堺県」が設置され、一時は奈良県全域を含む広さに。だが1881年には大阪府に合併され、「大堺」は消えた。 「堺の人々はしぶとく『大阪に負けてなるものか』という気概を持ち続けてきた」。そう語るのは1984年に「てんのじ村」で直木賞を受賞した作家の難波利三さん(76)。約30年間、堺で暮らす。 「その象徴が2006年の政令市への移行です。『大阪と肩を並べた、新たなスタートだ』と喜ぶ知人がいかに多かったか。生活に大きな変化はなかったのに、私もそんな気持ちになったものです」 だが輝かしい歴史があるまちなのに、散策するといま一つ雰囲気に欠けると感じるのはなぜだろう。堺の玄関口、南海堺東駅でタクシーに乗り「君死にたもうことなかれ」で有名な歌人・与謝野晶子生家跡を訪ねた。生家の菓子屋が現存しないのは致し方ないとして、あるのは晶子の写真と句碑だけ。千利休の屋敷跡には利休が使った井戸があるというのだが、柵に遮られて中には入れなかった。それぞれ他の場所に展示施設があるとはいえ、「ここに利休や晶子がいたんだ」と想像力を働かせるのが歴史ファンの楽しみ方でもあるのだが。 「宝の持ち腐れです」。研究者らが集う「与謝野晶子倶楽部」会長でもある難波さんは残念がる。「他の都市が驚くほどの歴史的な財産があるのだから、どう見てもらうかという配慮がもっとほしい。仁徳天皇陵を案内しても玄関口しか見せられない」 仁徳天皇陵(大山古墳)を中心とした一帯の古墳は「百舌鳥(もず)古墳群」と呼ばれ、大阪府や堺市などが世界遺産登録を目指している。「仮に成就したとしても、市外からのお客さんに満足してもらえる現状でしょうか」 その仁徳天皇陵が見られないものかと堺市役所本庁舎の21階にある地上80メートルの展望ロビーに上がってみた。付き合っていただいたのは関西を中心に活動する文化プロデューサーの河内厚郎さん(60)。「堺まつり見直し懇話会」で活性化の議論をしてきた人だ。 だが、古墳の方角には大きな森があるだけだった。「ここからはカギ穴の形は見えませんね。それより、ほら」。河内さんが指さした先には超高層ビル。大阪市阿倍野区にオープンした地上300メートルの複合商業施設「あべのハルカス」だ。大阪市では近年、大規模施設が相次いでオープンしている。「うかうかしていると堺は大阪への通り道になってしまう。世界遺産登録に向かっている今こそ、堺の個性をつくり上げるラストチャンスと言いたいですね」 「重要な政治決戦になる」。橋下市長は先月下旬、堺市長選への意気込みをそう語った。前回、現職の竹山氏を推したことについては「堺市民の皆さんに謝る。こういう人だと読み切れていなかった」と本音も。ただ、西林氏が勝っても市議会には都構想に反対する議員が多く、承認を得るのは容易ではない。 堺市長選でありながら、実態は「大阪の橋下VS堺の竹山」という構図。秀吉に自治権を奪われた過去の記憶と重ならないだろうか。 「大げさかもしれないが、安土桃山時代以来、数百年ぶりに堺の人たちのDNAが目覚めるかもしれません」。「ハゲタカ」「ベイジン」などの社会派サスペンスで知られる作家、真山仁さん(51)が言う。6歳で堺に引っ越し18歳まで過ごした。「本質は堺の権限や財源を巡る権力争い」と喝破しながらも、こう続けるのだ。「高度成長期以降に堺に移り住んだ人々は『通勤に便利』といった理由が多く、行政には無関心でした。しかし、この市長選では『大阪の付属都市でいいのか』というテーマを考えざるをえない。自らを堺市民と思って行動するか、大阪府民としての将来を重視するか。その選択をする選挙だと思います」 誇り高き「自治都市」の歴史にまた一つ、大きなドラマが加わろうとしている。【江畑佳明】 ============== ◇堺の歴史 5世紀 仁徳天皇陵が造られる 1045 藤原定頼の歌集に地名「さか井」現れる 1522 千利休、堺の商家に生まれる 1550 宣教師ザビエルが訪れる 16世紀半ば 自治・自由都市として繁栄極める 1569 織田信長が直轄地に 1615 大坂夏の陣で焦土に 1868 「堺県」が創設される 1878 与謝野晶子、堺の菓子屋に生まれる 1881 堺県、大阪府に合併される 1889 市制施行、初の市議会 1945 堺大空襲。市街の大半が焼け約1800人が死亡 1961 八幡製鉄(現新日鉄住金)堺製鉄所、開所 1989 市制100年 2006 政令指定都市に移行し7区が置かれる 2009 シャープ堺工場、操業開始 http://mainichi.jp/feature/news/20130823dde012010002000c.html |