http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/738.html
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はだしのゲン;20か国語に翻訳され、合計1100万冊が販売されている。私(66歳)より少し若い人は小学校が全学童を映画参観させた。見たのは「はだしのゲン」と「蛍の墓」だっけ。すべての小学生にです。時代が逆戻りしすぎ。
※東洋経済「「はだしのゲン」貸出禁止にモノ申す! 言論の自由が、ヘイトスピーチに屈する社会」http://toyokeizai.net/articles/-/17839
※ RT なすこ @nasukoB 松江市教育委員会が「はだしのゲン」を閉架にしたのは、在特会の脅かしに屈したから? - NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2137662713442272601 … "「はだしのゲン」閲覧制限を再検討"情報を加えました
時代を露骨に逆戻りさせ始めたのは第一次安倍内閣と麻生内閣。彼等の描く『美しく強い日本』を取り戻すには、『自虐史観』から解放されてこそと言うが、その美しく強い日本が、自虐史観に囚われた反動的クーデターの“維新”であったとしたら・・・
1.下から湧き上がった代議制民主主義の幕府政治
思えば、江戸幕府が専制独裁政治を行ったことはほとんどなく、何らかの合議制で、可能な限りの意見を集めて老中会議で決議していた。
開国時の江戸政権閣僚は全て合議により、少数意見が納得するまで徹夜で何日も議論し決議した。決議された外交方針は英米仏の公使が尊敬するほどに理性的で冷静な論理をもって交渉を行い、相手の立場も勘案しながら穏やかな改革を実現していた。英米もその結果、特に貿易の活性化に満足した。
江戸幕府が開国を決断したとき、老中は同時並行で政府の民主化を進めていた。開国時には議会の前段階がすでに整備されており、その外交方針も日本を小国とみる謙虚で合理的なものであったと時の英国公使が本国に報告している。
英国は対中国貿易の貿易収支が多額の赤字で苦しみ、その挽回の為に阿片の密輸出を行なったが、対日貿易は日本側がやや黒字と言うバランスを保ちながら急速に拡大したからである。
そんな江戸幕府政権に薩摩藩は賛成で、行き過ぎもあったが、大いに支援した。
もし、明治維新という長州主体の絶対君主性クーデターがなければ、江戸幕府は自ら権力を放棄し、四民平等・議会制民主主義を素早く導入していたであろうし、江戸幕府を構成する多数の武士実務官僚たちが過渡期を柔軟に乗り切るだろうと予測された。
2.“維新”の正体は、民主主義の萌芽摘み取る反動的クーデター
それを見て焦った長州藩が富国強兵という『大国主義』と『皇統』を標榜する絶対専制のクーデターに薩摩藩を巻き込んだというのが、明治維新の本質だと思う。明治維新が一挙に議会制民主主義に進みかけた江戸幕府体制を覆して、天皇を元首とする専制政治へと引き戻したともいえる。
明治2〜3年には、すでに大国主義が露呈し、サハリンのロシアを睨む征露論やロシアが朝鮮半島を狙っているとしてそれを制する征韓論が始まっている。征韓論の急先鋒は西郷隆盛であったが、大久保利通が反対し、結局西郷は西南戦争で死ぬ。
明治“維新”の正体はそういう土台にあったから、強兵の財源稼ぎには手段を選ばなかった。GDPに匹敵するポンド債発行や日本円札印刷を躊躇なく行い、旧藩での贋金鋳造もあって、インフレに苦しんだ市民の打ち壊し放火一揆が全国に蔓延した。
江戸時代も一揆は多発したが、それらは合法的であった。首謀者の打ち首と引き換えに一揆の要求を呑むという歴史書は後期にはなし崩しになり、原則として1週間程度の牢屋暮らしで放免された。
それに対して、長州首班の維新政府は残虐であった。明治初期の一揆は毎年数十件から150件も発生したが、その首謀者の全てが斬首され鳩首に晒された。その残虐性が、後の中国戦線での三光作戦を何の違和感もなく命じ、多くの兵士が従うという風土並びに拒否できない仕組みの根底となった。
※伊勢に端を発し、愛知や岐阜にまで広がった伊勢一揆は多数の斬首鳩首をうみ、なおかつ、伊勢の農民ら10万人以上が鞭打ち30発の刑に処せられた。その鞭打ちの後遺症によって死するもの多数であったと言い伝えられている。
3.維新政府の“自虐史観””
その維新政府は五箇条の誓文で軍備による威嚇外交および植民地獲得のための大富国強兵を掲げて、欧米を騙しにかかった。
富国強兵のためには農民が餓死寸前まで重税をかけた。江戸時代の全国平均税率は20%前後と言われているが、明治維新政府の税率は、利子負担を軽減する制度の破棄や3年間の徴兵を考慮すると倍にもなるという重税であった。
それでも日本が国として破綻を免れたのは、農民を含む高い教養と、民主的な自治組織の発達があり、その背後には、極度に発達した生産と流通の精緻なシステムがあり、かつまた、それを円滑化する商業と金融の与信制度の発達があった。
だが悪いことに、明治維新(実質長州)政府は江戸幕府よりも絶対専制政治であった。その掲げる国是も「日本は皇統綿々万世一系の神国にして、世界の全てと対決し全土が焼け野原になることも辞さない」という狂気振りであった。
江戸時代の社会は隅々まで民主的合議制と代議制が行き渡り、それを産業と商業が支えていた。しかしながら長州政府はそれを「旧来の陋習」と切り捨て、江戸的社会は「未開」であり「文明開化」を主張した。これは明治長州政府が『自虐史観』に憑りつかれていたことを如実に証明している。
江戸時代中期以降は農民が自治する農村から手工業や商業を巻き込んで日本の全国から自然に整えられた代議制民主主義の形態を取りつつあった。幕府や老中も大名全員の意見を聞き、多数決ではなく、全員が納得するまで討議を尽くすという政治であった。外交でも巧みで米英外交官に尊敬された。
その積み上げで実務的で議論や交渉の経験を積んだ多数の武士が官僚として政治を支え、事務方トップの武士は説明と討議と説得の経験を豊富に蓄えていた。そんな幕府政治に下剋上的な長州侍は全く歯が立たない。長州武士は江戸幕府体制を見習うのではなく反発した。
長州は幕府の代議制民主主義を「旧来の陋習」と切り捨て、「脱亜入欧」に逃げ込む。だがそれは上辺だけで、中心核は『万世一系の天皇が統治する神国日本』であり、政治の実態は数人が国事の全てを仕切る専制政治だった。
“維新”とは名ばかりで、民主化への反動クーデターであり自虐史観に立脚していたのが明治維新であった。
1878年(明治11年)に大久保利通は暗殺される。暗殺した石川県の氏族島田らの斬姦状には「上天皇の聖旨に出るに非ず、下衆庶民の公議に由るに非ず、独り要路官吏数人臆断専決する所に在り」と書かれていた。
伊勢一揆は愛知・岐阜にまで広がったが、大久保は徹底的な弾圧を行なった。伊勢の国の藤堂藩に鉄砲はあったが玉は全て空砲であった。しかるに大久保はまるで復讐の如く民を殺戮してゆく、「傲然自恣・・・なんぞ王政と謂う哉」と庄屋の日記。
4.国際条約違反も平気、長州閥政治
その維新政府は日本を三年で神国の大国にすると豪語し、長州を主体とする10名弱の絶対的権力者が専制体制を敷き、明治4年には早くも征露論・征韓論・征清論を政府内に台頭させていた。「朝鮮と清国を併合できる」と妄想し富国強兵を強行。
維新政府は国際条約の違反を何とも思っていなかった。明治7年に台湾出兵し敗退状態になったが、それは現日本政府の釣魚棚上げと同様に、打ち解けた話を逆手に取って「台湾を無主の地」と強制付会した侵略であり、明治4年の日清修好条約の不侵略条約を公然と破る行為であった。
明治8年の日本海軍による江華島事件も日清修好条約の非侵略・中立違反であった。清国の宰相李鴻章に対する日本の態度は、『無頼のように横(邪ま)、痩せた狂犬』と駐日清国公使を怒らせた。
清国を併合するには先に朝鮮併合が必要で、朝鮮で清国と戦端を交えるには後方のロシアを一時的に中立化させる必要があると、明治8年に千島樺太交換条約を締結し、してやったりと江華島事件を引き起こす・・・その外交態度と策略を今安倍晋三が真似ている。
江戸幕府の「自足」「日々愉快」「気楽」で、しかし進取の気風みなぎる社会が明治維新によって暗転させられた。その後の日本人は『茹で蛙』のように洗脳され窒息し餓死してゆく運命にあった。(その茹で蛙がアジアで2千万人以上を死に追いやった)
5.維新政府と安部麻生政権の相似
江戸時代の穏やかな議会制民主主義移行が続いていたなら、台湾・朝鮮・サハリン・満州の植民地化は無く、中国侵略戦争も無く、従って第二次世界大戦も起こらなかった可能性が強く、かつ日本の経済的繁栄は今とは異なる持続性があったと思われる。
それを自虐史観だと全否定する安倍麻生は維新の長州政治と同じで、首脳会談での約束事や国際協定破りに平然だ。外交交渉での打ち解けた会話の一部を切り取ってこじつける仕方は、台湾出兵の理屈と瓜二つ。その国際犯罪糊塗に金や核兵器製造発電所で軍事同盟に釣ることも辞さない。
参考)
1875年5月:日露「千島樺太交換条約」これで韓国併合や対清国戦争も可能に
2013年8月:時事「日ロ首脳、来月5日会談=領土交渉を継続−次官級協議」
しかし、中国包囲軍事同盟に乗ったのは菲国ただ一国のみ
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013081900812
安部麻生はまた選挙公約を破壊し正反対を平然と強行。TPPや脱原発や所得倍増や輸出倍増や天然ガス輸入価格切下げなど枚挙に暇は無く、政府や行政による憲法違反行政を事前に食い止める司法を含む監査機関の人事を私物化して、事実上の専制君主となった。
監査部局人事を私物化すれば憲法を空洞化できる。麻生が正しくも主張した静かなナチス式壊憲法は既に実行され、国民抗議も彼等を取り巻く口と腕力の暴力を武器とする護衛達が弾き飛ばしてしまう。これは恐らく、万世一系皇統の神国日本始まって以来最悪の政権だろう。
安倍晋三の『美しい強い日本を取返す』とはいったい何を取返すのか? 彼が歴史を自虐的と否定し、平和憲法による平和と安定を否定する姿は、議会制民主主義に到達しつつあった江戸末期の政体を全否定し、陰謀巡らす隣国侵略を国是とした、神憑り維新政府にそっくりだ。
(参考文献)井上勝生「幕末・維新」シリーズ日本現代史@、岩波新書
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