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集団的自衛権とエジプトの市民虐殺
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2013-08-19 反戦な家づくり
日本で、何が一大事かと言えば、やはり集団的自衛権だ。
早ければ今年中にも、ホンマに戦争準備OKてことになる。
来年の春にオバマを国賓として日本に招待するまでには、米軍司令部の号令一下、自衛隊はただちに出撃して人殺しできる(もちろん自分も死ぬ)体制を作るつもりだ。
もう一つは、TPPである。
様々な日本の財産を米国に貢ぐための仕組みずくり、TPP。
集団的自衛権は、その軍事力バージョンとも言える。
さらに、目の前の生活を直撃する消費税。
たかが3%ではなく、これによって消費や受注が落ち込むことで、負のスパイラルが始まる。
もちろんウチのような弱小設計事務所など、直撃撃墜の危機である。
そして、原発と被曝。
衆議院に続いて参議院でも原発稼働の「国民の承認」をとった自民党は、まったく遠慮会釈なしだ。
原子力寄生委員会は、電力会社の下請けという本性を隠すことすらしない。
そう言っている間にも、放射能は時々刻々、まったく休むことなく人々の細胞に降り注いでいる。
エジプトでは銃弾が、日本では放射能が打ち込まれている。
即死か数年後かの違いはあれど、殺戮行為である点では、何ら違いはない。
■■
日本の中だけでも、こんなにワヤクチャなのに、私はこのところエジプト情勢に釘付けになっている。
まずは、こちらの動画を見ていただきたい。
「撃たれる側」から撮った映像。絶え間ない銃声どころか、カメラの直ぐ横で跳弾の音が響き、次々と周りの人が撃たれ血を流す。
これが、エジプトで起きていること。
日本のマスメディアが書いているような「衝突」でも「排除」でもなく、殺戮であり虐殺だ。
一方的な銃撃である。
この事態に対し、日本では反応が鈍いことに、正直イライラいしている。
「たしかに、とんでもないことだけれども、日本も大変なんだ。エジプトばかりみてられない。」ということなのだろうか。
それはよくわかる。冒頭に書いたとおりだ。
それでもなお、私はエジプトの大弾圧、虐殺から目が離せない。
さっきも書いたとおり、日本のマスメディアでは正確な情報が分からないので、こちらのツイートをフォローしている
フィフィ @FIFI_Egypt (https://twitter.com/FIFI_Egypt)
三浦英之 @miura_hideyuki (https://twitter.com/miura_hideyuki)
フィフィさんは説明不要だろう。
三浦さんというのは朝日の記者で、応援でカイロに入り現地情報をツイートしている。日本で記事になるものとはちがう臨場感のある情報を流している。
なぜこんなに気になって仕方がないのか。
それは、明日は我が身という臨場感がハンパないからだ。
明日は我が身の意味は、単純ではない。
ひとつには、日本には自由が無いということを、エジプトを見てあらためて実感したということだ。
あの軍事政権のエジプトでも、非常事態宣言を出すまでは、すくなくとも形式的には自由にデモをすることはできた。参加者を逮捕するためには、警察のほうが令状をもってくる必要があった。
ところが日本では、デモは警察の許可がなくてはできない。届出といっても警察が勝手に何をどうしろと決めてそれに従わなければ受理しないのだから、許可制と同じことだ。警察に決められた枠の中だけでできるデモ、警察が気にくわないと思えばいつでも止めさせることができるデモ。
法律には違反しなくても、警察の許可なくデモをすれば、警察は令状無しでいくらでも参加者を逮捕できる。こんなものは「自由」とは呼ばない。
エジプトでは、市民の自由を軍が弾圧しているが、日本では自由は初めからない。
いままでは首輪がユルユルだったから自由が無いことに誰も気がつかなかったが、これからはイヤでもそれを思い知ることになる。
エジプトで自国民に向かって銃を乱射する治安部隊の姿は、近未来の日本の姿だ。
もっとも、初めから自由をもたず従順な日本人は、銃撃される前にさっさと服従するかもしれないけれども。
明日は我が身という二つ目の理由は、「殺すな!」というシグナルが頭の中で鳴り響いているからだ。
エジプトの軍事政権に対する「殺すな!」はもちろんだが、日本が戦争に出て行けば、自衛隊が多国民を殺すことになる。
あの治安部隊の姿と、他国で殺戮に手を染める自衛隊の姿が二重写しになるのだ。
何度も書くが、戦争とは人を殺すことで政治的な目的を達成させることだ。
できるだけ残酷に、できるだけたくさん殺して、敵の戦意を喪失させること。それが戦争だ。
常に世界の何処かで戦争をしている米国と組んで集団的自衛権を行使すれば、それは即人殺しを始めると言うことだ。
一度殺してしまえば、それを正当化するためにどんどん殺戮を繰り返していく。
それを「戦果」といい、「勝利」といって国中が沸き上がる。まるでワールドカップで勝利したかのように、人殺しを祝い高揚する人々が街を埋める。
そんな数年後の日本の光景が、あのエジプト映像から見える。
心の自由があるエジプトは、反同胞団の市民ですら虐殺を見て軍事政権の支持をやめることも多いようだが、日本の場合は猫も杓子も悪魔になる。
実績があり、それをちゃんと反省していないだけに、いつ繰り返してもおかしくない。
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明日は我が身という第三のの理由は、エジプトの情勢は、より直接的に日本の集団的自衛権につながっているということ。
アラブの春が、民衆運動を基礎としつつも、そこの米国のテコ入れがかなりあったことは多くの人が指摘している。そのことで民衆運動を貶めるモノではないが、あそこまで劇的にうまくいったウラには、やはり米国の力も働いている。
何が目的かと言えば、親イスラエルでありながらムスリムに対してもほどほどに妥協できる中道政権を作りたかったのだろう。
リビアやシリアのようなゴリゴリの反イスラエルはもちろん、ムバラクのような腐敗が酷すぎて米国のコントロールも効かず、いたずらに国民の反発を拡大する愚か者も排除された。
オバマはオバマなりに中東の火種を消したかったのだろう。
ただし、イスラエルをできるだけ有利な条件にするために、邪魔なモノは和平交渉の前に排除・抹殺しておくつもりだった。
エジプトでは、ムバラクを追放した後に米国べったりのエルバラダイを政権に据えて、ムバラクよりはマシな民政行いつつ、イスラエルの後ろ盾にすることを画策したが、なんと選挙でムスリム同胞団が圧勝してしまった。
同胞団は実はかならずしも激しい反イスラエルではないので、オバマのシナリオは破綻したわけではなかった。実際、モルシ大統領はオバマと連携してイスラエルとハマスの調停をやってみせた。
が、どうやらイスラエルはそれではおさまらなかったようだ。徹底的にダダをこねて、モルシ政権の妥当を和平交渉の条件にしたのだろう。
オバマのシナリオは変更を余儀なくされた。
もうひとつオバマが思い通りにならないのがシリアである。
最小限のコストで親イラン・反イスラエルのアサドを倒そうとしたが、中途半端な間接介入では強力なシリア国軍を倒すことができない。完全に泥沼化させてしまった。
米軍が直接出て行かなくては勝利できないのはわかっていても、米国の懐事情がそれを許さない。
国家財政が破綻の危機にあり、すべてのリスクを買い取ってボロ隠しをしてきたFRBが、さすがに限界に来ている。
そこでオバマの頼みの綱は、「同盟」国日本だ。
世界有数の軍事力を誇る自衛隊を、米軍シリア派遣隊として使えれば、戦費を含めてぜんぶ日本持ち。
米国は先遣隊と司令部だけで済む。
そこに、今度のエジプト情勢だ。
現在行われているのは、治安部隊によるほぼ一方的な銃撃・殺戮だ。これにたいする抵抗が、どのような形をとってくるのか、私にはまったく分からない。ただ、双方が妥協の余地なく戦い続けると、いずれは内戦になってしまう可能性も否定できない。
米国はエジプト情勢の黒幕という仕事に追いまくられる。
同胞団の息の根を止めるまで軍事政権には暴走を続けさせ、ある段階でこれを使い捨てるだろう。最初に逃がしておいたエルバラダイを呼び戻し、エルバラダイが虐殺の責任者を処罰したというポーズを作って大統領の椅子に押し込むつもりだ。
このペテン芝居を演じている最中に、シリアに米軍があからさまに侵略していくわけにはいかない。
いよいよもって、自衛隊を使うしかないのだ。
そんなわけで、ちょっと説明が長くなったが、エジプトの大量殺人は、日本人が大量殺人を始めることにつながっている。
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二番目の理由で書いたけれども、今私たちは、「殺すな!」というセンサーを最大限に感知させなくてはならない。
色々問題は山積みだけれども、何にもまして「殺すな!」という心の底から沸き上がる気持ちを、誤魔化さずに表現しよう。それが、すべての基礎になる。
殺すな!
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