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2013年08月19日 世相を斬る あいば達也
以前から、日本人にはマゾヒズム体質が潜んでいるのではないかと云う疑問を持っていたが、それを証明する時代に突入したようである。ユダヤ人の選ばれた民のような確たる確信のもとで起きたわけではない、このような症状は体質的マゾヒズムとでも解釈する以外、納得しようがない。今日のコラムでテーマにする、生活者としての窮乏を望むマゾだけに限らず、憲法の主人公を国民から国家に入れ替えてしまうとか、自衛隊を米軍の傭兵化するとか、たいして得るべき目的もなく、国民が犠牲を払う政治が好まれている。これって、一般的にマゾヒズムと呼ばれるものなのだが?
グローバル経済の下で、経済成長を成し遂げる為には、世界に伍して競争し得る価格を達成出来るか否かに掛かっている。知的財産等における競争力強化も産業によってはあり得るが、基本は世界の消費者が購買意欲持つ明確な訴求力は価格である。ところが、このグローバル経済と云うものは、世界を股にかけたサプライチェーンの連鎖で成り立つので、技術の移転も速攻性があり、以前のMS社やインテルのように、長期に亘り市場を独占することが非常に困難になっている。
そうなると、勢い製造業の価格訴求の結果は、労賃に帰結する。つまり、グローバル経済下での経済成長を望む場合、世界的賃金の平準化が嫌が上にも起きるわけで、極めて論理的だ。安倍自民党はTPPに加盟することを前提に、規制改革や成長戦略に従って、民間企業の自由競争を促進しようとしているが、この方向性は、間違いなく労賃の平準化が激化することであり、日本人の給与生活者の労賃を下げるのは、理の当然になる。この労賃の平準化は、その国の物価水準に合わせて起きる現象ではなく、世界の物価水準相当の労賃におさまるべく機能する。つまり、米国や日本の生活水準の高さは、必ず直撃を喰らう。
安倍は、雇用状況も改善したと強弁していたが、雇用の質を、正規社員から非正規社員にシフトさせ、統計上はワークシェアリングのような労働状況をつくり上げただけである。謂わば、労働の質を悪化させたのである。竹中平蔵が、「オヤジの給料は下がったが、そのお陰でガキも就職できたので、家族全体としては収入が増えた」と子供騙しのようなレトリックを駆使していたが、現実、そのようになるのである。竹中は嘘は言っていない。ただ、家庭全体の収入で、国民の所得は例示すること自体、経済学者のやる事ではない。似非宗教の教祖の喩えである。しかし、こう云う話に納得する人々も多いのが日本と云う国だ(笑)。
竹中に敢えて聞いてみたい。“おい、ガキが結婚しなければ、子供も生まれんぞ。オヤジがガキの家計を助けるのかい?”いまでも、少子高齢化問題が、日米同盟の次の難題だと言うのに、安倍自民は少子化と云う火種に油を注ごうとしているのだ。おそらく、安倍の知能では、経済政策により少子化に拍車が掛かるなど、想像もしていない。子育て対策に保育園を増やすの、育休強化など、箱や制度を作っても、保育士が異常に少なく箱を運営する人材不足だ出し、育休など率先垂範導入するのは公務員組織と一部の大企業に限られるだけで、人種差別のような制度になってしまう。
需要なきインフレほど怖ろしいものはない。政府は「デフレでなくなりつつある」と月例経済報告を発表し、異次元金融緩和が目指してきた「脱デフレ」に近づいたと偉そうに語っている。しかし、「日本のデフレが“失われた20年”犯人説だと、役人や経済学者は言い募ったが、デフレを魔女のように扱い、狩りをしたわけでが、デフレと云う魔女の正体は、先進諸国が頭を抱える経済成長の鈍化の一形態であり、そこに日本独自の急激な少子高齢社会が重なった所為であり、“失われた20年”と云う呪文に、国家全体が騙されていると云う見方の方が正しいような気がする。
此の儘、アベノミクスがさも成功過程を継続中のような判断で進捗し行くと、円安が個人生活者を直撃するばかりではなく、企業においてもコストプッシュ型のインフレを生みだすことになり、最終的に業績を圧迫するだろう。来年の夏には、ボーナス景気も消えうせる可能性が非常に高い。日本社会に需要がないのは自然の摂理のようなもので、経済政策云々の問題ではないのだ。65歳以上の国民は、買いたいものがない。無闇と山などに登って遭難ばかりして、散在するのが関の山、GDPに強く貢献する兆しはゼロだ。その人工層が益々厚みを増してゆく。あぁそれなのに、後に続く国民の数は少ない。これで国家経済が豊かになったら変だろう?こんな事は、経済学以前の問題だと思う。
需要なきインフレと消費増税。それに覆いかぶさるようにTPPによる米国企業の参入だ。もう目も当てられない世界がヒタヒタと接近中である。筆者は個人的には、まったく困らない。資産の分散投資がこれ程重要な時代はないだろう。今と云う時間を愉しむ金と、老後の資産を先ず分ける。老後分は高配当の株式をキープし、残りは腐れユダ金の社債と金地金に分散する。出来る限り、今使いたいものに金をかける。80歳、90歳になって使える金などたかが知れている。持ち家であれば、月に8万もあれば食っていける。筆者のような人間が多ければ多いほど、GDPなど増える筈もない(笑)。
しかし、このように安倍自民党政権が、国家を早目に冥途に送る下ごしらえをしているのは、個人的には歴史上必要な過程だと推察している。日米同盟の見直しの必要性に気づく国民も増えるだろうし、市場原理であろうが、グローバリズムであろうが、先進諸国の経済は伸びようがない事にも気づくだろう。如何に、今あるもので、どのような智恵を出して生き抜くか、民族が本気で考えざるを得ない時代が来ることは、非常に良いことである。哲学も宗教もない国家だが、物質的困窮と云う経験で、生きる事の意味を考えられるのも悪い事ではない。しかし、数年は国民は、驚くほど悲惨な時代を迎えるのは、幾分気の毒でもあるが、自業自得という見方もある。
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