http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/669.html
Tweet |
http://shichitenhakki.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=4703889
八木啓代は何故検察オンリーなのか。
森ゆうこは少なくとも最初は最高裁を攻め上がった。恐らく途中でストップがかかったんだろう。小沢一郎からもあったかも知れない。それはそれで理解できる。
少なくとも体制の中で一定の地位を得ている者にとって、国家の最高権威に犯罪追及を以て立ち向かう事はやはりあり得ないのである。国家の中に存在を得ている者として、国家そのものの犯罪を追及する事は、自らの足元の崩壊を招き寄せる事になる。恐らくどの国であれ、国会議員が最高裁の犯罪を追及したという事例は無いのではないか。そんな事は無いと言われたらお恥ずかしい限りだが、先進国からそんなニュースが出て来たのを経験していない事実はある。最高裁という存在は単に法の番人と言うに止まらず、国家統合の閂の意味があるのでは無いか。犯罪を犯していようが、閂を外す訳にはいかない。最高裁が裏金をせっせと貯め込んでいたとしても、それを以て閂を外す訳にはいかないのである。
一市民Tさんが市民の正義感に駆られて最高裁の犯罪を明かしたからと言って、国家統合の閂は外せないのであろう。この部分が森ゆうこにも理解できたのではないか。最高裁には正義も悪もやって来て、共存し、国家の秩序を保つ。外敵から国家を防衛するのは軍隊であるが、最高裁の最高防衛責任者は最高検であろう。最高裁防衛の最後の砦が検察という訳である。
一方の最高権力である検察は国家最高権威最高裁を守護する為、どんな汚れ役でも引き受けよう。検察は元々実働部隊。切った張ったの世界で生きている。当然汚れ役も引き受ける。
八木啓代の検察とのあり方を見ていると、検察の汚れ役の絵が重なる。検察の犯罪を告発し、すぐに記者会見を開き、そこそこ報道される。マスゴミは本当にまずいものは報じない。報じてもいいから報じているのだろう。検察も報じられて本望なのではないか。汚れ役で守らなくてはならないものを守る。双方がちゃんと役割分担している。八木啓代のスタンドプレー的な役回り立ち回りは、ちゃんと検察汚れ役の強調で協調関係であろう。八木自身も加わった識者20人による検察批判の著作も出たが、これも検察の汚れ役の強調であろう。検察は幾ら攻撃しても、攻撃されても、国家の閂は外れない。検察の汚れ役は安全地帯での芝居なのだろう。幾らお芝居に現を抜かしてもろくなことはない。
最高裁の存在が国家の閂であるなら、最高裁はやりたい放題か? 実際それに近いものであったろう。原発を現在の姿にした最高裁の責任を考えれば理解できる。そして、小沢事件である。他にも沢山の例がある。
しかし、小沢事件は最高裁のやりたい放題の中でも桁違いである。国家の在り様を根本からひっくり返すもので、閂があっても無くても最早関係ないと言うほど、最早国家崩壊に至らしめた。最早日本は別の国になったと言っていい。小沢鳩山政権から安倍政権。完全に別の国の政権である。こんな時、国家の閂の意味があるのか?
今こそ最高裁の犯罪の意味を問わねばならないという事だろう。それができるのは主権者国民しかいない。
という訳で、私は一市民Tさんという存在の意味を捉えるのである。最高裁は最早国家の閂の意味すら消失した。日本は国家を取り戻さなくてはならない。その為に最高裁の犯罪追及は必要なのである。
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。