http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/569.html
Tweet |
終戦記念日の15日、安倍晋三首相は戦争と歴史の問題に絡んで、「外向け」と「内向き」の二つの顔を見せた。
安倍首相は同日、靖国神社に参拝しなかった。もともと首相は靖国参拝に意欲的で、第1次政権時代に参拝しなかったことを「痛恨の極み」と語るほどだ。このため終戦記念日の動向が注目されていたが、自らは参拝を見送り、代理人を通じて玉串料を奉納するにとどめた。
首相が参拝しなかったのは、かねて政府要人の靖国参拝に強く反発している中国や韓国との関係が、修復不可能なまでに悪化するのを避けるためだろう。
両国とは首脳会談開催のめども立たない状況だが、水面下では関係改善の糸口を探っている時期だけに、あえて相手を刺激する行為は控えたとみられる。日中・日韓関係の改善を求める米国の意向を重視した側面もあるようだ。
首相が個人的な信条よりも、外交上の利益を優先して行動したことは、大局的な判断であり、評価できる。参拝見送りは、中韓両国への配慮という「外向け」のメッセージといえるだろう。
しかし、同じ日に開催された政府主催の全国戦没者追悼式では、安倍首相は式辞に自らの政治信条を強くにじませた。「アジアへの加害責任」に触れる文言を盛り込まなかったのだ。
1994年の村山富市首相以降、歴代首相は終戦記念日の式辞で、先の戦争におけるアジアへの加害責任と反省を表明してきた。安倍首相自身も2007年の式辞で「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」「深い反省とともに犠牲になった人々に哀悼の意を表する」と述べている。
首相が「アジアへの加害責任」を外したのは、植民地支配や侵略を認めた村山談話の見直しを示唆したのと同じく、持論の「戦後レジーム(体制)からの脱却」を目指す政治姿勢の表れとみられる。
明治以降の歴史において、日本の行為の正当性を強く主張する一部保守層との連帯を意識しており、「内向き」の論理を前面に出したとも読み取れる。
首相は「責任はない」と言ったわけではないが、これまで踏襲してきた文言をあえて外せば、中韓のみならず他のアジア諸国や米国までも「歴史の修正を図っている」と警戒させる可能性が高い。
終戦記念日の首相式辞は、日本が平和国家として歩む姿勢を内外に発信する重要なメッセージとなってきた。今回の式辞の変更は、歴代内閣が引き継いできたアジアとの和解の精神を転換したと受け止められる恐れがあり、看過できない。
首相は今回の式辞で、これまでの首相が踏襲してきた「不戦の誓い」という表現も外している。これもどういう意図があるのか、理解に苦しむ。
他者の批判を意識しない歴史認識は得てして独善的になりがちだ。首相は自身の歴史観に対する国際社会からの厳しい視線をきちんと認識する必要がある。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/33333
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。