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2013/8/15 日刊ゲンダイ :「日々担々」資料ブログ
次の戦争を始めたいのかヒトラーと同じなのか
安倍首相は終戦記念日のきょう(15日)、靖国神社への参拝を見送る一方で、私費で玉串料を代理人を通じて奉納した。
さすがに中韓の反発を考えて、参拝は断念したのだろうが、かといって何もしなければ、支持基盤である右翼、保守派が黙っていない。
で、玉串料奉納という卑劣で姑息な手段に出たのだろうが、これじゃあ、中韓への配慮にもなりゃしない。むしろ、形式だけを取り繕ったせこさ、しつこさ、不誠実さが浮かび上がったのではないか。なにしろ、安倍は閣僚の参拝は制限せず、稲田行革担当相や古屋国家公安委員長は参拝する。春の例大祭では麻生副総理が参拝して、中韓から一斉批判されたのに、お構いなし。このときも自分は「真榊」を奉納し、右翼・保守層にもいい顔をした。
安倍の人間性が透けて見えるではないか。
「もちろん、安倍首相の本音は靖国に行きたいのです。第1次政権のときに靖国に行けなかったのは痛恨の極みと言ったくらいですからね。しかし、今行けば、中韓を刺激するから行かない。その代わり、稲田行革相を代理にしたわけです。こういう姿勢では日本は歴史に向き合っていないといわれても仕方ありません」(立正大教授・金子勝氏=憲法)
「世界」9月号ではドイツ現代史の佐藤健生・拓大教授が戦後のドイツと日本を比較して、こう書いている。
〈ドイツにおける過去の克服とは結局のところ、現在のドイツがナチスの「第三帝国」とは異なる国であることの証を繰り返したてることであった。日本の場合においても、「大日本帝国」とは異なる日本国の証をたてることにあるが失敗した。歴史認識に関して繰り返される政治家の失言放言に加えて平和憲法に手を加えようとする動きを見れば、この国がどのような未来を選択しようとしているのか、外から疑問視されるのは当然である〉
〈日本とドイツの過去の向き合い方の中で、もっとも違いを感じるのがセンシビリティの問題である。自国の過去に対する「道徳的な敏感さ」という言葉で表現される。具体的にいえば、かつての加害の対象であった国でどう振る舞うべきなのか。自分の行動を相手はどう受け止めるのかを想像した上で行動することである。相手の嫌がるのを知りつつそれをあえて行う政治家の存在を考えれば、日独の差は明らかであろう〉
安倍はヒトラーになりたいのか。ドイツから見れば、そう思われても仕方がない。
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