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2013-08-15 陽光堂主人の読書日記
本日は「終戦の日」で、68年前のこの日、玉音放送が流れました。昭和天皇の終戦の詔勅が読み上げられたわけですが、これ以外、目立った動きはありませんでした。
この時点ではまだ、帝国陸海軍に対して全面的な停止命令は出されていません。15日を特別視するのは、天皇の思し召しを印象付けるための作為で、法的実質的な意味はありません。天皇の動静を日本の歴史そのものと観る皇国史観が前提となっています。
1945年8月15日前後の政府の動きを簡単に記すと、次の通りです。
8月14日 御前会議で昭和天皇の聖断によりポツダム宣言受諾が決定され、終戦の詔勅が発せられ、連合国に対しポツダム宣言の受諾を通告した。
8月15日 玉音放送により、国民及び陸海軍にポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定が伝えられた。大本営は日本軍に対して「別に命令するまで各々の現任務を続行すべし」と命令。
8月16日 自衛の為の戦闘行動以外の戦闘行動を停止するように命令。
8月19日 第一総軍、第二総軍、航空総軍に対して、8月22日零時以降、全面的に戦闘行動を停止するように命令。
8月22日 支那派遣軍を除く外地軍に対しては、8月25日零時以降に全面的な戦闘行動停止を命令。
9月2日 昭和天皇は「誓約履行の詔書」を発し、日本政府全権の重光葵と大本営全権の梅津美治郎が、降伏文書に調印し、即日発効。
全戦闘行為が禁じられたのは8月25日以降で、玉音放送が流れた15日から10日も後の話です。実際にはこの後も戦闘行為が行われており、ソ連軍による北方領土上陸は、8月28日から9月5日の間になされました。現地の守備隊は果敢に戦い、敵に大打撃を与えています。
このように8月15日の段階ではまだ戦闘行為が続いており、「終戦」なんて状況ではありませんでした。(国民は茫然自失の有り様でしたが…)
法的に意味があるのは、ポツダム宣言受け入れを連合国に通告した8月14日か、降伏文書に調印した9月2日です。米国など戦勝国の多くは、、9月2日を対日勝戦記念日(VJデー)と呼んで、この日を区切りの日としています。
8月15日を「終戦の日」としたことで、昭和天皇の御聖断により戦争が終結したという神話が定着しました。当時の日本支配層の最重要案件は国体の維持で、連合国側との取引も極秘裏に行われていました。昭和天皇は帝国軍人を信じておらず、米軍の半永久的駐留を望んだくらいですから、実情は推して知るべしです。
左翼は過激に天皇制廃止を叫びますが、賛否を問うなら真実の歴史が明らかにされる必要があります。残念ながらこの国では今でも「官製史観」が主流で、それに反するものは圧殺・無視される傾向があります。
今は情報公開が行われる時代ですから、国民にも真実を知らせるべきです。天皇家の歴史は長いのでスキャンダルが多い反面、権威の中心として代替不可能の役割を果たしてきました。真実が公開されても、大半の国民は支持するのではないかと思います。
8月15日の終戦の日は国内向けには意味があっても、対外的には不信の目で見られており、靖国神社参拝を巡ってゴタゴタが絶えません。「天皇が終戦を知らせた日に天皇のために戦った軍人を称えるのは反省していない証拠だ」というわけです。このため、毎年この日は気分が晴れません。余り騒がず、静かに過ごした方がよいと思います。
この日はキリスト教に関係の深い日で、これは偶然なのでしょうか? 8月15日はカトリックで、聖母マリアが肉体と霊魂を伴って天国に挙げられた「聖母被昇天の日」に当たります。この外、以下の歴史的事件がこの日に起きています。
1096年8月15日 第1回十字軍中東エルサレムへ出発
1534年8月15日 イエズス会結成
1549年8月15日 フランシスコ・ザビエル、日本到着
イエズス会の日本征服を祝うべく、8月15日が終戦の日に選ばれたのでしょうか?
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