http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/509.html
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今の「靖国神社」は戦後“あらたに”作られたのだ。嘘を言うなと叱られるか?
最高裁とはどういうことをするところか。今となっては私達はよ〜く知っている。
じつは実際を、もて玩ばれた実際を見ると、わかる。棚上げされていた尖閣が、石原前原野田によって放火された。そんな今日からするならば後知恵だが容易にわかる。なぜ中曽根(敬称略、以下同)や小泉や安倍が8月15日に参拝に公式参拝にこだわるのかが、そこに立ち現れてくるだろう。さらに、TPPに賛成推進の議員が参拝するのかも見えてくるだろう。
中国・韓国と特にモメだしたのは中曽根総理+朝日新聞報道いこうだ。そこに何があったのか。“新しい”ものがある人達によって付け加えられた、それがこうだよとアナウンスされ意味をもたされたのだ。国際関係の作り変えを狙った政治装置として改変された。何のために?「海の満洲国」としてシバキ直すために?
歴代総理がどういう立ち位置にあったか考え合わせて振り返ってほしい。キーワードはロッキード。中国。
安倍の祖父、 岸信介の時も「戦犯」合祀をやっていた。
(岸信介wiki:1955年8月、鳩山政権の幹事長として重光葵外相の訪米に随行し、ジョン・フォスター・ダレス国務長官と重光の会談にも同席している。ここで重光は安保条約の対等化を提起し、米軍を撤退させることや、日本のアメリカ防衛などについて提案したが、
ダレスは日本国憲法の存在や防衛力の脆弱性を理由に非現実的と強い調子で拒絶、
岸はこのことに大きな衝撃を受け、以後安保条約の改正を政権獲得時の重要課題として意識し、そのための周到な準備を練りあげていくことになる
石橋内閣の外務大臣を務めたが石橋が“倒れた”二ヶ月後、総理大臣を引き継ぐ、1957年2月25日〜1960年7月19日まで内閣総理大臣を務め、国民皆保険・国民皆年金制度の制定や、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約の改定を実施)
1959年(岸信介)「BC級戦犯」を合祀
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1972年、(田中角栄)日中国交正常化****************
1974年12月 外国人記者クラブで金脈追及。同月 (田中角栄)内閣総辞職
1975年 8月15日(三木武夫)内閣総理大臣が参拝(終戦記念日に参拝した初めての首相)11月21日:昭和天皇親拝。この時を最後に現在に至るまで靖国神社への行幸は行われていない
1976年2月 (田中角栄)ロッキード事件、逮捕される
1976年6月22日 石田和外 会長で「英霊にこたえる会」結成。
(会長、石田和外;以下wikiから。もと第五代最高裁判所長官。1969年1月11日、最高裁判所長官に就任〜1973年5月19日、佐藤栄作が任命。最高裁判所判事の事実上の指名権者として、 リベラルの傾向が強かった青年法律家協会系の裁判官を排除した(この裁判官の構成変更が、数の上では、後の大法廷における判例変更の一因となっている)。東大から長官含みで最高裁裁判官に迎えられた田中二郎は定年を待たずに最高裁を去った。)
1978年、石田和外 議長で、元号法制化国民会議(のちの日本を守る国民会議。右派政治団体日本会議の前身の一つ)を結成
1978年7月1日 松平永芳 靖国神社の第6代宮司となる。
1978年8月、(福田赳夫)尖閣諸島を棚上げにして日中友好条約********
(1978年ケ小平訪問日本全程實錄 妙答釣魚島問題 https://www.youtube.com/watch?v=3-Fa0o1qcW4 )
1978年10月17日 「A級戦犯」を (就任からわずか3ヶ月後の)新宮司 松平永芳 が合祀。が、不公表。松平永芳を宮司に担ぎ督励したのは石田和外であったそうだ。
(松平永芳は「元最高裁長官の石田和外(英霊にこたえる会初代会長)の強い勧めで、宮司に就任した。
松平は「東京裁判を否定しなければ、日本の精神復興は出来ないと思うから、いわゆるA級戦犯者の方々も祀るべきだ」と云う意見を、石田に言った。それに対して
石田は、「これは国際法その他から考えて、祀ってしかるべきものだ」と明言したが故に、(松平は)命がけで神社を創建の趣旨に違わない本来の姿で守ろうと決意・・・」云々 wiki 松平永芳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E6%B0%B8%E8%8A%B3 )
(石田和外wiki、「1974年3月、木村篤太郎全日本剣道連盟初代会長退任により、同連盟2代目会長に就任。同年、町村金五らと大東流合気柔術幸道会創設者の堀川幸道に名人位を授与」 ←町村金五;町村信孝の実父 )
1985年 8月15日(中曽根康弘)内閣総理大臣が、靖国神社に公式参拝と称して参拝。この時に初めて「首相の靖国神社参拝」に中華人民共和国から抗議を受ける
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2006年 8月15日(小泉純一郎)中曽根康弘内閣総理大臣以来21年ぶりの「8月15日参拝」
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1972年にアメリカの頭越しに日中国交正常化をなしとげた田中角栄。キッシンジャー(当時国務長官)はジャップめと罵って大いに怒ったと伝説(見てきたわけぢゃありません)。(キッシンジャーの嗤いの意味は? https://www.youtube.com/watch?v=rmFDlepshiQ )
wiki ではこう;
「アメリカにとっては中国をパートナーとした新しい東アジア秩序の形成を模索するものであったが、キッシンジャーがその東アジア新秩序構想において日本抜きで事を運ぼうとしていることを察知した日本政府及び田中角栄は、アメリカの先手を取ってでき得る限り早く日中国交正常化を果たすことを決断する。そしてニクソン訪中宣言からわずか1年2ヶ月という異例の早さで日中共同声明(1972年9月29日)に持ち込んだ。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%A4%E6%AD%A3%E5%B8%B8%E5%8C%96
その後、総理大臣を辞めたはずの角栄が院政を敷いてしまったのだった
1976年ロッキード事件
1978年8月には日中平和友好条約。ケ小平、角栄を訪問し「井戸を掘った恩人を忘れない」
こちら事件について詳しい↓
http://fujifujinovember.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-dae9.html
日本の独自外交をやられては困る勢力が日本にいたそうだ。とくに石油をめぐって。
「靖国神社」については様々な指摘がある。討幕軍の元締めとなった大村益次郎の発案からも離れた。明治以降に形も様式も変わったそうだ。縄文以来の自然崇拝でもない。日本古来の神道とも違う。天神様は強制配転の恨みで憤死して皇居に落雷電撃をあだなした菅原道真公を祭っていることを見ても明らかだ。もっと昔の出雲大社は国を譲らされて神まかった大国主(以前の国の支配者)のアラタマ(死んで肉体からアラわれ出たタマ)を祭っているではないか。
祟り神を敬って祭り和解するのが真意だ。
「靖国神社」の戦前の任務から、日中国交回復後の新しい任務をあたえられた。新任務の新装置だ。たんなる「戦前軍国主義復古」では見失うものがあるだろう。
鳩山一郎の時の北方領土の二島返還解決は阻止され隣国との係争地として熾火として残されたという説がある。日本が周辺国と争い続けてくれないと困ちゃうひとたちがいるそうだ。国際紛争が飯のタネ?それこそ困ったもんだ。ひとの命がかかってる。
戦争はいかんだろ。
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