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麻生太郎副総理兼財務相が改憲に絡め、戦前のナチス政権を引き合いに出した発言をしたことは、世界に不信感を広げた。ナチス政権の迫害を受けたユダヤ人にビザを発給し、多くの命を救った外交官に杉原千畝がいる。杉原千畝研究会の渡辺勝正代表に、杉原の行動と比較しながら麻生氏の発言の問題点をあらためて聞いた。渡辺氏は「世界から信頼される国になろうとした杉原の行為を無にした」と批判した。(大杉はるか)
−杉原がビザを発給した時の思いは。
「当時、日本政府はドイツ、イタリアと三国同盟を結ぼうとしていたこともあり、(ドイツが敵視したユダヤ人への)ビザ発給を許さなかった。それでも杉原は人道上だけでなく、日本の名誉のためにも、ユダヤ人を助けるべきだと判断した。この戦争はドイツの誤りであるということも分かっていたと思う」
−日本の名誉のためとは。
「杉原は晩年の手記で『ユダヤ民族から永遠の恨みを買ってまで、ビザを拒否しても構わないのか。それが国益にかなうことか』と悩んだことを振り返っている。国益は『もうける』『勝つ』だけでない。杉原はより広い視点で、世界から評価される国であろうとした。それが国を愛するということだ」
−その杉原の思いに、麻生氏の発言は水を差してしまった。
「麻生氏は外相だった二〇〇六年、閣僚として初めて(リトアニアの)カウナスの杉原記念博物館を訪問した。外務省は長年、当時のルールを逸脱したとして杉原の功績を認めてこなかった。麻生氏の訪問は、正しい歴史認識があったからこそと思っていたが、今回の発言には失望させられた。世界から信頼される国になろうとした杉原の行為を無にした」
−正しい歴史認識とは。
「戦後、ドイツはナチス政権を全面否定し、強い反省の意を表明している。麻生氏の発言は、この歴史認識に触れていない。日本の政治家は、発言の重さを自覚してもらいたい」
−戦前のドイツの失敗から学ぶものは。
「第一次世界大戦で背負わされた賠償で、ドイツ国民は疲弊していた。そこにヒトラーが現れ、魅力的に映った。ヒトラーは事実上憲法を停止する全権委任法を成立させ、独裁を可能にした。ドイツ国民は正しい判断ができなくなっていった。大勢に流されず、信念に基づいて正しい判断をすることが大事だ。杉原が七十年前にそうしたように」
麻生太郎副総理兼財務相の問題発言 7月29日に改憲を主張する民間団体の会合で講演し、ドイツでヒトラーのナチス政権が欧州で最も進んだ憲法だったワイマール憲法下で出てきたと指摘し「ワイマール憲法がいつの間にか、ナチス憲法に変わった。あの手口、学んだらどうか」と述べた。
米ユダヤ系人権団体は「どのような手法がナチスから学ぶに値するのか」と批判。中韓両国も「過去の日本の帝国主義による侵略を受けた周辺国民にとって、この発言がどう映るかは明らかだ」などと反発した。
麻生氏は発言の3日後、講演の際に「(改憲は)騒々しい中で決めてほしくない。間違ったものになりかねない」と発言していたことを踏まえ「憲法改正が喧騒(けんそう)に紛れ、十分な国民的理解と議論のないまま進んでしまったあしき例として挙げた」と釈明した。独紙フランクフルター・アルゲマイネは「聞いた人はそんな理解はしないだろう」と報じた。
政府は13日の持ち回り閣議で、麻生氏の発言について「ナチス政権の手口を踏襲するという趣旨で発言したわけではない。麻生氏なりの言葉で表現した」とする答弁書を決めた。
<メモ> 杉原 千畝(すぎはら・ちうね) 1900〜86年。岐阜県八百津(やおつ)町生まれ。医者になることを望んだ父親の意向に反し、早稲田大入学。在学中に外務省の官費留学生に応募。ロシア語習得後、満州ハルビンの総領事館などで勤務。40年にリトアニア・カウナスの領事館で、ポーランドから逃げてきたユダヤ人に対し、本省の訓令に背いてビザを発給。戦後、6000人の命を救ったとして知られるようになった。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013081402000105.html
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