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http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130813/plt1308130721000-n1.htm
2013.08.13
結党以来、勝ち続けている政党がある。みんなの党だ。最初の挑戦となった2009年の衆院選は5人当選。10年参院選は10人。昨年の衆院選は18人、そして、7・21参院選は改選数3から8議席獲得した。
順風満帆に見えていた同党だが、結党前から爆弾を抱えていた。渡辺喜美代表と江田憲司前幹事長の関係である。意外と知られていないが、09年衆院選前の、渡辺氏による新党立ち上げに、江田氏は反対していた。
「党人派の渡辺氏と、官僚出身の江田氏に決定的な感覚の差があった」
そう話すのは結党時のメンバーの1人。
「渡辺氏には『民主党は改革を掲げているが簡単にはできない。いずれ自民党と大差がないと有権者は気付く。ならば新党を作って第3極でやった方がいい』との直感があった。江田氏は理論的で『政界再編は自民党も民主党も全部含めてガラガラポンじゃなきゃ意味がない』だった。結局、渡辺氏が正解だった」
これが、「ずっと尾を引いてきた」(同)のだという。江田氏は、政界再編の絵の描き方で常に「渡辺的なもの」を否定してきたフシがある。
「そもそも、日本維新の会との合流は渡辺氏の考えだったが、維新が自民党寄りになって踏みとどまった。だが、江田氏は維新の松井一郎幹事長などと、合流や選挙協力を進めようとした」(みんな議員)
渡辺氏が、江田氏更迭を決断したのは、実は参院選前だった。橋下徹共同代表の慰安婦発言や、憲法改正のメッセージなどで「維新と距離を置く」と決断したにもかかわらず、江田氏が水面下で接触を続けたからだ。
選挙前、渡辺氏は私(鈴木)に「もう我慢しない。黙っていたらずっと続けるだろう。切る」と語っていた。
これに対し、江田氏は更迭後の記者会見やテレビ番組で「(更迭は)理解できない」と不満をぶちまけ、「一兵卒として、党改革や野党再編をやっていきたい」などと発言している。
江田氏に近い関係者によると、2人の感情がこじれた要因は、党の資金運用や公認手続きなどをめぐる渡辺氏の「独断」に、江田氏が不満を抱いたことが大きいという。
新幹事長になった浅尾慶一郎氏は「野党再編は広くやる。まずは最大野党の民主党と話す」と話しているが、江田氏が親しい議員らとどんな行動に出るかは未知数だ。
選挙での「常勝」は、みんなの党への期待が続いている証拠。ふがいない野党結集をリードするためにも、党内問題を決着させる必要がある。 (政治ジャーナリスト・鈴木哲夫)
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