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★孫崎享氏の視点ー<2013/08/12>★ :本音言いまっせー!
『戦後史の正体』より抜粋
日本はいつ、第二次大戦を終えたのでしょう。
こう聞くとほとんどの人が、
「一九四五年八月一五日に決まってるじゃないか。
いまさら、なにをいってるんだ」とおっしゃるかもしれません。
たしかに八月一五日は終戦記念日とされています。
一九四五年八月一五日正午、昭和天皇がNHKのラジオで
「私は世界の大勢と大日本帝国の現状にてらして、非常の措置をもって
時局を収拾したいと思う。忠実で善良な国民に告ぐ。私は帝国政府に対し、
米国、英国、中国、ソ連の四カ国が提示した共同声明を受け入れることを
通告させた」と言った。
だから、私たち日本人の多くは、「八月一五日にポツダム宣言を受け
入れることにした。だから戦争は終わったのだ」
と思っています。しかしよく考えてみると、一方が「やめた」といった
からといって、戦争が終わるというものではありません。戦っている
双方が、「戦争が終わった」と確認しあう必要があるのです。
日本と戦った米国、英国、中国、ソ連は、どの時点を日本との戦いの
終わりとみているでしょうか。
米国のトルーマン大統領は、九月二日の降伏調印式の直後、
ラジオ放送を行ない、その日を「対日戦争勝利の日」と宣言しました。
「われわれは真珠湾攻撃の日を記憶するように、この日を『報復の日』
として記憶するだろう。この日からわれわれは安全な日をむかえる」
「日本の軍閥によって犯された罪悪は、けっして償われもせず、
忘れられることもないだろう」
とのべています。
ソ連のスターリン首相も九月二日について、
「〔かつての日露戦争は〕わが国の歴史の汚点である。わが国民は
日本が敗北してこの汚点が払拭される日が訪れることを確信かつ
待望したが、いまや、その日が到来した」とのべています。
英国のチャーチル首相も同じく、「本日、日本は降伏した。
最後の敵はついに屈服したのである」「平和はふたたび世界におとずれた。
この大いなる救いと慈悲に対し、神に感謝を捧げようではないか」と
のべています。
我々の戦争相手の米国、英国、ソ連は9月2日を戦争の終わった日
としているのです。
では何故日本では9月2日を戦争の終わった日としていない
のでしょう。
日本は八月一五日を戦争の終わりと位置づけることで、「降伏」という
きびしい現実から目をそらしつづけているのです。
降伏文書には、
「日本のすべての官庁および軍は降伏を実施するため、連合国最高司令官
の出す布告、命令、指示を守る」
「日本はポツダム宣言実施のため、連合国最高司令官に要求されたすべての
命令を出し、行動をとることを約束する」
と記されています。
日本政府は「連合国最高司令官からの要求にすべてしたがう」ことを
約束したのです。それが戦後の日本政府の実態だったのです。
この時のほとんどを吉田首相が勤めました。
問題は講和条約後も吉田首相が勤めました。
だから「連合国最高司令官に要求されたすべての命令を出し、行動をとる
ことを約束する」体質は独立後を続き、今日の日本になっています。
我々は戦争の終わったのを8月15日といい、どういう条件で日本が
戦争を終了したかという事実から目をそらしたのです。
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