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特集ワイド: 息苦しさ漂う社会の「空気」 辺見庸さんに聞く 「『花は咲く』は気持ち悪い」
http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/413.html
投稿者 ダイナモ 日時 2013 年 8 月 12 日 13:48:45: mY9T/8MdR98ug
 

この投稿は私が先日投稿した以下のブログ記事の中で「毎日新聞のインタビュー」として語られている当該記事です。辺見氏のブログ記事をまだ読んでいない方はお読み下さい。

私事片々(不稽日録)2013.8.8〜  極右政権の夜郎自大はますますフツウにとどまるところがない。 辺見庸ブログ
http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/355.html


毎日毎日繰り返し流され、何とも言えず虫酸がはしるような気持ち悪さを感じる。人をある鋳型にはめようとする、ひとつの価値観に動員しようとする「花は咲く」には辟易していた。それは違うだろう。というのが正直な気持ちだった。被災者個々人の思いがひとつであるはずもなく、ひとつの歌に収斂できるはずもない。私も辺見と同様「悪癖」があるようだ。


毎日新聞 2013年05月09日 東京夕刊

 ◇今の日本は自己規制、ファシズムの国

 高い支持率を誇る安倍晋三政権。膨らむ経済再生への期待。なのに、この息苦しさは何だろう。浮足立つ政治家や財界人の言葉が深慮に欠け粗くなる傍ら、彼らへの批判を自主規制しようとする奇妙な「空気」が漂っていないか。何が起きているのか。作家の辺見庸さん(68)に聞いた。【藤原章生】

 「イタリアの作家、ウンベルト・エーコはファシズムについて『いかなる精髄も、単独の本質さえもない』と言っている。エーコ的に言えば、今の日本はファシズムの国だよ」。「ファシズム」とは大衆運動や個人の行動がコラージュのように積み重なったもの。独裁者の言葉に突き動かされるのではなく、そんたくや自己規制、自粛といった日本人の“得意”な振る舞いによって静かに広がっていくということだ。

 ファシズムと聞くと全体主義、ムソリーニ独裁やヒトラーのナチスが浮かぶ。「そういう、銃剣持ってざくざく行進というんじゃない。ファシズムはむしろ普通の職場、ルーティンワーク(日々の作業)の中にある。誰に指示されたわけでもないのに、自分の考えのない人びとが、どこからか文句が来るのが嫌だと、個人の表現や動きをしばりにかかるんです」

 辺見さんは自らの体験を語った。月刊誌「すばる」2月号に発表した小説「青い花」を大幅加筆し、近く単行本として出版する。だが、雑誌での編集作業は言葉遣いを巡って大いにもめた。「頭のおかしくなった主人公のセリフで朕(ちん)をチンチンにするとか、政治家をからかうのは問題ないのに、例の『花は咲く』を揶揄(やゆ)したら、それだけはどうしてもダメだって言うんだ」

 「花は花は花は咲く」とNHKがよく流すせいで、嫌でも耳にするあの歌のことだ。「俺はあれが気持ち悪い。だってあの歌って(戦時中に隣組制度を啓発するために歌われた)『とんとんとんからりんと隣組』と一緒だよね。そう思って書いた部分を、編集者が『書き換えてほしい』って言う。文芸誌で何を書こうがいいじゃないか、なぜ遠慮しなくちゃならないのかって言うと、『あれはみんながノーギャラでやってて、辺見さんも自作をちゃかされたら嫌でしょ』と。もう目をぱちくりするしかないよね」

 それに絡み、生まれ育った宮城県石巻市の話になった。

 「芸能タレントとテレビキャスターと政治家が我も我もと来て、撮影用に酒なんか飲んだりしてね。人々は涙を流して肩を組み、助け合ってます、復興してます、と。うそだよ。酒におぼれ、パチンコ行って、心がすさんで、何も信用できなくなってる人だって多い。PTSD(心的外傷後ストレス障害)ね。福島だって『花は咲く』どころじゃないんだよ。非人間的実相を歌で美化してごまかしている。被災者は耐え難い状況を耐えられると思わされてる」

 辺見さんは地中海人的だ。「何を唐突に」と思われるかもしれない。だが、著書「瓦礫(がれき)の中から言葉を」の中にある<根はとてつもなく明るいけれども、世界観と未来観についてはひどいペシミスト(悲観主義者)>や<あの荒れ狂う海が世界への入り口だったから、いつか、どんなことをしてもあの海のむこうに行くんだと決めていた>といった自己描写は、「南の思想」を著したイタリアの社会学者、フランコ・カッサーノの言う地中海人の定義にぴたっと収まる。

 カッサーノによれば、地中海人は強大な国家に虐げられた歴史から政府や多数派が求めるものを疑ってかかり、海の向こうに自由を求める。辺見さんも同じだ。引用するのはエーコや哲学者のジョルジョ・アガンベンらイタリア人が目立つ。感性の波がうまく共鳴するのだろう。

 「昔は気持ち悪いものは気持ち悪いと言えたんですよ。ところが今は『花は咲く』を毛嫌いするような人物は反社会性人格障害や敵性思想傾向を疑われ、それとなく所属組織や社会から監視されてしまうようなムードがあるんじゃないの? 政府、当局が押しつける政策や東京スカイツリー、六本木ヒルズ10周年といったお祭り騒ぎを疑う声だって、ほとんど出てこない。それが今のファシズムの特徴です。盾突く、いさかうという情念が社会から失われる一方、NHKの『八重の桜』や『坂の上の雲』のように、権力の命令がないのに日本人を賛美しようとする。皆で助け合って頑張ろう、ニッポンチャチャチャでやろうよと」

 安倍首相は靖国問題で「国のために尊い命を落としたご英霊に対して尊崇の念を表するのは当たり前のこと」と言い、「どんな脅かしにも屈しない自由を確保していく」と中国や韓国に反論した。

 「英霊でいいのに、ご英霊と言う。一言増えてきた」と注意を向けたうえで、辺見さんはこう語る。「安倍首相の言葉や閣僚の参拝に対し、国会でやじさえ飛ばない。野党にその感性がない。末期症状です。新聞の論調も中国、韓国が騒ぐから行くべきでないと言うばかりで、靖国参拝とはなんぞや、中国が日本にどんな恐怖感を持っているかという根本の議論がない」

 この空気を支えるものは何か。キーワードとして辺見さんは、哲学者アガンベンが多用する「ホモ・サケル」を挙げた。「古代ローマの囚人で政治的、社会的権利をはぎ取られ、ただ生きているだけの『むき出しの生』という意味です。日本でもホモ・サケルに近い層、言わば人間以下として放置される人たちが増えている。80年代までは、そういう貧者が増えれば階級闘争が激しくなると思われていたけど、今は彼らがプロレタリアートとして組織化され立ち上がる予感は全くない。それどころか保守化してファシズムの担い手になっている。例えば橋下徹・大阪市長に拍手をし、近隣諸国との軍拡競争を支持する層の多くは非受益者、貧困者なんです」

 政治を野放しにするとどうなるのか。「安倍首相は官房副長官時代、官邸に制服組をどんどん入れ、02年の早稲田大の講演で『現憲法下でも戦術核を持てる』と語った。その考えは今も変わらないと思う。今の政権の勢いだと、いずれ戦術核の議論までいくんじゃないですかね。マスコミの批判は出にくいしね」

 言語空間の息苦しさを打ち破れるかは「集合的なセンチメント(感情)に流されず、個人が直感、洞察力をどれだけ鍛えられるかにかかっている。集団としてどうこうではないと思うね」と辺見さん。まずは自分の周り、所属する組織の空気を疑えということか。

 きわめて地中海人的な態度と言える。

■人物略歴
 ◇へんみ・よう

 1970年に共同通信入社。北京特派員、ハノイ支局長、編集委員などを務める。78年、中国報道で新聞協会賞。91年「自動起床装置」で芥川賞、94年「もの食う人びと」で講談社ノンフィクション賞を受賞し、96年退社。2011年、詩文集「生首」で中原中也賞。12年、詩集「眼の海」で高見順賞。近著に「国家、人間あるいは狂気についてのノート」。


http://mainichi.jp/feature/news/20130509dde012040020000c.html
 

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コメント
 
01. 2013年8月12日 18:00:07 : mP3FgghD2Y
NHKが垂れ流す、あの「花が咲く」に嫌悪感を覚えていたのは、私だけじゃなかったんだ。安心した。

02. 2013年8月12日 18:51:00 : Xga0fEtqUw
“花は咲く”ねぇ。
この歌を唄う“表立って反原発を言えないヘタレ芸能人”を私はほんの少し評価しているが。w

03. 2013年8月12日 19:06:57 : DavyLlJwp2
いい歌じゃん、例えばこのバージョンは。西田敏行は気持ち悪いけど。

http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/413.html

おそらく辺見は、こういう歌を聴いて元気付けられる人々に、憎悪を抱くのだろうね。何のための憎悪かわからんが。多分、自分を「地中海人」たらしめるためにそれが必要なんだろうね。(笑)

で爺


04. 2013年8月12日 19:08:00 : DavyLlJwp2
↑リンク間違えた。このバージョンね。

http://www.youtube.com/watch?v=qa6pU8D9dRM


05. 2013年8月12日 20:05:37 : qAItHNlWjc
>>03
> おそらく辺見は、こういう歌を聴いて元気付けられる人々に、憎悪を抱くのだろうね。

「憎悪」の対象がまったく的外れ。


06. 2013年8月12日 20:08:19 : qAItHNlWjc
>>05で「的外れ」なのは、で自慰の理解の方ね。

07. 2013年8月12日 20:49:58 : kfQkH3JaLY
辺見はいったい何をいっているのか。
支離滅裂だ。
西洋の哲学書物理解はそれなりに正確なのだろうけど、いかんせん、その書物理解を反映させるべき現実の社会認識や人間把握が浅はかなゆえに、せっかくの「ホモ」なんたらとかいう哲学思想用語が空滑りしている。
たとえば、以下の認識は恥ずかしいほど貧弱かつ盲目的だ。

「80年代までは、そういう貧者(辺見の言う「ホモ・なんたら」w)が増えれば階級闘争が激しくなると思われていたけど、今は彼らがプロレタリアートとして組織化され立ち上がる予感は全くない。それどころか保守化してファシズムの担い手になっている。例えば橋下徹・大阪市長に拍手をし、近隣諸国との軍拡競争を支持する層の多くは非受益者、貧困者なんです」

つまり辺見に言わせると現代の日本社会においては「ホモ・サケル」が保守化してファシズムの担い手なっており、橋下徹に拍手をし軍拡競争を支持する層がそいつらなのであると、こうなる。
マルクスのルン・プロ批判じゃあるまいし、ばぁかも休み休みいえ。w

それからわたしは、じつは『花は咲く』という歌、このコメントを書くために、はじめて聞いた。わたしはテレビはいっさい見ないし、新聞もいっさい読まない。たいていの出来事はyahooニュースやlivedoorニュースですましている。
だから『花は咲く』、今日の今日までほんとに聞いたことがなかった。youtubeで聞いてみてなんとまあ微かな淡い歌だことかと。
これじゃ復興もくそもねえだろと。文句をいう気にもならない力のない歌だ。w
こんなものどーでもいいじゃないか。辺見、頭すこしおかしいんじゃないか?



08. 2013年8月12日 21:32:00 : kfQkH3JaLY
追記

辺見の「ホモ・なんたら」wに対する見解は、小林よしのりの次の見解と重なるものだろう。

小林よしのり氏「昔は虐げられている労働者の多くは左翼の運動家になった。ところが今は体制側につく」
http://desktop2ch.tv/newsplus/1363230175/

じっさいはそんなことはないのだ。
辺見も小林もなにひとつ社会の底辺をみてきたこともないし、左翼運動家の実態も知らないからそういえるのだ。
昔から左翼運動の中心にいるのは「虐げられている労働者」ではなく、つねに中間層出身の大卒や知識人たちだった。
共産党の歴代委員長は東大卒と決まっている。日本最大のスラムドヤ街に西成釜ケ崎という地区が大阪にあるがここの委員長も歴代、大卒だ。むかしの左翼運動の指導者も歴代、大卒であり中流階層の出。
小林多喜二の小説のなかでは「虐げられた労働者」の姿が描かれているがそれはあくまで虚構、小説であって、その小説を書いた小林多喜二も小作農家出身の大卒。w
そしてまた、この逆もウソ。
昔と同じように今もまた体制側につくのは常に富裕層、資本家、大企業関係者、高級官僚たちに決まっている。これは大昔から揺るぎのない真実だ。
もし小林のいう「虐げられた人たち」や辺見のいう「ホモ・なんたら」が体制の側についているように見えるのだとすれば、それは「虐げられた人たち」や「ホモ・なんたら」が知識人や左翼活動運動家の本質(=体制の代弁者、補完者)という本質を見抜いてそれに批判的に振舞うからだ。
だから知識人たちから、かれら「虐げられた人たち」は体制の順応者、裏切り者と断罪される。が、じつはそうじゃない。
本質的に体制的な存在でしかありえなのは体制批判をしている当の知識人たちなのだ。これは歴史的にも存在論的にもあきらかなことであり、それゆえにこそ、かれらはルンペンプロレタリアートを怖れるのだ。

あまり幼稚な議論はしないこと。


09. 2013年8月13日 00:12:43 : ITcxbkH7JQ
 「花は咲く」について意見が分かれているようだけれど、曲の良さと歌っている人の気持ち悪さを区別しようね。いい曲だね、ということについてはぎりぎり同意してもいいけれど、一人で歌えばいいものをリレー形式で歌うわざとらしさと歌っている人の過剰な自己陶酔に虫ずが走るのは正常な感性だね。
 

10. 2013年8月13日 01:40:33 : m56UPKpMWc
NHK総合TVは、先の参院選挙期間中に起こった―――沖縄での米軍オスプレイ夜間時間外飛行の問題、また、福島第一原発3号機から湯気が立ち上っていた問題について一切放映しなかった。民放では選挙中キチンと報道していたが??NHKは、高校生が殺人事件を起こしていたことを選挙終盤連日報道していた。ところが選挙が終わるとそれの報道は一切なくなった。

今回選挙、『ネット選挙』が行われたので、それならTVでもどれだけ選挙特集を行うのかと思ったら、NHKでは選挙中盤以降に選挙特番は一切行わなかった。この傾向は民放でも同様???選挙の争点をめぐる論争とそれへの国民参加を抑制していたメディアの姿がみてとれた。

アメリカの○○らにとって都合の悪い相手はどこの国の誰であろうが“消される”。彼らは時には自国の大統領ですらそうしてきた。そうして物事から国民の判断力を奪うのだ。内実は北朝鮮や中国ともそう変わらないのだと思う。では、日本は違うのか???――日本は、つい60数年前には軍人がつくった神話歴史教科書を国民に教え、ヒットラーと手を結んでいた(靖国神社に祭られた安倍の爺さんはA級戦犯でその先頭に立っていた一員だとか)。−−−日本の○○は、たぶん巧妙、大変にズルくて巧妙、、、科学技術も金儲けも上手な○○さんたちにとって、人をだますのなんか朝メシ前ヨ。。。だって、国民の多くはまだ飢えていないから。。。NHKによって『ハ〜ナは、ハ〜ナは、ハナは咲く』と、


11. 2013年8月13日 02:58:14 : IvjWDBikiA
>「『花は咲く』は気持ち悪い」

っていうか、狂気。まじで怖い。 1qmOy4Hy0U


12. 2013年8月13日 03:46:33 : cVdzH5tVjs
今がファシズムである、という認識についてはどうか?

安倍はそんなに支持があるのに地方選で勝てないのはナゼ?

お魚さんの絵をかいて投票したのに無効票ゼロという開票結果があったそうだがなぜ?


13. 2013年8月13日 07:38:43 : BOHMy9e7N2
たしかに少し気持ち悪い、食べて応援、オリンピック誘致、美しい国、それでも原発推進、
放射能を垂れ流してる途中なのに 偽保守どもの行為にはうんざりだ

14. 2013年8月13日 07:46:41 : DavyLlJwp2
今が、ファシズムなんて言うと、ファシズムの本当の被害者に悪いんじゃない?言葉のアヤに過ぎないね。こういうタイプの人は、ファシズムみたいな極端な言葉を使って、自分の平凡な主張を、労せずして格上げしようとする、悪癖があるのね。たかだか、「自主規制の傾向が強すぎて、息苦しい世の中だ」といった程度の話じゃない。(笑)

で爺


15. 2013年8月13日 08:16:48 : 0J4wTtThac

   >>14 DavyLlJwp2  >たかだか、「自主規制の傾向が強すぎて、息苦しい世の中だ」といった程度の話じゃない。(笑)で爺


   だよな。「ま、ちょっと熱めだがいい湯加減じゃないか。」といってる内に、だんだん熱くなって、そのうちきれいに茹で上がるんじゃないかな。

   ゆで爺さん。おっと失礼、で爺さんよ。あははは。


 


16. 2013年8月13日 08:53:56 : W2KODMxWXk
同じやるなら、辺見の偽善・欺瞞を指弾して人物破壊をするより、NHK を含めた日本社会の偽善・欺瞞を指弾するほうが、より大勢の人にとって意義があるようには見えるわな。

もっとも、辺見の主張に賛同はするが、だからといって何するわけでもないという偽善・欺瞞は依然として残るわけだが。


17. 2013年8月13日 09:46:56 : Fg3pBGQuUs
>16. 2013年8月13日 08:53:56 : W2KODMxWXk
同じやるなら、辺見の偽善・欺瞞を指弾して人物破壊をするより、NHK を含めた日本社会の偽善・欺瞞を指弾するほうが、より大勢の人にとって意義があるようには見えるわな。


そういう考え方が間違ってるんだよ。
辺見を批判するときはちゃんと辺見批判をやればいいし、NHKを批判するときはちゃんとNHKを批判すればいいんだ。体制の瑕疵を批判するときはそれをやればいい。
いつも上をみて、それだけを批判していたらいつまでたっても霞を攻撃するようなもので、実態のないケムリと喧嘩するようなものだ。

カフカの小説に『城』という寓話がある。
ある男が城壁に囲まれた都市の門の前に立っている。
男は雲の上にそびえる城までたどりつきたいのだが門番に阻まれて城内にはいることすらできない。
門の前で男は歳をとり、とうとう老衰して死に際になる。
すると門前の男たちがそそくさと退去の支度をはじめる。
「どうしたのですか?」といまにもあの世にめされる寸前の男がたずねる。
すると門番たちが答える。
「この門はあんたのためにだけあったのさ。あんたが死んじゃもうこの門も用はない」

おまえさんのような考え方、あるいは辺見のような御用批評家(本人は自覚していないようだが)のことばがつまりは城へたどり着こうとしている多くの人たちの声を封殺しているんだよ。



18. 2013年8月13日 10:11:10 : W2KODMxWXk
>>17

意味がわからんのだが、何かの高尚なボケなのか?

辺見の言葉にしたがって門の前でくたばるのも、そんなの関係ねぇとばかりに門をぶち壊すなり、回り道するなりして、その「城」とやらにたどり着くのも個人の才覚・精神の自由ではないか。

カフカとかいう人の言葉の「門」の前でたたずんでおる人が、門の前で文句をいうてるのは、まあ、理解できないこともないが、オレにはそんなの関係ねぇ(笑)


19. 2013年8月13日 10:19:43 : QPTOZ1BeXg
03!で爺よ
辺見さんが抱く「憎悪」は
安倍なんぞのバカ右翼が闊歩しだしだす日本!
それに何も言えないマスゴミ!日本人!にだろう

物の見方が全く間違っている「で爺」にはわからないだろうねぇ(笑)


20. 2013年8月13日 12:23:31 : FyIVswWe6s
>18. 2013年8月13日 10:11:10 : W2KODMxWXk
>>17
意味がわからんのだが、何かの高尚なボケなのか?


や、悪かった。おまえのような低脳にコメントしたおれの罪だ。w


21. 2013年8月13日 12:27:13 : FyIVswWe6s
『花は咲く』が気持ち悪いのなら、
ジョンレノンの一連の曲歌も気持ち悪いといわなきゃなあ。
いや、ジョンレノンなんかのメッセージ性のある歌を反戦平和の歌と持ち上げている輩も含めて気持ち悪くて反吐が出るといわなきゃ、ウソだろ。
ついでに辺見はなぜ戦争翼賛文春の芥川賞をいまからでも辞退返却しないのだ?
いいとこどりは見苦しいぜ。w

22. 2013年8月13日 12:45:48 : W2KODMxWXk
>>20

おいおい、あっさりと素性さらしちまったな(笑)

>>16 の真意はこうだよ:

「「「社会の偽善・欺瞞を指弾する辺見」の偽善・欺瞞を指弾するヤツ」の偽善・欺瞞を指弾するヤツ」・・・」

こんなクソみてえな回帰的構造続けて何の意味がある? なら、誰かさんの偽善・欺瞞を指弾するのではなく、自分自身の偽善・欺瞞として自省汁

と、まあ、こんな意味よ。読み返してみればそうなっているだろ?

カフカ読みには高尚過ぎたか。おまえ自身の内には「辺見的なるもの」が一切ないわけかい? 気楽だねぇ(笑)


23. 2013年8月13日 13:16:40 : H2KT9I0HWs
祖父から教えられた「ヤスクニ」と長州藩中心に形成された「靖国」とのはざまで(<IWJの視点>平山茂樹の「ニュース下から目線」:IWJウィークリー13号より)

◆また、この季節がやってきた◆
 夏になると、ニュースが、こぞって取り上げる問題がある。

 政治家の、靖国神社参拝をめぐる去就である。
 
 第二次安倍政権では、これまで、麻生太郎副総理、古屋圭司拉致問題担当相、新藤義孝総務相、根本匠復興相、稲田朋美行革相、下村博文文科相の6人が、政権発足後、参拝を行った。このなかで、稲田行革相が、8月15日にあらためて参拝する意向を表明している。

 
 昨年、野田佳彦内閣では、すべての閣僚が8月15日の参拝を見合わせた。さて、今年は、何人の閣僚が靖国神社を参拝するのだろうか。

 自民党幹部では、高市早苗政調会長が、8月15日に参拝する方向で調整中だ。安倍総理は、「中国、韓国に配慮する」として、8月15日の参拝を見送る方針を固めている。

※安倍首相、靖国参拝見送り、中国側に伝達
(TBS 8月7日〖URL〗http://bit.ly/15IJFEV

◆「ヤスクニ」って何?◆
 正直に告白すれば、私もこれまで、靖国神社に幾度となく参拝した経験がある。7月13日の「みたままつり」に訪れたこともあるし、8月15日に参拝したこともある。

 すでに亡くなった私の祖父は、従軍経験者だ。鹿児島の漁協に務めていた祖父は、海軍に志願して出兵。「あぶくま」という駆逐艦に乗っていたところを撃沈され、近くの島まで泳いでたどり着き、なんとか生還したという。祖父はそのことを、私に自慢げに語ってきかせてくれた。

 生前、祖父は歴史認識について多くを語ることはなかったが、「一度、靖国に行きたい。あそこには、戦死した仲間がいるから…」と、まだ幼い私に、ため息まじりにつぶやいていたことを、私は今でも鮮明に覚えている。

 「ヤスクニ?」。この言葉が持つ政治的意味を知らなかった幼い私は、当然ながら、祖父の感情を理解することはできなかった。しかし、「ヤスクニ」という言葉だけは、はっきりとその時私の心に刻まれた。

 その後、ある程度歴史を勉強し、いわゆる「A級戦犯」とされる人々が合祀されていることを知った後でも、私は何度か靖国神社に参拝した。それは、日本が他国を「侵略」したかどうか、「A級戦犯」とされる人々が合祀されているかどうか、といった、歴史認識やイデオロギーとは関係がない。祖父の言葉を思い出しつつ、ただ純粋に、戦地で心ならずも亡くなられた方々に対し、哀悼の意を表したいと考えたからである。

 ここまで読んで、私を「右翼」「軍国主義者」と思われた方には、靖国神社に参拝した足で、千鳥ケ淵戦没者墓苑にも欠かさずお参りをしていることを、とりあえずは付け加えておきたい。

 千鳥ケ淵戦没者墓苑とは、日本国外で死亡した日本人兵士や一般人のうち、身元が判明していない方々の遺骨を安置している墓苑である。いわゆる「A級戦犯」の合祀を理由に、国内外から批判の的になる靖国神社に代わり、この千鳥ケ淵戦没者墓苑を政府公認の追悼施設にしてはどうか、という議論が、これまで幾度となく行われてきた。

◆靖国神社は長州藩の神社◆
 8月15日、靖国神社には多くの戦没者遺族が参拝に訪れる。その方々一人ひとりの思いは、親族が戦死し、その魂をなぐさめたいという、極めて素朴かつ純粋なものであると思う。

 しかし、である。「政治」という枠がはめられた瞬間、靖国神社という場所は、まったく違う相貌を示し始める。それが具体的にはどういうものか、実際に境内を歩いた気になって、考えてみることにしたい。

 地下鉄九段下駅を出て、少し坂を登る。これが、いわゆる「九段の坂」か、と感慨にふけっていると、巨大な建造物が目に飛び込んでくる。靖国神社の大鳥居である。

 高さ25メートルを誇る、この巨大な大鳥居。1919年に完成した当時は、日本一の高さを誇り、「空を突くよな大鳥居」と、人々に親しまれた。

 実はこの大鳥居、1943年に撤去され、現在のものは2代目であるという。靖国神社のパンフレットには、「長年の風雨に蝕まれて撤去した」と記されているが、大鳥居の右手にある鉄板には「戦力増強のため撤去」と記されている。

 この大鳥居が、戦中、実際に兵器鋳造のために転用されたのかどうかは、実は定かではない。しかし、「あの大鳥居ですら、金属供出されたのか」という風聞を流すことが、庶民への金属供出を強いた当時の軍部によって、プロパガンダとして使用された可能性は否めない。

 大鳥居をくぐり、少し歩くと視界に入るのが、大村益次郎の銅像だ。

 靖国神社のほぼ中心に立つ銅像が、長州藩出身で、日本近代陸軍の創始者である大村益次郎であることは、いったい何を意味するのであろうか。

 大村益次郎は、後に初代総理となる伊藤博文や木戸孝允、高杉晋作、井上馨らとともに戊辰戦争を戦い、天皇をかつぐことで江戸幕府を「朝敵」として「成敗」した、長州藩の軍事的リーダーだ。明治維新以後、大村は、国民皆兵や兵学校の設置による近代陸軍の青写真を描いていたとされる。大村の死後、その思想を受け継ぎ、明治3年に徴兵令を発布したのが、大村と先輩・後輩の仲であり、初代陸軍卿に就任する山県有朋であった。

 靖国神社設立の起源を調べてみると、やはり長州藩にいきつく。1865年、長州藩が奇兵隊の死者を祀るために建立した桜山招魂社が、靖国神社の起源である。その後、禁門の変、戊辰戦争などで戦死した長州軍の兵を合祀。明治維新後、明治天皇の上京にともない、天皇の錦の御旗が与えられることで、官幣の神社として靖国神社が設立された。

 以上の経緯を踏まえると、靖国神社は、明治維新以降、実権を握った長州閥の意向が色濃く反映された神社だと言える。事実、会津藩家老を先祖に持つ右翼の大物・田中清玄は、靖国神社を「長州藩の守り神にすぎないもの」と切り捨てたという。

◆政治的装置としての「靖国」◆
 さらに歩を進めよう。「皇族下乗」の標札を過ぎ、拝殿に向かう。

 普通の神社と同じように、賽銭箱が置いてある。拝殿からは、その奥にある本殿をのぞき見ることはできない。しかし、境内をぐるりと迂回し、池を横切って、神社の真後ろに回ると、本殿の裏側を少しだけ垣間見ることができる。

 靖国神社の本殿には、246万6532柱の祭神が祀られている。それらは、戊辰戦争以降、台湾出兵、江華島事件、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、太平洋戦争といった、戦争で亡くなられた方々の御霊である。

 ただ、この中には、例えば東京大空襲の犠牲者、広島・長崎への原爆投下による犠牲者、沖縄戦での犠牲者などは含まれていない。さらに、大村益次郎らとともに戊辰戦争を戦いながら、その後、西南戦争で「鎮圧」された、薩摩藩の士族たちも祀られていない。

 あくまで、明治政府で中心をなした長州閥の人々が押し進めた、西南戦争という内戦での官軍側の死者と、日本が対外諸国を侵略していく過程で戦死した人々だけを祀っているのである。

 私の祖父は、「一度、靖国に行きたい」と言った。それは、アジア・太平洋戦争を、実際に戦地で戦い、戦友を失った一人の人間の、率直な心情であるだろう。そのことは、否定すべくもない。

 しかし、靖国神社が持つ歴史的背景を鑑みるに、政治家が参拝することは、例えば私の祖父のような人間が参拝することとは、まったく別問題である。

 靖国神社が、日本の軍国主義化に貢献した政治的装置として働いたことは、疑うべくもない。そこに、当の政治家が参拝するということは、靖国神社が持つ政治的装置としての機能を、無条件に肯定することを意味する。

 「軍国少年」だったという山中恒氏は、岩上さんのインタビューの中で、「若い人には、しっかりと歴史を学んでもらいたいです」と語った。私は、戦中・戦後を、自らの戦争体験を考え抜くことに費やして生きてきた山中氏の、この、重い、重い言葉を、若者だけではなく、政治家にも、是非、かみしめてもらいたいと思う。

 靖国神社の問題点や歴史認識に関しては、以下のアーカイブをご覧ください。

※2012/12/17 岩上安身による高橋哲哉氏インタビュー
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/46816


※2013/02/16 岩上安身による中塚明氏インタビュー
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/58397


※2013/08/02 陸軍兵站総監が指令した「ことごとく殺戮すべし」〜戦慄の殺戮作戦自体を陸軍公式の「日清戦史」から抹消した参謀本部〜岩上安身による井上勝生氏インタビュー
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/94362

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/96143


24. 2013年8月13日 13:34:38 : TqN5jkuHWg
安倍内閣の19人の閣僚のうち、13人が改憲団体の日本会議国会議員懇談会に関係しているし、超党派の改憲議連である「新憲法制定議員同盟」にも8人が関係をもっている。かつての自民党には一定数のリベラル勢力がいたが今では壊滅状態だ。安倍は先日の講演で「私の使命は憲法を改正することだ」と明言した。その安倍内閣の支持率は60%前後の高い数値をキープしている。

安倍は9条の解釈改憲で集団的自衛権の行使を合憲化しようとしている。安倍の私的諮問機関である安保法制懇は、集団的自衛権行使をめぐる憲法解釈で、全面解禁を提言する意向を明らかにしている。2007年の第一次安倍内閣では、集団的自衛権の行使について4つの類型を挙げて容認する報告書をだしたが、今の安保法制懇は、4類型に限らず無制限の集団的自衛権の行使を容認する報告書を提出する見込みだ。安倍自身がその方向での提言を期待すると明言している。

無制限の集団的自衛権の行使とはつまり、過去の紛争に当てはめると、今の自衛隊(そのときには国防軍になっているかもしれない)がアフガン戦争やイラク戦争へ参戦するということだ。英国やフランスは米国との集団的自衛権行使に基づいて参戦している。これは憲法9条の実質的な無効化である。これでは自衛隊員はたまったものではないだろう。多くの自衛隊員は「自国を守る」という思いで入隊したはずだ。いったいの誰のために自分の命を危険にさらすのか。米国のために死にたいと考える隊員は誰もいないだろう。

今のオバマ政権は「対テロ戦争」の戦端を縮小しようとしているが、これが共和党政権に変わったらどうなるか分かったものじゃない。昨日のNHK世論調査では、安倍がやろうとしている集団的自衛権行使の容認を「支持する」が、「支持しない」を上回っている。日本人には戦争をする覚悟ができているのか。集団的自衛権行使の容認を支持する者を含めて、おそらく大多数の日本人は事態がここまで進行していることに気がついていない。

高支持率を背景に安倍が進める国家主義、復古主義に基づく極右政治体制作りはひとつの分岐点にさしかかっている。ここで押しとどめることができなければあとは一気に進んでしまう恐れがある。公明党は反対姿勢を見せているが、うま味のある連立政権を離脱してまで抵抗する気概があるのか疑わしい。いや、万が一たとえ本気で反対したとしても、安倍には公明党を切り捨てて、維新やみんなの党に乗り換えるという手段もある。

今が「戦後最大の危機」的状況であるという認識は間違いない。


25. 2013年8月13日 14:40:23 : jthrzTgzHs
国家権力というのは強大である。ルンプロが困窮化すれば体制が変るなどというようなヤワなものではない。
それならイギリスでも何回も革命が起こっている。革命が成功するときにはユダヤの大金持ちが動いている。
そして結局ルンプロは救済されず、エリートはルンプロを弾圧する側に回る可能性がある。
ブラック企業経営でトップになってる奴はルンプロが自分達に襲い掛かってくる恐怖があり、多額のカネで用心棒を雇う事でルンプロの動向を監視し、24時間365日働かせる事が出来る。
今もそういう意味では戦前・戦中と大して変らん。

26. 2013年8月13日 14:44:57 : 48vzukHew2
>22. 2013年8月13日 12:45:48 : W2KODMxWXk


低脳といわれてすこし刺激を受けたらしいが。w
しかし哀しいかな低脳はどこまでいっても低脳だ。
哀しいかなこれが現実だね。
でわ、低脳くん、お元気で。(ぷっ)


27. 2013年8月13日 14:47:45 : 48vzukHew2
靖国神社が政治装置だかなんだかしらねえが、わたしにとってはセミが鳴いている木陰に入れば涼しい場所、都会の避暑地だよ。
多くの庶民にとってはそれだけの場所だ。低脳インテリまがいに限って、わけのわからない屁理屈をこねたがる。それで銭が入るのだから、
おぞましいかぎりだ。

28. 2013年8月13日 15:25:36 : vMy76a7j0k
>>24
同意。
辺見氏は8月31日に行なわれるみずからの講演会で、今を「戦後最大の危機」といっている。その現状認識は正しいと思う。

8.31講演
◎辺見庸講演会

の酷い夏をどうやって堪えるのか。骨もとける炎熱と愚者たちの祝祭=選挙の結果、何人が死に、いったいなにが立ち上がってくるのか。わたしは年来の断念癖と気鬱症のなかで、ずっとぐずぐずと想いまどっておりました。現状は、私見によれば、すでに堪えがたいものであります。わたしや皆さんが多少これに抗ったところで、明日がどうなるというものでもないことは言うまでもありません。しかし、堪えるべきではない現在にじっと堪えるのと、どうかんがえても勝ち目がなく、きわめて悲観的で不確実でもある未来のために、ここで現状に抗ってみることーーのふたつは、さしたる異同がないようでいて、この酷い夏の実存の過ごし方としては、大きなちがいがあるようでもあります。で、わたしは前者よりも後者、すなわち、沈黙と忍従よりも不確実な反抗に賭けてみることにしました。今回の講演は、これまでのように主催者側の要請によるものではなく、わたしがはじめて(年がいもなく)衝動的に志願し、主催者側がこれを快諾して、多忙ななかを慌ただしく準備してくれているものです。「フォーラム90」の友人たちに心から感謝するとともに、わたしは8月31日、いま語るべきこと、語ってはならないとされていること、語っても詮ないとみなされていること、語ろうとして語りえないこと、とりわけ、死刑とファシズムについて、心中の解けない塊を吐こうとおもいます。状況の全般的悪化のなかで、わたしはいま、次の絞首刑の執行が用意されていると予感せざるをえません。国家はかつて以上に暴力化しつつあります。これにただ口をつぐみ、目をそむけ、すべてを冷殺するだけでよいものかどうか・・・。わたしたちの日常が、真剣に想いをいたすべき大状況から、いまほど断絶させられているときはありません。生身の個が大状況に突き刺さり、沈黙と忍従よりも不確実な反抗に賭けてみることとは、いったいどういうことなのか。それは可能か不可能か。8月31日夜、拙いながらも必死でお話しいたします。講演ポスターを添付しますので、皆さんの周辺にお知らせいただければ幸いです。

http://yo-hemmi.net/


29. 2013年8月13日 15:56:53 : EaBBn0zY1I
日本人は、哀しい出来事があると、千羽鶴折ったり、歌詞を作って、朗読したり、コンサート開いて、お手紙よんだり、焼きそば作って、サインしたり、と忙しい。

物事の本質を見るのを恐れて、不安を他で紛らわす、国民性だ。3・11のとき、
一週間しないで、横浜に住む私に、何グラムも入っていないヨウ素を送ってくれたのが、親戚のドイツ人だった。(一ヶ月税関でせき止められたが)物事の対応の仕方が違う。日本では、感傷的な処理にまかせるので、いつも、成熟できない。

それをやろうとすると(山本太郎さんのように、、)それを、嫌うひとすらいる。

いつまでも、(花はさくさく、、)と広島平和式典に敬礼だけして、満足なのだろう、、


30. 2013年8月13日 16:58:45 : agt0YH2Aiw
「里帰り」とか『川育ちは川で果てる」とか言うタトエコトバがありますが、日本国民の急激な右傾化は、アメリカの手前偽装していた『平和主義や国民主権や自由、人権や民主主義」を,かなぐり捨て本来の本音である「日本軍国主義と国家主義体制復活」へ回帰を始めたと言うことだと私は見ています。日本の起こした『過去のすべての戦争でも軍部の尻を叩き「進軍ラツパ」を吹き鳴らし戦争推進の音頭をとつたのは大手メデイアに煽動された好戦的国民だつたのが事実です。麻生副総理は「ナチスに学べ」と発言したが、自民党や維新のタカ派は、ナチス、ヒツトラー方式で『全権委任法」のような「現憲法を安楽死させる巧妙なやり方」で、「いつでもどことでも戦争の出来る強靭でしたたかな強い日本」を早急に目指したいのだと見ます。タカ派は『過去の日本軍による戦争では侵略や蛮行など一切やつていない。」とか『反省や謝罪などはとんでもない、自虐史観だ」。「皇国史観」へ立ち返れ」とか『太平洋戦争は日本にとり自存自衛の聖戦であつた。悪いのは因を作つた連合国だ。日本軍はアジア解放など良いことしかしていない。」とか「たつた一度の敗戦などどう言うことはない。」などと言つています。いつの間にか強大な世界4位の軍事力を保有し、それを、背景に『尖閣戦争も辞さず』というタカ派を参議院選で国民が支持した。調子にのつた、タカ派や大手タカ派メデイアと連携で戦争準備へ向け暴走を始めたのではないかと私は社会学的に分析しています。連珠で言う『とめて止まらぬ3,4、の手」と言うやつでしょう。

31. 2013年8月13日 17:42:52 : ZwNM9esa2g
立ち枯れた朽ちた”花”をNHKの玄関に飾ってやれ!ニュースを読む(間違いが多いが)スタジオでも良い

32. 2013年8月13日 17:45:28 : cc1ytMAeRE
辺見庸のBotが存在する。Botとはツイッター上で、あたかも人間のようにつぶやいたり、他ユーザーと会話を行ったりするプログラム。
その名も「辺見庸_Bot」。そもそも言葉を大切にする辺見庸がツイッターなどという言葉の細切れをやるはずもなく、辺見庸をよく知っている人ならそのツィートの文章を読めば偽物であるとすぐに分かる程度の安っぽい出来である。だが中には本当に辺見庸自身がツィートしていると思い込んでフォロワーとなっている人も多いようだ。辺見庸のブログには、そうした「軽薄」なフォロワーが喫茶店で辺見庸を見かけて、スマホで辺見庸_Botの画面を見せながら、「ツイッターやっているんでしょう。あたしもフォロワーなんですよ。握手してください!」となれなれしく話しかけられた出来事について、「スマートフォンを左手で払いのけ、おもいっきり睨めつけてから、低い声で、アンタ、アッチイケヨ!とすごむと、女はわなわなと怯えて眼鏡をずりさげ後ずさった。」とことの顛末が書かれている。
http://yo-hemmi.net/ (2013/08/11)のmemo

辺見庸_Bot
https://twitter.com/HenmiYO


33. 2013年8月13日 20:47:15 : K4wmGqMf9o
今が戦後最大の危機という認識はあまりにも無責任で無頓着過ぎるにも程があると考えることもできる。もちろん今の日本の政治状況について、楽観視できる材料は乏しい限りだ。

今の政治が行おうとしている戦後最大の危機とは憲法破壊による軍隊創設が一部の世論調査では実現するのではないかと思うほど歩みが止まる様子が見られないということだろう。

靖国神社の問題も結局のところは武士が武士の為に都合よく作った思想宗教である。武士が天下を治めてきた歴史が長い日本の国では当たり前のように武士道精神なる美意識の価値観があり、逐一詳細を知る訳ではないが、今の時代で作る歴史小説家や歴史研究家の主張などで時々その一端に触れることができるものだ。

武士や軍人が国を作り国を治めた歴史を最大限に美化しようとするのが今の時代の風潮であると言えるのかどうか、人の意識の内にあることなので一億数千万人の日本人の気持ちが全て分かるというものでもないだろうが、ちょうど原発の安全神話に安心してきたように、日本の歴史について知っていて歴史が分からない無頓着な国民がほとんどではなかったのか。

だからこそ、知らないうちに、気付かないでいるうちに、気がついたら戦後最大の危機と強調せざるを得ない状況に驚きさえ口にするのだろう。

何故、未だに宗教上の違いについて日本人は目を見開こうとしないのだろうか。国を亡ぼすほど恐ろしい宗教が日本に存在しているにも関わらず、何故いつまでも実体を知ろうとしないのだろう。

仏教と日本神道の教義は天地の差ほどもあり、雲泥の差があることを知らないでは戦後最大の危機でさえ、一難去ってまた一難が続く始まりを見ているに過ぎない。しかも日本は法華経誹謗の謗法が充満して久しい国である。

諸悪の根源に対しては無関心で邪宗も許しているくせに、大変と気づくか事が起こってからだけ戦後史上最大の危機などとは虫が良すぎるだろ。もちろん同士討ちをやってる場合ではないと思うだろうが、次なる難が待ち受けるだけだ。

日本人がそれぞれの立場で感ずる何らかの危機意識の全ては仏教を正しく信じればすべて解決することばかりである。敢えて破仏法を犯してまで世の中の不合理を糾弾しようとしても謗法の恐ろしさも知らぬが故の難に遭うことに決まってるだけだ。

日本人は信仰の寸志を改めることを最も第一としなければ何事も成就しないのは仏説の教えのとうりである。


34. 2013年8月13日 21:15:31 : bjne0tChHg
>>33
法華経の講釈はよそでやってくれ。

35. 2013年8月13日 22:00:31 : diw4Fg6yFs
あの唄が始まると急いでスイッチ消します。
みんな同情心一杯の表情で小奇麗な格好して綺麗な花一輪持って。
偽善と欺瞞の象徴ですね。本当にむかつきます。
被災者はどんな思いで見るか想像力の欠如甚だしいと思います。
太郎君の様に何故素直に「原発反対!絶対反対!」と言えない?
西田も奥歯にものの挟まった様な「悔しいです」なんて言っていて意味不明。
皆自分の明日の飯のタネの心配してるんでしょうね。

36. 2013年8月13日 22:45:06 : ITcxbkH7JQ
>>35 全くあなたのおっしゃるとおりです。
誰かが不幸な目に遭うと、必ずこのような偽ヒューマニストたちが出てきます。そいつらは基本成功者で、貯金通帳には何億円もの金を蓄えているがそこからは一銭も拠出しようとはしません。チャリティ・コンサートなどは印税で何十億も儲けているやつが、自分の金は出さずに貧しい観客から集めた金を、まるで自分の金のように差し出して自身の名声に資するというふざけたイベントです。
 アジアやアフリカの飢えた子供たちを頻繁にTVを通じて現地取材している女性司会者。「かわいそうですね。」という自分は、都心の10億円の豪邸に住んでいる。そんな人間が取材すること自体が人を馬鹿にしているのではないしょうか。

37. 2013年8月13日 23:07:22 : 3PJAqRzx3M
>もし小林のいう「虐げられた人たち」や辺見のいう「ホモ・なんたら」が体制の側>についているように見えるのだとすれば、それは「虐げられた人たち」や「ホモ・>なんたら」が知識人や左翼活動運動家の本質(=体制の代弁者、補完者)という本>質を見抜いてそれに批判的に振舞うからだ。
>だから知識人たちから、かれら「虐げられた人たち」は体制の順応者、裏切り者と>断罪される。が、じつはそうじゃない。

では、なんでその「虐げられた人たち」や辺見のいう「ホモ・なんたら」は、体制の本体である「富裕層、資本家、大企業関係者、高級官僚たち」を攻撃しないのかね?

体制についた方がうまい汁を吸えると考える「虐げられた人たち」も多いからではないかね?


38. 2013年8月13日 23:40:32 : ZwNM9esa2g
NHKのチャリテイコンサートなんて忘れ去られようとしている老人の芸人・歌い手さんを使ってNHKが入場料徴収金を何処に支援しているのでしょう?
もしかしたら、社員の給与の一部?かもしれません?

39. 2013年8月14日 02:09:53 : CXFYeFZFdE
ファシズムのこと、、。
ファシズムは、――その国の支配勢力・権力者が自らの利益を守るために行う行為で、国民全体を彼らに従順にさせて置くための暴力的・専制的な政治支配の形態のこと、、、かつてのヒトラーのドイツや大日本帝国憲法下の日本、またソ連や東欧の崩壊したあのニセ社会主義の国々などがそれだった。今の北朝鮮などもそうだろう。――独裁的政治支配のシステム。

今の日本は、ファシズムとは全く無縁の民主主義国家だろうか??
戦後に、普通選挙権による議会による政治、三権分立のシステムの国となった。それで一見してファシズムとは無縁の国に生まれ変わった。形式的には民主主義の国となった。確かに20年程前まではそう言えたのだ、、。だが、

1994年に、その政治システムが全く変えられてしまった。衆議院(帝国議会)の選挙制度が、小選挙区制度に変えられてしまったのだ。
小選挙区制については、当時の新聞世論調査で国民8割近くが反対していた。大事な選挙制度を変えるに当たり、その圧倒的反対世論を踏みにじり、自民党などが国会で強行採決した。――そのように現在の衆議院選挙制度は、そもそもファッショ的に国民に押し付けられた政治システムだ。それで、中身が次のようにさらにヒドイ。
昨年の衆議院選挙で自民党が得た絶対得票率は小選挙区で24.67%、比例で15.99%だった。しかし議席支配率は61.3%となった。←←これが民主主義ですと言ったら、分数・比例の意味について理解できるようになった小学生たちにきっと信用されないだろが、だがそんなことが大人の世界では実に通用しているから何ともバカバカしい。
そのように小選挙区制は、主権者の意思を反映しない全く非民主的なシステム、少数者による多数者支配を可能にした社会的装置になっている。

アメリカ多国籍企業に押されそれに習い、、、日本の大企業・財界は規制緩和・新自由主義政策の時代に突入した80年代後半、、、、、、これからは農民票はいらない、中小零細商工業者の票もいらない、イギリスやアメリカのように、高額所得者・富裕層を中心に二十数%の支持があれば政治を支配できる仕組みをつくろうと小選挙区制が導入された。―――少数者による多数者支配・ファシズム―――小選挙区制は形式民主主義まで破壊=民主主義の骨抜き。

では、日常生活では自由に意見を言い合えるだろうか???
まず公務員は政治活動を禁止されている。
それでは民間企業ではどうか、大企業はもちろん大半の職場にあって私たちは自由に意見を言えるであろうか?そんなことをしたら多分、間違いなく職を失うことになるであろう。
新聞社、TV局はどうか?遠慮なく報道すれば企業広告収入が無くなり倒産するだろう。
誰もが裁判を起こせるか?時間があっても金がない私にはそれはできない。そんなことをすればきっと子供達の就業にまた親戚にも迷惑をかけるだろう等考えてしまう。

この世の守銭奴たちは、互いにサバイバルに生きる運命にあり自制することができない。大変迷惑だが、彼らの利益の為に働かされて、上手に騙されてまたそのシステムに私たちは巻き込まれる――富裕層の富裕層による富裕層のための政治システムに―――北朝鮮とはあきらかに違うが、内実は同じ、巧妙に、ずる賢く国民をマインドコントロール下に導いていく、、、反吐が出るような、、、


40. 2013年8月14日 02:14:18 : A8CssWaNIg
伝統的な抒情の惰性が、ことの本質や責任をうやむやにしてしまう。

*** 花は咲く、花は咲く、私たちはこの歌に心から共感いたします! ***

我々はこのような抒情の花に酔わされてしまう前に何ができるのか。先の大戦では、新聞ラジオが大衆を駆り立てた。次の戦争は、テレビとネットが必ずその役割を担う。米国にはFoxtvが、日本にはNHKが、ある。

私たちには抵抗のための場所がない。


41. 2013年8月14日 09:36:50 : oXwa9M7coc
辺見庸のBotが閉鎖となったようだ。

 辺見庸_Bot ‏@HenmiYO 1時間
管理者から: 権力に迎合して皆が口をつぐむこの時代に、辺見庸氏の言葉の重みがひとすじの光のように心に届けば…という思いでこの BOT を始めましたが辺見氏に不快な思いをさせてしまいました。氏に無断で著作の文章をネットに載せた事を深くお詫びするとともにBotを閉鎖いたします。

「辺見庸氏の言葉の重みがひとすじの光のように心に届けば…という思いでこの BOT を始めましたが」とあるが、度しがたい自己中であり傲慢である。辺見庸の顔写真を付けてあたかも辺見自身がツィートしているように偽装している。過去に辺見が発言した言葉の断片を拾い出してツィートしていた。これは犯罪である。

辺見は今日のブログでこう書いている。

・なりすまし、というのがいるらしい。わたしの文章を解体・分離し、毎日、それらの断片をわたしの写真とともにせっせせっせとばらまいているのだという。ご苦労なことだ。サイバースペースではIDも著作権も肖像権もあったものではないから、とくにおどろきはしない。なりすましが「わたし」とおもわれ、わたしのほうが逆になりすましとみなされたりする。わたしがなんの齟齬もなく「わたし」であろうとするほうが楽天的にすぎるのだ。いまは亡きJ.Bに言わせれば、「つまるところ、客体と主体はひとつだ」。この根源的な等価性を理解できるばあいにしか、いまの世界というものの本質(もしも本質があればの話だが)を見とおすことはできない。殺戮者と犠牲者の最終的等価性というやつだ。ところで、わたしから言わせれば、つきなみだけれどもじゅうぶんに執拗で暴力的なこの妨害に、情状酌量は適用されるだろうか。J.Bは、適用されない、と断じている。理由は面倒だから書かない。ただ、ふとおもふ。危険だな。なりすましにはどうやら誤解があるようだ。「わたし」がごくおとなしく、フツウに正気で、平和的で、非倒錯的で、いわゆる正義の味方だ・・・という平板な誤解。残念だ。(2013/08/14)


42. 2013年8月14日 10:01:27 : he7ZaS5l0M
「フツウに正気で、平和的で、非倒錯的」な人が、「オレはそうじゃない」と背伸びして自己主張すると、辺見みたいになっちゃうのね。何というか、身についていなくて、読んでいる方が恥ずかしくなっちゃうわけね。この「今日のブログ」がその典型(笑)

で爺


43. 2013年8月14日 11:00:09 : ASkfWNgKO6
辺見氏を「フツウに正気で、平和的で、非倒錯的」な人、だと思っている時点ですでに勘違いしている。
辺見氏ほど数々の修羅場をくぐってきた人はそうはいない。そういう人が「フツウに正気で、平和的で、非倒錯的」なままで居るって言う方が無理かもしれないが。
身についていないのは君の方なのだ。君が辺見氏のように語ったら「読んでいる方が恥ずかしくなっちゃう」がな。で自陰 君よ。

44. 2013年8月17日 22:18:27 : NRvAM7Ti0k
『花は咲く』の「いつか生まれる君に」「私は何を残しただろう」という歌詞は
どうしても散る花のように思えてならず、「花は花は花は咲く」というサビを
「花は花は花は散る」と聞いてしまう。

私は311への喪失感から抜け出せていないのだろうか?


45. 2014年1月11日 15:36:50 : TYWAmVJtZg
「花は咲く」は、復興支援というよりも、現実を見ずに、幻想の中に佇む、無力感あふれる歌だ。少なくとも歌詞は。

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