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8月10日 東京新聞「こちら特報部」
安倍晋三首相は、内閣法制局長官の首をすげ替えるという荒業で、集団的自衛権の憲法解釈見直しに突き進む。「法の番人」「憲法解釈の番人」とも呼ばれる法制局長官。自らの意向に沿う人物に強引に代えるという禁じ手だ。海外での武力行使に道を開く重大な変更。改憲に匹敵することが、国民や国会の議論を経ないままに進められようとしている。 (小倉貞俊、荒井六貴)
◆「内閣全体で決める話だ」
「内閣全体で決める話だ」。八日、首相官邸で内閣法制局長官の辞令を受け取った小松一郎氏は、記者団から「集団的自衛権問題にどう対応するか」と問われ、こう答えた。
小松氏は過去の著書で、集団的自衛権の行使に関して容認論を展開するなど、解釈変更に前向きとされる。菅義偉官房長官は記者会見で、小松氏の起用について「国際法の分野をはじめ豊富な知識と経験を持っている」と説明。憲法解釈の見直しについては「あくまでも内閣の責任において行う」と強調した。集団的自衛権の行使について、内閣法制局は一貫して、憲法九条との関係で行使できないとの立場をとってきた。
一九五九年、林修三長官は参院予算委員会で「外国を援助するために武力行使を行うという集団的自衛権は、憲法に認められている自衛権の範囲には入らない」と答弁。その後も高辻正己長官が「わが国と連帯的関係が仮にあるとしても、他国の安全のためにわが国が武力を用いるのは憲法九条の上では許されないだろう」、吉国一郎長官が「他国への侵略を自国への侵略と同じように考え、その他国が侵略されたのを排除するための措置を取るのは憲法九条で容認していない」と述べるなど一貫して行使を禁じてきた。
八一年の政府答弁書で「国際法上は集団的自衛権を有しているが、わが国を防衛するため必要最小限の範囲にとどまるべきで、集団的自衛権の行使はその範囲を超え、許されない」とし、現行の憲法解釈が確立した。
八三年には角田(つのだ)礼次郎長官が解釈変更について「集団的自衛権の行使を憲法上認めたい、という考え方を明確にしたいなら、憲法改正という手段を取らない限りできない」と答弁した。
湾岸危機の際、米国に国際貢献を迫られた海部政権は九〇年、自衛隊による多国籍軍の後方支援を盛り込んだ国連平和協力法案を提出。「国連決議に基づく集団安全保障措置は合憲」という新解釈に踏み込もうとしたが、工藤敦夫長官は「武力行使と一体化すると評価される参加は憲法上許されない」と答弁し、ブレーキをかけた。
イラクに自衛隊の本格派遣が始まった二〇〇四年には、安倍晋三自民党幹事長が「国際法上で権利(集団的自衛権)を有しているのであれば、わが国は国際法上それを行使することができるのか」と質問。秋山収(おさむ)長官は「国家が国際法上で集団的自衛権を有しているとしても憲法その他の国内法によりその権利の行使を制限することはあり得る」「集団的自衛権は憲法上行使できず、その意味において、保有していないと言っても結論的には同じである」と切り返した。
そもそも、内閣法制局は、どんな組織なのか。
一八八五年に、内閣制度の発足とともに内閣直属の「法制局」として設置。一九六二年に今の内閣法制局になった。
憲法や法令の解釈で疑問があったり、各省庁間で見解が分かれたりした場合、意見を述べる。また、内閣が提出する法律案や政令、国会の承認が必要な条約が、憲法などと矛盾しないかなどをチェックする。
職員数は約八十人で、幹部候補(キャリア)である総合職は独自に採用しておらず、長官ら幹部を含め過半数は他省庁出身者で占める。
歴代長官は、すべて内部から昇格している。大蔵(財務)省や自治(総務)省、通産(経済産業)省、法務省から内閣法制局に参事官として入り、憲法解釈を担当する第一部長を経て、ナンバー2の次長、それから、長官に昇格するコースが続いてきた。コースが固定されていたのは、時の政権に都合のよいような人事をさせないようにするという狙いもあった。
小松氏の就任は、内部昇格の慣例からはずれ、外務省出身者の起用は初めてで、極めて異例だ。
歴代の長官経験者はどう見ているのか。
第一次安倍内閣で、長官を務めた法政大法科大学院の宮崎礼壹(れいいち)教授は「国会で、急な答弁を求められることもあり、法律の専門集団として、修練が必要だ。長官は頭がいいだけでは務まらない」と指摘する。
宮崎氏は否定するが、長官当時、安倍首相から解釈の変更を指示され、宮崎氏は激しく抵抗したといわれている。集団的自衛権の行使について、「自衛隊がどこまでの範囲で活動できるかというのは、周辺事態法などで議論を積み重ねてきた。一貫して行使できないと言ってきた。国民にそう説明してきたのに、解釈次第で行使できるというのは、理解に苦しむ」と話す。
「行使を容認するのは、これまでの政府解釈を百八十度ひっくり返すことになる。行使できるようにするには、憲法を変える必要がある」
小泉政権で長官だった阪田雅裕弁護士は本紙のインタビューに「長官が交代したからといって、見解が好きに変わるものではないし、もしそうなら法治国家ではあり得ない。法制局は論理の世界で、政治的判断が加わる余地はない」と言い切っている。
別の長官経験者の一人は「湾岸戦争以降、憲法九条の『武力行使はできない』という大筋は変えずに、具体的な事態に対応するため、議論してきた。今回は米国への攻撃を想定しているが、米国は本当に、日本に行使を望んでいるのか。想定が抽象的すぎて、議論する対象と感じない。法制局がしゃかりきに解釈を変えようとしても、国民が納得しなければ、意味がない」と冷ややかに見る。
高作(たかさく)正博関西大教授(憲法学)は「これまでの政府見解では、憲法を変えないと行使できないとされ、国民の判断に委ねられているはずだ。解釈で変更するのは、国民の判断する権利を奪うことになり、クーデターに近い」と批判する。
「立法の中枢 知られざる官庁 内閣法制局」の著書のある西川伸一明治大教授(政治学)は、内閣法制局のあり方が試されると指摘する。
「内閣の言いなりで解釈を変えるのは、『法の番人』としての意味がなくなり、自殺行為だ。憲法はそのままで、時代が変わったから、集団的自衛権を行使できるという論理は成り立たない。法治国家として憲法を破壊する行為は許されない。長官経験者らが苦言を呈するのは、現役の職員に向けたエールだろう」
<デスクメモ> こんなことで、法治国家といえるのだろうか。長い時間をかけて積み上げてきた憲法解釈が、時の政権の意向で簡単に変更されてしまう。憲法そのものの権威もおとしめる。変更したいなら、正々堂々と改憲を国民に問うべきだ。それができないから、小ずるい手段をとるしかないのだろう。 (国)
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