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私事片々(不稽日録)2013.8.8〜  極右政権の夜郎自大はますますフツウにとどまるところがない。 辺見庸ブログ
http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/355.html
投稿者 ダイナモ 日時 2013 年 8 月 10 日 21:46:25: mY9T/8MdR98ug
 



・この炎熱!きょうも貧しくてからだの弱いひとびとから順番に、ポッポッと命の火種を消していくことだろう。3年前の夏にも、たくさんの貧しいひとびとが亡くなった。そのとき「ツユクサの想い出」というエッセイを書いた。じぶんで書きながら、石を呑んだような衝撃を受けたのでまだ憶えている。いま反芻し、ふたたび予感している。

3年前の夏、76歳の老人が熱中症で死んだという“よくあるできごと”について調べていておどろいた。なににおどろいたかというと、「フツウ」にであった。あるいはどこにでもよくあるだろう日常というものの、そのじつ、 尋常ではない惛がりと灼熱と孤独に、絶句した。

老人には月額7万円ほどの年金があった。妻をなくし、腰痛ではたらけない息子と家賃5万5千円のアパートでくらしていた。不幸ではあるが、この不幸せはきわめて例外的とまでは言えない。大別するならば、極貧にちかいけれども、他にもあるフツウの貧しさだろう。老人は役所に生活保護を申請し、あっさり断られた。これもよくあるケース。生一本の老人は節約のため、みずから電気、ガス停止の手つづきをした。したがって、エアコンがあっても冷房はできない。電球があっても真っ暗。懐中電灯とカセット・コンロだけの穴居生活みたいなくらしが、死ぬまで10年ほどつづいた。

2013年8月8日のいま現在も、そのようなひとびとが暑熱のなかで息もたえだえになっているだろう。「てきせつにエアコンを使用してください」といわれても、そうできないひとびとがいくらでもいる。あの76歳の老人は、死後1時間以上が経過していたのに、検死時、直腸内の温度が39度もあったという。

わたしは書いた。「この死はとうてい尋常ではない。まったく同時に、この死には私たちの居場所と地つづきのツユクサのようなふつうさが見える。異様とふつうが、ほの暗い同一空間にふたつながら平然となりたっている。それが怖い。たぶんこの国の日常とはそういうものだ。ふつうが反転して、ある日とつぜん悪鬼の顔になる」(『水の透視画法』)。

あれから3年。大震災、原発炉心溶融、政権交代・・・。どうだろう、悪鬼の顔は、いまはっきりと見えているだろうか。貧しい者はフツウによりいちだんと貧しくなり、いっときあれほど反省された原発がフツウに再稼働に道筋をつけ、極右政権の夜郎自大はますますフツウにとどまるところがない。すべてをフツウに見せているなにか。とてつもない異常を、ごくフツウと見てしまう目、目、目・・・。わたしはけふもエベレストにのぼった。ツユクサが3年前とおなじく花びらを閉じて合掌していた。わるい予感がする。
(2013/08/08)



・東京の病院にいく。眠剤、精神安定剤、血圧降下剤2種、抗血栓剤もらう。例によって、9年間、例のごとし。これもいわゆるフツウだ。医者はいちおうヒトの顔をしているけれども、じつは脳に問題のあるまだ若いヤギが眼鏡をかけて白衣を着ているにすぎない。それはきょうびもはや病気とも言えない、あまりにフツウの障害であり、症状は〈すべての痛みへの無感動〉〈政治、社会状況、とりわけ患者の内面や固有の脳血管障害への無関心〉〈前記のことがらへの不干渉〉〈同無提案〉〈同不介入〉〈心にもない微笑〉〈曖昧な微苦笑〉〈言辞、動作、気配全般における無気力〉〈あらゆる局面における完璧な非暴力〉・・・などをもって特徴とするらしい。まったくフツウである。ただし、あのヤギがだれも見ていないところでなにをしているかは、わかったものではない。

自動料金払い機で薬代を見たら、2か月分で1万3千円ほどだった。ギョッとする。払えないひとだって少なからずいるだろう。払えないひとびとは降圧剤も抗血栓剤ものまず、「自己責任」で脳溢血を再発し、自己責任でヨイヨイになり、自己責任でのたれ死ぬほかない。

この病院にほどちかい歩道橋のたもとに老婆のホームレスがいるのを以前、見たことがある。ほんとうは老婆ではないのかもしれないが。いつも汚れたふとんを敷いて横向きに寝ていた。枕元にお茶の紙パックを置いていた。少し離れてとおるだけですごいにおいだった。あんなに小さなからだからはげしい悪臭をはなっていた。存在の芯が黙って叫んでいたのだ。タスケテ、タスケテ、タスケテ! 何百人、何千人が、ろくに彼女を見もせずに、ただ息をつめてとおりすぎたことか。すぐそばに病院があるというのに、だれかが飛びだしてきて助けようとしたか。人間ほどすさまじくにおう生き物はない。ホームレスの体臭ではない。通行人の腐れた心が鼻も曲がるほど臭いのだ。

いま、気温34度。彼女はどうしているだろう。もう死んだろうか。灼熱の路上でまだきれぎれの夢を見ているのだろうか。いや、こときれただろう。ここは満目の廃墟だ。ruin・・・砂漠ですらない。時々刻々、ひとがむきだされていく。化けの皮がはがされていく。人生の中身も、ひとがらも、こころざしも、理想も、そんなもの、なんのかんけいもございません。支払い能力がすべて。ひととはすなわち、支払い能力のことです。こまめに水分を補給し、エアコンをてきせつに使用して、夏を快適におすごしください。ただし、電気代を払えなかったら、自己責任で直腸内温度39度になって死んでもらいます。そのような死も、もうひとつのシステマティックな死刑執行である。

内閣法制局長官の超弩級デタラメ人事に怒ることができる(いかにも怒ったふりをしてみせる)のは、しごくまっとうであり、かつ、まっとうそうではあるものの、炎熱のこの廃墟にあっては、なにか高級で贅沢な仕儀のようにさえ見えてくる。じかの路面に、老いて病んだひとの横たわる、その低く熱く臭くむきだされた地平からかすむ風景を見あげるならば、ほとんどすべてのことがらに殺意をおぼえるほかはない。

こうなったらしかたがない、せめては睨めることだ。わたしにだってひとを睨めつける意思くらいはまだある。睨めてうごかざる殺意。はたと睨めて世界を刺しつらぬく、目のなかの青い刃。それをふりまわすくらいの殺意がないとはいえない。けふは駅についてからアパートに直行はせず、エベレスト*1にのぼった。いつかはかならず斃れるだろう。しかし、いま斃れるわけにはいかないのだ。だからエベレストにのぼる。麓の芙蓉の花が閉じて結ぼれていた。

若い、顔の大きな男に後ろからいきなり声をかけられた。「熱いね。死ぬね」。男がとおりこし、ふりむいた。心底うれしそうに笑っている。「みんな死んじゃうね・・・」。気持ちがほどけ、わたしも痴れた顔で笑いかえした。 (2013/08/09)



・連絡があった。〈オババは生きています! 昨日、歩道橋ちかくの分離帯にノースリーブの臙脂のワンピース姿でたって、走りすぎる車を見ながら、エヘラエヘラ笑っていました。そう見えました。歩道橋のたもとでしゃがんだとき、生白いお尻が見えました。布団はたたんでありました。離れていても臭かったです。オババは昨日現在、生きていました!〉。

うれしい。よかった。しぶとくなくてはやっていけない。いま、気温37度。生きるか死ぬかだ。ここは戦場と大差ない廃墟だ。爆煙、地響き、硝煙、瓦礫。黒く乾いた血だまり。オババはこのたび、そこをたまたま訪なうこととなった存在論的他者である。廃墟の穢れを浄めにきた異人かもしれぬ。オババに寄進せよ。オババに涼しき場所をあたえよ。このさい禁中におつれせよ。首相官邸でもよい。ゆっくりと湯浴みしていただけ。首相らは跪いてオババに無礼の段につき深く詫びよ。みずからの三百代言につき謝罪せよ。オババのお背中をお流ししてさしあげろ。そうしてあくまでも恭しく問え。じぶんの罪の深さを。この世界戦争の行方を。

さて、わたしは先月「永遠の世界戦争がはじまっている」と書いた。まだそうおもっている。夜になると、ときたま酔っぱらってメールしてくる同年配の友人も昨夜、期せずして言ってきた。「ただいま世界大戦争中!」。そのとおりである。わたしたちは目下、世界大戦争の渦中にある。逃げるか、戦うか、のたれ死ぬか、だ。歴史の錆びた蝶番がいま、きしりながらついにうごきつつある。戸がひらきつつある。ほら、そこに水羊羹のような夜(よ)のほどろが零れて見えるだろう。ほどろの色とはいえ、暮れるとも明けるともいっこうにわからない、なんとしても名状のあたわない、それが無明の未来だ。無明の未来はすぐそこまでちかづいてきている。すでにきたという説もある。オババはその讖をしめしにきたのだ。

無明の未来には、ひとびとが残り最後の市民権をも剥奪されるだろう。それは言われることを一言も信じないという権利である(ボードリヤール)。残り最後の、ひとたる、ひとであるがゆえの権利ーー〈なにも信じない〉という権利がうばいとられる。だれによって、なにによってうばいとられるのか。犬は人間によって再構成された動物である。それではひとは? ひとは神ならぬ資本によって、骨の髄まで再構成された生き物であり、資本こそが、なにごとも信じない権利=最後の人権を静かに簒奪する。一説にすでにそれは剥奪された。だから、なにかを信じるともなく信じている。そうともつゆおもわずに、ひとはこの熱波を生きる。この熱波に死ぬ。オババは死を賭して言いにきたのだ。永遠の世界戦争について。最後の人権の剥奪について。けふもエベレストにのぼった。スズメたちが臨終のアブラゼミをみんなでついばんでいた。セミは痛みとも喜悦ともつかぬ声をあげつづけていた。(2013/08/10)



・久しぶりにK君からメールをもらった。わたしよりおそらく40歳は若い友人(友人と、わたしはかってにおもっている)である。と言っても、数年前に1回しか会ったことはない。自宅でだ。ずいぶん遠いところから前置きなく私を訪ねてきたかれと、まずインターフォンで話し、なにも疑わず、部屋にきてもらった。なにを話したかはあまり憶えていない。いまもいっしょに暮らしている犬が、まだ子犬だったころである。K君は、華奢で色白でもの静かな青年というより、少年から青年になりかけの、人間がものごとにいちばん敏感で、頭が最も活発にはたらく時期にあって、だからこそ当然、いくぶん思い迷っているようにも見えた。そう見えるかれをわたしは好感した。

かれは学生運動をしているようであった。わたしもなにせ半世紀ほど前のことだが、学生運動をしたことがある。K君はかつてわたしがいた党派とはちがうセクトで活動しているようであった。2つの党派(他の党派もだが)は過去に凄惨な殺し合いをしたことがある。それは、この国の学生運動だけでなく、政治、文化、思想の各面に、いまだに視えない死の影を投げている。わたしはそうおもっている。友人のひとりは脳漿が周囲に飛びちらかるほど鉄パイプで頭を打ち砕かれて死んだという。母親を亡くしたとき、母を悼む短歌を詠み、部屋中に短冊をはりだして慟哭しつづけた男であった。報復がまた報復を呼んだ。変革をめざすというひとつの政治的党派が、変革をめざすという他の党派の者の殺害または殺害を結果することになるかもしれない暴力と身体の破壊を容認するということ。これはどういうことなのか。それは究極的に死刑容認の思想とまったく、全的に無関係でいられるものなのだろうか。そのことをK君と話してはいない。話せば、かれはかれの言葉で、かれじしんのかんがえを話してくれるかもしれない。脇道にそれた。ほんとうはあまりそれていないが、一応、脇道にそれたと言っておく。

 K君のメールは、しばらく前にわたしが毎日新聞のインタビューに答え「…日本でもホモ・サケルに近い層、言わば人間以下として放置される人たちが増えている。80年代までは、そういう貧者が増えれば階級闘争が激しくなると思われていたけど、今は彼らがプロレタリアートとして組織化され立ち上がる予感は全くない。それどころか保守化してファシズムの担い手になっている。例えば橋下徹・大阪市長に拍手をし、近隣諸国との軍拡競争を支持する層の多くは非受益者、貧困者なんです」と話したことになっている箇所への反論であった。話したことになっている、などともってまわった書き方をしたのは、同紙の引用がわたしの言葉と多少のずれがあり、話の全体のコンテクストと必ずしも合わないからだが、わたしがおおむねこのような趣旨の話をしたことは事実である。K君はこれにたいしメールで「じつはこの箇所に引っかかりを感じていました。貧困者ほどファシズムに走っているというのは本当なのかと」と反論してきた。貧困者ほどファシズムに走っているというのは本当なのか? わたしは文字どおり「貧困者ほどファシズムに走っている」と言った憶えはないが、K君の「引っかかり」は、わたしの疑問そのものでもあるから俄然身をのりだした。

 勉強家のK君は、大阪市長選挙において、平均世帯年収と橋下市長に投票した割合の関連をさぐった客観的データやグラフなどを添付して、平均世帯年収が高い区ほど橋下に投票した割合が高かった事実を教えてくれた。さらに「富裕層が橋下市長を支持していると結論づけるのは早計だが、低所得者が支持層の中核という一般的なイメージと違うのは明らか。中流層のいっそうの分析が必要」とする研究者のコメントも紹介して、「生活に追われて政治的なことを考える余裕もない人たちよりも、新自由主義と右翼的な知識を身につけた中間層とその予備軍(学生)が、維新の会や安倍政権と潜在的に意識を共有している主体ではないか」と問題提起。「いまむしろ一番警戒すべきなのは、橋下市長の慰安婦発言や在特会のような『行き過ぎ』には眉をしかめ『ああいうのを支持する人間は低学歴の貧乏人』と距離を置きながら、それと本質的には変わらない安倍首相の外交姿勢や朝鮮学校の無償化排除を『正論』、『まとも』だと支持するような『普通の人たち』の動き、増大する一方の貧困層に対して、自分だけは堕ちたくないという意識から『自己責任論』を振りかざすような『普通の人たち』の動きであって、いまおこっていることは、貧困者ではなく没落の危機にひんした中間層が保守化・ファッショ化するという古典的な『ファシズム』と捉えるほうが適切なのではないでしょうか」ーーと疑義を呈してきた。

 わたしはK君に感謝する。そして「これ以上ないくらい無邪気な装いで、原ファシズムがよみがえる可能性は、いまでもある。わたしたちの義務は、その正体を暴き、毎日世界のいたるところで新たな形をとって現れてくる原ファシズムを一つひとつ指弾することだ」というエーコの言葉をおもいだす。原ファシズムはよみがえるのではなく、よみがえったのだ、とおもう。

 今日もエベレストにのぼった。右足の調子が昨日よりよくない。意思に従わず、どうしても前にでようとしない。大きく踏みだしてくれない。よろける。目眩がする。息があがる。が、もう慣れている。動作の不如意にではなく、この甲斐のなさには、とくと慣れている。山頂でふとクロイツベルクのことを想った。約20年前、ドイツのネオナチ勢力による外国人排斥が行動化したころ。北部のメルンやゾーリンゲンでトルコ人の家が次々に焼きうちに遇い、人びとが無残に殺された。わたしはそのころ『もの食う人びと』の旅の途次にあり、トルコ人たちが多く住むベルリンのクロイツベルク地区にいた。そこで知りあったトルコ人青年の言葉をいまでも忘れない。「ほんとうのネオナチって、貧しいスキンヘッズじゃなくて、ほら、立派な背広を着て、革のソファーに座っているような、上流のドイツ紳士の心のなかにもあるんじゃないかな」。外国人排斥などぜったいに口にはしない笑顔のドイツ紳士。現実に排斥運動が起きれば、眉をひそめ、首をふりながらも、心中ひそかに快哉を叫ぶ医者やジャーナリスト。「かれらのほうがよほど怖い」と青年は語った。約20年前、わたしはベルリンから原稿を送った。「ばかげた仮定かもしれない。しかし、ドイツで私はくりかえし自問した。日本にも、ドイツのように、650万人もの外国人が住んでいるとする。…景気は低迷、失業率も高いとする。それでもゾーリンゲンの放火殺人事件のような犯罪が絶対に起きないか。ネオナチに似た民族排外主義は高まらないか。あってはならぬという主観と、起きる可能性があるという客観は別物だ。可能性を、私は否定できない」。20年前、そう書いた。K君は『もの食う人びと』を読んでくれただろか。わたしは高さ1メートルもない土盛りのエベレストをそろそろとおりた。(2013/07/18)


http://yo-hemmi.net/

*1:自宅近くにある1mほどの高さの土盛り。ガンとともに脳梗塞を患っている彼は、不自由な身体で今夏の講演を乗りきる体力をつけるためエベレストに登ることを日課としている。(ダイナモ注)
文中改行挿入:ダイナモ
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私が最初に読んだ辺見庸の著書が1998年のエッセイ集である「眼の探索」だった。それには様々なエピソードが彼独特の用語使いで語られていた。ともすればニヒリズムとも受け取られかねない独白ではあるが、その根底には確かな希望が感じられた。彼がその著書で「新しいファシズム」と名付けた情況は今ますます増殖し、拡大し続けている。



8.31講演
◎辺見庸講演会

辺見庸は2013年8月31日夕から、東京・四谷区民センターで死刑とファシズムに反対する講演(約2時間)を行います。

8月31日(土)
主催 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90 
場所 四谷区民ホール・地下鉄丸ノ内線 新宿御苑前 2番出口より徒歩5分
開場 18時15分
開演 18時45分

入場料 1500円(前売り/当日共)
前売り予約
fax 03-3585-2330
メール stop-shikei@jca.apc.org

◎8.31講演について

この酷い夏をどうやって堪えるのか。骨もとける炎熱と愚者たちの祝祭=選挙の結果、何人が死に、いったいなにが立ち上がってくるのか。わたしは年来の断念癖と気鬱症のなかで、ずっとぐずぐずと想いまどっておりました。現状は、私見によれば、すでに堪えがたいものであります。わたしや皆さんが多少これに抗ったところで、明日がどうなるというものでもないことは言うまでもありません。しかし、堪えるべきではない現在にじっと堪えるのと、どうかんがえても勝ち目がなく、きわめて悲観的で不確実でもある未来のために、ここで現状に抗ってみることーーのふたつは、さしたる異同がないようでいて、この酷い夏の実存の過ごし方としては、大きなちがいがあるようでもあります。で、わたしは前者よりも後者、すなわち、沈黙と忍従よりも不確実な反抗に賭けてみることにしました。今回の講演は、これまでのように主催者側の要請によるものではなく、わたしがはじめて(年がいもなく)衝動的に志願し、主催者側がこれを快諾して、多忙ななかを慌ただしく準備してくれているものです。「フォーラム90」の友人たちに心から感謝するとともに、わたしは8月31日、いま語るべきこと、語ってはならないとされていること、語っても詮ないとみなされていること、語ろうとして語りえないこと、とりわけ、死刑とファシズムについて、心中の解けない塊を吐こうとおもいます。状況の全般的悪化のなかで、わたしはいま、次の絞首刑の執行が用意されていると予感せざるをえません。国家はかつて以上に暴力化しつつあります。これにただ口をつぐみ、目をそむけ、すべてを冷殺するだけでよいものかどうか・・・。わたしたちの日常が、真剣に想いをいたすべき大状況から、いまほど断絶させられているときはありません。生身の個が大状況に突き刺さり、沈黙と忍従よりも不確実な反抗に賭けてみることとは、いったいどういうことなのか。それは可能か不可能か。8月31日夜、拙いながらも必死でお話しいたします。講演ポスターを添付しますので、皆さんの周辺にお知らせいただければ幸いです。

辺見庸
2013/07/11  

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コメント
 
01. 2013年8月10日 23:46:36 : DavyLlJwp2
>何百人、何千人が、ろくに彼女を見もせずに、ただ息をつめてとおりすぎたことか。すぐそばに病院があるというのに、だれかが飛びだしてきて助けようとしたか。人間ほどすさまじくにおう生き物はない。ホームレスの体臭ではない。通行人の腐れた心が鼻も曲がるほど臭いのだ。

ほんでね

>いま、気温34度。彼女はどうしているだろう。もう死んだろうか。

あのね、辺見さん(笑)見ただけ俺はマシかい?見てないわけではないのよ、共同通信社の元記者以外の通行人も。それで、あなたと同じような矛盾を感じながら、通り過ぎてんの。たとえ、一瞬でもね。本当に見えてないね、この人は。

で爺


02. ダイナモ 2013年8月11日 00:45:50 : mY9T/8MdR98ug : 5RwHBaG4ss
>>01
それほど単純なことではない。

辺見庸がこのことを書いた背景にはオウムの地下鉄サリン事件での体験があるからだと思う。

当日の朝、事件現場に居合わせた辺見はホームで苦しんでいる被害者を背負い吐瀉物を背中に浴びながら地上まで何度か往復した。その間、同じ電車に乗り合わせたサラリーマンの集団は、被害者がホーム上で倒れて苦しんでいる間をまたぎながら会社に急いでいたという。彼らには確かに被害者達が目に入っていたが、会社に急ぐという「日常」を優先した。辺見のように被害者を助けようとした人はごく少数だった。私もその場に居合わせたら辺見のように行動できたか自信がない。

多くの人々にとって「日常」の持つ慣性力はあらがいたがい力を持っているようだ。


03. 2013年8月11日 01:28:38 : FfzzRIbxkp
辺見さんの講演聞きたいな。
自分のように政治に無頓着だった人間さえ、原発事故後の政府や利権者たちの対応に驚きと失望を隠せない。
ガン・脳梗塞をわずらっても、講演をする辺見さんの話、貴重だと思う。

>2さんのコメントのオウム事件のときのこと。
 人間の本性ですよね。 私だって、知らんぷりをしたことあります。
 だけど、その後押し寄せる自責の念に自分がおしつぶされそうになりました。
 自己保身で逃げた。
 思いだすと謝罪しかないです。相手はあのときはしょうがないよと、許してくれ ますが、それ以降、私は知らんふりができない人間になりました。

 対応に不手際ばかりです。
 だけど、 危険なものを安全だと嘘をつく人間はまっぴらごめんです。

 今は沈黙することが、知らんぷりをしているのと同じことなのでしょうか。

 共同通信社の方は、いらっしゃるのでしょうか。


04. 2013年8月11日 07:05:03 : DavyLlJwp2
>>2 辺見の歪んだ目にはそう見えたということじゃないの?実際は、異常を察して、現場から一刻も早く逃れようとしていたんだとオレは思うよ。自動起床装置、もの食らう人々、の頃から、この人の観察をオレは信用していないからね。で爺

05. 2013年8月11日 07:55:41 : ITcxbkH7JQ
>>04 少し前に、電車に足を挟まれた女性を皆で助け出し、日本人が世界中から絶賛されたというスレがありましたよね。そのとき、これは日本人特有のものなのかどうか議論にもなりました。そのとき私は、日本人というのは皆で一緒にする状況が整えば、それが人助けであろうと逆にいじめであろうと積極的になるのが日本人なんだというようなことを言った覚えがあります。ここで通り過ぎたように見える日本人も、あのとき皆で助けた日本人も同じ日本人なんじゃないでしょうかね。(OVNI)

06. ダイナモ 2013年8月11日 09:16:17 : mY9T/8MdR98ug : 5RwHBaG4ss
>>04
それはあなたの思い込み。次のサイトを読めばそうだと分かる。
http://homepage2.nifty.com/enryuji/howa/howa9706.html

>>05
ふたつは状況が違うから比較することはできない。サリン事件の場合、通勤客は毒ガスだとは気付いていない。泡を吹いて倒れて苦しんでいる人を見ても「何だか知らないが具合が悪くなった人」ぐらいにしか思わなかったのだろう。そうした人々を見ても「会社に急ぐ」という彼らの「日常」を破ることにならなかったという事が何を意味しているか。人間とはそういうものであるといってしまえば希望も何もない。


07. 2013年8月11日 10:04:17 : DavyLlJwp2
>>6 なるほど。これは私の「思いこみ」だったかな。失礼。

しかし、発生当初は、誰にも状況がよく分かっていなかったとしたら、このサラリーマンのような対応になるのも仕方ないんじゃないの。日常性を破るだけの情報が無かったのだから。周りの人間がどういう対応をとったかは、目撃者が事件に遭遇した場所にもよるだろうね。「資本主義の非人間性」みたいな左翼のお題目で安易に括れる話じゃないね。

>>5 私のよく行く駅の近くには、いつも手足の無い乞食がいてね。歩道に寝そべって、ものごいしているの。タイ人は喜捨が好きだから、そういう人は「受ける」のね。ま、こういう人が自分でその場所まで来れるはずは無いから、誰かが金儲けのために連れて来るのね。タイでは日常的な光景だけれども、彼らも、多くの場合、無視して通り過ぎるね。だって、これだけの問題を、個人では引き受けられないからね。


08. ダイナモ 2013年8月11日 11:00:29 : mY9T/8MdR98ug : 5RwHBaG4ss
>>07
>日常性を破るだけの情報が無かったのだから。
>周りの人間がどういう対応をとったかは、目撃者が事件に遭遇した場所にもよるだろうね。

いやそういう問題ではない。
ホーム上に人々が泡を吹いて倒れている光景は十分に「非日常」ではあるが、それを多くの人が目にしながら助けようともせずに倒れている被害者をまたぎながら「会社ヘ急ぐという日常」の行動をとったという事実は多くのことを示唆していると思う。

>「資本主義の非人間性」みたいな左翼のお題目で安易に括れる話じゃないね。

誰が「資本主義の非人間性」などと言ったのか。無関係な題目を持ち出して問題の意味をねじ曲げようとするのはよくない。


09. 2013年8月11日 12:20:11 : ITcxbkH7JQ
 覚えている人もいると思うけれど、しばらく前に中国で、車にはねられて横たわっている人を尻目に、次々とシランふりして横を通り過ぎていく様子が映像で紹介され、「中国人とはなんて奴らなんだ」と怒りを買っていました。ダイナモさんはこれを中国人に特徴的なことだと思いますか?それとも一歩間違えば(状況がそろえば)中国以外でも起こりうることだと思いますか。
 私は、人間とはこういうものだと理解しながらも、こうであってはいけないと思っています。これは本音です。
 
 

10. 2013年8月11日 12:31:43 : VhlQQ2dFHU
その社会で恵まれていない、欲求不満を抱える層が、尖閣,竹島の領土問題や中国に対するネガティブな報道に過激に反応し、安倍や橋下支持に走る。
恵まれない層は、自分が低収入のため生活保護者がいいことをしているように見えてしまう。貧乏人同士が相争い一見強硬な屁理屈に騙される。

現状に対する認識はこのとおりだろう。労働組合は恵まれた組織労働者を集めた連合以外にはほとんど影響力を持たない。恵まれない層を組織化できていない社会の問題点がここにあるのはそのとおりだ。もちろん自己責任も必要だが相当数の人を食えるか食えないかの水準に叩き落とす経済、社会システムになってしまっている。市場原理を強調するだけでは必ずそうなる。


11. ダイナモ 2013年8月11日 12:35:17 : mY9T/8MdR98ug : 5RwHBaG4ss
人間って環境によっていくらでも変わるもんだと思うんですよ。性善も性悪もない。
普段家族思いの優しいパパでもそうした縁されあれば人を何百人殺しても名誉だと考える。普段ならただの殺人鬼だが環境が変われば英雄となる。
ただすべての人がそうかというとそれは違う。その違いはそれまでの広い意味での経験によるところが大きい。そこに希望がある訳です。
中国人も日本人も置かれた環境の影響が大きいと思う。

12. 2013年8月11日 12:46:03 : DavyLlJwp2
>>8 でも、本文で、ボードリヤールを引用して、お題目的な資本批判をやっているじゃん。

「連絡があった」というこことは、辺見は、このおばあさんを病院に運んだかなんかして、付き合いができたという事なのかね?それならば、>>1 は撤回するけどね。

で爺


13. 2013年8月11日 12:47:51 : hSHcJHF4GU
>01. 2013年8月10日 23:46:36 : DavyLlJwp2
>あのね、辺見さん(笑)見ただけ俺はマシかい?見てないわけではないのよ、共同通信社の元記者以外の通行人も。それで、あなたと同じような矛盾を感じながら、通り過ぎてんの。たとえ、一瞬でもね。本当に見えてないね、この人は。

>で爺

このとろこ「で爺」氏のコメントに批判的に接してきたが、このコメントだけは一本やられた感じ。まいりました。まったくそのとおり。
思った以上に、この「で爺」さん、思索することに生まれつきの深い素養がある。
しかしわたしは「で爺」さんとは違う視点から辺見の一方的な独断に反論したい。
たとえばデンマークやスエーデンには辺見が嘆くような老婆のホームレスはいない。それは夜中になると一種の野良犬狩りのように救急車が市内を徘徊し、ホームレスをみると有無をいわさず拘束して施設に収容するからだ。
これを福祉とみるひともいるだろう。しかしその老婆がほんとうの自由を浴し、ささやかな、それこそ常人には理解できないほどささやかなことに歓びを見出してそこでホームレスをしていることは考えられないか?
辺見のような大NHKしか出演しない大物とは違う底辺の生活を体験した人ならそれはわかるはず。
老婆が長いあいだ歩道橋の下でホームレス生活を続けられたのは、ある意味、日本人独特のやさしさのせいだ。外国なら即、生ゴミ同然に撤去、排除されるだろう。
腐臭を放つ老婆をみてみぬふりをしてしばらくの自由を与えていた人々の孤独なやさしさに気づけよ、おい。辺見。
こいつの文言、いちいち腹が立つのは、なにかひとりで悶絶している姿があまりにもコッケイであると同時に、なーーーーーーんにもわかっていないインテリ野郎独特の胡散臭さが鼻につくからなのかもしれない。

いずれにせよ、で爺。いいコメントだったよ。見直した。


14. 2013年8月11日 13:52:01 : rLuGA2XO3E
02. ダイナモ 2013年8月11日 00:45:50 : mY9T/8MdR98ug : 5RwHBaG4ss
>>01
それほど単純なことではない。
辺見庸がこのことを書いた背景にはオウムの地下鉄サリン事件での体験があるからだと思う。

当日の朝、事件現場に居合わせた辺見はホームで苦しんでいる被害者を背負い吐瀉物を背中に浴びながら地上まで何度か往復した。その間、同じ電車に乗り合わせたサラリーマンの集団は、被害者がホーム上で倒れて苦しんでいる間をまたぎながら会社に急いでいたという。


ダイナモってアホウか?
おまえ辺見がそのことを書いた本、ちゃんと読んだのか?
辺見はそんなことを問題にしていたのではない。
辺見自身が通勤途上で出くわした突然の出来事に戸惑い呆然としていたことは書いているはずだし、また、
辺見は、好奇心からあまりにも冷静な態度で被害者たちから情報を得ようとしたために救助活動をしているおばさんたちに「なんて非常識な」となじられている。
そのおばさんたちに対して辺見は「憎しみを覚える」と書いた。
つまり辺見はダイナモのいうようなことではなく、むしろ事情を知らないでふつうに通り過ぎる人たちや好奇心だけで冷静に情報活動をしている人をあたりまえとみなし、そういう人を侮蔑する救助活動者つまりはボランティア的な人たちを「憎しみを覚える」と書いているのだ。
このことの意味はたいへん重要なことでね、ダイナモにわかるとはとうてい思えない。
だから辺見が救助活動をしたのにサラリーマンが知らないふりをして通り過ぎた云々という通り一遍な読み方しかできないのだ。


15. ダイナモ 2013年8月11日 15:12:50 : mY9T/8MdR98ug : 5RwHBaG4ss
>>14
辺見がサリン事件の現場に居合わせた時の状況を書いた本は買って読んだ。

>好奇心からあまりにも冷静な態度で被害者たちから情報を得ようとしたために救助活動をしているおばさんたちに「なんて非常識な」となじられている。
>そのおばさんたちに対して辺見は「憎しみを覚える」と書いた。

まったくのデタラメ。
君のいうような「好奇心」が動機で吐瀉物を浴びながら被害者を背負い誰がホームと地上を往復するものか。

>だから辺見が救助活動をしたのにサラリーマンが知らないふりをして通り過ぎた云々という通り一遍な読み方しかできないのだ。

捨てIDの君の書き込みのような「読み方」は誰だってできない。何とかして辺見庸をおとしめようとする君の作為だけは読み取れる。

できるだけ多くの人に今月末の彼の講演会に参加してほしいものだ。


16. 2013年8月11日 17:22:51 : LLfKRAM1K6
>15. ダイナモ 2013年8月11日 15:12:50 : mY9T/8MdR98ug : 5RwHBaG4ss

おいおい。w
本の題名も、記載箇所も示さず、当該発言のコピーも載せずに、わたしをデタラメ扱いするとはあきれたやつだ。
わたしが読んだのは
【辺見庸「不安の世紀から」角川文庫(1998)】だ。
記載の箇所は pp.237-268までだ。おまえもちゃんと読んでから反論しろ。
このバカタレ。あきれてものもいえんよ。
もっとも辺見は他の著作や作り物である小説「ゆで卵」でもそれを題材にしているがあくまでも小説は虚構だ。おまえまさか小説がそのままほんとうのことだというのじゃあるまいな。

17. 2013年8月11日 17:42:00 : LLfKRAM1K6
追記

概略を記すとこういうことだ。
辺見は駅員が抱えて地上に運び出した被害者を介抱しながらいろいろ聞きだす。
ダイナモ、おまえのいうように地下鉄構内から運び出したわけじゃない。
行きたくても改札にさえぎられて行けなかったわけだ。
で、辺見は記者魂からいろいろと被害者に聞くわけだ。
ある被害者の吐しゃ物をみて「今朝、シリアル食べたの?」とか尋ねる。
「なんか耳蛸みたいだね」などとのんびりしたことをいう。
そして辺見は一服つけるためにタバコに火をつけるわけだ。
それを辺見の言う「野次馬」(てめえも野次馬じゃねえか!)が「こんなときにタバコなんて! 非常識!」と非難する。そりゃそうだ。タバコの煙は血圧に非常に敏感に反応する。辺見のいう野次馬のばあさんたちが怒るのも無理はない。
ところが辺見はそのばあさんたちを「こういう野次馬をわたしは憎む」と書いた。
あきれてものもいえない。
おまえも野次馬なんだ。
おまえもホームレスのばあさんを無言でまたいでいったひとりなんだ。
....という視点がこいつからはごっそり欠如している。
おのれだけは独り、ヒマラヤの頂上から愚衆を見下ろしている賢人のつもりらしい。あきれてものもいえない。


18. ダイナモ 2013年8月11日 17:53:56 : mY9T/8MdR98ug : 5RwHBaG4ss
>>16
私が読んだのは1998年「眼の探索」p154-157 テーマ「皮ジャンパー」だ。
そこで記述されている中心的部分を引用する。

 あの朝、ひとしきり現場で動き回り、仕事部屋に帰ってテレビをつけたら、全局が事件を映していた。おおむね地上部分だけ。テレビ画面にはまるで犯人みたいな私もいて、救急隊員に向って何かわめいていた。革ジャンの色でそれとすぐわかった。
 しかし地下鉄構内で私が痛く感じ入った風景は少しも映っていないのだった。軍隊蟻のように改札口を目指すたくさんの乗客たち。床にへたりこんでいる被害者を、ほいほいと器用に跨いで職場へと行進する、組織にも仕事にも忠実な蟻たち。酸っぱい朝のあれだって最大の見どころだったのに…。

読んでいる本が違ったようだ。その点では「デタラメ」といった点は謝罪する。
それでは君が読んだという「不安の世紀から」の当該部分を忠実に引用してくれないか。


19. 2013年8月11日 18:08:06 : LLfKRAM1K6
じぶんで読め。おれは転写はしない主義だ。
だいじなことは改札にさえぎられて辺見が地下鉄構内には入れなかったことだ。
それを辺見はこういうときでも日本人は規則に縛られていると怒っている。
ところがダイナモ氏、あなたの読んだ本では地下鉄構内に入っているようだね。w
いったいどちらがほんとうなのか。
いずれにせよわたしはこの辺見という男はいっさい信用していない。
小説家としてはなかなかのものを書くとはおもうが批評家、思想家としては一番大事なものがごっそり抜け落ちている。

20. ダイナモ 2013年8月11日 18:08:33 : mY9T/8MdR98ug : 5RwHBaG4ss
>>17
書き込みがすれ違いになったようだ。
辺見は被害者をホームから地上に運び出している。その部分の記述はこうだ。

 で、ふと気がついたら、革ジャンの肩口にべっとりと大量の涎がついていて、パーント・シエナの色がそこだけひどく黒ずんでいた。サリンを吸った中年の外国人の涎だ。私がその白人を若い乗客といっしょに地下構内から地上に運び上げた。

辺見は「弥次馬」ではなかった。被害者の救助活動をしたのだ。

>辺見はそのばあさんたちを「こういう野次馬をわたしは憎む」と書いた。

辺見がそう書いた理由は私にはよく分かる。
それにしても何とかして辺見庸をおとしめようとする君の衝動の理由は何なんだ。


21. ダイナモ 2013年8月11日 18:20:02 : mY9T/8MdR98ug : 5RwHBaG4ss
>>19
>だいじなことは改札にさえぎられて辺見が地下鉄構内には入れなかったことだ。

この点は非常に大事だ。
君の「辺見は改札にさえぎられて地下鉄構内には入れなかった」と主張する根拠を示してくれないか。


22. 2013年8月11日 18:34:11 : DavyLlJwp2
いや、だから、改札のところから、階段を上って、地上に運び上げたということじゃないの?で爺

23. 2013年8月11日 19:55:33 : 0JukJZDhhQ
辺見氏の文章の方が夜郎自大だと思うが・・・。13さんの「こいつの文言、いちいち腹が立つのは、なにかひとりで悶絶している姿があまりにもコッケイであると同時に、なーーーーーーんにもわかっていないインテリ野郎独特の胡散臭さが鼻につくからなのかもしれない。」という意見に同感する。

24. 2013年8月11日 21:46:46 : VZfEjuIpHY
>それにしても何とかして辺見庸をおとしめようとする君の衝動の理由は何なんだ。


べつにわたしは辺見をおとしめようとしているわけじゃない。
ただ、辺見の見方からするならば、その主張の根底にあるのは、この世の人々はおしなべて一人一人が単独でかつ自発的に他者への「抑圧装置」になっているということだろう。
わたしたちは知らず知らず他者を抑圧し、また、わたしに抑圧されている他者も他者を抑圧する装置になっている。しかも自発的に。これが権力や体制の怖ろしさについての辺見の認識だ。
だとするなら辺見自らが抑圧装置である自身の苦悩を述べればいいのだ。そうではなくなぜか辺見は抑圧装置である歯車の一部から逃れていて、お山のてっぺんから抑圧装置となった通勤のサラリーマンや主婦ら愚者を眺め、激しく憎悪している。
それはちがうだろう。辺見だけが抑圧装置の歯車から逃れられるはずもない。そういう人がもしいるとすれば、それは出版資本に生活を依存している辺見ではなく、いっさいの社会的制約から離れているホームレスのおばあさんのほうだ。
辺見はわたしと同じようにあらゆる抑圧装置に加担している一歯車にすぎない。そのことの自覚がないから、片腹痛いと批判しているのだ。
べつに他意はない。こういうエセ思想家、批評家をよいしょするおまえのようなやつもわたしは反吐がでるだけのことなのだよ。
たぶんきみは内田樹なんかも好きだろう。そういう連中の精神を一度も底辺から計測したこともないのだろう。
きみにとっては辺見の言動やそれに群がる連中はある意味、芸能人に群がるミーハーのファンとちっともちがわない。


25. ダイナモ 2013年8月11日 22:34:41 : mY9T/8MdR98ug : 5RwHBaG4ss
>>24
>たぶんきみは内田樹なんかも好きだろう。そういう連中の精神を一度も底辺から計測したこともないのだろう。

君には残念かもしれないが、内田樹は私が最も忌み嫌う人物のひとりだ。

君の辺見批判は底が浅い。辺見は自身が君の言うところの「抑圧装置」から逃れられているとは考えていない。むしろ自己にそのことの自覚があるからこそ、そのことに無自覚な他者へ警鐘を鳴らすし批判という形を取ることにもなる。それが辺見を著述や講演などの活動へとせき立てている。ここでは「抑圧装置」という言葉を使ったが正確にはそんな単純なことではない。自己が生きていることにまつわる罪から逃れることができない存在であること、そのことがともすればニヒリスティックのような表現になるところではあるのだが。

2006年の「いまここに在ることの恥」P97で辺見はこう書いている。

 罪ならぬ罪も、恥じならぬ恥も、そこはかとなく滲むものです。私はいま、それをつよく意識せざるを得ない。他者にも自己にも。

で、私が >>21 で問いかけた質問に君はダンマリを決め込むつもりか。


26. 2013年8月12日 07:45:00 : DavyLlJwp2
いや、大仰すぎるのよ、言い方が。「そんなこと誰でも考えているよ・・・」ということを、ものすごくオーバーな左翼的美文調でやるから辟易させられるのね。

武田泰淳が表明し続けたような「恥ずかしさ」ならば、ぐっと重くくるのね。審判を書いたこの作家が、死の間際に、小説に書かれた内容が事実だと告白していたのを知った時はショックだった。

で爺


27. 2013年8月12日 08:14:47 : ZljxJXgVEY
>「抑圧装置」という言葉を使ったが正確にはそんな単純なことではない。自己が生きていることにまつわる罪から逃れることができない存在であること、


おいおい、あまりがっかりさせないでくれよ。
基督教の説教ならよそでやってくれ。
なにが「自己が生きていることにまつわる罪」だ。あほう。
てか、基本的に人間が生きていることそのものに罪も罰もあるか、このバカ。
そんな哲学宗教的な問題ではなく資本主義的な生産様式や生存の形式、構造が人間をそこへ駆り立てるのだ。だから抑圧装置としての人間が問題になるんだ。
だけど、
いっぽうで人間は将棋や生け花や昆虫採取や水泳や盆栽などといった、他人からみるととても小さな、ひそかなシアワセをみつけてそこに没頭することもできる。
TPPだろうと原発だろうと戦争だろうと関係なく生存できる力ももっている。
イラクやアフガンの子どもたちの目をみればわかるように日本人の目よりはるかに美しく澄んでいる。
それはかれらが生き延びるために小さな、そして何より大切なしあわせを見つけているからだ。
で爺氏がいうとおり「そんなこと誰もが考えている」し、また、その先をみんなみつめているよ。あまり庶民大衆をばかにするな。


28. 2013年8月12日 10:05:34 : ODBHMP9iaA
>>26
「そんなこと誰でも考えているよ・・・」
>>27
> 「そんなこと誰もが考えている

統治権力・既得利権集団にとって好都合なように、で自慰さんや>>27氏などのようなバイトorボランティア工作員なども動員して組織的に仕向けられているように、大多数の国民はロクに考えてないだろう。
でもなければ、半数近くが国政選挙権を放棄したり、安倍自民を圧勝させたり、マスコミへの信用度が先進諸外国と比べて際立って高いなんていう「肉屋を愛する豚」状態であるはずがない。


29. 2013年8月12日 10:10:02 : LAfFqTok6I
>大多数の国民はロクに考えてないだろう。


大多数の国民を馬鹿にする態度。
それがおまえら独特の異常さであり傲慢さなんだ。
おまえら阿修羅の低脳よりよほど考えているよ。あほう。w


30. ダイナモ 2013年8月12日 11:24:51 : mY9T/8MdR98ug : 5RwHBaG4ss
>>27

罪と罰ではない。罪と恥だ。
2009年の「しのびよる破局」のあとがきで辺見はこう書いている。

 すなわち、資本主義とは、世界の ”いうにいえない” 本質であり、無意識であり、現象である。夜なのに夜でなく、正気なのに正気でなく、じつのところ、統一的な価値系なのかもうたがわしい。さらに問題なのは、資本主義という自己像を醒めて対象化することに世界は長らくあまり熱心ではなかったことだ。が、あたかも復旧可能なシステムダウンのように破局に瀕しているいまだからこそ、私は一縷の望みをもつ。資本主義のアポリアを粛然と解こうとする人びと、システムダウンの暗がりで沈思する人びとが、これからはかえって増えるであろうと。
 ・・・
 本書を編んだのも、現在の歴史を証すなかで自己の位置をさぐりたいという動機があったからである。それは現存する破局の諸現象をいちいちあげつらうことではない。今日ただいまの破局とは、じつのところ、資本主義経済のそれだけではなく、私たち総員の内面におけるディスオリエンテーションと、深まる一方の荒み(すさみ)の状態をもいうのだと私は確信している。私たちはだれなのか。どこに、なんのために、いるのか。現在とはどういう時間か・・・。番号化された自己証明にならされた私たちは、これら原初の問いに、おそらくあまりに原初的で本質的であるがゆえに、容易に答えることができないのである。
 ・・・
 私は自他を、あくまでも、見て、書き、描き、写すものでありたい、やせても枯れても、見られ、書かれ、描かれ、写されるものはなりたくない。そのことを熟知しているらしい人びとによってのみ、私ははじめて見られ、描かれ、写される。ただし、見て、書き、描き、写すという不当で不遜な特権を、たがいにいやになるほど意識し、ときには大いに恥じ入らなければならない。とくに、見る者はいつも、かならずじっと見られていることを忘れてはならない。
 ・・・
 私はだれもが口をそろえて正しいとすることを、たぶん、であるからこそ、いぶかしみ、はなはだしくは憎むという長年の悪い癖がある。だれもがゆるやかに認めざるをえない中間的で安全なゾーンに隠れ逃げ込む詩や思想を、であるからこそ、私はまったく信じない。ETV特集での発言でも本書でも、度しがたいこの悪癖はあまりなおってはいない。でも、もう治療の時間もない。失見当識者のなかには、<世界が同時に二つの意味をもっているように感じられる> 症例もあるそうだ。ほかでもない私がそうである。多重の意味世界の危うい相克に揺れ揺られしながら、心から納得できるオリエンテーションを私はいまも手さぐりしている。

辺見がいう「悪癖」こそが辺見を辺見たらしめている。彼のような「深刻で暗い」人物はスポンサーが嫌がる。だから比較的視聴率競争からは離れた立場にあるNHKだけが彼を取り上げることにもなる。「心から納得できるオリエンテーション」は、悪癖が治らなければ得られないかもしれない。

>イラクやアフガンの子どもたちの目をみればわかるように日本人の目よりはるかに美しく澄んでいる。
>それはかれらが生き延びるために小さな、そして何より大切なしあわせを見つけているからだ。

いかにも見てきたようなことを書いているが、それは君の言葉か?
あんがい誰かの受け売りではないのか?

>だとするなら辺見自らが抑圧装置である自身の苦悩を述べればいいのだ。そうではなくなぜか辺見は
>抑圧装置である歯車の一部から逃れていて、お山のてっぺんから抑圧装置となった通勤のサラリーマンや
>主婦ら愚者を眺め、激しく憎悪している。
>それはちがうだろう。辺見だけが抑圧装置の歯車から逃れられるはずもない。そういう人がもしいる
>とすれば、それは出版資本に生活を依存している辺見ではなく、いっさいの社会的制約から離れている
>ホームレスのおばあさんのほうだ。
>辺見はわたしと同じようにあらゆる抑圧装置に加担している一歯車にすぎない。そのことの自覚がないから、
>片腹痛いと批判しているのだ。

君の辺見批判の誤りは前のコメントで指摘したとおりだ。君が辺見をひどく批判する理由は君が書いた理由だけではないだろう。君は辺見があたかも「特権的立場」にいるかのようにふるまうことがどうしてもしゃくにさわるのだ。それを「辺見自身が抑圧装置の歯車に過ぎないことを『自覚』していない」という難癖をつけて正当化しようとしている。心理規制のひとつに「投影」がある。じつは君自身が辺見の「特権的立場」に立ちたいと心底では思っているのではないか。ただそれを自覚することは君には受け入れがたい。これは君のコメントを読んで感じた私の感想だ。気にしないでくれ。

「アホウ」、「バカタレ」、「あほう」、「このバカ」。きたない言葉遣いだな君は。私もコメントのやり取りで「馬鹿」とかいう言葉を使ったことがあるが、それは相当にやり取りを重ねた上でなお問題のはぐらかしを行なおうとした卑劣な者にたいしてだ。君は最初のコメントからいきなりきたない言葉を使った。相手が汚い言葉を使っても私はそれに負けまいとして同じ土俵に入ろうなどとはおもわない。匿名であることをいいことにおよそ面と向かってはいえそうもないきたない言葉を投げつける。掲示板ではよくあるタイプではあるが、辺見に共感できる者ならばそうした言動はとらないと思う。理由はと問われてもわからない。何となくとしかいえない。

事ここに至っても >>21 で私が問いかけた質問に君はダンマリを決め込んだ。自分が間違いをおかしたと自覚したなら謝るのが最低限のマナーだと私は思う。


31. 2013年8月12日 12:00:41 : DavyLlJwp2
>>28 君はちょっと考えすぎね。辺見の影響を受けてんじゃないの?

で自慰(笑)


32. 2013年8月13日 15:31:14 : EaBBn0zY1I
辺見庸の「悪癖」が治らないとすると、ホリエモンやワタミや、ナチス麻生の悪癖
はどんなもんだろう、、大体、社会の中で、跋扈するやつ、週刊誌が追いかける、獣達は、悪癖ばかりだろうに、なぜか、アントニオ猪木には、腹が立たない
内容が余りにも、ないからだ。。

辺見庸は、時に高邁な物書き特有な言葉を使うので、自分あるいは、日本人にむけられたとして、「嫉妬」を覚えるらしく、、カチンとくるやつがいる。

日和見的な、軽い口を叩く、TVキャスター、安っぽいコメンテーター、ニセ専門家きどりや、エセ大学教授を好まない。いっそ、辛口でしたたかに、悪癖つきで、市民をバッシングしてほしい。辺見庸のように。

ロッテリアでお茶してたら、お店でアンケート用紙が配られた。
断わらないのか!!オバサンたち!!
美白の化粧品のお誘いがきた!アメリカのがん保険の勧誘がきた!
断わらないのか!オバサンたち。

日本のおんなはダメなのである、だから、その手で育った男に辺見庸の解釈はむり。


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