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2013年08月09日 Electronic Journal
2013年3月13日のことです。「生活の党」の小沢一郎代
表の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件の
控訴審の判決が出たのです。
飯田喜信裁判長は、衆院議員の石川知裕被告ら元秘書3人をい
ずれも執行猶予付き有罪とした一審判決を支持し、無罪を主張し
た弁護側の控訴を棄却したのです。つまり、一審の判決のままと
いうことになります。一審判決を再現します。
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大久保隆規被告 ・・・・・ 禁錮3年6月求刑
禁錮3年/執行猶予5年判決
石川 知裕被告 ・・・・・ 禁錮2年求刑
禁錮2年/執行猶予3年判決
池田 光智被告 ・・・・・ 禁錮1年求刑
禁錮1年/執行猶予3年判決
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これを見ると、大久保隆規被告だけが重い「禁錮3年/執行猶
予5年判決」となっていますが、実はここには西松建設からの献
金を違法献金とみなし、その分の罪状が含まれているのです。森
ゆうこ氏は「裁判が事実上なくなった」といっていますが、なく
なったのではなく、それを巧妙に隠したのです。
もし、西松建設からの違法献金事件に無罪判決が出ると、検察
の威信は丸潰れになります。世間からは民主党への選挙妨害であ
り、特定の政治家潰しであるなどの批判が噴出します。国策捜査
であるとの批判も高まるはずです。
それでは、有罪判決を出したらどうなるかです。西松建設の2
つの政治団体から献金を受けた議員は既に述べたように自民党内
に大勢います。そういう状況のなかで、小沢氏の秘書だけ有罪に
すれば、整合性がとれなくなります。最終的には、該当者全員に
ついて捜査しなければならなくなるでしょう。
そこで陸山会について政治資金規正法違反事件をでっちあげた
のです。そして被疑者が重複するからと訴因を変更し、西松建設
事件をそのなかに入れ、こっそり有罪判決を下したのです。大久
保隆規被告は精魂尽きてそれを受け入れてしまったので、人知れ
ず西松建設の裁判は既に終了しているのです。あざといというか
官僚は自らの組織を守るためには、ここまでやるのです。
検察側の要請による訴因変更を認め、3元秘書に有罪判決を下
した裁判長は登石郁朗氏です。彼はそこには何の証拠もないのに
検察の作ったストーリーを「推認」したのです。これについて森
ゆうこ氏は次のように述べています。
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(2011年)9月26日に東京地裁で元小沢秘書3人に対す
る有罪判決が下った。これまでの公判で、検察が有罪の証拠と
した3人の供述調書は、威迫や利益誘導などによってでっち上
げられたものであるとして、任意性が否定されて証拠から排除
されていた。裁判所は検察の捜査を否定したのだ。だが、その
裁判所が、なんと有罪判決を出した。小沢一郎は公共事業の業
者選定への影響力を背景に企業から多額の闇献金を受け、それ
を隠すために秘書たちが共謀して政治資金収支報告書に虚偽記
載を行なった──という検察が作り上げた妄想のストーリーを
認めたのである。存在しない証拠のかわりに、推認に推認を重
ねることによって。判決を下した登石郁朗裁判長についた「ミ
スター推認」というあだ名には、判決を読んだ心ある人びとの
痛烈な抗議が表れている。裁判所が、法と証拠に基づいてでは
なく、「推認」という名の妄想に基づいて判断するのはとても
恐ろしいことだ。裁判所にも期待してはならない、という事実
を突き付けられた気分だった。 ──森ゆうこ著
「検察の罠/小沢一郎抹殺計画の真相」/日本文芸社刊
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「まさか裁判所がそんなことするはずがない」と普通の人は誰
でもそう考えます。私もそう考えていました。そうでなければ日
本の裁判は中世の暗黒裁判と同じです。狙った人間はすべて有罪
にするという強い意思を感じます。登石郁朗裁判長のやったこと
は、まさに暗黒裁判そのものです。
登石裁判長は、世間で明らかになった検察側の威迫や利益誘導
による証拠をすべて採用しませんでしたが、その代りにそういう
事実があったことを「推認」して有罪にしたのです。こんなこと
が認められたら、誰だって有罪になってしまいます。
しかも、控訴審の飯田喜信裁判長は、登石裁判長の意思を受け
継ぎ、弁護側が提出した新証拠をすべて採用せず、控訴審をたっ
たの2回で結審させ、でたらめの推認有罪をそのまま認めたので
す。こういうことを繰り返して行くと、誰も何の裁判だがわから
なくなってしまいます。ネットでは、これらの登石、飯田両裁判
長のことを次のように呼んでいます。国民の怒りです。
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登石郁朗裁判長 ・・・・・ ミスター「推認」裁判長
飯田喜信裁判長 ・・・・・ ミスター「追認」裁判長
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これら2人の裁判長のやったことについては、来週のEJで詳
しく述べることにします。彼らは裁判官としてとうてい許されざ
ることをやっているのです。
そういう意味で、現在石川知裕氏のやっている最高裁への上告
が注目を集めています。これまでの情勢をみると、最高裁は一審
と控訴審判決を支持して「上告棄却」をすると思われます。それ
には理由があるのです。
それは、最高裁と検察審査会は密接に関係しているからです。
小沢一郎氏に対する検察審査会の2度にわたる「起訴相当」には
多くの人が疑問を抱いています。その決定に最高裁がからんでい
る可能性があるのです。したがって、最高裁が原判決の破棄を認
めると、検察審査会の件を蒸し返される恐れがあるのです。小沢
潰しに最高裁までからんでいることが明らかになったら、大変な
騒ぎになります。 ── [自民党でいいのか/29]
≪画像および関連情報≫
●小沢暗黒裁判は中国文化大革命の「人民裁判」だ!
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哲学者で作家の山崎行太郎氏が、「人民裁判と化した小沢叩
き」という題で「毛沢東の文化大革命で多くの有能な政治家
を血祭りにあげた「人民裁判」が、いま日本でも小沢氏に対
し行われている」と「月刊日本」10月号で指摘している。
これを読んで私は恐ろしい時代になるのではないかという恐
怖感を感じた。(内田良平氏)
法というルールに準じて、世論の復讐感情に走らず、独自の
判断をくだすこと、これが裁判所に求められる役割だ。そし
てルールの変更を行うのは立法府なのだ。これが「好悪にか
かわらずルールには従う」というローマ法以来の伝統に基づ
く、近代国家の原理だ。さて、小沢氏をめぐる事件では、ま
さに大衆の怨念がルールをねじ曲げるという現象が起きてい
る。法が適正に運用されているかではなく、小沢一郎という
政治家を有罪にするためには、ルールは無視しても構わない
という事態が起きているのだ。大衆の怨念が法を左右する状
態、これを普通、人民裁判と呼ぶ。少し年配の人ならば文化
大革命が吹き荒れた頃の中国の様子を思い出すだろう。『毛
沢東語録』を振りかざした青年たちが絶叫しながら被告を糾
弾する、そして被告の頭には赤い三角帽子が被せられ、弁護
する機会も与えられず、有罪判決が下されていくのだ。今日
本で起きているのは、あの人民裁判なのだ。左翼がそのよう
な形で小沢氏を糾弾するのは、むしろ真正の左翼らしくて当
然のことかもしれない。問題は、法学者のみならず右翼・保
守陣営と称される人々・メディアまでもが、小沢氏糾弾とい
う、右翼が最も嫌うはずの人民裁判に熱狂していることであ
り、左右両陣営の熱狂に後押しされて、裁判所が法をねじ曲
げ、人民裁判所と化しつつあることだ。
http://bit.ly/14wYPhi
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