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麻生氏は「ナチスの手口を学んだらどうか」と自ら発言したことについて、1日午前、以下のように主張して、が「ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい」とコメント文を読み上げ、撤回の理由とした。だが、発言の訂正も謝罪もしていない。
1)私(麻生)は憲法改正については、落ち着いて議論することが極めて重要であると考えている。この点を強調する趣旨で、同研究会においては、喧騒にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげた。
2)私がナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえていることは、私の発言全体から明らかである。
3)この例示が、誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい。
これでは、「ある日気付いたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。誰も気付かないで変わった。あの手口に学んだらどうか」の問題部分が存在することへの回答になっていないことは明白である。「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(米国のユダヤ人人権団体)のエイブラハム・クーパー副代表が、朝日新聞との電話インタビューで「発言を撤回したのは適切だった。だが、見たところ彼は今、(当時は)逆のことを言おうとしたと言っているが、ナチスのたとえを使った理由が不可解なままだ」と語ったとおりである。
(JCJふらっしゅ「Y記者のニュースの検証」=小鷲順造)
そのうえ、麻生氏の「撤回」は、訂正なし、謝罪なし、辞任なしである。パフォーマンスに過ぎないのである。酔っ払いのけんかを収めようとしているわけではないのである。「誤解を与えたから撤回」する――これで済ませようとするほうがどうかしている。よほど稚拙か、根本的な考え違いがあるようにしか思えない。
まして政府は、麻生氏の「撤回」表明の直後に、菅官房長官が会見で「安倍内閣がナチス政権を肯定的にとらえることは断じてない」と政府が用意した国際社会向けのメッセージを強調したり、外務大臣が同じ言葉を表明したり、首相の安倍氏が同じ言葉を口にして、政府としての「幕引き」を一方的に宣言、野党6党が求める予算委員会でのこの件の審議を拒否している。
政府のこの姿勢から、麻生氏の訂正なし、謝罪なし、辞任なしの「撤回」表明は、政府ぐるみで行われたことをそのまま示唆している。
それはまた、麻生氏の問題発言は、安倍政権の政治姿勢と深くかかわっているのではないかとの疑念を国内外に抱かせるのに十分な、奇妙な動きといえる。
麻生氏の問題発言、とりわけ「ある日気付いたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。誰も気付かないで変わった。あの手口に学んだらどうか」の部分は、「ナチスのように誰も気がつかない間に改憲を」の意味なのかどうかが問われている。それを政府も共有しているのか。問題は麻生氏本人だけではなくなっているのである。政府が示している審議拒否の姿勢は、断じて許されるものではない。
麻生氏は発言の訂正も謝罪もしておらず、閣僚の辞任も議員辞職も表明していない。
早急な訂正・謝罪・辞任が必要だが、なかで問題発言のうちがすばやく「本人が訂正」しなければならない箇所が、訂正もされていない。この件の審議を拒否している政府も訂正していない。「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた」の箇所である。読売新聞と産経新聞が、見かねたように、3日付の社説(産経は「主張」)のなかで指摘している(指摘する社説は朝日新聞などから、両紙より早く出ている)。
読売新聞は<ワイマール憲法は形骸化されただけで、「ナチス憲法」なるものは存在しない。ヒトラーは、合法的手段によって政権を掌握し、政府が国会審議を経ずに立法できる全権委任法などで独裁体制の基礎を築いた。ユダヤ人らを強制収容所に送り込み、大虐殺を引き起こした>と訂正すべき箇所を指摘、産経新聞も<麻生発言の誤りは、ナチス政権がワイマール憲法を改正し、新たに憲法を制定したかのように理解していることだ。そのような史実はないことも指摘しておきたい。ナチスは1933年、暴力を背景に、ドイツ国会において全権委任法を成立させ、ワイマール憲法を死文化させて独裁につなげたのである>と指摘して、訂正を試みている。
安倍政権と同じ「改憲推進」の立場にある読売新聞と産経新聞だが、麻生発言については、その立場からも厳しく批判している。
先に、麻生氏に猛省を求める産経新聞からみておこう。
産経新聞は8月3日付「主張」(=社説)で、<麻生太郎副総理兼財務相が、憲法改正の運び方をめぐる発言で、ドイツのナチス政権を引き合いに出した。お粗末な失言であり、撤回したのは当然である>として、<発言は日本のイメージや国益を損なった。麻生氏は重職にあることを自覚し猛省してほしい>と求めた。
猛省を求める理由については、失言の重大さに加えて、<憲法改正論議そのものが水をさされる事態を避けなければならない>ことをあげた。
ただし、麻生氏の失言については、<発言の全文を読めば、麻生氏にナチスを正当化する意図がないことは明らかだ。しかし、「学んだらどうか」といった、ナチスの行為を肯定すると受け取られかねない表現を用いたのはあまりに稚拙だった>とした。
<憲法改正論議そのものが水をさされる事態を避けなければならない>という産経新聞の立場との関連では、1)安倍晋三政権の「右傾化」と結びつけようとする批判などは論外、2)首相や自民党は、引き続き国民の理解を求め、憲法改正の重要性を主張していくべき、3)麻生発言を捉え、憲法改正は反民主主義的というのは曲解、などを主張し、<冷静さは大切だが、国民の多数が望んでいる憲法改正をめぐる議論は正々堂々と進めればよい>とした。
読売新聞は8月3日付社説「麻生財務相発言 ナチスにどう改憲を学ぶのか」で、<これが首相経験者の言うことなのか。現在の重要閣僚としての資質も疑わざるを得ない>と厳しく指摘、 麻生氏は発言を撤回したものの<日本の国益も損ないかねない事態だ>と、発言のもたらした事態の深刻さを強調した。
また、麻生氏は2日の記者会見で、「狂騒の中で、いつの間にか、ナチスが出てきた。悪しき例で、我々は学ばないといけないと申し上げた」と釈明したが、<それが真意というなら、「手口に学べ」という表現は全く不適切だ>と斬り捨てている。さらに、<憲法改正に絡めて持ち出した意図も全く理解できない。憲法改正には国会の発議だけでなく、国民投票が必要であり、「いつの間にか」改正できるはずがない>と麻生氏の発言を批判、<麻生氏の発言が、憲法改正を掲げる安倍政権にとって、打撃となったのは間違いない>とした。
社説はまた、<参院選での大勝で政権のタガが緩んできたのではないか。麻生氏の発言には傲おごりも垣間見える>と政権のおごりを指摘して締めている。
以上から、産経新聞は麻生発言を厳しく戒め猛省を求めながらも、麻生氏の「撤回」での幕引きを受容する立場のようだ。また麻生氏の釈明について、産経新聞は、<「学んだらどうか」といった、ナチスの行為を肯定すると受け取られかねない表現を用いたのはあまりに稚拙だった>で済ませているが、読売新聞は<それが真意というなら、「手口に学べ」という表現は全く不適切だ>と批判しており、その主張や論じ方には隔たりがあることがわかる。
読売新聞は、麻生氏が<憲法改正に絡めて持ち出した意図も全く理解できない。憲法改正には国会の発議だけでなく、国民投票が必要であり、「いつの間にか」改正できるはずがない>とさらに批判を加えた際に、民主党の海江田代表が「憲法改正は侃々諤々かんかんがくがくの議論をすべき問題だ。こっそりやってしまえばいいなどという、民主主義を無視した発言だ」と批判していることを例示として取り上げている。うがった見方をすれば、これは改憲潮流を民主党にも拡大しようとする意図が含まれるとも受け取れるが、この点も、産経新聞が<麻生発言を捉え、憲法改正は反民主主義的といった曲解もなされている>として、麻生氏の発言の真意が<「いつの間にか」「誰も気づかないで」憲法が改正されるのが望ましい>とするところにあるかどうかの判断を、明確にしていない点と確実に対比されるべき点であるように思う。
なお産経新聞は、<発言の全文を読めば、麻生氏にナチスを正当化する意図がないことは明らかだ>と断じ、一方で、<しかし、「学んだらどうか」といった、ナチスの行為を肯定すると受け取られかねない表現を用いたのはあまりに稚拙だった>とした。しかしながら、右翼カルトと称されるなかには、ナチスの失敗は失敗と共有しながらも、ナチスやその同盟軍について「なぜ負けたのか」「負けないための方策」に関心を集中させる流れも存在する。
文脈や言い回しを無視して、<護憲と叫んで平和が来ると思ったら大間違いだ。改憲は単なる手段。狂騒、狂乱の中で決めてほしくない><我々を取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正はなし遂げられるべきだ><ドイツのヒトラーは、ワイマール憲法という当時欧州で最も進んだ憲法下で出てきた。憲法がよくてもそういうことはあり得る>などの麻生氏の前段の発言から、麻生氏はナチスを否定的にとらえているとし、それを理由に、後段の<ある日気付いたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。誰も気付かないで変わった。あの手口に学んだらどうか>の発言について、稚拙だがナチスを否定的に語ったものだと安易に断ずることは困難であることも、あらためて指摘しておかねばなるまい。「ナチス(あるいは大日本帝国)はあそこまではよかったのだが、そのあとがね…」という立場からは、ナチス(あるいは大日本帝国)は乗り越えられるべき対象であり、否定されつつも援用されうる対象となりうることを忘れるわけにはいかないだろう。
新聞では、産経新聞が、麻生氏の<あの手口に学んだらどうか>の深刻な問題発言について、<稚拙だった>にとどまる甘い判断を示したことは、記憶されていい。
放送についても、各局のこの件の扱いの姿勢について、検証を急がねばなるまい。
ここまで、3日付の読売新聞社説と産経新聞「主張」とをみてきた。
本稿の(2)で紹介したように、この件については、琉球新報が1日付で社説<麻生氏「ナチス」発言 看過できない重大問題だ>を出した。私の知る限りでは、この社説が「麻生ナチス発言」を論じた最初の社説である。その後も4日までに私が確認できたものだけでも、2日には北海道新聞、朝日新聞、毎日新聞、沖縄タイムスの4紙が、3日には河北新報、新潟日報、東京新聞、神奈川新聞、信濃毎日新聞、中国新聞の6紙(読売新聞、産経新聞を入れると8紙)が、4日には、愛媛新聞が社説で取り上げた。麻生ナチス発言の問題を厳しく掘り下げ、麻生氏と政権の責任を厳しく問う社説が並んだ。ここでは2日掲載の各紙の社説を、それぞれ見てゆくことにする。
北海道新聞は2日、社説として「ナチス発言 軽率で見識欠く麻生氏」を掲げた。
書き出しは、<「撤回したい」で済まされるものではない>。
麻生氏の発言は「独裁政治の肯定と受け止められても仕方ない」、「歴史を反省し、民主主義の発展を目指す各国の努力を軽視するものだ。あまりに軽率であり、見識を疑う。謝罪すべきだ」としたうえで、「内外から批判が噴出している。安倍晋三政権ナンバー2の発言だ。本人だけでなく、政権の姿勢が問われる。首相の説明が求められる」と麻生氏の発言を厳しく断罪し、あわせて首相の説明と政権の責任を問うている。
ナチスが実権を握る過程については、1)国会議事堂放火事件や、それに伴う緊急令の発動などがあった。謀略に満ちた体制転換だったとの歴史観が国際的に定着している、2)議会を骨抜きにし、一党支配を地方にまで徹底させ、軍事力増強による対外侵略とユダヤ人虐殺に走った、と整理、<そのナチスの政治手法に「学ぶ」という発想が理解できない>としたうえで、麻生氏について<首相経験者としても批判を免れない>ことを強調した。海外でさまざまな批判が広がっていることについては、麻生氏には<国際社会の「常識」について認識>が足りないと指摘して、<麻生氏の言動は国益を損ねている>と厳しい言葉で批判している。
野党に対して、召集された臨時国会では、麻生氏に真意をただし、首相に説明を求めるべきだと注文をつけ、「安倍政権は改憲に向けた意欲を強めている。政権中枢にいる麻生氏の発言には、国民の目の届かないところで議論を進める意図が隠されていないか」「麻生氏の発言は安倍政権の体質を図らずも浮き彫りにした」として、警鐘を鳴らした。最後は、「首相はことの重大さを認識し、疑念の払拭(ふっしょく)に努めなければならない」と求めて、締めている。
朝日新聞は2日、社説として「麻生氏の発言―立憲主義への無理解だ」を掲げた。
麻生氏は「誤解を招く結果となった」と発言を撤回したが、<明確に謝罪はしていない>し、<発言の核心部分の説明は避けたまま>であることを指摘した。
麻生氏の「ある日気づいたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」の発言については、「普通に聞けば、ナチスの手法に学ぶべきだと言っているとしか受け止められない」とした。また、「事実認識にも問題がある」として、1)ヒトラーは巧みな演説で国民を扇動し、まさに狂騒の中で台頭した、2)首相に就任すると、国会の同意なしに法律をつくる権限を政府に認める全権委任法を制定、3)これでワイマール憲法は実質的に停止された、とナチスが実権を握る過程をたどったうえで、<「ナチス憲法」なるものができたわけではない>と、麻生氏の発言のうち「ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていたんですよ」の部分について、事実認識の間違いを糺した。
そのうえで、以下をきびしく問いかけている。これは非常に大事なポイントであり、この機会に日本の市民社会としてあらためて確認しておくべき事柄である。
・だれも気づかないうちに憲法が変えられることなど、絶対にあってはならない。
・ましてやヒトラーを引き合いに出し、その手法を是と思わせるような麻生氏の発言は、撤回ですむものではない。
・当時のドイツでは、ワイマール憲法に定める大統領緊急令の乱発が議会の無力化とナチスの独裁を招き、数々の惨禍につながった。
・こうした立憲主義の骨抜きの歴史を理解していれば、憲法論でナチスを軽々しく引き合いに出すことなど、できるはずがない。
この認識に立ち、憲法改正草案をまとめ、実現に動こうとしている自民党に対し、「議論にあたっては、歴史や立憲主義への正しい認識を土台にすることが大前提だ」と共通の土台の確認を求め、首相の安倍氏に対しては、<安倍首相は、「ナチスの手法に学べ」と言わんばかりの今回の発言を、どう整理するのか。前言撤回で幕引きをはかるのではなく、きちんとけじめをつけなければ、まともな憲法論議に進めるとは思えない>ときびしく注文をつけて、首相の認識を問うている。
毎日新聞は2日、社説として「麻生氏ナチス発言 撤回で済まない重大さ」を掲げた。
書き出しは、<何度読み返しても驚くべき発言である>。
麻生氏の発言は、<改憲と国防軍の設置などを提言する公益財団法人「国家基本問題研究所」(桜井よしこ理事長)が東京都内で開いた討論会にパネリストとして出席した際のもの>であることを紹介した後、発言を要約し、麻生氏が「ナチス憲法」としたのは、<実際には憲法ではなくワイマール憲法の機能を事実上停止させ、ナチス独裁体制を確立させた「全権委任法」と呼ばれる法律を指しているとみられる>と整理、<麻生氏の史実の押さえ方もあいまいだが、この変化が後に戦争とユダヤ人虐殺につながっていったのは指摘するまでもなかろう>として、まず認識を糺した。
そのうえで、<いずれにしても麻生氏はそんな「誰も気づかぬうちに変わった手口」を参考にせよと言っているのだ>と指摘して、<そうとしか受け止めようがなく、国際的な常識を著しく欠いた発言というほかない>きびしく断罪している。さらに、麻生氏が「喧騒(けんそう)にまぎれて十分な国民的議論のないまま進んでしまったあしき例として挙げた」と弁明している点については、<だとすれば言葉を伝える能力自体に疑問を抱く>として、弁明そのものについて疑念を投げかけている。
また麻生氏の「日本の憲法改正も狂騒の中でやってほしくない」との発言については、自民党が長期間かけてまとめたと強調する草案に対し、「一時的な狂騒の中で反対してほしくない」という意味ではないか、「本音音はそこにあるとみるのも可能である」と問いかける。海外からの批判、野党が求める閣僚辞任の声は、「当然だろう」とし、<これまでも再三、麻生氏の発言は物議をかもしてきたが、今回は、先の大戦をどうみるか、安倍政権の歴史認識が問われている折も折だ。「言葉が軽い」というだけでは済まされない>とあらためて、きびしく安倍政権の政治にあたる姿勢を糺し、臨時国会での麻生氏に対する質疑を求め、安倍首相に対して<頬かぶりしている場合ではない>と強調している。
沖縄タイムスは2日、社説に<[麻生氏発言]国際常識がなさ過ぎる>を掲げた。
書き出しは、<こんな非常識な発言をする政治家が、政権中枢を担っているのか。そんな思いでニュースに接した人も少なくないのではないか>。
麻生氏の「あの手口を学んだらどうか」の発言について、<戦前ドイツのナチス政権時代のやり方を見習え、との趣旨の発言としか捉えられない。国内外から批判が集まるのも当然だ>との判断を示し、麻生氏の「「状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げられるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない」との発言は、「熱狂の中での改憲」を戒めるのが真意であれば、<人類史上まれにみる非道な権力集団であるナチスを、なぜ引き合いに出す必然性があったのか>と問い返して、麻生氏の発言は<不穏当であることは論をまたない>と厳しく批判した。
あわせて、麻生氏の発言撤回については、<またか、との印象をぬぐいきれない>として、麻生氏が2008年の自民党幹事長時代にも、民主党が参院第1党としての自覚を持つべきだと指摘した上で「かつてドイツは、ナチスに1回(政権を)やらせようとなって、ああいうことになった」と発言し、民主党をナチスになぞらえるような見解が物議を醸したことを例示している。
また、日本維新の会共同代表の橋下大阪市長が麻生氏を擁護して、「政治家だとこういった批判は出るが、エンターテインメントの世界ならいくらでもある」と持論を述べたことについて、<問われているのは政治家としての見識と自覚である>と厳しく糺し、首相経験者でもある麻生氏の発言は日本の国際的な信頼やイメージの失墜をもたらすものであり、<麻生氏を重要ポストに処遇してきた首相の任命責任が問われるのも言うまでもない>として、社説を結んでいる。
安倍政権は、麻生氏の重大な問題発言について、頬かぶりしたまま遁走を続けている。
この状態が続くことは、安倍政権は麻生氏の発言と「どこかで通底」どころか、麻生氏の発言は安倍政権そのものの政治姿勢であり考え方であることを自ら証明することになる。
安倍氏は内閣法制局の山本庸幸長官を退任させ、後任に「集団的自衛権に関する政府解釈見直しに前向き」とされる小松一郎駐フランス大使を充てる方針を決めている。この動きこそ、国民の目のとどかないところで「改憲」へとつながる「解釈改憲」の動きである。
昨年末に政権へとようやく復帰し、今夏の参院選では大勝した自民党は、自らの政権基盤をここで確たるものにしようと、国民が権力の暴走を監視する憲法から、政権が国民を支配し管理しようとする憲法への作りかえを謀っている。野党から、これまでの「復帰劇」のなかで、安倍政権の面々の心は跳ね上がり、おごりを取り戻し、このまま自らのシナリオに沿って、あの「途中まではよかったナチス」も成し遂げられなかった強大な「2世議員」国家をつくりだしてみせると、前のめりになっているのだろうか。
しかしながら、すでに麻生氏の暴言は国内だけでなく世界から注視されている。安倍政権の幼稚な復古改憲国家主義の野望は、国内だけでなく世界の監視網のなかにある。
彼らはもはや、彼らを生かさず殺さずに使おうとする勢力にこびて生き残りをほかに道はないが、日本の市民社会は彼らにも、そうした勢力にもこびて生き残りをはかる必要はない。
その歴然とした違い、その差が彼らをいつ、どのように追い詰めてゆくか。古臭く後ろ向きの「志」しかもたず、それに固執してやまない自民党に未来はない。
この二度目の政権復帰は、その完全なる退場へと続く厳しい道のりの過程でしかないことを、自民党を政権から引き摺り下ろし、政権交代を成し遂げた日本の市民はよく知っている。
生煮えの民主党政権は終わったが、その政権を終わらせたのも日本の市民の力であることを、自民党は政権復帰の涙と参院選大勝のおごりで、見えなくなっているのではないか。
日本の政治家は、努々、日本の市民の力、市民とジャーナリストの連帯の力を忘れてはならない。市民の、市民による、市民のための政治の実現に向けて、日本社会は着実、確実にそのプロセスを踏む途上にある。その歩みを止めてはならない。止めさせるようなことがあってはならない。
(こわし・じゅんぞう/日本ジャーナリスト会議会員)
http://jcj-daily.seesaa.net/article/371364459.html
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