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最初に断って置くがおいらは小沢支持者ではない。ペンネームのとおりノンポリである。鈴木邦男も読めばガタロも読む・・・無論興味があればだが。
ただ、基本的な姿勢は反権力と言うことだ。
これは、組織は腐ると言うことを前提にしているからだ。
で、ここからが本論なんだが、ここでの議論を見ていてうんざりするのはあまりにステレオタイプの議論が多すぎることだ。
たとえば右翼・左翼の議論でも左翼が悪で右翼が善で有るかの議論が横行している。以前、論談という今はあるのかないのかわからないところで議論したことだが、ソ連や東欧が失敗したから『左翼は最早終わったと』いう前提で議論をしているが果たしてそうだろうか?
西欧でいまだに社会民主主義勢力が健在なのは何故なのか?東西冷戦時代に修正資本主義が西側で推し進められたのは何故なのか?
こんなことを考えれば、社会主義と言う存在が資本主義の暴走を抑える効果があったのだとおいらは考えている。
で、社会主義国家の問題はなんだったのかと考えてみれば、結局いくら社会主義を標榜しようが人間の欲からは逃れられなかったと言うことが抽出できるのではないのかと言うのがおいらの率直な感想だ。
完全なる自由と完全なる平等との終わることなき相克だったものがソ連の崩壊とともに資本主義万能主義が芽生え、新自由主義やグローバリゼーションが幅を利かすようになった。
では、封建国家や王政を打倒した(主導した資本家)連中が標榜したものは何だったのかね。自由と平等だったのではないのか?
ところが王政を打倒した後に出てきたのは資本家の横暴であり、それによって引き起こされたものがラッダイト運動であり、そこで生まれたのがマルクス主義だったのではないのか。もっともそれ以前にもユートピアリズムがあったのだが。
格差社会と言うものは封建制や王制とどんな違いがあるのかね?安倍晋三や麻生太郎のような人間が権力の頂点に立つ姿を見ると、これまでの民衆の血を流してきた運動が無に帰する虚しさを感じるのはおいらだけなのかね。
で、突然に話題を変えて小沢一郎の話なんだが、おいらも小沢一郎は金銭面に関して胡散臭いものを感じている(今も)。
しかし、小沢一郎関連の資料(主に小沢一郎サイド)を読んでみると彼の政治的主張には納得できるものもあるし、彼を離れていった輩の胡散臭さは確かに感じられる。
そんな中でここで展開されている議論は小沢は素晴らしい政治家だとか小沢は金に汚い政治屋だとかのステレオタイプの議論でしかない。英雄視するか汚職政治屋としてのレッテル貼りの議論にはウンザリである。
寧ろ、問題にすべきはこの裁判が公正なものであるか無いのか、日本には三権分立が存在できているのか否か、検察や裁判所に不正が有った場合のチェック機能があるのかどうかでは無いのか。鳥越氏のスクープで報道されているように裁判の公平性は著しく毀損されているように思う。マスコミも記者クラブという既得権益(?)に乗っ取られ本来の機能を失っているどころか、消費税増税に対し軽減税率適用を受けようと必死な様が透けて見える。
まぁ、ガタロ氏の支持する共産党が小沢一郎追い落としにあれほど血道をあげたのはそれなりの根拠があってのことだろうが、政治屋個人の問題と法制度(恣意的な運用)の問題を峻別できなかったことには大きな不信を持っている。
少なくともおいらは自民党の対立軸として共産党に投票してきたものだから。
この点についてはガタロ氏の意見を拝聴したいものだ。
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