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(新聞は「ナチスの手口に学ぶ」と表現している。ナチスをつくったのはヒットラーであるから、どちらを使ってもよいが、麻生副総理の発言に誤りがあるから、敢えて「ヒットラーの手口」としました。ナチス憲法は存在しない。これはヒットラーに全権力を委任する全権委任法のことであり、これによってワイマール憲法は停止された。また、ヒットラーははじめ非合法的手段、即ち武力によって政権を執ろうとしたが、逮捕され裁判にかけられた。この反省から合法的手段、即ち選挙によって政権を獲得する戦術に出た。だから、「ヒットラーの手口に学べ」という表現の方がよいように思われる。)
現在、自民党は憲法改正を画策している。一般に、憲法改正の場合は憲法の原則を変えることはできないと考えられている。なぜなら、憲法が改正により原則を変えるとなると、それは憲法自身の否定であり、認められないことになる。日本国憲法の場合は、国民主権、基本的人権尊重、平和主義は変えられない。これを限界説という。
一方、無限界説もある。所定の手続きを踏めば原則を変えてよいというものである。大日本帝国憲法から日本国憲法へ変わったのは、天皇主権から国民主権への変更である。また逆もありうる。
しかし、よく考えてみると、日本国憲法の原則が衆参各総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し、国民投票で過半数の賛成を獲得したならば、憲法は変わる。変わった以上、原則が変更されていても、無効というわけにはいかない。事実として憲法が変わったと認めざるを得ない。つまり、限界説、無限界説も事実の前に空しく消えていく。
私はこの点に興味をもち、ドイツ憲法を調べてみた。ドイツ基本法、即ち戦後のボン基本法は、ヒットラーによってワイマール憲法が停止され、独裁者に踏みにじられてしまった反省から出てきた。ワイマール憲法は当時、最も先進的な民主主義憲法であった。日本国憲法から平和主義と象徴天皇制を取り除いたようなものであった。その憲法から独裁者ヒットラーが登場したことから、ボン基本法は「闘う民主主義」を採用している。
民主主義的秩序を破壊する政党の結成が認められない。極端な民族主義者や共産主義者は政党をつくれない。
憲法裁判所も設けられている。法律ができた段階で、憲法に反するものであれば無効になる。しかし、改正条項は設けられている。その場合、限界説が採られ、「人間の尊厳」、「民主主義的秩序」、「連邦制」を否定する改正は禁止される。ところが、もう一つ日本ではほとんど述べられない条項がある。第20条は次のように規定する。
第20条(国家秩序の基礎、抵抗権)
@ドイツ連邦共和国は、民主的かつ社会的連邦国家である。
Aすべての国家権力は、国民より発する。国家権力は、国民により、選挙および投票 によって、ならびに立法、執行権および司法の特別の機関を通じて行使される。
B立法は、憲法的秩序に拘束され、執行権および司法は、法律および法に拘束され る。
Cすべてのドイツ人は、この秩序を除去しようと企てる何人に対しても、他の救済手 段が存在しないときは、抵抗権を有する。
ドイツ基本法は、抵抗権を認めている。例えば、憲法で保障されている基本的人権を変えて国民の人権を侵害する法律を制定しようとしたり、憲法を変えようとしたりして、それが有効になった場合、抵抗することができる。この抵抗がどのようなものであるかは、状況によるが、最悪の場合、独裁者が出たならば、武力をもって闘う他はない。
抵抗権とはもと革命権のことである。イギリスの名誉革命を正当化したロックは『市民政府二論』の中で、人身の自由、所有権、精神的自由の他に、抵抗権を認めていた。政府が国民の人権を侵害した場合、武力をもって倒すことができるとして、名誉革命を擁護した。のち、民主主義的制度が整うとともに抵抗権は消えていく。
時代が変わり、ドイツ基本法に抵抗権が規定されていることに、私は驚いた。つまり、憲法の限界説、無限界説を通り越して、憲法の原則が否定された場合、抵抗権を認めているのである。何が何でも、独裁者を排除しようとするドイツ国民の決意が表現されている。
これまで私は、民主主義国家でありながら、ピストルの所有を認めているアメリカに対して、遅れた国であると思っていた。しかし、ピストルの所有を禁止し、政府が警察力と軍事力によって武器を独占すれば、国民の人権はすぐ侵害される。それに気づいた時、複雑な気持ちがした。
ピストルを所有することはよいことではないが、ピストルを放棄することは政府の独裁を招くことになる。最悪の事態を避けるためにアメリカでは、ピストルの所有が認められているのではないか。勿論、ピストル産業の反対もあろうが、もっと本質的なものは、独裁者を出さないためではないか。つまり、抵抗権の行使である。
ひるがえって日本をみると、私は遅れた民主主義国でありながら、武器を放棄している日本は先進国だと思っていた。それは秀吉の刀狩に遡る。しかし、抵抗権という発想から考えると、支配者が日本人の反抗を完全に抑えた制度にすぎない。その後、江戸時代では、武士が武器を独占し、国民を支配する。武器を持たない国民は抵抗するすべがなく、「長いものには巻かれろ」という従順な民族に変化していく。その精神構造が今も受け継がれている。
現在、自民党は日本国憲法を変えようとしている。自民党の憲法草案には次の条項がみられる。
第9条(平和主義)
戦争放棄(現行とほぼ同じ)
A前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。
第9条の2(国防軍)
B……国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動……を 行うことができる。
第13条(人としての尊重等)
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反し ない限り、立法その他国政の上で、最大限に尊重されなければならない。
自民党案では平和主義が変更され、自衛権の発動が明記され、かつ外国に国防軍を派遣することができる。また、基本的人権に関しては「公益及び公の秩序」に反しない限り権利が認められるが、何が公益、何が公の秩序かが不明である。つまり、政府の判断によって国民の人権を侵害できる。これらは明らかに、日本国憲法の平和主義、人権尊重の変更である。
自民党は今、こっそりと憲法改正に向かって動いている。軽率な言動で有名な麻生副総理は本音を漏らしてしまった。それが「ヒットラー(ナチス)の手口に学ぶ」というものである。ある日気が付いたら、本人の言葉によると、「ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた」と言っている。現在の日本に置き換えると、「ある日気づいたら、日本国憲法が自民党憲法に変わっていた」ということになる。
さて、日本国民はどう反応するか。江戸時代以来、「長いものには巻かれろ」という精神が身に付いた日本国民は、抵抗するどころか迎合するであろう。
自衛隊が国防軍に変わり、海外に派兵された時、こう言うであろう。「それはいいことですね、日章旗が全世界にはためくことになります」。
また、憲法が変わり、公益または公の秩序により人権が侵害された時、こう言うであろう。「それはいいことですね、規制あっての自由ですよ」。
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