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原爆投下の目的は人体実験 (陽光堂主人の読書日記) 
http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/191.html
投稿者 笑坊 日時 2013 年 8 月 06 日 13:54:50: EaaOcpw/cGfrA
 

http://yokodo999.blog104.fc2.com/blog-entry-1054.html
2013-08-06 陽光堂主人の読書日記

 本日は「原爆の日」ですが、米国の映画監督、オリバー・ストーン氏がこれに合わせて来日し、「原爆投下には正当性はない」と正論を吐いています。米国政府は未だに「終戦を早めるために原爆投下は必要だった」と強弁し、多くの国民もそれを信じている中、まともな認識だと言えましょう。

 東京新聞は、本日付で次のように報じています。
(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013080602000105.html)

   米「投下に正当性」は「うそ」 O・ストーン監督が来訪

 アカデミー賞の受賞作品「プラトーン」などで知られ、米国の軍事展開を批判する米映画監督のオリバー・ストーン氏(66)が、広島の原爆の日などに合わせて来日している。十五日まで長崎、沖縄を回り、原爆や米軍基地問題について人々と対話する予定だ。原爆投下を「正当性がない」と指摘、「歴史を正しく記憶することが大切」と訴えている。

 「米国は日本がソ連に侵略されることを恐れていた。だから日本が降伏したがっているのを知りながら原爆を落とした」。広島市で市民団体のシンポジウムなどに参加したストーン氏は強調する。

 昨年、歴史学者でアメリカン大准教授のピーター・カズニック氏とテレビドキュメンタリー「もうひとつのアメリカ史」を制作、同名の本を出版した(日本語版は早川書房「オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史」)。公文書をひもとき、戦時中から今のオバマ政権まで続く覇権主義に疑問を投げかける内容だ。

 すべての元凶とみるのが日本への原爆投下。戦争を早く終わらせ、多大な犠牲を防ぐのに必要だったという米国の正当化理論に対し、ストーン氏は「私も長年、投下は正しかったと信じていたが、それは神話、うそだと分かった。今も子どもたちはうそを教えられている」と指摘する。

 さらに、米軍が沖縄をはじめ各国に軍事基地を展開していることを「非常に危ない」と懸念、「だから広島は象徴でなければならない」と訴える。

 安倍政権は「日米同盟強化」を理由に集団的自衛権の行使に布石を打ち、その先には改憲の議論が待ち構える。ストーン氏は日本の右傾化を「世界にとって危険なこと」とみる。カズニック准教授も「憲法九条は日本にとって要。安倍政権が変えようとしていることは問題で、悲惨な結果を招くだろう」と強調した。


 「これ以上、双方の犠牲者を増やさないために原爆を投下をして終戦を早めた」という公式見解は、どう考えても可笑しいのですが、ストーン監督ですら「長年、投下は正しかったと信じていた」そうですから、苦し紛れのインチキな説明でも効果はあるようです。

 まともに考えたら、軍人の犠牲者を減らすために無辜の国民を一瞬にして大量殺戮するなんて、どのようなロジックを使っても正当化できません。米国政府の説明を信じている人たちも、心の奥深くでは可笑しいと思っているはずです。

 それでも、「政府が正しかったと言っているのだからそうなんだろう」と無理に納得させているに違いありません。後で認識の誤りを指摘されても、政府のせいにすればよいのですから。

 ストーン監督は、「米国は日本がソ連に侵略されることを恐れていた。だから日本が降伏したがっているのを知りながら原爆を落とした」と述べていますが、この発言はズレています。日本は以前から降伏を打診しており、米国は原爆の威力を実験するために戦争を長引かせていました。

 戦後のソ連との対立を見越して、威嚇のために投下したという側面もありますが、第一の目的は人体実験でした。日本人はこの後も、水爆や生物・化学兵器、原発事故の被害を経験していますが、こうした国民は他に見当たりません。明らかにABC兵器の実験対象にされています。

 ストーン監督は知ってか知らずか、この点に言及していません。知ってはいるものの、そこまで踏み込んだ発言はできないのかも知れません。ストーン氏の映画や最近刊行されている本は、他に比べれば良質ですが、いずれも本質を衝いていません。米国は指折りの言論統制国家ですから、この辺が限界のようです。

 広島には原爆慰霊碑があり、そこには「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれています。この表現は責任の所在が曖昧で、「自分たちが悪かった」という意味にも受け取れます。

 原爆を投下したのは米国ですから、第一に反省すべきはもちろん米国です。にも拘らず、そういう指摘については直ぐ様反論がなされ、「誰の責任か問うのは重要でなく、不戦の誓いをすることが肝要だ」という尤もらしい説明が繰り返されて来ました。

 尤もらしい話は胡散臭い背景があるのが常で、米国に矛先が向くことを懸念しているとしか思えません。日本を貶めたい左翼の連中も、呉越同舟しているようです。

 責任を追及することはもちろん必要で、そうしなければ反省も「過ちを繰り返さぬ」こともできません。徒に感情的に反応するのではなく、冷静に順序立てて真相を明らかにすることから始める必要があります。

 日本の軍隊の犯罪もきちんと立証すべきですが、中韓は問答無用の政治的言動に終始していますから、常に水掛け論で終わり、国民感情は悪化するばかりです。利害関係を抜きに事実を検証するという作業は、この地域ではまだ難しいようです。どこの国でも利権屋が跋扈しており、彼らを政治の中枢から放逐しない限り、事態の進展は望むべくもありません。

 

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コメント
 
01. 米犬 2013年8月06日 14:31:31 : PUHl6PtDGaXFs : 4Q80R8Zler
>中韓は問答無用の政治的言動に終始していますから、常に水掛け論で終わり、
>国民感情は悪化するばかりです。

その通り・・・だが

>原爆投下の目的は人体実験

これも中韓のごろつきの因縁付と正に同じ。戦争に人体実験もないだろう
新型兵器を試したかっただけだ。できたてほやほやでうれしくて、放射線被害など当時あまり考えていなかった。


02. 日高見連邦共和国 2013年8月06日 14:47:06 : ZtjAE5Qu8buIw : mFuG9qQlTk

>01 『米犬』=『新自由主義クラブ』

>できたてほやほやでうれしくて、放射線被害など当時あまり考えていなかった。

物事の本質をそういう言い方で“矮小化”するのはやめろ、バター犬。

原爆投下後の広島・長崎に、米軍兵に先んじて、医療関係者が大挙して訪れたのは事実だろう。
それが、“手当て”や“助命”が目的でない事は明々白々だろうがよ。


03. 2013年8月06日 16:41:00 : mnVbb3QVME
B29が日本の本土を1万メール上空から空爆しても、高射砲が届かず、
撃ち落とされる心配も無く、地上を火の海にしていた.

戦争終結は時間の問題であった.

原爆で無差別殺人をしたのは、米軍人の犠牲を最小にするためにしたとは、
真っ赤な嘘である.地上には竹やりの民間人しかいなかった.

原爆の生体実験を兼ねて、日本人の殲滅を図ったと言える.


04. 2013年8月06日 16:59:28 : F1od2Vfq42

 日本から見れば【人】体実験だが、欧米人はアジア人やアフリカ人やアラブ人は【人間】と思っていない。 動物と人間の中間ぐらいに思っている。 だから、殖民地化も奴隷化も原爆投下も平気なのだ。

 旧約聖書にある、”神に代わって世界を管理させるために、神に似せて造られた人間”というのは欧米・白人のことなのだ。

 くたばれキリスト教!

 


05. 2013年8月06日 17:09:01 : zRNg5bjwb2
人体実験は間違いないでしょう。アメリカ国内でも沢山の兵隊が実験で被ばくしています。
この時点では、アメリカも放射能汚染の恐ろしさは完全には把握しては居なかったのでは。恰好のタ−ゲットが目の前に居て、日本人を殺すことなど全く躊躇するはずはありません。アメリカは元々が野蛮人の移民国家なので人の物は自分の物、何でも欲しがる略奪国民です。
何時までアメリカに憧れるのですかねえ、日本人は。

06. 2013年8月06日 18:29:40 : TUwpaddI6Y
「原爆投下目標「相生橋」から見上げる 広島で600人(朝日新聞)

 広島原爆の日の6日を前に、投下した米軍機「エノラ・ゲイ」が目標にした相生橋(広島市中区)で4日、市民が空を見上げ、68年前の被爆に思いをはせる催しがあった。

 相生橋は原爆ドーム前を流れる太田川と元安川にかかるT字形の橋。原爆は約600メートル上空で炸裂(さくれつ)した。この日はインターネットやツイッターで知った約600人が橋付近に集合。投下時刻の午前8時15分に空を見上げ、原爆が落とされた光景を思い描いた。

 企画したのは、アートで平和を訴える広島の若手グループ「PROJECT NOW!」。発案者の掛田智子さん(31)は「上空から写された、きのこ雲の写真はよく知られている。逆の視点で平和を考えたかった」と話す。

 広島市安佐南区の大学3年、村上舞優さん(20)は「当時の被爆者の視点に立って思い起こした」。鳥取県米子市の会社員、高木亜矢子さん(28)は「ピカッと光った後の悲惨な光景を想像し、忘れられない集いになった」と話す。空撮した写真が9月25日〜10月5日、広島市中区の旧日本銀行広島支店で展示される。」
http://www.asahi.com/national/update/0804/OSK201308040042.html

当時広島市の北の山側には陸軍の兵舍がありました。また、近くの呉の造船工場もまだありました。もし原爆投下が軍事目的なら、このどちらかが目標だったはずです。しかし実際は、広島市街地のど真ん中である「相生橋」でした。これだけでも、原爆が「軍事目的」でなかったことは明らかです。
ちなみに原爆投下機「エノラゲイ」のチベッツ機長は、原爆投下作戦のために当時の全ての米軍パイロットの中から選ばれた「最高のパイロット」でした。「どこでもよいので適当に落とした」ということはあり得ません。


07. 2013年8月06日 18:42:11 : 0UXNPR6wyo
内部被ばくを認めれば核兵器は無くなる
ABCC(原爆傷害調査委員会)→放射線影響研究所
いっさい内部被ばくを認めることは無い。
もちろん福島での内部被ばくを認めることは無いだろう。

08. 2013年8月06日 19:31:36 : 1qxvgw7KgY
広瀬隆が講演で言っているけれども原発をネバダの砂漠で実験し、自国の軍隊を参加させ爆発に対して間近で突撃させたそうだ。
 更に原爆の父オッペンハイマーがプルとニュウムをばら撒いたり注射して50万人殺害計画方法を立案していた歴史があるそうであり、先ほどの米軍人並びに実験で核物質を注射された者の遺族が祖国に裏切られたと国家賠償を訴えたらしい。
 このような米国歴史からして広島に投下して其の効果を測定するために広島比治山にABCCを設営し、治療はしないが被爆者を年毎に集めて何処で被曝したかそれらの者がどれだけ生き残ったかの資料を作り、広島型原爆何発でロシアの広い国土の人民全部を何発何処に落とせば全員殺戮できるか、地図を作ったようだ。オリバーはトルーマンでなくてリベラルなルーズベルトの副大統領が大統領になっていれば広島投下はなかったような希望的観測を述べてるけれども其れはなかっただろう。 広島長崎に原発の威力を撮影する米軍の撮影班の所属の者が、軍令に反して、被爆者の焼却写真や原発被曝孤児をこっそり撮影して秘密裏に私物として持ち帰り戦後相当時間の経過後にアメリカ社会で公表し、各地で展示会を開き日本にも数度訪れた。
 この方がトルーマンの大統領写真の撮影係として勤務した時にトルーマンに何故非戦闘員に対しても原爆を投下したのか詰問したらしい。其の質問に対してトルーマンは狼狽して応えた。「其れは前政権つまりルーズベルトの時代からの受け継ぎ事項であって自分には原発投下しか道がなかった。」と応えたらしい。其の息子さんが其の方の意思に従い、全米各地、日本で原爆写真の展示会を開催して何度も来日している。

09. 2013年8月06日 19:49:21 : KfftFnziKM

以下引用・・・

永田泰次さんは「広島に原爆が落とされていることがわかっていた」
「当時、小生は京大工学部冶金教室の学生でした。原爆が投下される3ヵ月前の1945年5月のある日、冶金教室の主任教授の西村英雄先生に突然呼び出されました。先生によると、アメリカの学会から秘密裡にニュースが先生に送られてきて、当時原爆製作を競争していた日本より先にアメリカで成功したというのです。そして、その第1回現地テストを広島で行なう予定が決まった。できるだけ早く両親を疎開させなさいということでした」

 「西村先生に呼び出された時、先生の横に原子物理の湯川秀樹教授が座っておられた。それで、てっきり湯川教授からの秘密情報かと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。西村先生がアメリカとの独自のルートを持っておられたようだ」

陸軍広島幼年学校  疎開は6月に行われ、49期生と47期生が高田郡吉田町(現在の安芸高田市)に、また48期生が甲奴郡上下町(府中市)に移住していた。生徒の総勢は670名ほどであった。なお、疎開のことを陸幼では「転営」と言っていた。彼らは、第二総軍の畑元帥の命を受けて6月に「転営」となった。「6月」に注目したい。広島に原爆が投下することがほぼ決定したときである。畑元帥のおかげで彼ら670名は助かった

広島高等師範附属中学校  千田町(現在の広島大学千田キャンパス付近)にあり、ここも爆心地から1、5キロであり、疎開をしていなかったら大きな犠牲が避けられなかったところである。附属中学の1年生120人は賀茂郡原村(現在の東広島市)へ、2年生120人は豊田郡戸野村(東広島市)、また科学学級は比婆郡東城町(庄原市)へと疎開した。疎開の名目は、一応「農村動員」としていた。このうち科学学級というのは、44年2月にスタートした理数系に秀でた生徒を集めたもので、全国では東京、京都と広島にあった。戦況が厳しさを増すなかで、いわば速成で科学者の卵を養成しようとしたもので、湯川秀樹博士らの進言と軍の後押しで創設されたものである。生徒たちは動員に出ることなく、ずっと授業を続けていた。・

 湯川は自分が原爆製造に関わったことをすっかり忘却し、ひたすら壇上から、平和主義と世界連邦を唱えた。
 広島と長崎で死んでいった人々よ、広島と長崎で被爆し苦しみの中に生きていく人々よ、汚れちまった「平和」という言葉に代わる、ほんとうに美しい言葉を生き残った私たちに教えてほしい。

http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-589.html

真実は今も闇の中にあるのだろうか。


10. 2013年8月06日 21:51:45 : Fd1edlHVok
鬼塚の著書によると、天皇も広島、長崎への原爆投下を事前に知っていた。
玉音放送を15日にしたのも米国側とすべて通じてのものだった。
戦争の真実を知れば知るほどアホらしくなる。
そして今、福島、東北、北関東の人達が人体実験の対象にされている。
何とかんらんのか。

11. 2013年8月07日 02:13:35 : zKhrRT3tBk
嘘八百の大江戸八百八百長。それもこれも、ジュリアン・アサンジュ氏のウキィリース、エドワード・スノーデン氏(CIA&国家安全保障局(NSA)の 局員)がバラシタ真実。彼らの国民が知る権利を白日の下に晒した命を賭けた功績は大きいぞ!
諸君、無駄にしてはだちかんぞ!

12. 2013年8月07日 02:15:56 : zKhrRT3tBk
11訂正、ウキィリークス。

13. 2013年8月07日 08:55:04 : mnVbb3QVME
11再訂正 ウィキリークス

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