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副総理兼財務相の麻生氏は、戦前ドイツのナチスを引き合いに「あの手口を学んだらどうか」と発言したことについて、1日、発言を撤回した。
だが、海外は敏感に反応、国内では野党だけでなく与党の中からも批判が出ていた。東京新聞によると、同日、連立与党の公明党の山口代表も記者会見で「本人が撤回したのだから撤回に値すると認識したのだろう」「枢要な立場の政治家は発言に重々配慮すべきだ。自らにも言い聞かせながら、慎重に対応していきたい」とした。自民党の石破幹事長も、「ユダヤの方々からの意見もあるようなので、政府として誤解を招くことがないよう、きちんと対応すべきだ」と記者団に話した。
ただ、菅官房長官は麻生氏の進退問題について、「(辞任には)あたらない」と否定した。「本人も発言を撤回したし、安倍内閣としてナチス政権を肯定的にとらえることは断じてない。私の会見で、みなさんにご理解いただきたい」(朝日新聞)と理解を求めた。古屋圭司国家公安委員長も「副総理もピシッと正式に撤回したから、これで一件落着じゃないか」と述べた。
(JCJふらっしゅ「Y記者のニュースの検証」=小鷲順造)
この件についての報道に遅れが目立っていたテレビ各局だが、この日、NHKニュースは麻生氏の発言撤回と菅官房長官の「辞任にはあたらない」との「今日で幕引き」宣言を伝えることに終始した。一方でテレビ朝日は、報道ステーションで、麻生氏の発言を音声で流し、問題発言のあった29日当日の映像(静止画等)も付け加えて、慎重姿勢ながら視聴者との問題共有をはかった。
麻生氏は「ナチスの手口を学んだらどうか」と自ら発言したことについて、以下のように主張して撤回の理由とした。だが、発言の訂正も謝罪もしていない。
1)私は憲法改正については、落ち着いて議論することが極めて重要であると考えている。この点を強調する趣旨で、同研究会においては、喧騒にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげた。
2)私がナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえていることは、私の発言全体から明らかである。
3)この例示が、誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい。
麻生氏は2日午前にも、自身の「ナチス」発言を受けて野党から閣僚辞任や議員辞職を求める声が出ていることについて、「辞職するつもりはない」と話し、また、発言を非難している米国のユダヤ系人権団体などへの謝罪に関しても、「(意思は)ありません」(時事通信)と否定している。菅官房長官も2日午前、「1日に本人が撤回したわけで、これで決着だと思っている」と話して、政府として「幕引き」を急ぐ姿勢を露骨に示した。
読売新聞によると、<民主党や日本維新の会など野党6党は2日、麻生副総理の「ナチス発言」に関連し、予算委員会での審議を求めることで一致>したが、自民党は、すでに発言が撤回されていることからそれに応じない方針。この件での野党6党の結束については、しんぶん赤旗も3日付で、<日本共産党、民主党、日本維新の会、みんなの党、生活の党、社民党の6野党は2日、国会内で国会対策委員長会談を開き><麻生太郎副総理によるナチスの「手口を学んだら」とした発言について協議し、この問題で予算委員会の集中審議を開くよう与党に要求することで一致>したことを伝えた。国会対策委員長会談では、発言を批判する声明を検討することも確認したという。
このとき、共産党の穀田国対委員長は、「ナチス肯定発言は、極めて重大だ。閣僚として失格であることはもちろん、政治家としての資格も問われる」として、「国会のしかるべき場できちんと議論すべきだ」と語り、ヒトラーが暴力と弾圧で独裁体制を築いた経緯を指摘しつつ、「『この手口に学んだら』というのはまさにナチズムの肯定そのものだ」と厳しく批判している。
ただ日本経済新聞は2日午前、菅官房長官が閣議後の記者会見で、麻生氏の「ナチスの手口を学んだらどうか」発言に対して、野党側が批判を強めていることについて「議論の余地のある問題ではなく、国会で審議する性質のものではない。1日に本人が撤回したわけで、これで決着だと思っている」と述べて、幕引きを急ぐ姿勢を再度示したことを速報したことを伝えるとともに、<同日の閣議や閣僚懇談会では、発言に関する麻生氏の説明や安倍晋三首相からの指示は特になかったという>と、閣議や閣僚懇談会の模様を付け加えて報じている。
2日、首相の安倍氏は、内閣法制局の山本庸幸長官を退任させ、後任に小松一郎駐フランス大使を充てる方針を決めている。小松氏は、「集団的自衛権に関する政府解釈見直しに前向き」として知られている。
翌3日、共同通信はこの方針決定について、「小松氏を起用し、行使容認に向けた布石を打つ狙いがあるとみられる。内閣法制局長官は内閣法制次長が昇任するのが慣例で、今回の人事は極めて異例」と伝えた。
日本経済新聞が報じたように、2日の閣議や閣僚懇談会では、麻生氏の問題発言について、麻生氏本人の説明や首相の安倍氏からの指示などは特になかったとすれば、政府は「先を急いでいる」といえるだろう。内閣法制局の長官に「集団的自衛権に関する政府解釈見直しに前向き」の人物を起用し、「集団的自衛権」について「権利はあるが行使はできない」との憲法解釈を繰り返し示してきた内閣法制局を、「つくり変える」――。
共同通信は3日午前配信の「集団的自衛権見直し布石の異例人事/丁寧な説明不可欠/法制局長官に小松駐仏大使」の記事に付した解説で、以下を指摘している。
1)集団的自衛権については、日本の安全保障や外交の行方を左右する重要問題だけに、巨大与党による「決められる政治」の遂行にとらわれるのではなく、丁寧な説明が欠かせない。
2)従来の政府解釈は内閣法制局長官答弁の積み上げで成り立ってきただけに、長官人事だけで済まされる問題ではない。
3)麻生太郎副総理兼財務相の「ナチス発言」に批判が集中したように、保守色が強いとされる安倍政権の「右傾化」傾向には国内外から厳しい視線が向けられている。
4)人事は首相の専権事項とはいえ、自分の進めたいように水面下で環境整備を進めていると受け取られれば、政権への不信感は増すだろう。
その「右傾化」傾向に内外から警戒の目が向けられている安倍政権だが、内閣法制局長官の首の挿げ替えには、この麻生ナチス発言について東亜日報が見出しにつけたように、「ナチスのように誰も気がつかない間に改憲を」の策動、地盤固めを焦る政権の姿が垣間見える。共同通信によると、内閣法制局長官の交代は、8日にも閣議で正式決定するという。共同通信は、「人事は首相の専権事項とはいえ、自分の進めたいように水面下で環境整備を進めていると受け取られれば、政権への不信感は増すだろう」と指摘するが、市民とメディアの連帯による大きな反対のうねりがなければ、参院選で大勝して「ねじれ解消」を成し遂げた安倍政権は、れを背景に(選挙の争点でもなく、だれもそんなことは認めていないのに)、集団的自衛権の解釈改憲へと突っ走る可能性がある。
早期の幕引きを主導しているのは首相官邸であることを早々に明白にしたのは、朝日新聞の1日付、<安倍首相「撤回、早い方がいい」 麻生氏ナチス発言>の記事だ(朝日新聞の1日未明からのあわただしい動きの背景の一端は、ここにあることがわかる)。
記事によると、29日の麻生氏の問題発言を翌朝に一部メディアが報じると、官邸内に「日本として恥ずべき発言だ」(首相周辺)との懸念が噴出した。米国の代表的なユダヤ人人権団体の反発が伝わると、「できるだけ早く収束させた方がいい」(政府高官)という雰囲気が広がった。それをうけて、菅官房長官が31日昼、地元・福岡にいた麻生氏に電話で「誤解を受けるような状況になっています。考えをメディアの前で述べていただきたい」と要請。麻生氏は、「俺は憲法改正は静かな雰囲気でやった方がいいよという意味で言ったんだけどな。誤解されているなら撤回しないといけないな」と応じたという。
また、麻生氏のとの電話を終えた菅氏から報告を受け、首相の安倍氏は「撤回は当然だ。早い方がいい」と指示、第1次内閣で閣僚の失言に悩まされた教訓も生かして、財務省や外務省の官僚らが官邸と連絡を取って撤回コメントづくりに着手した、という。
1日午前、麻生氏が「ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい」とコメント文を読み上げ、その30分後に、菅官房長官が会見で「安倍内閣がナチス政権を肯定的にとらえることは断じてない」と強調する――。
麻生氏は訂正も謝罪もせずに「撤回」のみする、官房長官がそれでは足りないと思われる部分をフォローする――。
このシナリオで決着するまでのやり取りは、いろいろ想像できる。麻生氏の「譲れる限界」をめぐり、相当の行きつ戻りつがあったことと思われる。そして行き着いたのが、麻生氏の訂正なし、謝罪なし、いかなる辞任もなしの「撤回」ということなのだろう。そして、菅官房長官の「安倍内閣がナチス政権を肯定的にとらえることは断じてない」と強調したコメントなのであろう。
「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(米国のユダヤ人人権団体)のエイブラハム・クーパー副代表が、朝日新聞との電話インタビューで「発言を撤回したのは適切だった。だが、見たところ彼は今、(当時は)逆のことを言おうとしたと言っているが、ナチスのたとえを使った理由が不可解なままだ」と語ったのも無理はない。
訂正もしない、謝罪もしない麻生氏の「撤回」。誰が麻生氏の「ある日気づいたらワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。あの手口に学んだらどうかね」の発言が、いい間違いや、言葉足らず、誤解を与えかねない一時的なミスだったと認めるだろうか。だれがわざわざ日本の官邸主導の猿芝居にだまされ、麻生氏の訂正なし、謝罪なし、いかなる辞任もなしの「撤回」を、好意的に受け止める気になるだろうか。
だが、首相官邸は麻生氏の深刻な問題発言について野党側が求める国会審議には応じない姿勢をかたくなに守り、「集団的自衛権見直し布石の異例人事」への突入を急ぐ。
首相の安倍氏自身が4日、島根県で記者団の質問に答えるかたちで、「安倍政権としてナチスを肯定的に捉えることは断じてないし、あってはならないことだ」と強調し、野党側が求める国会審議に応じない考えをあらためて表明した。この「安倍政権としてナチスを肯定的に捉えることは断じてないし、あってはならないことだ」こそが、国際社会向けのメッセージとして官邸主導で用意した、苦肉の策というわけである。
安倍政権は、政権が用意したメッセージと、麻生氏の訂正なし、謝罪なし、いかなる辞任もなしの「撤回」パフォーマンスのセットで、自ら招き寄せた重大事態を乗り切れると踏んでいるのである。
麻生氏の「ナチスの手口を学んだらどうか」の真意は、「ナチスのように誰も気がつかない間に改憲を」にあるとする。
安倍氏が進めようとしている内閣法制局長官の首の挿げ替え(「集団的自衛権に関する政府解釈見直しに前向き」の人物)による、集団的自衛権を容認し戦争のできる日本への「つくり変え」は、まさに「ナチスのように誰も気がつかない間に改憲を」への道である。
麻生氏の「ナチスの手口を学んだらどうか」の真意を認め、その問題を認め、それを謝罪し発言や発言中の間違いを修正し撤回することは、そのまま安倍氏が願ってやまない「集団的自衛権の解釈改憲」をはじめとする「自民党式改憲」(復古改憲国家主義)の問題と過ちと間違いを認めることにつながるのだから、麻生氏の「譲れる限界」の設定もまた、麻生氏本人の性格や資質の問題にとどまることなく、政権のシナリオから導き出されてくる、ということになるのだろう。
(こわし・じゅんぞう/日本ジャーナリスト会議会員)
http://jcj-daily.seesaa.net/article/371200211.html#more
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