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731部隊の人体実験・細菌戦はぜんぶウソ(全て作り話)(情報ごった煮ブログ)
http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/134.html
投稿者 会員番号4153番 日時 2013 年 8 月 05 日 06:05:32: 8rnauVNerwl2s
 

「ハバロフスク裁判では審理されたが、ソ連に抑留・拘禁された捕虜?の証言は、「人を凍結して復活させる実験とか、心臓を交換する実験」など、誰も信じない荒唐無稽な内容であり、反日左翼学者でさえ呆れて相手にしない。
 ところが、1980年代になると中帰連(支那共産党によって洗脳された精神障害者の団体)の湯浅謙や推理小説作家の森村誠一らが、それをネタ元にして様々な作り話を考え、まるで史実であったかのように宣伝した。その後、大学教授(経済学部)の松村高夫が古本屋で見つけた自然感染とか動物実験とか死体解剖とかの医学書を「731部隊の生体実験の資料」として資料集に所収したりしたが、全部嘘っぱちだ。
細菌戦
 1993年、吉見義明は、元陸軍参謀本部の井本熊男の業務日誌の中に細菌戦に関する記述があることを防衛庁の図書館で発見した。4年後、それを証拠として、4人の支那人が731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟を起こした。ところが、井本熊男の業務日誌の細菌戦に関する記述は、おかしなことばかりだ。
結局、731部隊の細菌戦というのは、インチキ事実認定が平気でまかり通る民事訴訟であるにもかかわらず、客観的証拠が何ら提出されなかったために、裁判所は事実認定についても触れなかった!」

結局、左翼の主張には外国勢力の操られた政治的プロパガンダで、すべてデタラメだということ。それを仲間を連れて来て証言だ、裁判だと大騒ぎする。

反日のためなら中共にも北朝鮮にも、そしてアメリカにも魂を売る。国籍不明の反日左翼とはそういう連中です。


■情報ごった煮ブログから
 http://cooljapan2.jugem.jp/?eid=978


731部隊の人体実験・細菌戦はぜんぶウソ(全て作り話)
写真もウソ。1910年に満州でペストが大流行した時の写真
http://matome.naver.jp/odai/2135820439688952301
http://megalodon.jp/2013-0521-0101-24/matome.naver.jp/odai/2135820439688952301
731部隊が人体実験をしたというマトモな資料は何一つない。
南京大虐殺をでっち上げた東京裁判でも審理すらされなかった。
ハバロフスク裁判では審理されたが、ソ連に抑留・拘禁された捕虜?の証言は、「人を凍結して復活させる実験とか、心臓を交換する実験」など、誰も信じない荒唐無稽な内容であり、反日左翼学者でさえ呆れて相手にしない。
ところが、1980年代になると中帰連(支那共産党によって洗脳された精神障害者の団体)の湯浅謙や推理小説作家の森村誠一らが、それをネタ元にして様々な作り話を考え、まるで史実であったかのように宣伝したのだった。
 その後、大学教授(経済学部)の松村高夫が
古本屋で見つけた自然感染とか動物実験とか死体解剖とかの医学書を「731部隊の生体実験の資料」として資料集に所収したりしたが、全部嘘っぱちだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12852767.html
http://megalodon.jp/2013-0521-0104-48/blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12852767.html
動物に対する実験すらも、人間への実験と解釈して、証拠物件に挙げていた
「第二章に『潤背筋』と書いてありますが、こんな名前の筋肉は人間には無いですが、馬にはあります」
なるほど、こういう動物に対する実験すらも、人間への実験と解釈して、証拠物件に挙げていたわけだ。
まー、素人は験体が動物か人間かまでは、区別できないからね。
要するに、日本を悪者にできる材料なら、何でもいいわけだな。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12923955.html
http://megalodon.jp/2013-0521-0109-05/blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12923955.html
篠塚良雄という元731部隊の少年隊の一員だった爺がいる。この篠塚良雄はテレビに出演するのが大好きだ。
2005年8月6日(土曜日)の「朝まで生テレビ」にも出演し、「中帰連だ」と恥ずかしげもなく自己紹介し、「731部隊に志願して入ったのは1939年」と証言し、
医学部出身でもなく医療の知識がないのに保菌部隊に入れて、
よくよく計算すると、志願した当時、なんと14歳だった篠塚良雄(81歳)。
その篠塚良雄・81歳は、2006年1月17日の『筑紫の「ニュース23」(TBS)』の【731部隊の石井中将の日記特集】にも出演して、「証拠隠滅のために731部隊に収容していたマルタを全員皆殺しにした。」と証言した。
しかし、731部隊に14歳の少年兵が所属する「少年隊」はなかった。
もう一人、似たような奴がいる。
http://tenjin.coara.or.jp/~makoty/library/memory731.htm
森下清人(元七三一部隊少年隊2期生)
 インタビューは大分協和病院において91年9月に行われた
<少年隊に入隊>
いや、飛行機です。そのために専用の飛行場持っとるんですから。呑龍(どんりゅう)いう大きな飛行機も持っとるんです。
あれで上海やら重慶やらから直接連れてきとったんじゃないですかねえ。そりゃハルピンからも連れてきとったんかもしれませんけど。
よく深夜とか明け方近くに飛行場の滑走路に明りがともるんですよ。そしたらゴーいうて大きな爆音がして飛行機が着陸するんです。少年隊の宿舎からちょいちょい見えてました。
ああ、またマルタ連れてきたなあ思いよりましたですなあ
www
戦後も時が経ち、反日思想が充満すると、人はこうもいい加減な事を口走るようになるのだろうか。
こいつは、マルタを重慶から連れてきたように想像している。
日本軍がいつ重慶に行ったのだろうか。
重慶は国民党(蒋介石政府)の首都だが、日本軍はここを陥落していないし、占領もしていない。
戦後の馬鹿ガキなら間違えても仕方ないが、当時、その時代を生きていた日本軍の者が、安易にこんなことを口走るとは。
占領もしていない重慶から、どうやってマルタを連れて来たのか?!
 ちなみに、こいつは、昭和17年(1942年)の3月29日に、大分高等小学校を14歳で卒業し、ハルピンに向かい、731部隊の「少年隊」に行ったそうだ。昭和17年といえば、上海では戦闘などなく、ほとんど日本の支配地みたいなものだった。どうしてそんな上海からマルタを連れて来る必要があったのだろうか。
 外国人や報道関係者も多いし、人目が憚られる。もう少し戦地に近いところで、捕虜で死刑にすべき者などを連れてくれば良かったし楽だったろうに。よりによって、こいつは、
【日本軍が占領もしていない敵の中心地の重慶】や【外国人や報道関係者が沢山居た大都市の上海】からマルタを飛行機に乗せて満州国へ連れて来ていたと考えていた。
こんなことを話した時点で、法螺話であることがバレバレだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12992996.html
http://megalodon.jp/2013-0521-0116-00/blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12992996.html
「人間に感染する細菌の量を人間で実験した」というのである。
731部隊にかかわる論争はこの一点の真偽を確定することに限ってのみ根拠がある。
が、他の事項に関しては論争する以前のものばかりで、
何らの根拠も存在せず、妄想の域のものばかりである。
加えてヒル・レポートは、
人体実験の「唯一の物的証拠」は、石川太刀雄丸が敗戦前の
1943年に日本に持ち帰った病理標本だけ、と結論付けている。
731部隊にからみ、人体実験の“証拠”はそれ以外まったく存在しないのである。
 第二次世界大戦中、細菌兵器を攻勢作戦で使用できる態勢にあったのは英国、ロシア、米国の三ヶ国であった。化学兵器では最先進国のドイツはなぜか細菌兵器では遅れをとった。石井中将が発明した宇治式爆弾のお粗末さを見てもわかるように、日本は、英米露から見ればB兵器の後進国であった。
 前に述べたフェル第一レポートですら、「我々(米国)が大規模生産という点でも、気象学の研究という点からも、実用的軍需生産という点でも、日本より十分優れていたことは明白である」と述べている。
石川太刀雄丸がもっていた病理標本のほかは、米国は石井731部隊から学ぶものがなかった。
東京裁判に訴追しなかったのは、取引をしたからではない。「免責」という言葉を与えたようだが、
初めから訴追する気がなかった。
石井731部隊の訴追にソ連の謀略の匂いを、米国は充分に嗅ぎとっていたからである。
 一言付け加えるならば、
病理標本(臓器標本ではない)は大量の臨床例があれば人体実験をしなくても作成できる。
そして満州は風土病の宝庫だった。
病理標本の存在だけで、人体実験の実在を断定することは不可能だ。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13135270.html
http://megalodon.jp/2013-0521-0126-54/blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13135270.html
 常徳のペスト流行について1941年11月4日の日本軍機による細菌散布により発生したとの支那側の発表に対して
米英などは当初から懐疑的だった。
米英は、重慶政府の発表のはるか以前に、独自の情報網を使ってその発生の原因と経過についてかなり正確な情報を入手していた。
英のポートン細菌研究所は、
飛行機から地上まで物体が落ちる道筋をたどった目撃者が特定されていない。
物体(穀類、紙、木綿ぼろ)が見つかった付近には通常のゴミの山が見られた。
収集された米穀類からペスト菌が発見されなかった。
常徳では以前にペスト流行はなかったとされているがそれを証明できる死亡統計が得られていない。
などの理由により、ペストの流行が風土病である可能性を排除できないとして
常徳のペスト流行が日本軍の細菌投下によるものであることを否定した。
そもそも、大量のペスト感染ノミを製造するのは不可能なのだ。
100グラムのノミを製造するのに1600頭の白鼠が必要。そうすると、10キログラムのノミを造るには160,000頭の白鼠が必要。こんなに大量の白鼠をどうやって集めるのか。
しかも、白鼠の固鼠器内の生命は約一週間という。頻繁に取り替えなければならない。これでは、大量に作るまでに時間がかかる。最後の一匹が出来たとき、最初に造ったノミは生きているのか。
結局、
ノミの人工的な大量繁殖は不可能で、ノミ(ペスト菌)を使っての細菌戦も嘘っぱち
ということだ。それから、
田中淳雄少佐が余暇にノミの増殖研究を命ぜられたのは1943年だから、
1940年〜1942年に731部隊の細菌戦によってペスト被害に遭ったとする「731細菌戦賠償訴訟」は完全な出鱈目なのだ。
 田中淳雄少佐は1913年生まれで、1941年に京大医学部卒業、同年軍医学校で防疫学を学び、翌年関東軍防疫給水部に入隊、終戦まで主としてペスト防疫に従事していた人物。
 この尋問録は、1945年10月30日に京都の都ホテルにおいて行われた、米軍のムーレイ・サンダース軍医中佐による、田中少佐への尋問の記録であり、この尋問の前提として、サンダース中佐は「戦争犯罪を云々するもので無く飽く迄科学者として話したい」と田中少佐に語っている。
 命ぜられたのが「昭和18年(1943年)」であったことに注目。
「1943年、余暇にノミの増殖研究を命ぜられたが、到底不可能であることが判明した」というのが真実なのだ。
つまり、1940年〜1942年に731部隊の細菌戦によってペスト被害に遭ったとする「731細菌戦賠償訴訟」(1997年提訴)は、最初から嘘っぱちのでっち上げだったのだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13373119.html
http://megalodon.jp/2013-0521-0138-47/blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13373119.html
731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟が、実際のところは、どうだったのかと言うと、
実は東京地裁の判決文には、【客観的証拠は何ら提出されなかった】と述べられている。
つまり、731部隊の細菌戦というのは、インチキ事実認定が平気でまかり通る民事訴訟であるにもかかわらず、客観的証拠が何ら提出されなかったために、裁判所は事実認定についても触れなかったのだ!
これで、731部隊が行ったとされる細菌戦なるものが嘘っぱちのでっち上げであることが確定したのだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13445297.html
http://megalodon.jp/2013-0521-0143-52/blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13445297.html
要するに、731部隊(関東軍防疫給水部)が行っていたことは、近年イラク派遣自衛隊が行っていたのと同じようなことだ。
防疫・給水、すなわち、疫病の研究をして清潔な水を供給することが任務だったのだ。
ただ、ソ連や支那が細菌戦を実行したので防衛的細菌戦の研究を行ったということだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13519895.html
http://megalodon.jp/2013-0521-0146-28/blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13519895.html
731部隊(関東軍防疫給水部)は細菌戦研究はしていたものの、細菌戦を行った証拠は全くなかった。
米国立公文書館は、731部隊が満州で行った細菌戦研究などに関する米情報機関の対日機密文書10万ページ分を公開した。
石井四郎中将を始めとする731部隊関係者の個別尋問記録や、石井中将が細菌戦研究の成果を1947年6月ごろ執筆し米軍に引き渡したことを裏付ける最高機密文書も明らかになった。文書内容の大半は731部隊など細菌戦研究に関する内容だった。
ナチス・ドイツと日本の「戦争犯罪」を調査するため、クリントン政権当時の99年に構成された記録作業部会(IWG)は、
「慰安婦問題」などの悪事を裏付ける文書も探したが、証拠は見つからなかった。
奉天(瀋陽)の収容施設で、連合軍の捕虜に細菌実験が行われなかったかを調べたり、日本からの風船爆弾が細菌戦に使われないかを調べたりしたが、「当面は細菌戦を想定していない」と結論づけた文書も公開された。
つまり、アメリカが持っていた731部隊に関する10万ページの機密文書には、731部隊が人体実験を行ったり細菌戦を行った証拠は全くなく、戦後に言われたことは全て嘘っぱちのでっち上げだったのだ。
 古今東西、細菌戦の研究はどこの国でも行われており、問題は実際に細菌戦を実行したかどうかだ。
支那事変で支那軍が細菌戦を行ったことは間違いないし、ノモンハン事件でソ連軍も細菌戦を行った形跡がある。
731部隊は、そのような支那軍やソ連軍の細菌戦から日本軍や住民を守るために防衛的細菌戦研究を行っていたことはよく知られている。
支那軍による虐殺4・上海における支那軍の細菌戦
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/11173905.html
人体実験・生体解剖など
 森下清人や「中帰連」の篠塚良雄などは自分の犯罪を証言したが、二人とも731部隊に入隊したのが14歳のときだと証言しており嘘がばれている。
 GHQの占領下で、米国は石井四郎ら731部隊関係者を調査した。それらのレポートの中で、「人体実験の証拠」となる可能性が残るモノは、「人間に感染する細菌の量を人間で実験した」というヒル・レポートのみで、その「唯一の物的証拠」は、石川太刀雄丸が敗戦前の1943年に日本に持ち帰った病理標本だけだが、その病理標本も証拠にならないと判明した。
以上のように、731部隊が人体実験をしたというマトモな資料は何一つない。
南京大虐殺をでっち上げた東京裁判でも審理すらされなかった。
 ハバロフスク裁判では審理されたが、ソ連に抑留・拘禁された捕虜?の証言は、「人を凍結して復活させる実験とか、心臓を交換する実験」など、誰も信じない荒唐無稽な内容であり、反日左翼学者でさえ呆れて相手にしない。
 ところが、1980年代になると中帰連(支那共産党によって洗脳された精神障害者の団体)の湯浅謙や推理小説作家の森村誠一らが、それをネタ元にして様々な作り話を考え、まるで史実であったかのように宣伝した。その後、大学教授(経済学部)の松村高夫が古本屋で見つけた自然感染とか動物実験とか死体解剖とかの医学書を「731部隊の生体実験の資料」として資料集に所収したりしたが、全部嘘っぱちだ。
細菌戦
 1993年、吉見義明は、元陸軍参謀本部の井本熊男の業務日誌の中に細菌戦に関する記述があることを防衛庁の図書館で発見した。4年後、それを証拠として、4人の支那人が731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟を起こした。ところが、井本熊男の業務日誌の細菌戦に関する記述は、おかしなことばかりだ。
結局、731部隊の細菌戦というのは、インチキ事実認定が平気でまかり通る民事訴訟であるにもかかわらず、客観的証拠が何ら提出されなかったために、裁判所は事実認定についても触れなかった!
 また、「田中淳雄少佐尋問録」によると、
1943年、余暇にノミの増殖研究を命ぜられたが、到底不可能であることが判明した。
つまり、1940年〜1942年に731部隊の細菌戦によってペスト被害に遭ったとする「731細菌戦賠償訴訟」(1997年提訴)は、最初から嘘っぱちのでっち上げだったのだ。
 当時も、英のポートン細菌研究所は、常徳のペスト流行について1941年11月4日の日本軍機による細菌散布により発生したとの支那側の発表を否定していた。
結論を言うと、731部隊(関東軍防疫給水部)が行っていたことは、近年イラク派遣自衛隊が行っていたのと同じようなことだ。
防疫・給水、すなわち、疫病の研究をして清潔な水を供給することが任務だった。
ただ、ソ連や支那が細菌戦を実行したので防衛的細菌戦の研究を行ったということだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13576514.html
http://megalodon.jp/2013-0521-0154-24/blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13576514.html

http://www55.atwiki.jp/staff-officer/pages/133.html

<参考リンク>

■「9条フェスタ」の「受け継ぐ会」で聞いた旧日本軍兵士の戦場体験(JANJAN)<愛国者篠塚良夫は14歳で731部隊入隊>
 http://www.asyura2.com/13/senkyo150/msg/442.html

※左翼の情報操作


 

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コメント
 
01. 2013年8月05日 07:16:36 : x4AoRpBPgg
>
アメリカ軍 との取引

終戦時に特別列車で日本に帰った石井ら幹部は、実験資料を金沢市に保管、千葉の石井の実家にも分散して隠し持っていた。戦後、石井は連合国軍による戦犯追及を恐れ、病死を装い、千葉で偽の葬式まで行い行方をくらます。

1947年1月、東京裁判ソ連側検事のヴァシリエフ少将が石井らの身柄の引渡しを要求。ソ連は既に731部隊柄沢(からさわ)班班長であった柄沢十三夫少佐を尋問し、アメリカやイギリスなどが把握していなかった中国での細菌戦と人体実験の事実を聞き出していた。

同年2月10日に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)内のアメリカ政府の関係者は本国政府に対して「石井達をソ連に尋問させて良いか」と電文を出す。同年3月20日、それに対しアメリカ政府は「アメリカ人の専門家に石井達を尋問させる。重要な情報をソ連側に渡してはならない」と回答。

石井は再度のGHQ内のアメリカ人による尋問に対し、「人体実験の資料はなくなった」と主張。さらに、アメリカの担当者ノーバート・フェル博士に文書での戦犯免責を求めると共に、「私を研究者として雇わないか」と持ちかけた。近年アメリカで公開された資料によると神奈川県鎌倉での交渉で731部隊関係者側が戦犯免責等9か条の要求をしていたことが判明。「日本人研究者は戦犯の訴追から絶対的な保護を受けることになる」、「報告はロシア人には全く秘密にされアメリカ人にのみ提供される」等と書かれており、731部隊の幹部たちは戦犯免責と引き換えに人体実験の資料をアメリカに引き渡した。最終報告を書いたエドウィン・V・ヒル博士は「こうした情報は人体実験に対するためらいがある(人権を尊重する)我々(アメリカ)の研究室では入手できない。これらのデータを入手するため今日までかかった費用は総額25万円(当時)である。これらの研究の価値と比べれば、はした金に過ぎない」と書いている。

この様なアメリカ政府との取引が行われた結果、東京裁判においても731部隊の関係者は誰1人として裁かれていない。なお、ソ連によるハバロフスク裁判では訴追が行われている。


02. 2013年8月05日 07:41:22 : 0lA2g9PaAc
すごいよ!!悪清和会〔検察支配〕は.ウソの名人だ!!この辺にしとこ………ネトウヨはどうせ与太者チンピラで、それなりの筋から金を貰って攻撃してくるから………米犬・新自由クラブ・・・読売「ネトウヨ」工作員 に邪魔されるから●○

03. むやうのすけ 2013年8月05日 08:30:59 : ltsuShGwyUDcQ : mycyBkblhE
731部隊ーフォート・デトリックでの生物兵器研究ーモンサント枯葉剤ーTPP参加ー遺伝子組み換え種子以外の生物絶滅・・・、まさに因果は巡るのであるが、だからこそ731部隊の存在に目をつむることは許されまい。参照、青木冨貴子著『731 石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く』(新潮文庫)。枯葉作戦については、中村梧郎著『母は枯葉剤を浴びた』(岩波現代文庫)。

04. 米犬 2013年8月05日 14:55:52 : PUHl6PtDGaXFs : 4Q80R8Zler
細菌兵器・生物兵器は未だに研究されている事柄。第二次世界大戦中でも世界各国で行われてきたことだ。特にマルタを使う必要はない。ラットで十分
左翼の宣伝は針小棒大にして話すことで、一般の人の意識を操作しようとする。

今現在では「脱原発関係のカルト的な話」がそれに相当するが、時間と共にそれが本当のこととして語り継がれるようになる。

情報は発信源が大切。左翼の物であったらまず100%嘘


05. 2013年8月05日 15:14:16 : qg4GWEyYBg
ヒル・レポート http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/burogu5.html

731部隊の残党は 武田薬品 ミドリ十字 (薬害エイズ)などの薬品会社 日本中の大学 予防研 などに迎えられた。


06. 2013年8月05日 21:00:43 : nEC2vcslYI
共産党も、1970(1980?)年代までは出鱈目プロパガンダ話をする時には
無責任でも済まされる作家(松本清張とか森村)を使っていたのが、
1990年代になると図々しくなって学者の肩書のある者(吉見とか)を
使うようになったのか。この変遷の理由は何なんだろう。やはり党首の性格の違いか?

07. 2013年8月06日 08:10:55 : 8uVcKCoSvs
 お医者の欲望を解放すると何が起きるの?だとか、文字通りの防疫給水だけであれほど大きな部隊が必要となり>>05が指摘したような一大人脈が形成されるのか?とかいった想像力の欠如した生ゴミが瀰漫闊歩ていることがよくわかる投稿だな。これでこの会員番号4153番と木卯正一が別人だったりするのなら、もう日本は既に死んでいるということだ。

08. 2013年8月06日 21:25:33 : ChuACHfA5I
731はアメリカでは60年代くらいまで行っていたはずのロボトミーとかはやってなかったの?

それとも本の執筆当時はロボトミーはまだ悪では無かったのか?


09. 2013年10月12日 12:23:48 : f9WdyZuW9Q
南京事件の否定捏造に加え、図に乗るウヨク外道どもは、ついに膨大な証拠、証言で認定済の731部隊による巨悪犯罪まで、全て尽く自分に都合よく歪め、臆面もなく否定捏造をでっち上げる、全くその卑劣きわまる悪辣さには、反吐が出る!!

山ほどの証拠物件は以前の、石井四郎に次ぐNo,2の北野政次をはじめ、証拠隠滅の元凶と言われる、元大本営作戦参謀の朝枝繁春に、篠塚良雄以下5名の一味残党らの確かな、陸軍全体によるバックアップの組織的関与の暴露証言で、すでに報道済みだ!!
この確たる事実も知らずに、タメにするウソデタラメをほざいてるのは、お前だけなんだよ!!
(テレビ朝日10ch, スクープ、鳥越俊太郎、'07/08/12, 14h〜放映)

●大体、あの現地ハルビン郊外の731本部施設での証拠隠滅で、慌てて爆破したあの残骸は何なんだ!!
お前がほざくように、人体実験も、毒ガス実験もなく、全てやましい犯罪の痕跡がなければ、何もソ連軍侵攻後、直ちに爆破証拠隠滅も、真っ先に日本本土に逃亡する必要性も、全くないではないか!!

●アメリカが、その後主犯石井四郎ら一味の、戦犯訴追と引替えに、醜悪な闇取引で入手した、精緻な図解入りの人体実験による症例の膨大なデータファイルは、一体何なんだ、どだい人体実験もやましい犯罪もなければ、戦犯訴追もクソも本来あるはずがないだろうが!!

それにしても、ウヨク外道どものプロパガンダだか何だか知らないが、今更この期に及び、ここまででっち上げの、悪質ウソデタラメをほざき立てるヤツがいるとは驚きだ!!

●「医学者たちの組織犯罪・・関東軍第731部隊」 常石敬一著 朝日新聞社、1999


10. 2014年8月10日 04:06:44 : nAuUAVbpUI
↓の証言ウソだったのか・・
ここでは、14歳じゃなくて16歳と言ってる。


平和のための戦争展
http://www.jcfa-net.gr.jp/tokyo/sensouten/syougen.html


・・・・・・・・・・


一方で、こんなことを言う人もいるが。


再掲載、731部隊の真実「泣いて生まれてきたけれど」から
.
2014/7/10(木)
http://blogs.yahoo.co.jp/honjyofag/54804138.html


(コメントの一つ)


@4x4x41000

今から二十年くらい前、私が世田谷区の三軒茶屋に住んでいた時、

731部隊の元兵士から話を聞いたことがあります。

その人曰く、森村誠一のあの本(悪魔の飽食)が出なかったら、

秘密は全部、墓の中に持っていこうと思っていた、と言っていたのを思い出します。


・・・・・・・・・・・


その老兵士から徹底的に聞いてほしかったね。


11. 2014年8月10日 04:28:08 : nAuUAVbpUI
このブログには、731部隊は捏造であるとびっしり書いてあった。

パソコン画面の動きが鈍すぎるので、邪魔が入っていると思われる。

森村誠一はきちんと裏を取っていない時点でノンフィクション作家失格だ。

それにしても、三茶屋のご老人、、、気になる。


  ↓

目が覚めて思うこといろいろ

http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-324.html


12. 2014年8月10日 04:37:04 : nAuUAVbpUI
もひとつ


削除したのはNHKだろうし、でっちあげレポートだった?
はっきりさせるべきじゃないか。みんなの受信料で成り立ってる放送局なんだから。
これは大問題だよ。
バイコク放送局ならお金払いたくない。

  ↓

731部隊の人体実験のレポート見つかる(NHKニュース)
http://www.youtube.com/watch?v=R9aaf5jZhLw&feature=youtu.be


13. 2014年10月25日 04:36:08 : aiMZAOJQqY
>731部隊が人体実験をしたというマトモな資料は何一つない。

日本から押収した資料がすべて公開されているわけではない。
テロリストが細菌兵器の製造に着手したら困るので、詳細を公開するはずがない。

>南京大虐殺をでっち上げた東京裁判でも審理すらされなかった。

米国との秘密取引で、研究成果を全部米国に渡す代わりに、当事者はすべて免責された。
米軍が、朝鮮戦争のときに、731部隊の研究成果を使って細菌兵器を使ったことも判明している。
(高杉晋吾氏の著作が詳しい)

>しかし、731部隊に14歳の少年兵が所属する「少年隊」はなかった。

当時は少年兵制度があり、14-15歳でも志願すれば兵隊になれた。
硫黄島では多くの少年兵が亡くなったことは有名。

731部隊にも少年兵は送られた。
篠塚良雄氏の著書「日本にも戦争があった」には、15歳で少年隊に志願し採用されたいきさつを
詳しく述べている。

森村誠一氏の「悪魔の飽食」以来、何十もの部隊員による人体実験の証言がなされ、
その証言に基づき多くの書籍が出版されている。

証言通り、中国にも731部隊の遺構が残っている。一般に公開されている。
http://4travel.jp/travelogue/10490820

これらの事実を一つ一つ、全部証拠を挙げて否定しなければ、作り話であるとは証明できないが、
それは絶対に不可能である。事実だからである。

731部隊が明るみに出た1980年代には、関係者はまだ多数生きていた。(例えば隊長の北野政次)
もしすべてが作り話なら名誉毀損で裁判に訴えてもよさそうなものだが、
そんな訴訟が起きたとは聞いたことがない。事実だからである。

また、731の残党は、戦後も乳児や自衛隊員、精神病患者を使って人体実験を繰り返しており、
犠牲者も出ている。これも高杉晋吾氏らの追及で明らかになっている。
薬害エイズも731部隊員の受け皿であったミドリ十字が起こした事件である。

そして現在、元731部隊の巣窟だった長崎大の学者たちが、安全デマを流布し、
福島で壮大な規模の人体実験を行っている。

731は終わっていない。

ネトウヨが都合の良いように歴史を改ざんしようとしても不可能である。

事実を消し去ることはできない。


14. 2014年10月29日 13:47:58 : aiMZAOJQqY
森下清人氏インタビュー

「731部隊元隊員証言記録」
http://www3.coara.or.jp/~makoty/library/memory731.htm
http://www.asyura2.com/0505/war73/msg/397.html

彼のインタビューの内容は詳しく、他の隊員の証言とも大方つじつまが合う。

でっち上げであるわけがない。


15. 2014年11月21日 20:32:02 : ZrnultheQM
大天使ミカエルとミカエルの仲間達

きままに投稿。(転載ネタが多いかもです)

731部隊  ロス疑惑

.
2014/2/28(金) 午前 0:29
http://blogs.yahoo.co.jp/mikaeru0628/38200241.html 全文
.


お腹いっぱいのところ、大変申し訳ないですが、
この恐ろしい佐々一族の話には、まだ続きがあります。

佐々淳行の義弟(佐々淳行の妹である佐々恭子の夫)の
山崎圭についても述べておきますね。

山崎圭は、薬害エイズで罪な無い人を殺害しまくった加害企業の
バイエル薬品の会長でした。薬害エイズ事件とは、1980年代に、
主に、血友病の患者に対して、加熱などでウイルスを不活性化しなかった
血液凝固因子製剤(非加熱製剤)を治療に使用したことにより、多数のHIV
(最終的にエイズを発症させるウイルス)の感染者および、エイズの患者を
生み出した事件です。

日本では、薬害エイズ事件によって、全血友病患者の
約4割にあたる1800人がHIVに感染し、うち約600人以上が既に
死亡しているといわれています。そして、この薬害エイズ事件において、
製造販売で民事で提訴された加害企業が、ミドリ十字(現在の田辺三菱製薬)、
化学及血清療法研究所、輸入販売で民事で提訴された加害企業が、バクスター、
そして、佐々淳行の義弟の山崎圭が会長を務めたバイエル薬品でした。

余談ですが、麻薬のヘロインを鎮咳薬として最初に発売したのが、このバイエル薬品のドイツ本社です。

さて、極左テロ組織の中核派が内ゲバで殺害した人数が、
およそ50人ですから、佐々淳行の義弟は、その12倍の人間を殺害したことに
なります。佐々淳行の義弟は、殺人鬼なのです。しかも、厚生省の薬務局長
からの天下りして、甘い汁をすすっていた人間でもありました。ミドリ十字や
バイエル薬品が共謀して行った600人虐殺は、凄まじいものでした。

さて、薬害エイズ事件の加害企業であるバイエル薬品の会長が、公安警察の首領
である佐々淳行の義弟であったことは、記憶しておいてもらいたいです。実は、
もう1つの薬害エイズ事件の加害企業であるミドリ十字から、公安警察の
前身組織である特高警察の支配者人脈が、ゴロゴロと出てくるからです。

佐々淳行と言えば、佐々淳行の師匠であり直属の上司である後藤田正晴
(警察庁長官)が、真っ先に脳裏に浮かぶかと思いますが、この後藤田正晴が、
ミドリ十字の社長だった松下廉蔵と同じ、旧制水戸高等学校の出身であることは
あまり知られていない事実ですが、この話には続きがありました。

後藤田正晴という男は、かなりの悪漢で、後藤田正晴は、フクニチ新聞と内外タイムスに
オウム真理教(カルト宗教)の広告を載せるように手配していた朝堂院大覚から、
5億円を超える献金を受け取り、さらに、後藤田正晴の後援会会長の息子は、
オウム真理教(カルト宗教)の大幹部の石川公一であったことは有名です。

また、後藤田正晴は、インタビューで、自身が、CIA(アメリカ諜報機関)と
深い関係にあったことと、CIA(アメリカ諜報機関)の本部に行ったことを
認めてもいますし、警察庁長官を辞めて政治家に転身した選挙のとき、
自身の陣営から、大人数の選挙違反者を出し、山口組(ヤクザ組織)の
顧問である尾崎彰春に対しては、「尾崎君は紳士だ」と評し、さらに、この
後藤田正晴の大甥の後藤田正純が、統一教会(カルト宗教)の下部団体である
UPF主催の文顕進の昼食会に出席していたことも、記憶すべき事柄でしょう。

そんな佐々淳行の師匠の後藤田正晴ですが、後藤田正晴は、一時期、自治庁の
官僚でもありました。1959年に、後藤田正晴を自治庁長官官房長に
抜擢した自治事務次官(自治庁の事務方のトップ)の名を小林與三次
(後の読売新聞社の名誉会長)と言い、正力松太郎(読売新聞社の社主)の
娘婿でした。

正力松太郎と言えば、第二次世界大戦前には、内務省の
警保局の直接指揮下の特高警察を指揮する立場にある警視庁官房主事を務め、
関東大震災の際に、朝鮮人暴動の噂を流布させて、朝鮮人虐殺を煽動した
ことが最も有名でしょう。正力松太郎が率いた特高警察が、平然と虐殺を
行うような、恐怖の秘密警察であったことは覚えておきましょう。
要するに、後藤田正晴は、正力松太郎の子分だったというわけですが、正力松太郎
もまた、
ポダム(PODAM)というコードネームをCIAから貰ったCIAのエージェントでした。

その正力松太郎の腹心に、高橋雄豺という人物がいましたが、高橋雄豺もまた、
第二次世界大戦前の警察官僚の1人として警視庁警務部長を務めた人間で、
正力松太郎の手引きで読売新聞社に入社した後、正力松太郎の右腕として、
読売新聞社の副社長を務めています。

さて、長い長い複線はここで終わりを告げます。
実は、この高橋雄豺の娘婿こそが、薬害エイズ加害企業である
ミドリ十字の財団の理事を務めて薬害エイズ殺人容疑で告訴された安部英
でした。

また、後藤田正晴は、ロッキード事件では、後に内閣総理大臣となる
中曽根康弘(ホモの内閣総理大臣)と共に、ロッキード社の軍用P3C対潜哨戒機の
導入疑惑がありますが、後藤田正晴が、ロッキード事件後に、中曽根康弘が
内閣総理大臣になったとき、中曽根康弘内閣で内閣官房長官を務めたことを
記憶して頂きたい。

要は、警察庁長官経験者の後藤田正晴は、中曽根康弘の
右腕だったわけですが、その中曽根康弘も、政治家になる前の一時期、
警視庁に勤務していた警察官僚であり、階級は警視でした。ちなみに、
中曽根康弘は、自分の回顧録『天地有情』の中で、「俺はCIAのテストを
受けた。英語もあった。論文も書いた。パスした。自分から進んでCIAの
テストを受けた」と書いているそうなので、ここで、正力松太郎、
中曽根康弘、後藤田正晴といった3大警察官僚OBが、全員、CIAのエージェント
であったことが分かります。
また、後藤田正晴の腹心だった佐々淳行自身も、
中曽根康弘内閣の下で、内閣官房内閣安全保障室長という役職を、中曽根康弘から
与えられていたことも重要なので覚えておきましょう。

さて、中曽根康弘が
(カルト宗教)に、何度も祝電を送ったことは有名ですが、後藤田正晴の
大甥である後藤田正純が、統一教会のイベントに参加し、さらに、佐々淳行の
義父(佐々淳行の妻である朝香幸子の父親)である朝香三郎が、日本窒素肥料
(チッソや旭化成の前身企業)の子会社である朝鮮窒素肥料の最高幹部として、
咸鏡南道興南(現在の北朝鮮の咸興市)の工場で、恐怖の『核実験』をしていた
ことや、その工場の跡地に、若かりし日の文鮮明(統一教会の教祖)が働いていた
こと、さらには、オウム真理教のナンバー2の大幹部である早川紀代秀が、
統一教会の元信者であったことは、併せて記憶に入れて頂たいです。

何故なら、
薬害エイズ加害企業であるミドリ十字の財団の理事を務めて薬害エイズ殺人
容疑で告訴された安部英を、厚生省エイズ研究班班長に任命した黒幕が、
中曽根康弘だったからです。

今度は、中曽根康弘、後藤田正晴、佐々淳行の
3人の警察官僚OBが、オウム真理教の大幹部である早川紀代秀と共に、
統一教会の関係者でしたが、その中曽根康弘の子分で中曽根康弘内閣で
労働大臣を務めた山口敏夫が、オウム真理教(カルト宗教)に資金援助をして
いたことや、山口敏夫に拳銃トカレフを渡した人物が、後藤田正晴のパトロンで、
オウム真理教の宣伝広告を請け負っていた朝堂院大覚であったことは重要です。

ここで、薬害エイズ事件の黒幕人脈と、オウム真理教事件の人脈が重複している
ことに気づかれると思います。

さらなる恐怖は、1993年に、オウム真理教が
起こしたとされている、炭疽菌による生物兵器テロ未遂事件の亀戸異臭事件です。
炭疽菌に限らず、ウィルス兵器という代物は、元のウィルスが無ければ、生成
することは出来ません。何故なら、人類の今の技術では、ウィルスであろうと、
無から生命を作ることが出来ないからです。

そういう意味では、無から作り出す
ことが可能なサリンなどの化学兵器と比べ、入手先の経路の特定が簡単なのが
ウィルス兵器です。何故なら、炭疽菌兵器の元の炭疽菌株を持っている組織は、
地球上で限られているからです。
炭疽菌株を持っていると見られている組織は、
アメリカ、イスラエル、そして、旧日本軍の満州第七三一部隊くらいだからです。

では、オウム真理教は、どこから炭疽菌を入手したのでしょうか?
1つ分かっていることは、松下廉蔵と安部英が在籍していたミドリ十字の前身組織が、
日本ブラッドバンクという医薬品メーカーであり、この日本ブラッドバンクの
設立メンバーのうち、北野政次、二木秀雄、野口圭一の3人が、石井四郎
(大日本帝国陸軍軍医中将)が率いた旧日本軍の人体実験部隊として悪名高い、
七三一部隊の出身でした。

七三一部隊が、日常的に、生体解剖や人体実験を
行った恐怖の集団であったことは有名ですが、その一方で、七三一部隊は、
炭疽菌などの生物兵器の開発を行っておりました。ですから、炭疽菌兵器の
開発を行っていた七三一部隊の残党たちが多数、流れ込んだ日本ブラッドバンクの
後身企業であるミドリ十字が、炭疽菌株を隠し持っていても、何も不思議では
ありません。

そこで、ミドリ十字とオウム真理教の両方と癒着していた中曽根康弘と
後藤田正晴が、ミドリ十字が隠し持っていたウィルス兵器の元となる炭疽菌株を、
オウム真理教に渡していたのではないか、という疑問も沸いて出ます。

また、
二木秀雄は、政界ジープの発行者でもありましたが、政界ジープの発行元である
政界ジープ通信社は、1956年に、一流会社や銀行、政治家などのスキャンダルや
暴露記事をネタにした恐喝など、19件の犯行で摘発され、政界ジープ通信社の
社長と、同社の大阪支局長などが検挙され、続いて、同社の14人を逮捕され
ました。政界ジープ通信社が起こした被害総額は6960万円の政界ジープ事件は、
戦後最大の恐喝事件となりました。

この政界ジープ事件で逮捕された政界ジープ通信社の
経営者が、日本出版協会に入り込み、その日本出版協会の理事長の石原萠記が、
石原萠記は、若き頃、当時は日本共産党の党員だった後の読売新聞社の会長となる
渡邉恒雄と共に、学生運動をしています。
渡邉恒雄が、その後、正力松太郎の
お眼鏡にかない、読売新聞社内の出世レースに勝ち抜き、最終的に、読売新聞社の
会長となったことは説明は必要無いでしょう。

さて、日本ブラッドバンクの発起人である川島忠についても述べておきましょう。川島忠は、あの『華麗なる一族』の
万俵家のモデルともなった岡崎財閥に婿養子入りした人間であり、岡崎財閥の
当主で神戸銀行(岡崎財閥の中枢企業)の会長である岡崎忠雄は義父。

で、川島忠の
兄妹の川島正の夫の桑田一夫と、内務省警保局長(特別高等警察のボス猿)と警視総監を
務めた町村金五の妻の桑田二葉が、兄妹という関係。町村金五は、正力松太郎の
後輩で、町村金五の息子が、統一教会と癒着している自民党の清和会の会長である
町村信孝で、町村信孝は原子力委員会委員長も務めています。要するに、薬害エイズ
加害企業ミドリ十字は、731部隊と特高警察の相乗り企業だったということです。

佐々淳行の実父の佐々弘雄が、リヒャルト・ゾルゲ(ソ連の伝説的なスパイ)の
右腕として、日本を大東亜戦争に導き、時の内閣総理大臣であった東條英機の
暗殺を目論んでいたことにはついて述べてきましたが、では、他の佐々一族の
人間は何をしたのでしょうか。それを言及しましょう。

始まりは、佐々淳行の
祖父の佐々友房(熊本国権党の創設者)。まず、佐々友房は1877年10月に
除族・懲役10年の刑を言い渡されて宮崎の監獄に収監されている『罪人』です。

宮崎の監獄から出獄した佐々友房は、1879年に現在の
熊本県立済々黌高等学校の前身に当たる同心学舎を創立していますが、後に
この熊本県立済々黌高等学校からは、赤軍派のメンバーでよど号グループの
メンバー・テロリストである田中義三(赤軍派のメンバー、よど号グループの
メンバー・テロリスト)が卒業しています。よど号グループの凶悪犯罪者は、
よりによって、佐々淳行の祖父の佐々友房が創立した学校から誕生したわけ
ですが、佐々淳行の父親の佐々弘雄と重信房子の父親の重信末夫の2人が、
四元義隆(エセ右翼)を通して親友であったという驚愕の事実を踏まえて
考えると、これは偶然ではないでしょう。

というか、先ほども書いたように、
佐々淳行の率いる腐敗警察の幇助によって、よど号のハイジャックを
成功させ、北朝鮮へ渡った田中義三は、ちょくちょく東南アジア諸国に
出没しては、偽ドル札であるスーパーKと北朝鮮産の覚醒剤を絡めた闇の
商取引を行っていましたが、田中義三が、タイのバンコクで、カルト宗教の
オウム真理教の大幹部の早川紀代秀(オウム真理教の最高幹部、統一教会の信者)と
頻繁と接触していました。

早川紀代秀は、オウム真理教に入会する前は、
韓国のカルト宗教である統一教会の信者でした。そう言えば、佐々淳行の
直属の上司に当たる後藤田正晴(警察庁長官、内閣官房長官)の大甥
である後藤田正純が、統一教会の下部団体であるUPF主催の文顕進
(統一教会の教祖である文鮮明の息子)の昼食会に出席していますが、これも
有名です。

また、後藤田正晴が内閣官房長官として仕えた中曽根康弘
(ゲイの内閣総理大臣)は、統一教会のイベントに何度も祝電を送っています。
中曽根康弘の指南役は、佐々弘雄の親友の四元義隆(エセ右翼)でした。
佐々淳行(伝説の警視正)の祖父が創立した高等学校から、赤軍派のメンバーで
よど号グループのメンバー・テロリストである田中義三が卒業生として
名を連ねている事実は記憶すべきことでしょう。

さらに、佐々一族が支配する
熊本県には、もう1人のよど号グループのメンバー・テロリストである
岡本武(赤軍派のメンバー、よど号グループのメンバー・テロリスト)が
います。岡本武の方は、熊本県立熊本高等学校を卒業後、左翼テロリスト
として、佐々淳行が警察組織を指揮して鎮圧に乗り出したことになっている
東大安田講堂事件に参加しています。

岡本武が熊本県立熊本高等学校に在籍して
いた頃の熊本県は、佐々一族が、熊本県の政界と教育界に君臨し、さらに、
熊本県屈指の新聞社である熊本日日新聞社と、熊本県のテレビとラジオを
放送する熊本放送を支配して、熊本県のメディアを牛耳っていました。
佐々家が支配し、佐々淳行の監視網が徹底していたであろう熊本県から、
たった9人しかいないよど号グループから、2人も輩出していることは
注目すべき事実でしょう。

熊本県は43ある都道府県の内の1つです。
2005年5月1日時点で学校教育法に基づく高等学校は全日制・定時制
合わせて全国に5418校あったそうですが、2005年での高等学校数で計算
すると、分母が5418校、分子が9人ですから、これがどれだけすごい確率か
分かると思いますが、この驚くべき確率に、佐々淳行の父親の佐々弘雄と
重信房子(赤軍派の幹部で日本赤軍の女指導者)の父親の重信末夫の2人が、
四元義隆(エセ右翼)を通して親友であったという事実を併せて考えてもらい
たいです。

そもそも、東大安田講堂事件が起きた東京大学の元祖学生左翼
グループの新人会に所属していた極左活動家は、佐々淳行の父親の佐々弘雄
です。

熊本日日新聞社は、1987年には、かつて、熊本南警察署の庁舎が
あった敷地に、日本で初めてとなる新聞博物館を開設しているわけ
ですが、これは、佐々家が熊本日日新聞社のオーナーであり、
佐々家の御曹司である佐々淳行が公安警察の首領であったことから
実現したことでありました。

話を戻します。監獄から出獄した佐々友房は、
同心学舎を創立して熊本県の教育界に進出し、さらに、1889年1月になると、
極右団体である熊本国権党を創設して政界に進出して、熊本県の教育、
政界、財界を支配する熊本エスタブリッシュメントの一画になりました。

佐々友房の後を引き継いで熊本国権党の党首となったのが、佐々家とは
親戚関係(佐々淳行の伯父{佐々友房の長男}の佐々信一の妻の原冬子の
兄妹の原董治{安達董治}の養父、ちなみに、原冬子と原董治には原義龍
というもう1人兄弟がいますが原義龍の息子の原勇策は東芝の取締役
として原発利権に食い込んでいる)にある安達謙蔵(乙未事変のテロリスト、
熊本国権党の2代目党首、内務大臣、国民同盟の創設者)でした。

安達謙蔵は、
三浦梧楼(奇兵隊のメンバー、熊本鎮台の司令長官、玄洋社の社員、浪人会の
主要メンバー)と共に、1895年10月8日に、在朝鮮半島の熊本県出身者を率いて
閔妃(李氏朝鮮の王妃)の暗殺を企て実行する乙未事変を引き起こし、投獄されて
います。

安達謙蔵が閔妃を暗殺した乙未事変の背後には、当時の朝鮮王朝内部
での事大党(清国への臣属を主張し反日グループ)と開化派(清国からの独立と
近代化を目指した新日グループ)の対立と、日清戦争の後の大日本帝国とロシア帝国
との朝鮮半島を巡る争いがありました。

閔妃は、実に頭の良い王妃であり、無能な
朝鮮王であった夫の高宗(朝鮮王)に代わり、実質的に朝鮮王朝を動かしていた女性
でした。そんなこともあり、高宗の実父である興宣大院君(李氏朝鮮の王族)と
閔妃は犬猿の仲であり、常に対立をしていました。

実父と妻の間で板挟みになって
いる状況にて、閔妃の尻に敷かれていた高宗は、実父の興宣大院君を追放して、
閔妃と閔妃の一族が実権を握って、朝鮮王朝を支配しました。閔妃は、
朝鮮半島の近代化を推し進めようと、開国政策をとり、大日本帝国と
日朝修好条規を締結するなどして、積極的な開化政策を行い、日本から
顧問を呼び寄せて、軍隊の近代化に着手しました。しかし、閔妃が新たに
設けた新式の軍隊に資金が投入される一方で、従来の旧式の軍隊は放置され、
賃金未払い問題なども発生した結果、旧式の軍隊による閔妃への不満が
高まっていきました。

そして、閔妃を逆恨みした興宣大院君は、閔妃が
放置した旧式の軍隊と組んで、閔妃の暗殺を試み、壬午事変を起こすと、
閔妃は、すかさず、清国の袁世凱(清朝の内閣総理大臣)にすり寄って、清国の
助けを借りて反撃に出ます。

そして、逆に、閔妃が興宣大院君を打ち負かし、
興宣大院君を清国の軍隊に連行させて、天津に幽閉してしまいます。この
頃から、それまでは新日路線であった閔妃は、清国に頼る事大主義に路線に
変更していき、清国への臣属を主張するようになります。

閔妃が率いた
事大党が行う清国への事大主義に対して、朝鮮半島の近代化が妨げられると
懸念して、閔妃の排除を目論んでいたのが、開化派の金玉均(李氏朝鮮後期の
政治家)と朴泳孝(李氏朝鮮後期の政治家、日本名は山崎永春)でした。

そして、
日清戦争で大日本帝国が清国を倒すと、大日本帝国は、清国サイドへ
寝返った閔妃を追い出すために、幽閉されていた興宣大院君を担ぎ上げ、
アンチ閔妃の金玉均と朴泳孝と手を結びます。大日本帝国に推す興宣大院君の
勢力は強くなり、一方で、閔妃の勢力は衰退していきました。

そして、
閔妃は、大日本帝国が推す興宣大院君と張り合うために、今度は、南下政策を
図っていたロシア帝国と手を組みます。それを良しと思わなかった三浦梧楼と
安達謙蔵は、開化派の金玉均や朴泳孝と組んで閔妃を暗殺したというわけです。

それが、1895年に起こった乙未事変でした。
三浦梧楼や安達謙蔵と組んだ金玉均と朴泳孝は、玄洋社からも支援を受けていました。
玄洋社の社員には、
ロシア革命でウラジーミル・イリイチ・レーニンに資金援助をした明石元二郎
(陸軍大将、ロシア革命の黒幕、玄洋社の社員)や、佐々弘雄の上司だった緒方竹虎が
所属しています。

そして、閔妃が暗殺された乙未事変が起こった1895年から、
およそ9年後の1904年に、大日本帝国とロシア帝国とが、朝鮮半島と満洲南部を
主戦場として、日露戦争を始めている歴史の流れは記憶すべきことでしょう。

ちなみに、乙未事変から15年後の1910年に、明石元二郎が、韓国統監を勤める
寺内正毅(後の初代朝鮮総督、内閣総理大臣)の下で、憲兵(大日本帝国陸軍直下の
警察)の司令官と警務総長を兼務して、韓国併合の過程で武断政治を推し進めて
います。

閔妃を暗殺した乙未事変を引き起こした首謀者の1人として投獄されて
いた安達謙蔵ですが、出獄すると、熊本県に帰って、佐々友房の後を引き継いで、
熊本国権党の党首となり、中央政界への進出を試みます。

安達謙蔵は、
1902年の衆議院選挙で初当選を果たして、国会議事堂入りをし、濱口雄幸
(内閣総理大臣)と若槻禮次郎(内閣総理大臣)の下で、2度に渡って、特別高等警察
(戦後の公安警察の前身)を管掌する内務省を指揮監督する立場にある内務大臣を
歴任し、満州事変(1931年 〜 1932年)の時には、特別高等警察を強化しています。

安達謙蔵が内務大臣を務めた時代に、安達謙蔵の支配する内務省で部下として
動いていたのが、特別高等警察を指揮する警視庁官房主事を務めた正力松太郎
(警視庁官房主事、読売新聞社の社主、日本テレビの創設者、初代原子力委員会委員長)
です。

正力松太郎が、後藤田正晴(警察庁長官、内閣官房長官)と中曽根康弘
(ゲイの内閣総理大臣)と渡邉恒雄(読売新聞社の会長、日本共産党の党員)といった、
3人の怪物達を顎で動かすボスであったことは有名です。

また、安達謙蔵は、
古屋慶隆(鉄道省の参与官)や、中野正剛(朝日新聞社の幹部記者、玄洋社の社員、
東方会の総裁)や風見章(司法大臣、朝日新聞社の幹部記者、信濃毎日新聞の主筆、
昭和研究会の主要メンバー、朝食会の中心メンバー)や、富田幸次郎(衆議院議長)と
共に、国民同盟を結党しています。

リヒャルト・ゾルゲ(ソ連の伝説的なスパイ)の
右腕だった佐々弘雄が、朝日新聞社の論説主幹だったことを考えれば、
佐々一族と朝日新聞社の関係の深さが見えます。安達謙蔵のキー・ワードと
言えば、『熊本県』と『朝鮮半島』と『警察人脈』の3つですが、安達謙蔵の
この3つキー・ワードを全て持つ人物が、他にもう1人いました。

麻原彰晃
(オウム真理教の教祖、本名は松本智津夫)は、熊本県の八代市高植本町
(旧・八代郡金剛村)の畳職人の家庭の四男として産まれましたが、
「週刊文春」2000年新年合併号によると、「松本の祖父は熊本県出身の
警官で、戦前に朝鮮半島に渡り、その地で警察署長を務めた後、終戦後、
熊本に引き揚げた」のだそうです。

この「週刊文春」の記事が事実だと
すると、麻原彰晃の祖父に、佐々一族の安達謙蔵の直属の部下であった可能性が
出てきます。
佐々友房も佐々一族の安達謙蔵も麻原彰晃の祖父も熊本県の出身です。
安達謙蔵も麻原彰晃の祖父も朝鮮半島にいました。

そして、安達謙蔵は、
特別高等警察を管掌する内務省を指揮監督する内務大臣を歴任し、麻原彰晃の
祖父は、朝鮮半島で警察署長を務めています。朝鮮半島の警察のボスを明石元二郎が
歴任していたことも気になります。

麻原彰晃の祖父は、熊本国権党や玄洋社と
接点があったのではないか?佐々一族が松本家を育てたのではないか?実は、
佐々一族と麻原彰晃には、先ほど挙げた3つの接点の他、もう1つ重要な接点が
ありました。

麻原彰晃は水俣病から視覚障害を持っていました。水俣病加害企業
である日本窒素肥料の最高幹部と、その子会社である朝鮮窒素肥料の最高幹部と、
その後身会社である旭化成の最高幹部を務めたのが、佐々淳行の義父(妻である
朝香幸子の父親)の朝香三郎という世界です。熊本県には何があるのでしょうか?


ザ・プリンセス・オブ・ミナマタ

 水俣病の問題を考える場合、天皇家の存在を忘れてはいけないでしょう。
1993年、平成の天皇の明仁(今上天皇)の嫡男である浩宮(皇太子徳仁親王)は、
とんでもない家から妃を娶った。

浩宮(皇太子徳仁親王)の妻・妃となった雅子
(皇太子妃、旧姓は小和田雅子)の母方の祖父は、水俣病加害企業であるチッソ
(日本窒素肥料の後身企業の1つ)の社長の江頭豊(チッソの会長)であり
ました。

1972年1月、水俣病の患者と新聞記者たちが、千葉県にある
水俣病加害企業であるチッソのチッソ五井工場へ、交渉をしに来た際、江頭豊は
暴力団を雇い、雇った暴力団を、交渉に来た水俣病の被害者と記者たちに
送り込んで、水俣病の患者と新聞記者たち約20名を、暴力団に襲わせて、
暴行を加えています。

このとき、水俣病の被害者と同行していた写真家の
ウィリアム・ユージン・スミス(カメラマン、マグナム・フォトの正会員)は、
江頭豊が送り込んだ暴力団員によって、脊椎を折られ、片目失明の重傷を
負っています。水俣病公害を引き起こして、罪のない無垢な人達に不治の
病を背負わせ、その被害者たちの声を、暴力団を使って踏みにじった
悪魔王が、皇太子妃の雅子の祖父である江頭豊なのです。

愛子 (敬宮内親王、
浩宮と雅子の娘)には、悪魔王の血が流れています。この悪魔王、江頭豊の周辺
には、何故か、大日本帝国海軍の関係者が多くいます。日露戦争で大本営参謀を
務めた父の江頭安太郎(海軍中将)、海城学園の創設者である祖父の古賀喜三郎
(海軍少佐)、連合艦隊司令長官を務めた義父の山屋他人(海軍大将)がいます。

大日本帝国海軍の関係者が熊本県の水俣湾を汚染したのです。海軍と言うより、
もはや、海賊と言った方が適切かもしれません。

大日本帝国海軍時代の海軍人脈と
言うと、真っ先に、海軍時代に同性愛を覚えた中曽根康弘(ゲイの内閣総理大臣)が
思い浮かぶことでしょう。戦時中の中曽根康弘が海軍主計少佐を勤めていたことは
有名です。

チッソと同じく、日本窒素肥料を前身に持つ企業が、戦後になって、
佐々淳行の義父である朝香三郎が最高幹部を務めた旭化成(日本窒素肥料の後身
企業の1つ)であります。実は、旭化成には、中曽根康弘の息子の中曽根弘文
(外務大臣)が、若かりし頃、1968年から1983年の間、15年間も勤めています。
どうやら、日窒コンツェルンは海軍人脈を多く取り込んでいた模様です。

さて、ここからはおさらいになりますが、再度、貼り付けておきます。
このおさらいを読み上げた上で、今度はロス疑惑も見て行きましょう。

佐々淳行の正体

公安警察の指導者だった佐々淳行の父親の佐々弘雄と、 日本赤軍
(赤軍派の2次組織の極左テロ組織)の女指導者である
重信房子の父親の重信末夫が、血盟団(一人一殺の右翼テロ組織)に
属したエセ右翼の巨頭である四元義隆を通して、同じサークル
(ゾルゲ諜報団、リヒャルト・ゾルゲの一味)の
仲間であったことが詳しく書かれている本があります。

新潮社から
出版されている金子淳一が書いた 「昭和激流 四元義隆の生涯」
という本です。「昭和激流 四元義隆の生涯」の重要な部分を
引用しておきます。

〜引用開始(P90〜P92)〜

池袋が病気で入院した後、しばらくして金鶏学院で事件が起こる。四元と日召が、
学院を取り締まる立場にある院生代表二人を殴るという暴力事件である。当時、
学院に寄宿していた池袋の都城中学時代の友人、重信末夫(日本赤軍の
最高指導者として知られる重信房子の父)を侮辱したという理由である。だが、
とにかくこれで、四元は完全に学院と決別することになったのだ。

〜引用終り〜

*同書に書かれている池袋とは、地名ではなく、血盟団の団員の池袋正釟郎のこと
*四元義隆が金鶏学院を止める直接の理由が、重信末夫を庇うことだったということ

四元義隆の物語の中で最大のミステリーは、血盟団事件で小管刑務所に
投獄していたテロリストの四元義隆が、その後、どのようにして、国家を
動かす程の権力を手に入れたか、ということでしょう。この謎に対する答も、
「昭和激流 四元義隆の生涯」に詳しく書かれています。

〜引用開始(P154〜P159)〜

さっそく、四元は朝日新聞の主筆、緒方竹虎に面会した。刑務所から出たばかりで、
随分大胆なことをするように思えるが、四元としては国のために何かをしたいという
情熱に駆られた、必死の行動だった。

―中略―

当時は日々軍国主義体制が固められる中で、戦争に反対するだけで、当局に
睨まれる状況だった。そんな中で真剣に持論を語る四元の姿に感銘を受けた
緒方は、すぐ朝日新聞論説主幹の佐々弘雄(元九州大学教授)を紹介した。

さっそく、佐々に面会した四元はすぐに意気投合し、その後、二人は肝胆相照らす
仲になっていったのである。この出会いが、大きな転機となった。佐々弘雄は
昭和研究会のメンバーであり、近衛の側近の一人だった。

―中略―

佐々は近衛に四元を丁寧に紹介した。

―中略―

それから、しばらくして四元のところへ佐々弘雄が来て、近衛からの伝言を
伝えた。四元に秘書になってもらえないかというのである。

〜引用終り〜

*佐々弘雄は、四元義隆を近衛文麿に紹介して国家の中枢に送り込んだ張本人
*佐々弘雄は、ゾルゲ諜報団の尾崎秀実も近衛文麿に紹介している

この本からも分かる通り、佐々淳行と重信房子は、歳の
離れた幼馴染です。佐々淳行の父親である佐々弘雄と
重信房子の父親である重信末夫の2人は、エセ右翼の
黒幕である四元義隆を通して親友でした。

ついでに、佐々淳行と、オウム真理教第6サティアンのあった
上九一色村への大がかりな家宅捜索の全面指揮を
執った警察官僚の寺尾正大の関係も、情報ソースの本を
載せておきます。佐々淳行と寺尾正大の関係は、
佐々淳行本人が書いた「連合赤軍「あさま山荘」事件」に
書いてあります。

〜引用開始(P179)〜

かつて私の別室(副官)だった寺尾正大警部が

―中略―

と電話してきたそうだ。

〜引用終り〜

ご存知の通り、佐々淳行は、2007年(平成19年)に行われた
東京都知事選挙では、石原慎太郎の選挙対策本部長を
務めていますが、石原慎太郎はオウム真理教と癒着して
いましたし、佐々淳行の上司の後藤田正晴は、警察庁長官
から政治家に転身した人物で、中曽根康弘(内閣総理大臣)の
懐刀ですが、後藤田正晴の後援会会長の息子はオウム真理教の
最高幹部の石川公一でした。
上記の四元義隆も中曽根康弘の 側近の一人です。

このように、佐々淳行の上司の後藤田正晴と
石原慎太郎の2人が、共に、オウム真理教と癒着していました。

そんな中で、オウム真理教第6サティアンのあった上九一色村
への大がかりな家宅捜索の全面指揮を執った警察官僚が
寺尾正大です。これも佐々淳行本人が書いた本なのですが、
「後藤田正晴と十二人の総理たち―もう鳴らない“ゴット・フォン”」
という本に、オウム事件時の佐々淳行と寺尾正大のやり取りが
詳しく記述されています。

〜引用開始(P207〜P209)〜

二月二十八日付で警視庁刑事部捜査第一課長になったばかりの寺尾正大
警視が深刻な顔つきでやってきた。ついこの間鑑識課長として年賀に来たばかり
なのに、今日は何だろう?
「どうも一連の事件はオウム真理教の疑いが濃くなりました。サティアン周辺の
土壌からも化学合成物がでました。

ガサ(押収捜索差押え許可状)をとって、
山梨県警と合同で上九一色村のサティアンを捜索することになりました。それが
捜査一課担当となって私が指揮して近く着手することになったんです。つきましては
『あさま山荘』の経験から心すべきことを御教示頂こうと……」


「なんで捜査一課なんだ。動員する兵力は?」
「私服三百名」
「バカいうな、敵はヘッドギアの狂信者二千名、サリンとカラシニコフ自動小銃つくってる
疑いがあるんだぞ。俺も関係当局に意見具申するが、これは三千名の機動隊動員を
してライフル班も放水車も、毒ガスマスクも化学防護衣も準備してやる。“大警備実施”だ。
三百の私服でやって殉職者を出したら君も俺のように一生十字架背負うんだぞ。俺が
悪者になろう。佐々が私服三百ではダメだ、警備局がやれといったといって君はその
任務、断れ。俺が手配して制私服合同の警備実施、やらせる。殉職者、出してみろ、
辛いぞ。自衛隊のガスマスク、秘かに保管転換する。サリンは水に弱い。加水分解
するというから放水車は絶対に必要。上九一色村の水源、調べろ」

―中略―

また嫌われるなあと思いつつ、警視庁、警視庁の関係幹部に電話をかけまくり、
ついでに大御所後藤田正晴氏にも意見具申した。

―中略―

その結果、予定されていた上九一色村のガサは延期され、兵力一千五百名、
自衛隊からの毒ガスマスクの保管転換、放水車、特型警備車も動員しての
「捜査第一課長指揮事件」となった。


〜引用終り〜


ポイント
*寺尾正大は最初、オウム捜査に、私服300人だけで挑むつもりだったのを
佐々淳行がチャチャ入れて、最終的には、佐々淳行の意見が押し通り、
兵力1500名の大捜査となった。

*警察庁刑事局参事官を務めた警視正の佐々淳行は、警察を退官後、防衛庁に
出向して、防衛庁長官官房長を務めている。つまり、佐々淳行は、公安警察と
自衛隊の両方を動かすことができた人物だった。

*佐々淳行が意見具申した後藤田正晴の後援会会長の息子は、オウム真理教の
最高幹部の石川公一だった。

*後藤田正晴はオウム真理教の宣伝広告のすべてを請け負っていた朝堂院大覚
から5億円近い献金を受け取っていた。

*朝堂院大覚は山口組の傘下だった後藤組とも癒着していた。

*後藤田正晴の大甥の後藤田正純は統一教会のイベントに出席している。

*佐々淳行が2007年(平成19年)に選挙対策本部長を

 務めることとなる 石原慎太郎は、オウム真理教と癒着

 していた。また、石原慎太郎の腹心は、中核派の元活動家

 である猪瀬直樹である。猪瀬直樹は一水会を鼓舞する会を

 通して、赤軍派の議長である塩見孝也と繋がっている。

*9.11自作自演テロでも福島原発偽装パニックでも放水車は登場している。

*佐々淳行の姉の紀平悌子(旧姓:佐々悌子)の元カレは、楯の会を創設した

小説家の三島由紀夫である。楯の会の後身組織が一水会。

また、同書「後藤田正晴と十二人の総理たち―もう鳴らない“ゴット・フォン”」には、
オウム事件のときの佐々淳行とCIAのやり取りも書いてあります。

〜引用開始(P209)〜


また電話が鳴った。ワシントンからの国際電話である。
「フウ・ディッド・イット?」
CIAのカニストラ氏だ。


〜引用終り〜

さらに、同書「後藤田正晴と十二人の総理たち―もう鳴らない“ゴット・フォン”」には、
オウム事件に連座した警察庁長官狙撃事件のとき、佐々淳行が、
アメリカで、ジャパン・ハンドラーズのジョゼフ・ナイとリチャード・アーミテージと
会っていたことも書いてあります。

〜引用開始(P210)〜

そして三月三十日、果敢に全国警察のオウム捜査を指揮していた國松孝次
警察庁長官が何者かに狙撃され、瀕死の重傷を負うという前代未聞の大事件が
起きた。折柄サンフランシスコで催された日米安全保障セミナー(日米OB防衛会議。

議長ジェームズ・ケリー、日本代表松永信雄元中米大使、米側ジョゼフ・ナイ
国防次官補)に出席していた私に、当時防衛庁審議官だった平沢勝栄氏
(現・衆議院議員)からメモが渡された。

―中略―

ジョゼフ・ナイ国防次官補、リチャード・アーミテージ大使らに激励されながら
私は直ちに帰国し

〜引用終り〜

*リチャード・アーミテージは、ミャンマーのアヘン王クン・サに、クン・サの
麻薬ビジネスの仲間だったと暴露されています。警察官僚だった佐々淳行が
リチャード・アーミテージの正体を知らなかったはずはないです。

ロス疑惑

ロス疑惑の容疑者である三浦和義は、三浦和義の叔母の水の江瀧子が

石原裕次郎と共に石原プロモーションを設立した発起人であったこと

から、石原裕次郎の兄である石原慎太郎とは親友関係にありました。

そして、2007年(平成19年)に行われた 東京都知事選挙で、


石原慎太郎の選挙対策本部長を務めたのが佐々淳行で、その

佐々淳行の腹心の部下である寺尾正大こそが、ロス疑惑を担当した

警察サイドの代表でした。つまり、ロス疑惑とは、取調べを受ける

側の三浦和義と、取調べをする側の人間が、同じサークルの

仲間だったということです。そして、さらに、この三浦和義が、

赤軍派の議長の塩見孝也や、関東連合の最高幹部の中野ジローと

共に、トーク・ライブをする仲であったことは記憶しておきたいです。

★塀の中の懲りちゃった面々
http://homepage2.nifty.com/patri/event/heinonaka_2006_09_17.html

場所:ロフトプロジェクトの新宿ロフトプラスワン

出席者:中野ジロー(関東連合の幹部)、塩見孝也(赤軍派の政治局議長)、
    三浦和義(ロス疑惑の容疑者)、雨宮処凛(超国家主義『民族の意思』同盟のメンバー)、
    木村三浩(一水会の会長)、安部譲二(安藤組の組員)


中野ジローは創価学会の男子部班長でありましたが、その創価学会の

男子部の人間29人が、オウム真理教に潜入していたことも重要です。

<貼り付け終了>

今回はあっさり、貼り付けておきます。

意外と、私が赤字で大きくしたりしない方が皆様には読みやすいかもしれませんねw

で。先生!期末テストはいつですか?ww

覚えることがいっぱいで〜〜頭がパンクしそうですwww
.


16. 2015年8月10日 12:58:42 : GSGshV9QtY

このブログ主は「731部隊も南京大虐殺もあった」とガンガン主張しています。

ノブの日記検索結果

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%8E%E3%83%96%E3%81%AE%E6%97%A5%E8%A8%98%E3%80%80%E4%BA%8C%E6%9C%A8%E7%A7%80%E9%9B%84&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=slv3-fujitc01&x=wrt

___________________________

ノブ氏が擁護している故・篠塚良雄氏は売国奴だそうです。


反日が消滅する日 売国奴リスト

反日・売国 日本を蝕む団体・個人 みんなまとめて消滅する日はいつなのか。 売国奴たちの発言リスト。
http://hsday.blog.jp/archives/1002292425.html


17. 2015年8月19日 14:41:56 : unA9hWYW1I
●731石井四郎細菌戦部隊、生存当事者による告白!!

●朝枝繁春、篠塚良雄ら731部隊元幹部らの他、元隊員五名と、元憲兵長沼節二、木原政雄ら自身の、各自肉声により、(瀕死状態での生体解剖、生体実験、ワクチンの利かない伝染病病原菌の注射等、国際法違反を承知の上で行われた、重大犯罪)への日本陸軍全体でバックアップの組織的関与と、その実態証言が行われた!!
<10ch/テレビ・アサヒ、スクープ '07/8/12, 14h〜 鳥越俊太郎>

「証言、人体実験。731石井四郎部隊とそのどす黒い周辺!」

http://www.asyura2.com/0505/war72/mag/506html

「日の丸は赤い泪に」、元731石井四郎部隊員の「告白記」 越定男
「消せない記憶」、軍医湯浅謙、生体解剖の記録」 吉開那津子
「検証人体実験、731部隊・ナチス犯罪医学」 小俣和一郎

http://blog.livedoor.jp/nobug51/archives/1103925.html


18. かっぺたんパッチ[122] gqmCwYLYgr2C8YNwg2KDYA 2015年12月16日 07:37:55 : ea87LB8lXE : QLXs07ycaI8[381]
日本の憲兵や、帝国軍人でいわゆる戦争した人達、侵略した人達にとって
不都合なあるいは嫌いな内容は全部嘘というのはちょっと。
この間図書館に行って、昭和2年くらいのあるいは16年ですか、いくつかの本を見ました。日本語でして、満州の事が書かれてました。
写真も有りました。古い本です。
朝鮮銀行は預金高が、横浜正金銀行よりもダントツで高かった。
そして日本は朝鮮合併を試みたのです。日本の外から見るとそれは失敗したのです。
つまり、最近の日本の安倍さんのつもり内閣、憲法改正のように、その当時もつもり合併ですぐに破棄されたことが書かれていました。
更には、私の先祖は満州にいたんです。少なくとも半分は日本人の血が入っていた。
日本が嫌いではないが、いわゆる金持ちや建築士、銀行家、実業家等がいて、治安が悪くなったので日本の帝国軍人が満州に入った事実がある。
ところが、日本が欲を出して、侵略と略奪を始めた。
なので、満州は、日本側に近い地域なのに、最終的に四川のほうまで侵略したんですね。もちろん戦争行為です。
 更に不可解なのは、租界という領事館が並ぶ上海のあたりも日本が九州で焼いたんです。これは、一種の外交官クラスの形成する町への嫉妬による攻撃とみてもいい気がします。

 うちは、だから外交員だったから、そういう視点です。

 更には、それにしてもシベリアを侵略して満州の一部があったのであり、
それ、最初は侵略だったんですよね。

 それ以外に、その前にそのあたりが日本だったという話はないですよね。

 素直に物事をとらえないと、相手にされなくなると思います。

 その時代の亡霊のつっぱりみたいな記事はいりません。

 

[32初期非表示理由]:担当:関係が薄い長文を大量にスパムしているので全部初期非表示

19. かっぺたんパッチ[123] gqmCwYLYgr2C8YNwg2KDYA 2015年12月16日 07:43:56 : ea87LB8lXE : QLXs07ycaI8[382]
私の曽祖父は満州で外交官(員)だったと聞かされていて、
殺されて家族(その妻と子供たち)が日本に一度戻ったようです。
第二次大戦の頃、また外に出ました。
職業は教師。
これが、何を意味するのか、恐らく、半分日本人って事なんだと思います。
そして、終戦後日本に戻ってきて、鹿児島で血液検査したら、父はABだったそうで、その後大学を出て就職して企業で東京に移動、そしたらBでした。

つまり、何が言いたいって、並々ならぬ、海外や中国への差別あるいは嫉妬、
そして対抗意識が九州には特にあったのではないかと怖くなるのです。

実際私は80sからですが、東京から九州に転校して、非常識な妨害といじめられ方をして、進学の妨害、鹿児島では就職、就業妨害を受けました。


 呆れた事に、最近アメリカにいますが、その九州の一部みたいな変なのが、
ハッキングしたり、妨害したり、襲撃したり2013年から私に対して
ITの中などにいて、ずっとやっていて、
唖然としてます。

 ニュースも変でしたよね。
 指摘してたのは、別の人が2013年、アメリカ人でも2012年、
 これらは、全て、いくら安全の為でも、プロットにして、ついでに
 無実の嫌いな人を殺してしまうというような危険なものだった(今も)
 ではないかと懸念してます。


  私の妨害していた人達は、みな犯罪者として起訴されると思います。

 ふざけすぎでは、済まされないと思います。

 

[32初期非表示理由]:担当:関係が薄い長文を大量にスパムしているので全部初期非表示

20. かっぺたんパッチ[124] gqmCwYLYgr2C8YNwg2KDYA 2015年12月16日 07:51:50 : ea87LB8lXE : QLXs07ycaI8[383]
私は鹿児島でその、育ったわけでは無いんですが、祖父母が商売を始めてそこに
いるので、家があるんですね。両親が住んでる。
両親には知り合い、学友、親戚がいる。それはいいんです。
驚いたのは、94年に離婚したんですが、他にもその辺に離婚してる女性は結構いました。逆に言うと自立心の強い女性達なんです。それはいいんです。
それは全く問題ないです。
問題なのは、福岡と鹿児島で、私に限らず、変な偽装をする、嘘をつく、話を作るそれで脅したり、変な電話かけてきたり、変な音の電話をかけてきたり、UFOもどき(青色LEDのでかいのとか)出してみたり、完全に何かを勘違いした身勝手な
実験を私で、あるいは
他の人にもすることが有るようです。催眠、テレビ、ラジオで催眠かけたり、
やってるでしょうね。迷惑なんですよね。

 あいつらのモルモットではありませんのでね。
最近呆れたのは、80年代も、福岡で、学校で嫌がらせを受けて、しかも
夜は、足から吸い上げられ、耳に金属音が残るような異常な体験をしたんですが、
94年頃は、就学の邪魔を鹿児島でされて、今度は時間が消えるような感じとなって、妨害されました。無理やり妨害するんです。
 で、あっけにとられたのは、LEDは四国の人がやってた研究ですが、
あと別の地域、そこに2013年鹿児島の人が入ってませんか?
 ベイエリアで、ITの中に変なそういうのが入り込んでいて、帝国軍人さながら、ハッキングしたり、襲撃したり、やりたい放題やってましたよ。
 まあ、被害に遭いました。ちょっとなんか、完全に勘違いしてませんかね。
 で、こいつらが多分、ありもしない変な覚せい剤容疑とか作って、人の資産を没収でもできると企んでる泥棒でもあると思う。

 モラルがまるでないんです。

 家族も親戚も心配してまして。

 これらの日本人の横暴な就職妨害に怒ってます。

 30年も反省が無いから、こいつらは、九州を基盤にこういう事をするんですよ。

 少々、私に外国人の血が入ってたって、だから何なんです。

 無礼ですよ。

 

[32初期非表示理由]:担当:関係が薄い長文を大量にスパムしているので全部初期非表示

21. かっぺたんパッチ[125] gqmCwYLYgr2C8YNwg2KDYA 2015年12月16日 07:59:15 : ea87LB8lXE : QLXs07ycaI8[384]
マルタ、マルタ、って不愉快ですよ。
誰が私の仕事において、マルタ関係で2度も妨害したんでしょうか?
少なくとも我が家は、軍人では無く、外交員、つまり外交をする人で、
しかも殺されたと。
満州で殺されたので、妻と子供たちが一度日本に戻った。
それが1918年前後でしょう。まだ祖父が高校生くらいだったはずです。
問題は、その当時の祖父の母の名前は墓石にあるけれど、
殺された祖父の父の名前は全く存在しません。
それも、戻った場所が多分、鹿児島なわけで、
母のほうの実家があったものと思われるのですが、
薩摩でもないのが、苗字が関で、金山だからです。
別に薩摩が特にその後日本にいて嫌いだったわけではないんで。
ただ、鹿児島市内は、赤紙だとか、没収された、満州帰り
という人との出会いのほうが5年、あるいは1年いた際に、
そのほうが多かったです。


で、決死隊タイプの人もいたりして、話は合わないですね。

脅し口調ですからね。

怖かったですよ、出て行くまで。



[32初期非表示理由]:担当:関係が薄い長文を大量にスパムしているので全部初期非表示

22. 2017年9月01日 16:19:50 : MCfC7aq9Xg : E__5CDYrBSM[308]
この番組が決定打だな。
4153番の主張は全部デタラメであることが証明された。

「NHK特集『731部隊の真実』が話題に!東大や京大等のエリート医学者達が関与!
人体実験も」 (阿修羅・赤かぶ 2017/8/14)
http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/748.html



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