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恵隆之介 銀行員・沖縄在住
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文芸春秋「諸君」(1997.平成9年5月号)
沖縄「反基地運動家」の呆れた正体
反基地運動の思想的リーダーが信奉するのは「テロ国家」北朝鮮のチュチェ思想だった。
恵隆之介 銀行員・沖縄在住
「平和、共生、自立」−昨年12月頃から、沖縄県は地元メディアを通じて盛んにこの文言を県民に流布し、今年を「新生沖縄元年」と位置づけている。県内の主な行事における県幹部の演説も、たいていこの文言から始まるのだが、私は何となくこのキーワードに異和感を抱いていた。
3月初旬のことである。インターネットのホームページ「チュチェ思想研究」に重大な事実を発見した。沖縄の反基地運動において指導的な地位にいる3人が、北朝鮮のチュチェ思想(主体思想)と密接な関わりがあるという事実が明らかになったのだ。
今年1月30日から北朝鮮の使節団が大挙して来日し、2月7日から9日にかけて、後に亡命した黄長・・・
ひとりは参議院議員の島袋宗康氏。那覇市市議会議員を4期、沖縄県議会議員を2期つとめ、現在は沖縄社会大衆党委員長という要職にある。
もうひとりは沖縄大学教授(憲法学)の佐久川政一氏。元沖縄大学学長の佐久川氏は、「チュチェ思想研究会全国連絡会会長」という肩書きを持つ。
さらに代表委員ではないものの、24人いる実行委員のひとりに、琉球大学法文学部教授の米盛裕二氏が名をつらねていた。米盛氏は「沖縄から平和を創る市民・大学人の会」会長として活動中で、かつては「沖縄八重山白保の海と暮らしを守る会」代表世話人として、前県政時代に決定された空港建設計画「白保案」を白紙撤回させ、さらにその後、県議会で議決された「カラ岳東案」をも中断させたことで知られている。
特に注目すべきは佐久川氏の言動だ。佐久川氏は沖縄県内で展開される反基地運動の思想的リーダーで、チュチェ思想を確立した黄書記の“沖縄版”と言っても過言ではない。一連の運動における佐久川氏の主な役職を列挙してみよう。
・「米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の見直しの賛否を問う」県民投票推進協議会議長(平成8年9月8日実施)
・「基地の整理・縮小を求め県内移設に反対する12・21県民大会」実行委員長(平成8年12月21日実施)
・浦添市長選挙・宮城健一候補後援会会長(宮城氏は革新統一をバックに当選=平成9年1月19日選挙)
・「沖縄県平和資料館」建設委員長(平成11年開幕予定)
3月17日、佐久川氏は沖縄県の学者代表として渡米し(学者交流訪米事業団、総勢10名)、米国の学者に「在沖米軍基地は県民の人権を侵害している」と訴えた。この件については、後で詳しく述べる。
さて、この“思想的リーダー”佐久川氏が前述の「チュチェ思想国際セミナー」において、沖縄の現状にからめて次のように発言したという「朝鮮時報」の記事がある。
「…(佐久川氏は)沖縄の自主、自立、平和のための思想的基盤は、まさに自主性を尊重するチュチェ思想に通じる、沖縄では米軍基地の整理縮小を求める運動が島ぐるみで行われていることや、これまで沖縄には侵略の歴史がないと話しながら、沖縄が今後栄えていくためにも『チュチェ思想が示す人間中心の思想、互いに信じあって平和、友好の国際交流を行なうという思想を打ち立てていく』ことが重要だと強調していた」(「朝鮮時報」2月20日付)
ここでは新生沖縄のスローガンを「自主、自立、平和」と述べている。佐久川教授は、これがまさしく、1960年代に「自主、自立、自衛」を謳い上げたチュチェ思想に通じると言うのであろう。これを読んで私は、大田知事の「沖縄CI宣言」を想起した。知事はこう発言していた。
「真の民主主義は、『自主、自立、自力』によって成り立つことをしっかり把握しております」(「沖縄県CIシンガポールガイドブック」平成8年12月・沖縄県発行)
さらに興味深いマターがある。2月22日に放映されたテレビ朝日「ザ・スクープ」で、北朝鮮上層部と親交が深いことで知られる主体思想国際研究所理事長・井上周八氏が、北朝鮮の収容所の存在について質問された。井上氏は言下に存在を否定したあと、次のように発言したのである。
「沖縄大学の学長だった佐久川政一氏、彼はチュチェ思想に非常に熱心です。彼が朝鮮に行って(収容所が存在しないことを)見せてくれた。
北朝鮮の苛酷な収容所の存在は、数々の亡命者などの証言によって明らかになっている。その存在を頭から否定し、世界から孤立した北朝鮮の思想を賛美する佐久川氏が、現代沖縄のリーダーの一人となっている事実を、どう考えればいよいのだろうか。ちなみに井上周八氏は、先ごろの黄書記亡命について尋ねられ、「あれは韓国による拉致事件。…」と発言して失笑を買っている(「産経新聞」2月15日付夕刊)
また佐久川氏は昨年2月、千葉県教育会館で開かれたチュチェ思想と日朝友好に関する全国セミナーでこう述べた。
「在日米軍をはじめアジア太平洋地域に駐留している米軍の銃口は朝鮮に向けられています。朝鮮に矛先が向けられた日米安保体制の最前線に位置するのが沖縄です」(「チュチェ思想」1996年3月号)
一連の佐久川発言に対し、田久保忠衛杏林大学教授は産経新聞「正論」欄(3月13日付)で、「北朝鮮と沖縄が『連帯』し、日米安保条約に反対し、沖縄から基地撤去に努めるという対立の構図が佐久川教授の念頭にあるのではないか」と喝破している。まさに沖縄の反基地運動は、平和運動の域を超え、「北朝鮮VS.日米」という構図にまで拡大しているのではないだろうか。
実際、沖縄の反基地運動は、極めて複雑な様相を呈している。2月21日、駐留軍用地特別措置法に基づく裁決申請に関する第一回公開審理が行われたが、ここに韓国民主主義民族統一全国連合米軍基地対策委員長など、韓国で反米軍・反基地運動を展開する活動家43人が来県し傍聴している。さらに、この公開審理の中で、反戦地主会会長の照屋秀伝氏が「自分たちの土地を、アジアの仲間を殺戮し、人権を踏みつけにするために使うのでなく…」と発言しているのも興味深い。
チュチェ思想と沖縄を結び付ける素因のひとつには、歴史認識をめぐる共通項がある。「抵抗史観」である。
チュチェ思想はそもそも朝鮮民族が北京やモスクワから抑圧されたという認識に基づき、とりわけ中国に対して最大の抵抗史観をもつことから出発している。一方、沖縄近代史も戦後かなり歪曲され、本土への抵抗史観と米軍統治時代の被害者意識の中で描かれてきた。
2月27日、地元紙に掲載された大田知事の発言内容に、チュチェ思想を重ね合わせて読むことはできないだろうか。
「沖縄はいつも日本本土から差別・排除されてきた。私たち沖縄人は本土に対しわだかまりを持っている(中略)。沖縄の現代史は海の向こうに君臨する巨大な力により他律的に歩まされてきた。終戦を挟み27年の米軍の統治下に置か辛酸をなめた(中略)。
沖縄人は自主性を持てなかった。国家の言うがまま自らの運命を決められてきた(中略)。沖縄が是非自立し、人とモノの文化が交流する国際都市になればと願う」
「北朝鮮がなぜ脅威か」
前述したように、沖縄県庁は3月17日、佐久川教授らを中心とする「沖縄基地問題学者交流訪米事業団」をアメリカに派遣した。それに先立つ3月14日、大田知事は派遣メンバーを県庁に招き壮行会を催している。
冒頭、大田知事は「基地の整理・縮小を行っているのは知事だけの考えではないか、と米国の新聞に書かれている。(そうでないことを知らせるために)先回は女性団を派遣した。今回は学者、そして次は私自身、次は労働団体や経済界を派遣したい。さらには大学生なども派遣することも考えている」と述べた。
知事はさらに「アメリカで申し上げていただきたい点」を述べたあと、北朝鮮に対する知事自身の認識を吐露している。
「私は、北朝鮮の脅威があるから海兵隊が沖縄に居るんだというが、その脅威というのがわからん。果してその脅威があるのかということがわからない。また県民が北朝鮮に脅威を感じているかというと、ほとんど北朝鮮に対して敵意などもっていないし、また北朝鮮に行ったこともなければ、そこの人にもあったこともない。そういうところが沖縄に脅威をもたらすとは、具体的にどういうことなんだろうか、と議論したことがある。
米軍は、北朝鮮は核兵器や生物兵器を作る、それが脅威と言いたがる。今さきの兵器の発達も含めて、脅威の存在について私自身、深刻にとらえる事態になっていない」
「私が恐れるのは、脅威論を楯にして沖縄の基地の存在を肯定しようとする(動きだ)。北朝鮮とか例えば中国が21世紀になると経済的にも軍事的にも強大になるといった話があるが、軍事的に今のところ中国が強大になるとは言えない」
大田知事には、中国が軍備を拡大しつつ、チベットやシンチャンウイグル自治区住民の人権を抑圧しているという事実や、北朝鮮がラングーン事件や大韓航空機爆破事件などを起こし、何人もの日本人を拉致した「テロ国家」であるという認識がまったく欠如しているようだ。両国への認識を著しく欠いた知事が、「国際都市沖縄」を謳いあげることを危惧するのは、おそらく私だけではあるまい。
大田知事は「太平洋戦争中、鬼畜米英と言われ恐れられていた米軍が上陸して、人道的に県民を介護するのを見て驚いた。北朝鮮もそういうものじゃないかなあ」と呆れるような言葉を口にし、派遣メンバーたちにこう呼びかけている。
「我々は北朝鮮に対し何ら脅威はもっていないし、アメリカ側も本当にどこまで脅威というものを感じているのか、徹底的に議論してきてほしい」
そしてこの後、大田知事と佐久川教授のあいだで非常に興味深い「日米安保論」が展開されたのである。
佐久川「知事はアメリカへ行ったとき、安保条約をどう位置付けて話したか。私は安保不要論や、(北朝鮮)脅威論にしても作られた脅威なんだと、向こうでは率直に言いたい」
大田「私は県議会でもたびたび言ってきた。それ(日米安保)は基本的には軍事的同盟(の側面)が強い。しかし同条約二条には、政治、経済の密接な関係を作りたい、と述べられている。日米安保は軍事的側面をなくして、二条の経済的、政治的、文化面を強化すべきだ(中略)
沖縄の行政責任者として(安保)廃棄は言えない。日米両政府が安保条約を肯定している、ことさらにこれを否定すると、米国の相手が受け付けてくれない。それが行政としての苦しいところだ(後略)」
佐久川「今回訪米の主旨は、兵力削減によってしか米軍基地を縮小できないということですね。その通りだと思う。兵力削減に対して米国知識人の理解を深めるということですね。これが公約数ですね。安保不要論を積極的に言わないでいいということですね」
大田「いや言ってもいいんですよ。向こうは向こうで判断する。向こうは北朝鮮脅威論や中国脅威論を持ち出すでしょう」
二人のあいだに、日米安保をめぐって微妙な違いがあることが読み取れよう。議論を十分に煮詰めないままに、なぜ大田知事は”北朝鮮礼賛派”複数をアメリカに派遣したりするのだろうか。
先述の「正論」欄で、田久保教授はこう断じている。
「真の狙いは不明だが、4月末に日米両国の首脳会談が行われる前の重要な時期に県が国際的対立の種を播くと疑われる行動に出るのは、日米同盟を是認したうえで県民の負担を軽減しようとの本土政府の善意を踏みにじる結果になろう。国益をどう考えているのか」
圧殺される真実
見逃してはならないのは、チュチェ思想を信奉する島袋議員、佐久川教授、米盛教授の3人が、いずれも「一坪反戦地主」であることだ。
今年5月14日、沖縄反戦地主3085人の所有する米軍用地の使用権原が切れる。いま全国のメディアでは、この「3000人」という数字だけがひとり歩きして、あたかも沖縄県の米軍用地地主のほとんどが基地に反対しているかのようなイメージを国民に植えつけている。
事実は違う。実際は、米軍に用地を提供している地主が29000人も居る。反戦地主の10倍近い数である。
しかも、反戦地主の実態は、人数だけなら軍用地主総数の約9.4パーセントにあたるが、彼らが所有する土地の面積比はわずか0.2パーセント。全所有面積36.3ヘクタールのうち0.2ヘクタールに、2968名の登記が集中してなされているのだ。これがいわゆる「一坪反戦地主」と称される集団で、その半数近くが本土に居住し、中には過激派も含まれているという。
彼らの狙いの一つは、使用権原の切れた登記上の米軍用地に立ち入ることにある。なにしろ今回は、昨年4月、わずか一件の使用権原消滅にともなう地主の立ち入りで混乱した「象のオリ」(楚辺通信所)とは規模が異なる。反戦地主たちが所有する土地は、米軍の最前線基地である嘉手納空軍基地と普天間海兵隊航空基地の滑走路上にも点在するからだ。
万が一、彼らがそれぞれの所有地に立ち入るとなれば、米軍機の離発着は制限され、米軍の即応戦力が極端に低下する恐れがある。そればかりか、わが国安全保障の根幹たる日米安保条約の履行姿勢が問われることになる。
昨年9月12日、大田知事は米軍用地強制使用に関する公告・縦覧に応じることを正式に表明した。しかし従来でも、公告・縦覧の終了から県収容委員会の裁決までには一年前後の時間を要している。従って、どう逆立ちしても、使用権原の切れる5月14日には間に合わない。くだんの楚辺通信所でさえ、いまだに使用権原を回復していないのだ。
政府は最小限度の対抗措置として、「県収容委員会の審議期間中は使用権原が存在する」という、駐留米軍用地特別措置法の一部改正によって急場を凌ごうとしている。しかしそれも共産・社民・民主の三党が「沖縄県民の心を踏みにじる」として、反対もしくは条件付きで反対している現状では、極めて困難と言うしかあるまい。
住民が誘致した基地もある
本土の人々には信じられないことかもしれないが、いま沖縄県内には言論の自由がなく、公正な報道もなされていない。沖縄における新聞販売のシェアの97.9パーセントを占める地元二紙は、反戦地主の行動を正当化する論説しか掲載しない。両紙幹部にも「一坪反戦地主」が数名いるのだから、それも無理はない。しかも正論を述べる県民には、沖縄県庁などから容赦なく圧力がかかる。そして、これを見聞きした県民は恐れをなして、反基地運動への異論を決して口にしようとはしない。
かくして、県民の総意は「駐留軍用地特別措置法改正に反対」という情報が作り上げられ、全国に流されていくのだ。
事ここに至った経緯については、政府にも責任なしとは言えない。政府の沖縄政策は常に場当たり的で、沖縄の現状分析も実に稚拙であった。
米軍用地の安定使用に関する法設備で後手に回るばかりか、昨年8月20日、梶山官房長官(沖縄担当大臣)の私的諮問機関として設置された「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会」(座長・島田晴雄慶大教授)は、わずか三ヶ月後の11月19日に「沖縄米軍基地に関する提言」を公表。ところが、その答申の最初の文言に重大な誤りがあった。
答申では「沖縄米軍基地は米国の施政下にあった27年間に軍事上の必要性から一方的に収用され形成されたところに最大の特徴がある」として、特に基地の比重が高い五市町村に、地域活性化のための個別プロジェクトを設けるなどした。五市町村とは、米海兵隊の基地がある金武町、名護市、伊江村、そして空軍基地が存在する沖縄市と嘉手納町を指す。
ところが名護市久志(旧久志村)のキャンプシュワーブと金武町のキャンプハンセンは、「一方的に収用されて形成された」のではなく、地元住民が積極的に誘致したのである。誤った認識を後世に残さないためにも、その真相を述べておかなければなるまい。
平成7年にハワイで逝去した日系二世、サンキ浄次元米陸軍中佐(両親は沖縄出身)は、キャンプシュワーブの成り立ちについて詳細な手記を残している。要約しよう。
「1956年(昭和31年)、私が在沖米国民政府・民政官(当時の沖縄統治権者)の語学副官をしていた頃、久志村村長(当時)の比嘉敬浩が私に接触し『村興しのために米軍基地を誘致したい』と発言した。
当時沖縄県内では、米軍接収軍用地の地代支払い方法をめぐって反基地運動が高揚していたため、米国民政府は基地誘致の陳情に即答を避けた。しかし再三にわたる陳情と、そのたびに久志村議会議員の署名を携えてきたため、レムニッツァー民政官は応諾、在沖米四軍全員に照会したところ、陸海軍はこれ以上の基地増設は不要と答え、残った海兵隊が訓練場増設の必要性からこの誘致に応じた」(「THE BIRTH OF A MERINE BASE」より)
金武町のキャンプハンセンも同様で、確かに恩納連山は米軍が強制的に接収して実弾射撃訓練をしていたが、兵舎を含む恒久施設の誘致はやはり地元住民が積極的に行なっている(「沖縄新聞」昭和32年10月9日付)
久志、金武の両町村とも土地は痩せ、戦前ここに生まれた住民の多くが、本土への出稼ぎか海外移民に出でいかざるを得ないという事情があった。ところが基地を誘致した結果、たとえば金武町の人口は昭和30年当時と比べて47パーセント増加し、現在でも町歳入の38.1パーセントが基地関連の収入で占められているのである。
その金武町の一角にあるギルバン訓練場が、昨年4月25日に返還されると発表された(面積56.6ヘクタール、年間地代6400万円)。町長が一坪反戦地主である町側は「部分返還では困る。上空を米軍ヘリが通過すれば返還されたことにならない」などと政治的発言をしているものの、本音は「返還されたら町民が生活に困る。返還しないでくれ」に他ならない。
事実、平成7年12月にキャンプハンセン内の山の斜面160ヘクタールの返還が発表されたとき、その所有権者である名護市と地主会は、ただちに反対を表明。名護市議会も満場一致で返還の全面撤去要求を採択したものである。
沖縄県内では、返還された米軍用地を、地主側が陳情して防衛施設局に再び賃貸したという事例が少なくない。例えば具志川市だけでも二件発生している。一件は米海兵隊キャンプコートニーの一部(16.4ヘクタール、地主139名、年間地代約1億800万円)で、昭和46年に返還され、四年後の昭和50年に那覇防衛施設局へ再賃貸されている。もう一件は昭和58年に返還され、わずか一日後に再賃貸された同基地の一部(23.8ヘクタール、地主数137名、年間地代1億7400万円)である。
政府が沖縄の反基地運動の実態を十分に分析しないままに基地返還をしたとすれば、後で必ずや地主や地域住民側から米軍用地への再賃貸の陳情を受けることになるだろう。
実際、金武町などでは、地主が何らかの事情で軍用地(私有地)を手放そうとすると、区がすかさず高値で買い取ってしまう。反戦地主の手に渡ろうものなら厄介なことになるとの危惧があるからだ。
現代沖縄の病根
沖縄反基地運動が決して県民の総意でないことは、以上に述べたとおりである。もしこれが本土なら、2万9000余名の軍用地賃貸賛成地主や8300名の軍従業員がスクラムを組み、一坪反戦地主や県知事を取り囲んで詰問するといった光景が見られるかもしれない。
しかるに大田知事は「沖縄人は本土から差別されてきた」と決まり文句を繰り返し、反基地運動家はチュチェ思想に沖縄独立の見果てぬ夢を託している。しかも、これまでは県政に対して客観的な視点を持っていた県内財界人でさえ、それに類する発言をするようになった。ここに現代沖縄の病根がある。心ある県民は「政府の援助にどっぷり浸り、自主財源22パーセント弱という財政力で、よくそんな夢物語を語れるものだ」と失笑を禁じ得ないでいる。
今年の成人式に、NHK沖縄が県内の新成人400人を対象に、沖縄県民としてのアイデンティティを調査したところ「日本人」と答えた者が34パーセント、「沖縄人」と答えたの者が59パーセントだった。この結果を、かつての佐久川氏と北朝鮮に行ったこともある県内財界人の一人は称賛して、こう述べた。
「この意識自体が日本と東アジアを結ぶ大きな役割を示しているのではないだろうか」(「琉球新報」2月23日付)
冗談ではない。いま沖縄県民が一日も早く回復すべきは「日本国民」という自覚ではないだろうか。その点、戦前世代の県民は明確なアイデンティティをもっていた。昭和21年10月2日、在京の県出身者たちが、沖縄返還を求めてマッカーサー連合国最高司令官に提出した英文の嘆願書に、その一端に見ることができる。
「(我々は)米軍政府の好意に感激しつつあるも、日本本土同胞と血の繋がりがありますので、戦前同様日本政府行政下に帰りたい一念に燃えております。血は水よりも濃しといわれる如く、沖縄全住民は日本民族たる自覚強烈、いかなる境遇に陥るも本土同胞と運命を共にしたいとの念願が支配的であります。
欧米の一部には、日本国民は沖縄人民を貧乏な従兄弟と軽視し、冷遇したと論ずる者も居りますが、これは謬想で日本政府及び日本人が沖縄人を差別待遇した事実は絶対にありません。(中略)明治政府施政下におかれてから70年間、沖縄は日本の一地方として開発され、現在の沖縄民衆もまた矢張、日本国家構成分子としての存続を切望して居ります(後略)」
いま県内には「基地問題で政府譲歩を引き出し、国家予算をとれるだけとっておけ」とうそぶく声がある。「他府県のように、政権政党に地元選出の国会議員を送り込んで予算獲得の運動をするよりも、反基地で騒いだほうが多くの予算を容易にとれる」という甘えも日増しに強くなってきた。
私がもっとも懸念するのは、一部国家勢力による過激な行動の結果、本土国民から沖縄県民全体が違和感をもって見られることである。
再び田久保教授の「正論」の一節を引いて、小論の締め括りとしたい。
「私を含めて日本国民の多くは『県民感情』に深い同情をよせてきたつもりだ。が、沖縄側が『県民感情』と称しているのは一体誰なのか。
一際声の高い『一坪反戦地主』であれば国民の圧倒的多数は反対しよう。日米同盟を頭から否定する人々に対して巨額な財政資金をこれでもか、これでもかとばかり投入するやり方を認めるほど少なくとも私は寛大ではない」
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