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参院選の大勝で「ねじれ国会」を解消し、気が緩んでいるのではないか。麻生太郎副総理兼財務相の失言である。
麻生氏は先月29日に都内で、憲法改正をめぐって、かつてのドイツのナチス政権に学ぶべきだと受け取られる発言をした。ユダヤ人を大量虐殺したナチスの歴史を踏まえれば、許されるものではない。
おととい、麻生氏は誤解を招いたとして発言を一部撤回した。しかし首相経験者でもある政治家としての責任は重い。
安倍政権は麻生氏の辞任は必要ないと火消しに躍起だが、発言の撤回だけで済む話ではあるまい。政権の姿勢が問われているといえよう。
麻生氏の発言には大きく二つの問題点がある。一つはナチスに触れた部分だ。国際的な常識として、政府要人の発言ではあり得ないものだろう。
麻生氏は「ワイマール憲法はいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気づかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と述べた。これでは、憲法改正でナチスのやり方に倣えと主張していると理解されても当然だろう。
そもそも「ナチス憲法」というものは存在しない。ヒトラーが首相就任後に成立させた全権委任法を指すのだろうか。憲法に拘束されず政府が立法権を行使できるようにした法律だ。つまりは憲法の停止である。
この法律で築かれた独裁体制がドイツを第2次世界大戦に向かわせ、ホロコーストを招いた。麻生氏の発言は、犠牲者の痛みが全く分かっていないと思われても仕方がない。
米国のユダヤ系団体などからの批判を受けて麻生氏はナチスを例示した部分を撤回し、あしき例としてナチスを挙げたと説明した。だが最初の発言とは反対の意味となり、苦しい弁解と言わざるを得ない。
麻生氏が撤回しなかった発言の部分も見過ごせない。憲法改正について「騒々しい中で決めてほしくない」と話していた。こうした見解がナチス発言につながったのだろう。
発言を一部撤回した後も、麻生氏は「憲法改正は落ち着いた中で静かに議論するという考えは撤回するつもりはない」と強調している。
歴史認識の問題でも同じ考え方がのぞいている。閣僚の靖国参拝は控えるべきだとの意見も根強い中、麻生氏は「靖国神社の話にしても静かに参拝すべきだ」と述べた。
これらの麻生氏の発言から見えるのは、批判的な意見を「騒々しい」と決めつけているのではないかということだ。政権与党にあってはならない姿勢だ。
とりわけ憲法改正については、徹底的な国民的議論が必要なのは言うまでもない。むしろ騒々しい議論があるべきだ。
安倍晋三首相は参院選後、集団的自衛権行使を容認する憲法解釈の変更や、憲法改正に積極的に取り組む意欲を見せている。憲法解釈を担う内閣法制局の新長官に、集団的自衛権行使の容認に前向きとされる官僚を選んだのも、その表れだろう。
麻生氏の発言の裏には、数の力を頼みに、国民的議論は避けて政策を推し進めればよいという考えが潜んではいないか。政権の運営に危うさを感じずにはいられない。
http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh201308030099.html
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