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2013年08月02日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない」
麻生太郎副総理兼財務相が、7月29日の国家基本問題研究所月例研究会で講演し、このなかで、ドイツの「ワイマール憲法とナチス憲法」を引き合いに出して、ワイマール憲法を継受していると言われている日本国憲法改正について話した件が、国内外に顰蹙を招いた。
ワイマール憲法は、第一次世界大戦敗北を契機として勃発したドイツ革命によって、帝政ドイツが崩壊した後の1919年8月11日制定、8月14日公布・施行されたドイツ国の共和制憲法である。アドルフ・ヒトラー支配下の「ドイツ第三帝国(ナチ・ドイツ)」期において、ヒトラーはワイマール憲法に替わる新たな憲法を制定することはなかったため、ワイマール憲法はなおも存続し続けた。形式的にいうと、ワイマール憲法は1949年5月23日のドイツ連邦共和国基本法(ボン基本法)に替わるまで存続したことになる。しかし、これはあくまで形式的なことで、実質的には1933年3月23日の全権委任法の成立によって効力を失ってしまった。
すなわち、麻生太郎副総理兼財務相が「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ」という発言は、根本的に間違っている。正確に言うのであれば、「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、実質的には1933年3月23日の全権委任法の成立によって効力を失ってしまった」と言わなければならなかったのである。
◆全権委任法とは、授権法と呼ばれ、立法府が行政府に立法権を含む一定の権利を認める法律のうち、1933年のドイツで定められた、ヒトラーの政府に国会が立法権を委譲した「民族および国家の危難を除去するための法律」を指す。ヒトラーは、国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP/ナチス)の独裁政権を築き強大な権力を掌握していたうえで、この法律によって「法的正当性」を得て、名実ともに独裁政権を確立した。
しかし、麻生太郎副総理兼財務相が「ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください」と力説しているように、ヒトラーは、いきなり軍事力で独裁政権を確立したわけではない。以下のように「ドイツ国民による正当な選挙」によって、徐々に独裁政権を確立して行ったことを忘れてはならない。
1923年、ミュンヘン一揆。ナチス党は禁止されたが、後継組織が国会議席を獲得。
1928年、ナチス党として初の国政選挙。12議席を獲得。
1930年、この年の選挙でナチス党は第2党の地位を獲得。
1932年3月〜4月、大統領選挙にヒトラーが出馬したが次点となる。7月31日、国会議員選挙。230議席を獲得し第一党となる。11月6日、国会議員選挙。34議席を失ったが、196議席を確保し第一党の地位を保持する。
1933年1月30日、パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領は、周囲に説得されてクルト・フォン・シュライヒャーに代わってアドルフ・ヒトラーを首相に任命。「乗っ取り」の始まりである。2月27日、国会議事堂放火事件発生。ヒトラーは緊急大統領令を布告させ非常事態を宣言、ワイマール共和国憲法によって成立した基本的人権や労働者の権利のほとんどは停止され、地方行政を支配した。3月5日、国会議員選挙結果発表。ナチスは43.9%の票を獲得、288議席を得た。3月23日、議会において授権法(全権委任法)が成立。立法権を政府が掌握し、独裁体制が確立された。4月26日、プロイセン州警察政治部門がプロイセン州秘密警察局(ゲシュタポ)と改名。7月14日「政党新設禁止法」(de)公布。ナチ党以外の政党の存続・結成が禁止される。10月21日 ジュネーブ軍縮会議の決裂を理由として国際連盟脱退。12月1日「党と国家の統一を保障するための法律」公布。ナチ党と国家の一体化が定められる。
1935年5月16日 ドイツ再軍備宣言。
1936年3月7日 ラインラント進駐。
◆ヒトラーが、強大なナチス独裁政権を築けたのは、第1次世界大戦に敗れて、莫大な賠償金を課せられ、国民の大半が疲弊しているなかで、戦勝国に対して恨み骨髄の感情を募らせた結果、ナチスに大きな期待を寄せたからであった。
これに対して、安倍晋三首相は、「日本を、取り戻す」という政治目標を掲げて、自民党結党以来の宿願、悲願を達成しようとしている。今日的な意味で国民の多くを日本国憲法改正に駆り立てているのは、中国の太平洋への膨張主義、尖閣諸島などへの領土拡張主義、反日デモの盛り上がり、韓国の「竹島不法占領」「慰安婦」「靖国神社公式参拝批判」「歴史認識問題」「朴槿恵大統領の米国における反日演説」など「反日運動」などによる「刺激」である。安倍晋三首相が「右傾化」しているだけではなく、国民の多くが、「ナショナリズム(民族主義)的感情」を強く刺激されている。安倍晋三首相にとって、中国や韓国の「反日運動」は、日本の国民感情を高揚させるのにもっけの幸いで、大いに役立っている。
麻生太郎副総理兼財務相は、憲法改正を国政選挙の争点にしたり、中国、韓国が日本国民を「過激なナショナリズム」に駆り立てたりして、「喧騒」に巻き込むのではなく、静かな議論を尽くして、改正機運を盛り上げていくことを求めたものと推察される。だが、麻生太郎副総理兼財務相は、ヒトラーが、ワイマール憲法を改正してナチス憲法を制定したという歴史的事実がなかったことに気づかず、「浅学菲才」を世界にさらけ出してしまった。これが日本民族の大恥となったことは間違いない。その人が、「ポスト安倍」を窺っているというのであるからなおさらである。
【参考引用】産経新聞msn産経ニュースが8月1日午後2時5分、「麻生副総理「ナチス憲法発言」撤回に寄せたコメント全文」という見出しをつけて、次のように配信した。
「麻生太郎副総理兼財務相が発表したナチス発言撤回に関するコメントの全文は次の通り。
7月29日の国家基本問題研究所月例研究会における私のナチス政権に関する発言が、私の真意と異なり誤解を招いたことは遺憾である。
私は、憲法改正については、落ち着いて議論することが極めて重要であると考えている。この点を強調する趣旨で、同研究会においては、喧騒にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげたところである。私がナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえていることは、私の発言全体から明らかである。ただし、この例示が、誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい」(原文通り)
朝日新聞DIGITALが8月1日午前2時18分、「麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細」という見出しをつけて、以下のように配信した。
「麻生太郎副総理が29日、東京都内でのシンポジウムでナチス政権を引き合いにした発言は次の通り。 『僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく。
私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。
この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。
しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。
そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。《ちょっと待ってください、違うんじゃないですか》と言うと、《そうか》と。偉い人が《ちょっと待て》と。《しかし、君ね》と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、《そうか、そういう考え方もあるんだな》ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。
ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。
靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。
何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。
僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。
昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。
憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。
ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない』」
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