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――そもそも大学の非常勤講師の置かれている労働条件は劣悪ですね。
組合として非常勤講師アンケートにとりくんでいるのですが、2007年のアンケートには1,000人以上の回答があったのですが、その中で、非常勤講師だけで生活している、いわゆる専業非常勤講師は約6割で、平均勤続年数は約11年、平均年齢は40代半ばでした。平均年収は約306万円ですが、そのうち44%は年収250万円以下、いわゆるワーキングプアと言っていい年収なんですね。また非常勤講師の基本的な給与は、一般に90分の授業を1コマと言いますが、1コマ当たり月2万5,000円が平均です。年間だと1コマ当たり30万円ということになります。だから年収300万円を稼ぎ出すとすると、10コマ程度は必要になる。授業は90分でも、直前直後の準備もありますから、1コマ当たり2時間労働と考えられています。そうすると、今、日本の労働基準法では上限は40時間ということになっていますから、10コマやって20時間で300万円程度にしかならない。ギリギリ全部のコマを持ったとしても600万円という、非常に苦しい状況ですね。ちなみに大学の授業の90分というのは学部によって中身に違いがあって、語学は学生に話をさせたり小テストをやらせたりするということで教員はしゃべらない時間もいっぱいありますが、少なくとも法学のような社会科学系の授業では90分ずっと先生が話し続けるということも珍しくない。そうすると、2時間労働というのは結構な重労働で、週10コマでもヘトヘトになります。また、非常勤講師というのは、採用される際に業歴が必要で、大抵の場合は研究歴ですから、研究のための論文を書いたり本を読んだり学会で発表したりすることも必要です。そうすると、やはり研究者ですから教育時間と同じくらい研究時間も欲しい。となると、10コマやって、かつ研究時間も確保してというのは、大変難しい状況です。
さらに非常勤講師の大変さが分かりにくいのは、細切れパート労働ということです。その10コマが1つの大学でだけ行われているならば、その大学に朝行って、授業をやって帰ってくればすむ話なのですが、それが複数の大学で掛け持ちしているわけです。たとえば私は5つの大学で教えているのですが、1日2つの大学に行ったりすることがある。そうすると、たとえば自宅からA大学に行って授業をし、それが終わったらすぐにB大学に移って授業をし、そこから自宅に帰るということになると非常に通勤時間が長くなるんです。私は今、週4日教えていますが、その通勤時間が平均して往復5時間なんです。それだけで旅行になってしまうんですよ。私は1日に最大3つの大学で教えたこともあります。1限目にA大学、3限目にB大学、5限目にC大学で教える。するともう体力の限界ですね。これは半年やって持つかなと思っていたんですが、幸い半年で1つ授業が終わってしまったのでホッとしました。それでも表向きの労働時間は4時間半でしかないわけです。換算しても6時間です。でも体力的には1年も続かないくらい大変。それくらい、非常勤講師は通勤などの手間がかかるんですね。
非常勤講師の三重苦――過去・現在・将来
――非常勤講師にはどのような要求がありますか?
アンケート結果を見ると、やはりいちばんの不満は賃金が低いことです。非常勤講師の44%が年収250万円以下で、また、研究者として扱われないという問題もあります。同じ仕事をしている専任教員は研究者として大学から書籍代なども支給されますし、今は随分変わってきたそうですが、学会に行った場合に学会費の一部や懇親会費の一部が補助されます。でも非常勤講師にはまったく何も出ません。また研究室もないわけですから、自分の家で勉強しなければいけない。そうした様々な不利益があります。そのように、研究者として扱われないにも関わらず研究業績は専任と同じように要求され、賃金は低いということです。
そうしたことから、非常勤講師には3つの不安があります。
第1の不安は過去の不安です。非常勤講師はほぼ全員が大学院卒です。となると、成人後も大学に通い続けるということなので、通常なら働いている方達が働かずに大学に通うことになります。その場合の経済問題が後になってのしかかってくる。多くの方は親も年老いていますから、親に頼るのは忍びないということで、実はかなりの方々が日本学生支援機構の奨学金を借りているという実態があります。大学院の奨学金は高いですから、たとえば私は今から25年ほど前に奨学金を借りましたが、ドクターの3年間だけで300数十万円です。それだけの借金があります。今もまだそれを返している途中ですが、大学の学部生からマスター、ドクターと続けて奨学金を借りた人は1,000万円近い借金があるわけです。ですから、まずそれを返しながら現在の生活を送るということで、過去の不安を引きずるというのが1点目にあります。
2つめは現在の不安ですね。給与が低い上に、非常に不安定で、おまけに労働契約法の改正で5年雇い止めなども行われつつある。今は5年雇い止めは影を潜めてきましたが、6カ月のクーリング期間をおけばまた再雇用できるという項目があるので、それをやろうとしている大学が実はたくさんあるんですよ。これについても、もちろん私たちはいずれ追及していく予定です。そういうことで、ますます不安定化しています。
3つめは将来の不安ですね。今の状況だと細切れパートなので、1つの事業所で4分の3以上勤めることができない。そうすると厚生年金に入れない。健康保険も国民健康保険のみです。だから国民年金、国民健康保険を払い続けていかなければいけない。そして老後はもちろん退職金もありませんから、国民年金で生活することになりますが、国民年金は現時点で月6万数千円しか出ませんので、当然それでは生活できません。そうすると将来は生活保護じゃないかということになってしまうんですね。だから過去の不安を抱え、現在も不安を抱え続けて、しかも将来にも何の展望もないという三重苦なんですね。そこが非常勤講師の精神的に辛いところだと思います。
教育への公的支出はOECD30カ国中4年連続で日本が最下位
――そもそも日本は教育に対して公費があまりに使われていませんね。
根本的には憲法の理念がきちんと理解されていないと思います。世界の国々が何のために憲法をつくっているのかというと、国民をつくるためです。国民とは何かというと、自分たちの問題を地域全体の問題として考え、その地域で連帯する人々のことです。昔は階級制度の中で同じ階級の人だけが連帯を持っていたわけですが、それを階級を取っ払って、地域で連帯を持とうというのが国家の成立であって、その国家を維持するためには国民が必要で、その国民のためにつくり上げているのが今の国民国家であり、それを維持するための憲法なんですよね。その憲法の中で国民教育が目指すところは何かというと、まず自立した人間であること。なおかつお互いを尊重し合うこと。そして尊重するためには連帯することが大事だということです。いうなれば「話し合いと合意」というのがすべての運営の基礎になっていくわけです。
ところが、日本というのはどうも政治はお上がやるものだという依存関係が非常に強い。自立した人間をつくろうという教育を世界中でやっている中で、日本はその自立した人間という意味が分かっていない。むしろ日本ではお互いに依存し合うことの方が、やりやすい国家のようになってしまっている。そういう意味で教育の方向性がそもそも曖昧だと思います。別な言い方をすれば、日本は自立した人間をつくるという形だけを真似ているだけで、その本質が分かっていない。だから人権も理解できない。ヨーロッパでは「自立した人間が協力するためにはお互いの意志表示が不可欠で、それを話し合いで同意していかないと国家は維持できない」ということが教育されています。そのようにヨーロッパの歴史の中から近代の民主主義国家は生まれてきたわけですが、日本にはその歴史がないので、なぜ相手の言うことを無視しちゃいけないのか? ということが理解できていないのです。だから教育も、国家が社会的な人間をつくるという意識が感じられません。
結局、日本の教育というのは、武士や貴族たちが自分たちの階級の維持のために子どもに教育を受けさせるという感覚のものでしたから、非常に私的なものだというイメージがある。それが日本の教育の問題だと思います。でも諸外国では、教育は国家の義務だと考えられています。それは、国民国家を維持するためには、社会的人間の生産は絶対に欠かせず、そのためには国家が責任を持つべきだという強い理念があるからです。諸外国の先生方と話していてもそれを感じますね。だから教育に非常にお金を使う。OECD(経済協力開発機構)の加盟国の教育施策に関する2010年の調査結果によると、日本の国内総生産(GDP)比でみた教育機関への公的支出割合は前年と同じ3.6%で、30カ国で最下位です。日本の最下位は4年連続で、公的支出割合が最も高いデンマークは7.6%ですから、日本の教育機関への公的支出は、デンマークの半分以下という異常に低いものなのです。
大学の授業は無料で奨学金は生活費として
国家からサポートされる北欧
もともと資源のない北欧などの国々は人材教育には熱心です。そうした国々では優秀な人材が欠かせないということで、大学までの教育費を無償にし、なおかつ奨学金を出す。日本人の感覚では「大学の授業が無料なのに、なぜ奨学金が出るんだろう?」と思いますが、その理由は、大学で勉強している間は生活費を稼げないから、その分を国家がサポートしますよということなんです。それは言われてみれば当たり前なのですが、日本の奨学金は授業料しか出ませんから、生活費は自分でやってね、ということが当たり前になっている。そして親がサポートできなければ自分で稼ぐしかないので、アルバイトをして疲れ果てて、授業が思うように進まないということになっていく。だから日本の奨学金制度は、たとえ借金であっても、その理念ですら不十分なわけです。もし本当に学業を身につけさせたいなら、生活費込みで奨学金を考えるべきです。それくらい国が責務を感じてくれないと、国民教育はできないのではないか。形だけ日の丸とか君が代で国民化しようとしてもダメです。国が教育や生活の面倒を見てくれて初めて人は「我が国はすばらしい」と思う。別に日の丸や君が代を強要されなくても「日本のために貢献しよう」と思うものなのです。形だけというのは良くないと思いますね。
――教える側もワーキングプアのような状況の国というのは、北欧では考えられないでしょうね。
そうですね。私たちは非常勤だからというだけではなく、教員として教えることが好きだから学生には喜んで教えています。そうすると学生に「将来はぜひ先生のようになりたい」と言われることがある。
だけど、当の私たちがワーキングプアなわけです。学生に対して、「私たちみたいに優秀なワーキングプアになりなさい」とはとても言えません。学生が尊敬する相手がワーキングプアでしかないというこの国の矛盾を、国家はもっと考えるべきだと思いますね。自分の足下に不安を抱えながら必死に教えている先生を見本に育つ学生、その将来も結局ワーキングプアでしかないわけですからね。それは日本という国の大きな問題だと思いますね。
非常勤講師自身が労使関係を確立する必要がある
――私は早稲田大学出身で、文学部だったので非常勤講師の先生がたくさんいました。ある先生に年収を聞いたら100万円という答えが返ってきて、とても衝撃を受けました。今でも大学院に残って非常勤講師をしている友達や先輩もいます。この問題を解決していくためには当事者が連帯して労働組合を強くして、きちんとした労使関係を確立していく必要がありますね。
それがいちばん大事なことですね。もともとこの問題が起きる前から首都圏大学非常勤講師組合に早稲田の非常勤講師の仲間もいたのですが、この問題が起きてから随分組合員が増えていますので、きちんとした労使関係をつくれるところまで頑張りたいと思っています。
ただ、非常勤講師の方に依存という問題もあるんです。現代社会の教育は、基本的に自立した人間が連帯するということを前提に考えられています。だから労働組合もそういう方向性で、その権利は憲法28条で保障されています。ですが、非常勤講師という仕事を長年やっている方は、自分で考えるという訓練が十分にされていないことが多いのですね。
というのは、最初は自分でいろいろ考えていたとしても、ある日突然「来なくていいよ」と雇用を切られてしまうので、それまで考えていたこと自体もある日突然、無駄なものにされてしまうのです。そうすると、今自分がどういう状況に置かれているのか、何をすればいいのかということを自分で考える気持ちがなくなってしまうんです。そうして依存に慣れてしまっている状態だと、自分から労働組合に入って何とか変えて行こうという気持ちになりづらい。あるいは、自分は何もしなくても労働組合がやってくれるならそれに乗っかろうという、いわゆるフリーライダー、ただ乗り的な気持ちになってしまう。そこが非常勤講師の組合を拡大する時の大きな障壁です。
これを何とか乗り越えて欲しいと思うのですが、非常勤講師職が長ければ長いほど、やはり自分で考えて自分で行動した結果が跳ね返るという経験をしていない方がほとんどなので、労働組合に入ることに二の足を踏む人は多いと思います。でもね、活動すれば必ず成果はあるんです。これは労働組合の中に入るとよく分かるんですが、逆に中に入らなければ分かりにくいかもしれません。
でも、極端にいえば、このまま何もせずに餓死するだけなら、何かアクションを起こす方がより豊かな人生になると思うし、仲間も増えるし、いいと思います。それに大学当局は結局、これだけ踏みつけにしても非常勤講師は文句言わないだろうとはなから馬鹿にしているわけです。それを見返す必要がある。私たちは犬や猫ではなく、尊厳をもった人間なんだということを大学にはっきり理解させるには、私たちとしても人間らしい反応をすべきです。殴られれば痛いということを相手に言うべきじゃないかと思いますね。
6コマ持っている専任教員は年収1,500万円で
10コマ持っている非常勤講師は年収300万円
――非常勤講師は明らかに給料が安過ぎると思いますし、早稲田大学では非常勤講師が教員全体の約6割を占めて、専任教員の2倍の人数がいます。そのマジョリティ側が不安定で、労働組合として団結さえできていないというのは、外から見ると非常に不思議な状況ではないでしょうか。逆に、これから分会が立ち上がって対等に交渉できるようになれば、かなりいろいろなことが変わる可能性があるのではないかと思います。
非常勤講師はもともと、非正規のパートやアルバイトと違って、ほとんど公募されないという前提があります。なぜ非常勤講師になっているかというと、専任の先生とのコネクションでなっているケースが大変多い。そうすると、その上下関係があるためにこうした問題に対して文句が言いづらいのです。それが非常勤講師の特徴です。また低賃金そのものに対して不満があるというよりは、格差に不満があるんです。実は早稲田大学の1回目の団交で、専任教員の平均年収はいくらか聞いたところ、理事は「だいたい1,500万円くらいだ」と答えました。専任の先生でも6コマくらい持っているだろうと思うのですが、6コマ持っている専任教員は年収1,500万円で、10コマ持っている非常勤講師は年収300万円というのは、どう考えても合理的な説明のつかない格差です。そこに不満がある。先生全員がどこに行っても賃金が安いというならまだしも、この格差に説明がつかないというところに大きな問題があると思いますし、不満があります。
非正規という差別が人間から能力と意欲を奪う
――不透明な形で異動が決まるというのも聞いたことがあります。
私も個人的なことでとばっちりを受けたことがあります。たとえばある大学で、いきなり「辞めてくれ」と言われて辞めさせられたのですが、その理由は「君は○○大学出身ではないからだ」。それは出身大学別の派閥のトラブルのとばっちりが私に来たのですね。専任教員の内輪もめで非常勤講師がとばっちりを食うということは結構あるんです。ですので、その不透明な採用条件が透明でない限り、やはりモノを言えない。これは日本全体の問題でしょうね。能力主義といってますが、大学は採用条件を明らかにしていませんからね。公募にしても大学は一体どういう教員を欲しがっているのかは明らかにしないので、自分はそれに合うのか合わないのかさえ、さっぱり分からないんです。そしてやみくもに応募し続けて何度も落ちると、人間はロボットではないのでだんだん自信を無くしていきます。そうすると公募に応募もしなくなる。ある程度の年齢より上の人が応募しなくなってしまうのは、それなんです。あまりに自分を否定され続けると、意欲が沸かなくなる。これはアマルティア・センというノーベル賞を受賞した経済学者が、『不平等の再検討』という著作の中で、なぜ不平等がいけないかという問いに対して、人の潜在能力が疎外される、つまりやる気そのものを奪ってしまうからだと言っています。だから不平等はいけないのです。能力のある人は誰でも活用できるような社会構造にしなければ、多くの人の能力もやる気も失われていく。それは非常勤講師として働いていると強く感じます。スタートラインで専任教員と非常勤講師がまったく同じ能力を持っていても、専任教員になると安定して研究条件も確保されている。同じような論文を出しても、大学の先生だったらテレビやいろいろなところに取り上げられますが、非常勤講師が学識経験者として出演することはありません。たとえば行政の委員会に呼ばれる時も、私が経験した時は非常勤講師でしたが、大学教員が学識経験者として来れば、その先生は会議出席料が1万円、私たちは同じ会議に出ても1,000円とかね。同じような知識を持っていたとしても、肩書きだけで大きな格差がつく。そのように日常的に差別されていると、自分の知識に対する自信も信頼もなくなっていってしまう。そうなると、目の前にあることも「どうせダメなんだ」という方向に流れていって、どんどん実績の差が開いていってしまうんですね。ですので、こうした不合理な差別はやめるべきだと思います。
非正規雇用は人間自体を破壊していく
また、この業界でなぜ仕事を続けているのか、転職しないのか? とよく聞かれますが、まず大学の研究者になるためには普通の人よりもスタートラインが遅くなります。大学院を卒業しないとそのチャンスはほぼないわけですから、ドクターまでノンストップで行っても28歳です。そこからスタートなので、30代前半で専任教員になれなくても構わないというか、別に落ちこぼれだとは誰も思いません。その期間は楽しく研究ができる。だけど40代になるとさすがに危ないかなと思い始め、45歳を超えるともう無理だろうと思う。しかし45歳で一体どこの業界に転職できるのか。何のキャリアもない45歳のおじさん、おばさんが、どこに行けますか? それを考えたら、もうそのままの道を歩むしかないわけです。確かに好きだからやれているし、好きでなければとっくの昔に転職していますが、やりがいがあるかと聞かれると、ある日突然切られてしまうので何とも言い難いものがあります。それは自己満足でのやりがいでしかなくて、一歩外に出れば、非常勤講師というのは何のキャリアにもなっていませんから、10年間大学で教えていても、教員としてのキャリアとしてすら認めてもらえない。そこは非正規雇用全体の問題だと思います。そして、キャリアがないわけですから、転職の時の材料にもならないわけですね。
今、若者全体に非正規雇用が広がっていますが、非常勤講師の抱える問題と同じで、いつまでもキャリアを積ませないと、「どうせ俺なんか」という人間が増えていきます。「どうせ俺なんか」という人は自分を大切にできないと同時に他人も大切にできないので、他人が落ちたら「ざまあみろ」というような人が増えることになる。そうすると誰かが困っていても誰も助けない。犯罪がまん延し、社会全体の連帯が壊れていくと思います。だから、どんな業界であっても非正規雇用を増やすことは良くないと思います。非正規雇用は人間自体を破壊していくのです。
正規と非正規の差別構造をつくり分断し
漁夫の利を得る本当の敵とたたかう
――早稲田の専任教員の労働組合は今回の問題について何か動きがあるのでしょうか。
正規と非正規が連帯する必要がある。その時に初めて共通の敵が見えてくるはずです。差別構造をつくって漁父の利を得ているのは誰のなのか? という共通認識が必要です。
専任教員の組合も今回の就業規則には賛同できないという反対声明を出しています。さすがに雇用の5年上限と4コマ上限となると、非常勤講師が気の毒だというよりも、任免は専任教員自身がやるわけですから、彼ら自身が大変な作業を負うことになることは間違いありませんから、それは困るというのもあると思います。また、一部の誠意ある専任教員の方などは、「同じ人間なのにそんなことをしていいのか」という怒りもあるので、専任教員の組合でも反対の声が根強いようです。
今後は、反対声明を出している専任教員の組合と「悪いのは理事たちである」ということで連携を取っていきたいと思っています。結局、差別構造の分かりにくさはそこにあるんですね。つまり、「AさんがBさんを差別するのは良くない」という分かりやすい構図ではなく、2つの階級に対して、別の第三者が「Aは優遇するけどBは差別する」ということによって差別構造が維持される。第三者に優遇された場合、優遇されている側は嬉しいので文句を言わず、逆に積極的にBをいじめるようになります。するとBは差別されているからAに憎しみを持つけど、第三者に対する憎しみはAへの憎しみに吸収されてしまう。結局、経営者が正規と非正規をつくって分断することによって、正規と非正規がいがみ合って、経営者が漁夫の利を得るという構図になるんですね。このことが、差別が固定化する原因になるわけです。これを取っ払うためには、全国で専任教員と非常勤講師が、あるいは正規と非正規が連帯する必要がある。その時に初めて共通の敵が見えてくるはずです。差別構造をつくって漁夫の利を得ているのは誰のなのか? という共通認識が必要です。そのためにも、せっかく今回、専任教員の組合が反対声明を出しているのですから、私たちは連携を取って、本当の敵はどこなのかということをはっきりさせて、問題を解決していきたいと思っています。
たとえば、今、ますます広がっている奨学金ローン地獄の問題もいちばんの大元は国がカネを出さないことが原因です。先ほど紹介したOECD30カ国の中で4年連続最下位の教育への異常に低い公的支出に根本問題があるわけです。ですから、学生と教員はもちろん大学関係者全員で「国はもっとカネを出せ!」と一致団結すべき時なんじゃないかと思います。でも大学当局は学生の生き血を吸っているという後ろめたさがあるし、専任教員は非常勤講師の生き血を吸っているという後ろめたさがあって、思うように連携がとれない。でも、「そもそもの根源はカネを出さない国が悪い!」というところで一致していけば、みんなで連帯して改善要求を進めることができると思います。
家族のセーフティーネットもなく
生命の危機にさらされる非常勤講師
最後に、非常勤講師の大きな困難についてお話しさせていただきたいと思います。
先ほど非常勤講師を続けていると、過去の不安、現在の不安、将来の不安という三重苦があると言いました。そうすると、男性に限って言うと、結婚ができないんです。女性は無職の場合でも、相手が正規社員の方であれば結婚も可能です。でも男性が非正規だと、今の日本社会ではどうしても結婚が難しくなる。それで結婚できない非常勤講師が広がっていく。これは長い目で見た場合、日本の少子化にも拍車をかけますし、せっかく優秀な頭脳を持っている人たちなのに、次の世代に優秀さを継がせることもできない。これは、せっかく税金等で優秀な人材をつくっても、それが次代に受け継がれないわけですから、国全体で考えても損失だと思います。
非常勤講師の実態が悲惨なのは、ここ数年の話ではありません。実は何十年も前から悲惨だったのですが、なぜそれが大きな問題にならなかったかというと、昔の非常勤講師はほとんどが女性だったからです。日本社会には「女性の経済問題は結婚で解消しろ」という暗黙の強要があった。だけど男性の経済問題は就職でしか解決できません。だから昔は、非常勤の男性と女性がいたら、まず男性の方から専任教員にしましょうということで、男性が先に採用されるケースが非常に多かった。そして女性が非常勤に残されて、女性は不満ですけれど、結婚すれば生命の危機までは追い込まれないので、長い間温存されてきたわけです。ところが男性がそのような状況に置かれると、結婚もできませんし家族のセーフティーネットもありません。そこにきて給料が異常に低い。そうなると本当の意味で生命の危機にさらされるわけです。それがここ数年特に深刻になってきたので、非常勤講師問題がいろんなところで取り上げられるようになりました。メディアが今取り上げてくれている原因の一つは、それだと思います。男性の非常勤講師が増加することによって、事態の深刻さが一層人々の目に分かりやすくなっているということです。
――それは民間の非正規問題と同じですね。
日本は伝統的に家族のセーフティーネットが大きかったわけですよね。個人として生存できなくても、家族の中に入っていればなんとか生存できた。働き手は男、依存するのはその他ということで、昔は女性は安いパートでも構わなかったわけですが、男性の賃金も下げられ、非正規化も広がり、家族全体のセーフティーネットが落ちていくのに社会保障も改悪されていく。今では家族がいても苦しいし、家族がいなければ生存の不安に直結する。自分が病気で働けなくなったら、もう明日はのたれ死にという人たちが増えてきています。非常勤講師で家族がいなくて病気になってしまったら現実の問題として生存が危うくなる。これはやはり何とかしなければいけないと思います。これは政治の問題なので、政治を動かさないといけない。民主主義社会においては政治はどうしても「数」ですから、数をまとめるしかありません。だからこそ今、専任教員と非常勤講師が一緒に連帯してたたかうべきです。そして学生も巻き込んで、貧困の再生産を止めていかなければなりません。大学こそ知性のある人たちの集団なのだから、大学人こそが情報発信し、正義を発信し、連帯を広げていかなければと思います。
――本日は長時間、ありがとうございました。
★このインタビューの全文は、『国公労調査調査時報』8月号(第608号)に掲載 しています。また、インタビュー動画は、ネットで視聴することができます。
▼早稲田大学を刑事告発!非常勤講師と驚愕の「偽装選挙」:松村比奈子インタビュー@
http://youtu.be/fUQOr_PWqFI
▼平均年収306万円!非常勤講師の耐えられない格差:松村比奈子インタビューA
http://youtu.be/LyAXECA7id8
▼非常勤講師問題から見えるもの 自立した国民をつくる教育とは:松村比奈子インタビューB
http://youtu.be/Vn9QFKA9aBM
http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-11582878364.html
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