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インタビューに答える山本太郎氏=東京都新宿区、杉本康弘撮影
(参院の注目新人)切り捨て、何なんだ 山本太郎氏
http://www.asahi.com/politics/update/0729/TKY201307290441.html
2013年7月29日23時45分 朝日新聞
■無所属・山本太郎氏(38)
【聞き手・土佐茂生】――私の世代だと、山本太郎と聞くと、高校生でデビューした頃の「メロリンQ」を思い出します。気持ちのままをぶつけているようなダンスでした。
「お、デビューの。そうですね。気持ちのままにという意味では、デビュー当時と今が近いのかもしれない。素人でしたから、怖いものがない。やりたいこと、表現したいことをやる、というスタンスですよね」
――参院選では自民党が大勝する中で、無所属で約66万票を獲得しました。
「一言で言うと、世も末と思いますよね。本当に、それぐらい、ちょっと暗黒時代に入っちゃってる。でも、投票率が低い中で自民党が強かったわけじゃない。投票による表現をあきらめてしまった人が圧倒的にいた。その人たちが違うアクションを起こして投票行動に移していれば、権力の偏りはもっとバランスを取れていた。その象徴的な東京選挙区で無所属で1議席取れたことは『変えていけるぞ』という象徴的な部分だと思う」
――昨年の衆院選では敗れた。政権を決める衆院選では、小選挙区制で2大政党を作るという仕組みです。どう思いますか。
「投票率が80%ぐらいいかなければ、もう無効だ、という話ですよ。普通に考えれば、3・11の原発事故後の対応が最悪だったのが民主党ですよね。でも、その土台をずっと作ってきたのが自民党じゃないか。だから、危機感を持っている人にとって、選択肢としては、『どっちもないじゃないか』と思うんです。しかも、事故後、自民党は考えを改めたか、というと、よけいにもっと行こうぜ、という。あり得ない選択なんですよ。『やっぱり、もう無いなあ。何が選挙だよ、勝手にやってろ、お前ら』という風に有権者に思われているんですよ」
――「選挙フェス」といった独特の戦い方でした。
「知名度だけなら、そこまで伸びなかった。本気度だと思う。事故から2年間、腹を決めてやったよな、と。自分の考えを、こいつに言ってお尻をたたいたら届けてくれるんじゃないか、という部分があったと思う。ビール箱に乗っているだけなら『必死やなあ、おっちゃん』と斜めにしか見られない。音楽が流れて心がちょっと開いて感受性の触角がちょっと伸びた時、本気の言葉がそこでつながれば大きく開いていくんですよね。今回、それで1議席、実を結んだ。これをいろんなところでやっていくことで、変えていけるんじゃないかな」
――「脱原発」の声をあげる葛藤はありましたか。
「2人の自分がいた。声をあげたい自分と、あげたくない自分が闘っていた。毎日、眠りも浅く、寝言で『メルトダウン!』と言っちゃうぐらい。ダメだと思うことにダメだと言えないのは何なんだよ、表現の自由も生きる権利もなかったのかとわかってきた。『原発いらない。やめよう』ということを一個人として言うのがこんなにハードルが高いのか、と打ちのめされた時だった」
「原発事故の3週間後にツイッターで脱原発の声をあげた。その瞬間、もう涙が止まらなかった。嗚咽(おえつ)を漏らしながら泣くという。なんか、こう、自由になれた気がしたというか、人間に戻れた気がした」
――その結果、芸能界からは干されました。
「自分の仕事も、原子力も、企業の利害と一致している部分がある。ということは、発言や行動を続ければ仕事が細っていくのは分かっていた。しかし、文部科学省が子どもに対する放射線量の基準値を発表した。ただちに影響はないから子どもの未来を切り捨てる、というメッセージだ。自分の仕事を気にしている場合やない、と」
「放射能は安全と危険の両面が僕たちに知らされなくちゃいけないのに、国からも報道からもされない。やっぱり踏み込めない構造上の問題としてある。それは、スポンサーとの関係というのは紛れもなくあったと思う。テレビや舞台でも金が集まらなきゃ始まらない。心ある人が僕を使おうとしてくれたけど、営業担当が嫌がった。『そいつじゃなくて良いだろう』と。僕はジョーカーになっちゃってた、ということ」
――なぜ国会議員に?
「原発の問題で気付いたこと、自分自身が目が覚めたかというと、自分が社会から切り捨てられたと感じたから。原発を入り口に労働問題でも切り捨てがあったと気付いた。何なんだよ、この切り捨ては。ずっと前からあったんだ。過労死なんて生まれる状況をずっと見逃してきたんだ、と。そういう労働環境を、どうして改善しないんだよ、って。ここを改善しないと社会問題に目が向けられないですよね。朝から晩まで働いて、家に帰ったら寝るだけ、という生活を送って。心に余裕がなければ社会問題には目がいかない。そういう状況が作られてきたんだなあ、と。一部の人たちが自分の利害に結びつけていく政治がずっと作られてきた」
――どこから手をつけていきますか。
「一議員が国会で出来ることは本当にわずか。議員バッジやJRのフリーパスを使って全国に飛び出していく。原発だけでなく貧困や労働など『世の中おかしいよな』と思ってる人たちと、国民的な運動につなげていけるんじゃないかな。でも、本当の政治って、そういうことなんじゃないですか。なんか、もう自分は代表に選ばれた、委任状をもらったから、自分たちで決めます、という話ではないですよね」
「今は1議席しかないけれども政権を取りにいかないとダメ。バカみたいと思われるかもしれないが、政権を取らないと変えられないと思うんですよ」
――国会ではどこかの政党と手を組みますか。
「これが一番難しいんですよねえ。国会の中でかあ。まず、仲間が見つかるか、ということですよね。うん、見つかると思うんですよ。いろんな分野で覚悟を決めてやってる議員がいる。自民党の中にもいらっしゃると思う。たとえば、民主党でいうなら、長妻昭さんというのは、年金や生活保護の問題で、すごくリスペクトすべき人だと思う。そういう人たちに『勉強させてください』とコミットして一緒にやっていけば良い。どこの党とやるかではなく、個人だと思う」
◇
やまもと・たろう 1974年、兵庫県宝塚市生まれ。90年に芸能界入り。NHK大河ドラマ「新選組!」や映画「バトル・ロワイヤル」などに出演。2011年4月に脱原発を宣言して活動家になった。昨年末の衆院選は次点で落選したが、参院東京選挙区(改選数5)で4位になり初当選した。
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