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2013年07月29日 Electronic Journal
参院選での惨敗を受けて、民主党では7月26日に両院議員総
会を開き、参院選の総括として細野幹事長が辞任し、大畠章宏氏
が幹事長に就任して、海江田代表の続投が決定したのです。
民主党は今や「責任を取らない政党」という評価が定着しつつ
あります。2009年の衆院選で民主党が自民党を破って政権交
代してからの最初の国政選挙は、菅首相と枝野幹事長による20
10年参院選です。この選挙で民主党は惨敗し、衆院での過半数
を失い、ねじれの状況をつくっています。
しかし、そのさい、代表はもちろん枝野幹事長も責任を取って
いないのです。しかも民主党はそれ以後のほとんどの選挙で負け
が続いたのですが、執行部は誰も責任を取っていません。
今回も細野幹事長は辞任したものの、海江田代表が続投するこ
とで、「責任を取らない政党」のイメージを払拭できているとは
いえないのです。
しかし、民由合併当時の民主党は比較的おおらかな政党であり
何か不祥事があれば代表はすぐ責任を取っていたのです。民主党
結党時の1998年の初代代表は菅直人氏であり、1999年1
月の代表選で菅氏が正式に民主党の代表に選出されたのです。
1999年9月の代表選では鳩山由紀夫氏が代表になり、20
00年9月、2002年9月と鳩山由紀夫氏は代表3選を重ねる
のです。その頃から民由合併の話が出てきたのですが、2002
年11月にその件に関連して鳩山代表は辞任し、またしても菅代
表に交代したのです。つまり、この時点までは、菅氏と鳩山氏が
交互に民主党の代表を務めてきたのです。そして、2003年9
月に民由合併の調印が行われたのです。
このとき、民主党では仙谷、枝野両氏をはじめ、前原氏などの
松下政経塾出身の議員たちは、民由合併に絶対反対の姿勢だった
のですが、自由党が吸収合併を受け入れることを知って、不承不
承了承したのです。小沢氏が屈辱の3条件を受け入れたのは、そ
ういう反対派を押さえるためだったのです。
かくして小沢氏率いる自由党は無役で民主党入りをしたのです
が、小沢氏には1年もしないうちに代表就任の話が持ち込まれて
きたのです。2004年5月のことです。
2004年といえば年金制度改革を巡るいわゆる「年金国会」
において、民主党は小泉自民党を追及している真っ最中だったの
です。しかし、菅代表の年金の納付記録に未納期間があることが
判明し、代表辞任へ追い込まれたのです。しかし、これは後に事
務サイドのミスであったことがわかっています。
しかし、そのとき小沢氏はいったんは代表就任を決めていたの
ですが、自分にも年金の未納期間があることをマスコミに報道さ
れ、急遽代表を固辞し、岡田克也氏に代表になるよう説得したの
です。岡田氏は新進党で一緒だったこともあり、小沢氏は岡田氏
の能力を高く評価していたのです。
かくして岡田代表率いる民主党は、2004年7月の参院選で
50人を当選させ、順調に議席を伸ばしたのです。このとき小沢
氏は民主党が最も苦手とする地方の一人区を徹底的に回り、大量
に得票して岡田代表を支えています。民主党はいわゆる都市型の
政党であり、「風」を頼んでムードで選挙を戦うところがあり、
地方は苦手だったのです。このように小沢氏は民主党議員に対し
て、選挙のやり方を変革させようと努力したのです。
これに対して自民党は年金改革法案の強行採決などもあって苦
戦し、改選議席51に対して49議席しか獲得できなかったので
す。しかし、自民党と公明党による過半数の議席を崩すには至ら
なかったのです。
ところが、2005年の郵政解散で岡田民主党は敗北してしま
うのです。2005年8月8日のこと、参議院本会議で郵政民営
化関連法案が否決されたのです。会期中から郵政法案が否決され
た場合は衆議院を解散して総選挙を行うことを明言していた小泉
首相は衆院解散の手続きをはじめます。このとき、小沢氏は、次
のように考えていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
もし、小泉が衆院を解散すれば、憲法違反を問える
──小沢一郎氏
―――――――――――――――――――――――――――――
法案が参院で否決されたことを理由にして衆院の解散はできな
いのです。参院の審議権を侵害することになるからです。参院で
否決された法案は衆院へ返付され、両院協議会で審議するか、衆
院で再可決するか、廃案にするかが審議されるのです。その協議
の結果が内閣の方針に沿わない場合、内閣は衆院をはじめて解散
できるのです。
しかし、自民党は直ちに衆院解散手続きを開始したのですが、
衆院の議員運営委員会理事会では、法案返付の報告があっただけ
で取り扱いについては何の議論も行われなかったのです。このま
まで解散すれば憲法違反になると小沢氏は考えていたのです。
しかし、小沢氏には民主党の対応について、もうひとつ危惧し
ていることがあったのです。それは次のことです。
―――――――――――――――――――――――――――――
民主党執行部は「郵政改革法案で小泉が強行してくれば、自民
党は分裂する。解散・総選挙となれば民主党が勝てる」と思っ
ている。自民党から多少の造反が出るかもしれないが、民主党
が総選挙で勝って政権をとれるほど、政治は甘くないんだ。
──平野貞夫著/『わが友・小沢一郎』/幻冬社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
この小沢氏の予感は的中したのです。民主党の執行部は、小泉
政権が解散手続きをしているときに、小泉内閣不信任案を提出し
たのです。これは小泉内閣が解散する理由をわざわざ与えてやっ
たことと同じです。あのとき自民党は、参院で法案が否決された
という理由だけで解散しようとしており、それを違憲として提訴
すれば自民党に大きなダメージを与えることができると考えたの
です。もっとも最高裁では憲法違反ではないという判決が出ては
いますが。 ── [自民党でいいのか/20]
≪画像および関連情報≫
●上告棄却された解散違憲訴訟
―――――――――――――――――――――――――――
参議院否決を原因として衆議院を解散すること、解散に反対
する閣僚を罷免してまで衆議院解散を閣議決定したことは憲
政史上初の事態であるため、解散権の濫用ではないかとの議
論になった。しかし、内閣による助言による天皇の国事行為
としての衆議院解散は日本国憲法第7条で、首相による閣僚
罷免は日本国憲法第68条においてそれぞれ明記されている
権限であり、問題ないとされる。総選挙後の2005年9月
15日、郵政法案が参議院で否決されただけで衆議院を解散
したのは憲法に違反するとして、宇都宮市議が衆議院解散の
無効確認を求める訴訟を東京高裁に起こした。原告は「憲法
第59条に基づき、両院協議会や衆議院で3分の2以上の賛
成を得るための法案再議決をしなければ解散ができない」と
主張した。しかし、法案の採決が両院で異なる場合の両院協
議会開催や衆議院の法案再議決の実施は法律上は強制ではな
く任意であるとして12月15日、東京高裁は訴えを棄却し
その後最高裁第三小法廷も2006年3月28日東京高裁判
決を支持して上告を棄却、類似の訴訟でも同じく上告棄却と
なっている。 ──ウィキペディア
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