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2013-07-29 反戦な家づくり
山本太郎さんを、何とかして潰そうとする動きは、まだまだ延々と続いていく。
先の記事で、第二の山本宣治にしてはいけない と書いた。
86年前に、帝国議会議員・山本宣治は、治安維持法の改悪に反対し 「山宣独り孤塁を守る! だが僕は淋しくない、背後には多くの大衆が支持しているから…」ここで弁士中止!となったこの言葉を最後に、暗殺された。
そのことを書いた私のツイートは500近いリツイートがあったから、かなり多くの方の目に触れたことと思う。
また、他にも同様の警告を発している人は多く、何よりも山本太郎さん本人が危険性を自覚している。
週刊誌でのゴシップ的な攻撃、検察・警察による実際の捜索や逮捕、新聞やテレビでのネガティブキャンペーン、「知識人」という名の売識人による一見論理的な論陣。
これから繰り広げられることは、ほとんど予見できる。
なぜなら、すべて小沢一郎さんの身に降りかかったこと そのままだからだ。
こうした、直接的な攻撃に加えて、官僚のサボタージュや攪乱が始まる。
政権取った当時の民主党の政治家の話を聞く限り、官僚は決して敵対的な態度は取らない。物腰やわらかく、慇懃無礼に、言葉巧みにサボタージュをやらかす。
もちろん、太郎さんのツッコミには通用しないけれども、まるで正当なツッコミをしているほうが、非常識化のように舞台設定される。
優秀な官僚は、保身と責任転嫁においては、世界一のレベルなのである。あなどってはいけない。
まさに、太郎さん自身が 「いばらの道」と言い、当選してもニコリともしなかったことが、現実になっていく。
■■
それでも、敵と戦うのは戦意も湧くしアドレナリンも出てくる。
本当に辛いのは、味方と思ったところから、石つぶてが飛んでくるときだ。
詳細は省くけれども、5月27日に太郎さんが呼びかけた 統一比例名簿に、各党がとった対応をよく見ていただきたい。
結果が出てからこれを見ると、正論風をグダグダ言っている人たちの話が、猛烈にいらつく。
結果から遡って批判するのは反則かもしれないが、今後を考えるためには、とても意味のあることだと思う。
ちょっと長いけれども、ぜひとも
生活の党(森ゆうこさん)は、時間がないということ、未来の党の失敗を繰り返さないということを理由に比例名簿を(実質的に)断っている。あとの話は、統一比例名簿の話を、太郎さんを応援するという話にすり替えていると言わざるを得ない。
応援した生活の党を悪くは言いたくないが、野党共闘が小沢一郎代表の大方針なのだから、森さんはこんな発言で誤魔化さず、持ち帰ってもう一度血の出るような討議をするべきだった。
未来の党(阿部知子さん)は、是非とも統一名簿をと言っているけれども、直後に東京選挙区で太郎さんに(みどりの風として)対立候補をぶつけてきた。やることがエグイ。
ちなみに数日後には対立候補になる丸子安子さんは、「大河原さんを落としたくない(ので東京からでないでほしい)」と会場から発言。で、直後に本人が東京選挙区から立候補という、この奇々怪々。
福士さんという都議会議員は、統一比例名簿は言論封殺だと・・・
なんと言うか・・・
政治家にならないことを美点だと思っている政治家の典型かもしれない。いい人なんだろうけど、野球が下手なのを自慢する野球選手と同じだと気がついてほしい。
共産党は、一般論の演説をぶった挙げ句に、統一名簿はキッパリ拒否。共産党は共産党候補以外は選挙では推せないと明言。
最後の方では、会場から意見を出す貴重な残り時間を、またまた共産党と自分の宣伝で延々と演説が止まらず、三宅洋平さんに止められるまで独演会。
この時点ではまだ緑の党ではなかった三宅洋平さんは、日本最大の政党=投票に行かない人 が自分の支持者だと思っている と。言葉はナマすぎるけど、意識は太郎さんと共有している。
社民党(福島さん)は、できるだけの選挙協力をやっていく。自民党を利さない と言いながら、肝心要の新潟で森ゆうこさんに対立候補ぶつけてくれた。
また、統一名簿方式と党の統一という別次元の話を、わざと混同して説明している。統一名簿は政党を残したままおこなうので、離党する必要も無いし、もちろん失職することもないのだが、元の政党に戻ったら失職するような説明をしている。
新社会党の区議は、、、、失礼ながら、モゴモゴと何を言っているのかよく分からない・・・
緑の党は、色々言っているが、統一名簿についてはまったく見解示さず。持ち帰る とだけ。
少なくともこの時点では、太郎さんの言う
「もう崖っぷちです。勝てるんですか?何議席とれるんですか?」
「今までと同じような選挙やってて変えられると思うのか!」
「子どもたちを犠牲にする気か!」
「今やることは1議席でも減らさないこと」
という危機感は、各党とも まったく まっっっっっったく無い。
話を聞けば聞くほど、彼らが「熱く」語れば語るほど、危機感のなさ、というか、太郎さんが感じている危機感を感知することができていないことが、浮き彫りになる。
会場からも、「危機感がない!」という怒りのヤジが。
■■
各党の代表、幹部の皆さんにも、今こそ5月27日のこの様子を見ていただきたい。
穴が開くほど見ていただきたい。
今の時点で、それでも何も感じないのならば、もう政治家の資質がないと言わざるを得ない。
こんなことは分かりきった話だが、結党と共闘、政党と統一戦線は、まったく別ものだ。
政党の人たちも、選挙以外の運動での共闘や、自党の候補に影響のない候補者の応援については統一戦線を組むという。
しかし、選挙になると、自党の候補に何らかの影響があると、きわめて硬直した対応しかできない。
要するに、自党が培ってきた票を、どんな事情であれ他党の候補者にあげるなんてとんでもない!ということなのだろう。
ちなみに、もし太郎さんがイメージしていたように反TPP統一名簿で闘っていたとしたらどうなっていたか。
太郎さんは東京だけで66万なので、全国で500万とする。
相乗効果は考慮せずに、他党の票はそのままでカウント。
そうすると、全体で1370万票以上になり、少なくとも13人当選。
個人別で見ると、共産5,社民2,みどりの風2,生活1,大地1,緑の党1,今は一人1
誰も損をせず、6議席も多くとれていたことになる。
タラレバを言っても仕方ない、ではなく、みっちり反省するためには、こういうタラレバも必要なのだ。
統一戦線を、離合集散と称すること自体が、支配層の思惑なのだということにすら気がつかない野党代表。
離合集散 おおいに結構。
じょうずに分かりやすく離合集散できることが、民主主義の証みたいなもの。
超重要課題について、ある程度期間と獲得目標を決めて、政党が集合して統一戦線を組む。
これができなくては、ほぼ永遠に資金力のある政党に勝つことはできない。
そして、その目標が達成したり、あるいはまったく達成の可能性が無くなったりしたら、それを明示して統一戦線は離散すればいい。
なんの不都合もない。
ただし、党となるとべつだ。
党は、共通の理念、つまり社会のあり方と、そのために自分たちが何をするのか、というレベルで考え方が同じ人たちの集まりなのであって、そこでむやみに野合するのは、たしかにおかしい。
例えば、太郎さんが統一名簿を呼びかけた各党は、当面の政策だけを見れば、ほとんど同じだ。
素人目には、どこが違うのかわからない。
しかし、あるべき社会像になると微妙に温度差が出てくるし、なによりも、そのために自党は何をするのか、になるとかなり違う。
共産党は自党の拡大だし、社民党は自民党へのアンチだし、生活の党は政権交代だ。
だから、これらの党が党としてはバラバラなのは、充分に納得できる。
そのことと、重要課題に立ち向かうための統一戦線とは、次元が違う。各党は党として自分をもったまま、統一してとり組もうよ。それが国民の望んでることでしょ。というはなしだ。
未来の党の失敗は、統一戦線でやるべきことを党のレベルでやってしまったことであり、あの経験をもって統一戦線を否定することにはならない。
そこを、分かっていないのか、わかっていて誤魔化したのか、統一戦線を拒否してボロ負けしたのが、今回の選挙だった。
共産党はボロ負けしていないが、私を含めて「しかたなく」「泣く泣く」共産党に投票した数百万人の気持ちをまったく分かっておらず、得意満面でブイブイ言わせているから、残念ながら次の選挙では惨敗することになるだろう。
■■
以前も書いたけれども、日本は民主主義国家 ではない。
一応選挙制度はあるし、憲法もある。
が、それらは全部、何かと引き替えに与えられた物であり、自分たちで勝ち取った物ではない。
日本に民主主義の萌芽があったとすれば、明治期に農村で育まれた自由民権運動だろう。
もっと遡れば、江戸末期、相楽総三の傘下に集った赤報隊などに民衆蜂起の原型がある。
そして、いずれも徹底的に弾圧され壊滅させられている。
その代償として賜わったのが大日本帝国憲法であり、制限選挙制度だ。
1925年に成立した普通選挙法は、よく知られているように、治安維持法とセットだった。
(男子限定を普通選挙と呼んで良いのかというべつの問題はここでは触れない)
1945年 敗戦によってできた日本国憲法は、戦争責任を曖昧にすることの代償だ。
たしかによくできた憲法だけれども、戦争を遂行した国家の最高責任者が、なんで国民統合の象徴なのか、まったく意味が分からない。
日本人が非論理的になってしまった一因は、この論理性の全くない憲法のせいではないのかとすら、私は思っている。(改憲にはもちろん反対だが、憲法万歳主義じゃない)
1952年の講和条約=日本の独立。言うまでもなく、朝鮮戦争のまっただ中。
平和憲法を持つ国が、戦争に協力し、戦争景気で湧く中で独立した。
1960年 安保反対闘争では数十万人が国会を囲み、町内会単位で提灯デモが繰り広げられたが、同じ年の11月に行われた総選挙では、自民党が6割ちかい得票を得て、大勝している。
「○○は反対だけど、選挙は自民党」というワケの分からないパターンは、このとき既に確立されている。
反対しても押し切られると、もう即座に諦めて、バネ仕掛けのように自民党に戻ってしまうのだ。
選挙を民意の受け皿にするのが民主主義だとすれば、やはり日本に民主主義があったためしはない。
それは、一見すると民主主義的にみえるものが、全部負けた結果として、代償として与えられた物だったからだ。
自由民権運動が壊滅してから120年間。日本人は、民主主義とは名ばかりの、統制社会で生きてきたのである。
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その統制社会から抜け出すには、「抜け出す努力」をそれぞれがするしかない。
「だれか抜け出させてくれないかな・・・」と期待していても、またまた同じことの繰り返しにしかならない。
その具体的な手段は、今のところ、選挙しかない。
もちろん、いろんな運動はあるけれども、最終的に選挙で数をとらなければ、絶対的な権力に対抗できない。
選挙は汚い、選挙は怖い と統制社会では教育する。
政治はダサイ、何をやってもどうせ変わらない と精神にたたき込む。
政治家はみな悪人だ、と大宣伝する。
120年間みっちり詰め込まれて、いまや投票率は約50%。
20代にいたっては、4人に1人しか投票に行かない。
「今日は選挙だから」なんて、かっこわるくて口に出せない。
ましてや、TPPってヤバイらしいよ とか言おうものなら友達を失う。
投票率を上げるには家庭教育が大事だ とか言うけれども、その親世代がすでに「政治は汚い」と思い込んでいるのだから、もう遅い。
そんな中で、山本太郎さんの東京で66万票は風穴をあけた。
それほど知名度のない三宅洋平さんの17万票も画期的だった。
あの動画の政治家の言葉のような「届かない言葉」と、太郎さんの「届く言葉」の違い。
これを、徹底的に学ぶこと。
まず、これを、政治家でもない私たち自身が、自分のこととしてやることだ。
そして、「ひょっとしたら」という思いを醸し出すこと。
太郎さんの選挙は、前半は話題作り、後半は街頭の群衆へと盛り上げていった。
ひょっとすると当選するかも という期待感が高まり、雪崩を打って票が集まったのではないか。
3年後に向けて、そうしたことを、一市民の私たちが学び取り、それを政治家・候補者にぶつけていかなくてはならい。
政治家に一方的に頼って期待していても、もう何も出てこない くらいに開き直るべきだ。
そして、私たちの声をきちんと聞くことができる政治家、意識を共有できる人が良い政治家 ということだ。
生活の党で50万、社民党も50万人くらいは、たぶん不動の支持者がいる。
その支持者が、支持者の枠を乗り越えて、自ら政治家を作る活動に踏み込むことだ。
同時に、両者の間にずっしりと横たわる不信感を、少し時間をかけて溶かしていくこと。
市民運動家の中ではいまだに小澤嫌いが幅をきかせているし、政治運動をやっている人は市民運動家を全然信頼していない。
まず、自分たちがこの溝を埋められないようでは、政治家に「統一を」と言う資格はない。
残念ながら、あと3年は選挙がない。
安倍晋三は意外と早く、また腸の疾患に悩まされることになると思われるが、自民党政権自体はびくともしない。
この盤石の体制を解散するわけがない。
その間に、ありとあらゆることが悪化していく。ものすごい勢いで、今もすでに進行している。
あまりに、同時多発かつ急激なので、事態を把握することすら困難だ。
IWJにしても、様々なSNSにしても、情報が多すぎてとても消化できない。
強力な抵抗は望めないものの、何がおきてしまっているのか、これはどうにかしてモニターしたい。
これを、まずは100万人が共有すること。
そして、それを「届く言葉」にして、「投票しない党」の人たちに伝えること。
こうしたテーマをもって、とりあえずこれからの3年間に踏み出していきたい。
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