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外山恒一さん。「ツアー中、所持金が1円になってカンパを募ったら、アベシンゾウやジミントウの偽名で振り込まれました」=麻生健撮影
(2013参院選)勝ったのはだれだ 活動家・外山恒一さん
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201307260606.html
2013年7月27日 朝日新聞
覚えてますか。2007年の東京都知事選。石原慎太郎氏3選が確実視されるシラけた空気の中、政見放送で「外山恒一にやけっぱちの一票を! じゃなきゃ投票なんか行くな! どうせ選挙じゃ何も変わらないんだよ!」と訴え、世間を驚かせ笑わせたあの人を。あれから6年。盛り上がらない参院選のさなか、彼は日本を縦断していました。
選挙戦最終日の20日。札幌・大通公園周辺を、外山さんが運転する白いバンがよろよろと行く。6月初旬に福岡県を出発、全国各地で自民党をほめ倒してきた。「自民党のみなさん、原発推進頑張ってください。こんな国、滅ぼしましょう原発で。こんな国、終わらせましょう原発で」。バックに流れるのはザ・タイマーズ。能天気な音頭のリズムに乗せて、ボーカルの忌野清志郎が「原発賛成」と連呼する。ビクッとする人、にらみつける人、笑う人、手を振る人。当たり前の日常が、ほんの一瞬、ざらついた。
*
――参院選、自民党圧勝でした。
「いや、勝ったのは、棄権を呼びかけ投票率ダウンを推進してきた我々です。棄権率は47・39%で戦後3番目の高さ。選挙なんか多数派のお祭りだ、選挙で何かが変わると思ったら大間違いだという私たちの主張が、やっと理解されつつあります」
――……いずれにしても何が選ばれたかわからない選挙でした。
「よりマシってことでしょう。自民党が、民主党をはじめとする他党よりも。経済?憲法改正?原発?全然争点になっていない。問われたのは自民党政権にイエスかノーかだけど、ノーの人の選択肢は事実上ないという、すごい選挙です」
「まさにこれが民主主義です。選挙では提示された選択肢の中からよりマシな方を選ぶしかない、政治とは悪さ加減の選択なのだと、リベラルな民主主義者はずっと言ってきたじゃないですか。民主主義が機能した結果が、今後3年間は続く自民党1強体制です」
「選挙によって、人々は意思決定過程に参加させてもらったかのように勘違いしがちですが、体制側の方針なんか最初から決まっているんです。多数決で決めれば多数派が勝つに決まっている。僕は多数決に反対しているんです。自民圧勝を受け、『自民はおごらず、少数意見にも耳を傾けるべきだ』なんて言っている人がいますが、なんてお人よしなんでしょう。傾けるはずありません」
――しかし当初は「主要候補」扱いされていなかった山本太郎さんが当選したのは、自分の投票で政治を変えるのだと、一票の重みを信じて投票する人が大勢いたからでしょう。
「いい話ですね。気休めにはなります。でも膨大な死票が出る小選挙区制で実感できるのは『一票の軽み』です。そんな制度に変えておきながら、投票に行かない人間は民度が低いと批判する。矛盾してます」
「山本太郎さんが国会議員としてやれることには限界があるでしょう。衆参国会議員合わせて722人分の1ですから。選挙で何かが変わると期待するだけ無駄です」
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――ただ、確かに民主主義は様々な問題を抱えてはいるが、今のところ最善の制度だと言われ……。
「民主主義者の人はそう言いますが、ファシストにとってはファシズムの方が、マルクス・レーニン主義の人にとっては共産党一党独裁の方が、民主主義よりもマシな最善の制度です。民主主義者の悪いところは、民主主義もまたイデオロギーであるという自覚がないことです」
「不可解なのは、民主主義者ほどいま民主主義は機能不全に陥っているとか言いがちなことです。自分たちの意見が政治に反映されないという不満があるんでしょう。でも民主主義が理想なら、理想は既に実現されている。世論調査をすれば脱原発派が多くても、民主主義の結果、原発はなくならない。あなたの眼前で起きていることは全て民主主義が機能した結果です。だから民主主義そのものを疑うべきなのです」
「民主主義を守れとか言っているリベラルな人たちが思い描くような世の中にならないのが、民主主義です。リベラルな人たちは、自らの問題を言葉にしたり、変革したりする回路すら持っていない社会的弱者に寄り添っているつもりでものを考えてきたと思いますが、インターネットが普及し、そういう人たちが言葉を持ち始めると、ネット右翼みたいなのがどんどん出てきて、それに影響されて世の中の風潮もどんどん右傾化していく。この皮肉な現実を、リベラルな人たちはもっとかみ締めた方がいいと思います」
――選挙は無意味だと言いながら、なぜ都知事選に出たのですか。
「仲間を集めるきっかけづくりです。アメリカの『ウォールストリート占拠』や『アラブの春』のような騒ぎが起きれば、中曽根政権だろうが共産党政権だろうが対処せざるを得ない。民主主義では社会は変えられない。議会の外でそういう状況をつくることが社会を変えることになると考え、行動しています」
「ただ、都知事選に味をしめ、熊本市議選と鹿児島市議選にも立候補したのですが、ミーハーばっかり集まってくるんですよ。こっちはまじめな賛同者を集めているのに『またなんか面白いことやってくれ』みたいな。ネットが広まったおかげで何も起きなくなっている気がします。消費者なんですよ。自分では何もやらず、誰かが何かをやってくれるのを待っている。そういう消費者根性が蔓延(まんえん)している。もう選挙に出るつもりはありません」
「ネットで熟議が起きるなんて幻想です。違う意見の人とネット上で出会っても罵倒しあうだけです。対面だったら殴り合いになるのを避けようと、妥協したり相手を説得する理屈を考えたりしますが、ネット上だと殴られませんから」
――政見放送では「私には建設的な提案なんかひとつもない!」と言い切る。真摯(しんし)に不真面目ですね。
「はい。当選するつもりはないわけですから。しかし、日本の政治はただの不真面目ですよ。党名がそれを象徴しています。イデオロギー、理念に立脚してこそ政党なのに、『日本新党』『新生党』と新しさだけを強調した政党名ブームがあり、その後は非イデオロギーに開き直った『みんなの党』。『たちあがれ日本』『国民の生活が第一』に至ってはただのかけ声で、前回衆院選前には『日本未来の党』『太陽の党』が出来て、『太陽系議員』『未来が分裂』みたいな表現がメディアをにぎわせました。SFかよ!って」
■ ■
――要するに、有権者は消費者ではない、もっと賢くなれということですか。意外と普通ですね。
「いや、有権者は消費者ですよ。それでいいじゃないですか。今日は何食べようかとか損した得したとか言いながら一生を終える。政治なんかに興味を持たずに暮らせるのはいい社会です。賢い有権者になれなんて余計なお世話です。賢くなれと有権者を叱咤(しった)するよりは、選挙権を免許試験制にして、たとえば100点取ったら100票、20点なら20票と賢さによって差をつければいい」
「新聞社は『あなたにぴったりの候補者はこの人』みたいな情報を提供して有権者という名の消費者を甘やかしている暇があるなら、もっと偏るべきです。旗色を鮮明に『今回の選挙ではこれを争点にすべきだ』と主張することで議論が生まれる。新聞社が不偏不党をやめれば、政治はもう少しは活性化するはずです」
――しかし、システムそのものをひっくり返すことを目的にした運動が悲惨な結果を招いてきたことを、歴史は教えます。将棋の駒を一つずつ進めることを考えた方が現実的ではないですか。
「それは欺瞞(ぎまん)です。フランスやアメリカで将棋盤がひっくり返されたから議会制民主主義が生まれたわけだし、戦後の日本だって、アメリカに将棋盤をひっくり返されて生まれているのですから。このゲームのルールでは絶対に自分たちには勝ち目がないのに、それでもゲームを続けようとするのは不真面目です。そもそも日本では、ゲームのルールは書き換えられるんだということすら忘れられている。だから頑固な反原発派の私が、こうやって不真面目に訴え続けているのです」
(聞き手・高橋純子)
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とやまこういち 70年生まれ。福岡県在住。ストリートミュージシャン。高校中退後、反管理教育運動で注目を集める。著書に「青いムーブメント」など。
■一票は群れてこそ活きる 北海道大学准教授・吉田徹さん
参院選では、ネット選挙解禁と相まって「ボートマッチ」と呼ばれる類のサービスがメディアで注目を集めた。ネットで候補者のデータや政策を閲覧できたり、自分の政治的意見を選択すると「最適」な投票先政党を提示してくれたりと、実に親切な仕掛けがしてある。
しかし、市民が政党や候補者の主張を比較考量して「正しい」政策を選び、自分の一票を投票箱に投じさえすれば、そのまま「正しい」政治が生まれると考えるのであればナイーブに過ぎる。低投票率と個人化にあえぐ今の政治において、問われるべき点はここにある。
政策や争点を軸にした政治というのは、是非はともかく、モデルに過ぎない。教科書的に言えば個々人が自らの選択肢に忠実であり、諸政党がこれに応じた異なる政策を掲げ、その差異を有権者が十分に理解し、さらに当選した暁にはその政策が実行されると確信していなければならないという、気の遠くなるような条件が全て満たされる必要があるからだ。この理想に現実を近づけようと政治家に「争点隠し」を止めよといくら訴えても、それが利得になる構図が続く限り、耳を貸すはずがない。
残念なことに、有権者の一票で政治が変わるというのも幻想に過ぎない。大激戦だった東京選挙区での当選者と次点の票差は5万9674票。どんなに共感しようとも、当選しそうにない候補に投票しないのも、勝ち目がないことがわかっているからだ。有権者の一票は限りなく軽く、時々の政治状況から逃れることもできないのだ。
間違った前提は間違った帰結を導く。専門家でも見解の異なる政策を軸に政党が競い合えば合うほど、現実と期待の溝は深まり、「正しい一票」は行き場を失う。だから棄権の誘引が増し、政治への幻滅は増していく。
政治家グラムシは合理的な思考は「個人的な運動」しか生まず、「主観的なもの」への移行こそが「闘う場」を形成する、と説いた。政治とは共同体に係る営みのことだ。だから市民は自分が何を欲しているかわかっていなければならないだけでなく、仲間や同志を作る必要性に迫られる。私の一票は群れてこそ、初めて活(い)きる。政治はそれゆえに恐ろしく、また、希望と可能性にあふれているのだ。
この政治のイロハを理解しない限り、「アベノミクス」や「原発再稼働」という「『正しい』とされる」政策に私たちは鼻面を引きずり回され続けることになりかねない。(寄稿)
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よしだとおる 75年生まれ。専門はヨーロッパ比較政治、フランス政治史。著書に「ポピュリズムを考える」「二大政党制批判論」など。
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