03. 2013年7月28日 00:03:42
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from 911/USAレポート』第637回 「日本の二大政党制実験はどうして失敗したのか?」 ■ 冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 『from 911/USAレポート』 第637回 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1990年代の初頭に、小選挙区比例代表制を中心とした、いわゆる「政治改革」 が行われた訳ですが、ここでは政治とカネの問題が追及されたと同時に「二大政党制」 つまり「政権交代可能な2つの政党によるチェック機能」ということが「日本の政治 の進むべき方向」だと言うコンセンサスができた訳です。 ですが、今回の参院選の結果、この方向性には終止符が打たれました。1990年 代から模索された「二大政党制実験」は失敗に終わったのです。それにしても、この 20年間というのは長い時間です。この間、小泉政権という5年間の安定があったの を例外とすれば日本の政治は「ほぼ1年ごとに首相が交代する」という不安定な状況 が続きました。 そう考えると、この20年はバブル崩壊以降、日本経済が本格的な反転ができずに 来ていること、つまり「日本経済の失われた20年」ということと、二大政党制実験 が失敗したことによる「日本政治の失われた20年」が重なっているということもで きると思います。 経済が再生しないという問題と、政権が安定しないという問題は、では、どう結び ついているのかというと、勿論、政権がしっかりしないと政策が実施できないという ことです。これは別に政権に強権を与えればいいということではありません。本当に 選択すべき問題を、選挙でしっかり選択して、しっかり実施させるという民主主義の サイクルが機能しなかったということです。 こうした一連の問題は、アメリカから見ていますと非常に「歯がゆく」見えて仕方 がないのです。勿論、アメリカの民主主義には問題は沢山あります。ですが、とりあ えず二大政党制が機能していること、一つ一つの政策に関して選挙を通じて示された 民意によって実施がされているということ、つまり政治の「インフラ」としての枠組 みに関しては、大多数の国民が支持をしているのです。 つまり、制度に関しては信任されているのです。個別の政策に関しては文句を言う 人はいくらでもいますが、議院内閣制にして大統領と議会の「ねじれ」をなくせとか、 巨大なテキサスとちっぽけなロードアイランドから同じように2名の上院議員が選ば れるという「格差」は是正せよというような声はありません。その制度への信任とい うことの核には、やはり二大政党制への信任があるのは間違いないと思うのです。 日本ではどうして二大政党制が失敗したのか、私はここでは二点、問題提起をして おきたいと思います。 一つは「政治をめぐるカルチャー」の問題です。二大政党制を機能させるにはイデ オロギーの対立軸があって、それぞれのイデオロギーを適用することから導きだされ る「実行可能な政策の選択肢」が出て来て、それが民意の洗礼を受けるということが 期待されたわけす。ですが、日本の場合はそうした選択というよりも「政権与党への 信任」ということが、毎回の選挙では優先されます。 つまり、政権交代が起きる時には、ある政策が行き詰まった、あるいは時代に合わ なくなったから、違うイデオロギー、違う政策の政党にスイッチするという選択には ならないのです。失敗した政権は「懲罰として政権の座から引きずり下ろされ」、新 たに選任された政権は「ほぼ無限の期待を与えられる」ということが繰り返されるの です。 例えば、今回2012年末の総選挙以来の民主党に起きていることは、2009年 に自民党に起きたことと一緒です。「失敗した政権」というのは世論の大合唱の下で、 懲罰的に下野させられるというわけです。つまり、選挙というのが政策の選択ではな く、政権の選択であり、しかもその政権の選択というのが消去法になっているという 問題があるわけです。 原因の根幹には経済成長の問題があります。少子化による市場縮小と、高齢化によ るコスト増を抱え、中付加価値製品の輸出産業では競争力を喪失しつつある日本は、 経済の長期的な低迷に入っていますが、勿論、どこかで反転させなくてはならないわ けです。個別の政策論とか、イデオロギーの以前に、この経済成長ということでの失 敗が顕著になると「もう政権は交換しないとダメ」ということになってしまうわけで す。 そこには、江戸時代以来の「お上と庶民」という権力と民衆の非対称性という問題 もあると思います。新政権には何でも期待してしまう、その期待が裏切られると冷酷 に政権を潰してしまう、勿論それは主権者としての権限の行使であるわけですが、政 権を信じている時は「丸投げ」になり、信じなくなくなると「丸ごとダメ」を出すと いう態度には明らかな非対称性があります。個々の政策論、個々の実行過程への冷静 な判断に、主権者が「対等の立場で」議論に加わって行くという感覚を育んで行く必 要があると思います。 二つ目の問題は「対立軸」です。結果的に今回「二大政党制」が崩壊したのは、 「政権交代可能な対立軸」が二つにまとまらなかったからです。 まず、アメリカでは曲がりなりに機能している「大きな政府論」か「小さな政府論」 かという軸ですが、これは日本の場合はうまく政策論として機能していません。とい うのは、国家観と税制という問題が、アメリカのように「まとまらない」からです。 例えば、現在の自民党の立場というのは、基本的に「大きな政府論」です。増税と 公共投資増を政策に掲げている一方で、金融政策も非常に大胆な緩和政策を進めてい るということから、欧米の考え方から見ると「極端な大きな政府論」あるいは「超リ ベラルな経済政策」ということになるわけです。ですが、誰の利害を代表しているの かというと、個人ではないわけです。主として地方の農林水産業を含む自営業者であ り、建設業界であり、要するに供給側であるわけです。 これに対して、今回の選挙で「自民党への反対票の受け皿」になった共産党などの 「左派の野党」は、福祉や教育の予算を拡大という点、あるいは農林水産業や地方振 興などにカネを使うということでは大変な「大きな政府論」であるわけです。ところ が税制ということでは、基本的には消費税率を目のカタキにする減税論であり、決し て「大きな政府」指向でもないのです。 民主党に至っては、税制への姿勢も一貫せず、また歳出に関しても「仕分け」など の姿勢は見せたものの、官公労の利害を反映して事実上は「歳出抑制には消極的」で あったわけで、一貫性というものは見られないわけです。これだけ巨大な国家債務を 抱えた日本の場合は、相当に強固な「小さな政府論」があっても良いと思いますが、 そうした純粋なイデオロギーというのはほとんど存在していません。 一方の軍事外交に関しては、自民、民主、維新、みんなといった保守政党は、「自 分たちならもっとうまくやる」という対応スキルに関する批判合戦と、「自分たちの 方が愛国的」だという局面を捉えてナショナリズムを煽る動きが中心になっているわ けです。個別の政策論はなかなか選択の俎上には乗せない中で、雰囲気としてはナシ ョナリズムのエスカレーションと、近隣諸国との関係悪化を放置することになってい ます。 結果的に当事者の責任感を持っている外交当局が「うまくやる」ことに丸投げとい う状況があるわけです。これに対して、反対勢力の方は21世紀の現在の国際情勢に はほとんど対応していないわけで、ここでも政治全体としては「選択可能な選択肢」 の呈示には失敗しています。 あとは個別の「政党ごとのテーマ」がバラバラに乗っかっています。例えば「地方 分権」を主張する党がありますが、基本的には「自治体合同によるリストラ効果」の 話はあっても、「一極集中の解体」「本格的な地方振興」と言った問題は欠落してお り、政策論として完結したものではありません。また、エネルギー政策を中心に主張 を繰り広げる勢力もありますが、当面の化石燃料依存による貿易収支悪化と排出ガス 増への注意はほとんど払われておらず、これも政策としての完結性は足りません。 こう申し上げると「対立軸の設定」など無理ではないかという気がしてきます。で は、このまま日本の民主主義は未成熟のまま続くのでしょうか? 1955年の保守 合同以降の自民党政権が「疑似開発独裁」であるならば、今回の自民党安定政権は 「衰退型独裁」という形で続く、つまり官僚制と一体化した「巨大与党マシーン」が あらゆる問題を「仕切る」ということになるのでしょうか? そうなった時に、自民党が「最適解」を選択できればまだ良いのですが、「無駄使 い」や「問題の、特に財政規律の先送り」というような判断を続けて行くと、大きな 破綻を招くことになります。やはり、政治にはしっかりしたチェック機能は必要です。 ですが、ここまで見て来たようにアメリカ型の「理念による二大政党の対立軸」が あって、それぞれが「政権交代の受け皿となる実行可能な選択肢」を持つというスタ イルへ持って行くのは、難しいと言わざるを得ません。この「政治の失われた20年」 の重みを考えると、漠然と「理念の対立軸」を夢見ていても仕方がないように思われ ます。 一つの可能性は、「利害団体」というものを徹底的に政治の核に据えるということ です。現在の日本の政治にある種の「閉塞感」があるのは、正に今回の選挙がそうで あるように、表面的な理念や政策のウラに「利害団体」というものが「決定の主体」 として存在しているという問題があるわけです。 これに対して「浮動票」という層は、選挙の性格によっては棄権という選択をして、 今回の場合は自民党に対する消極的支持を示す一方で、民主党をはじめとする非自民 勢力には積極的な不信任をしたわけですが、いずれにしても、「これから自民党が実 施するであろう個々の政策」を支持する気は更々ないわけです。 そのような不安定な存在が「浮動票」であり、彼等の「今回は入れる政党がなかっ た、過去の判断は間違っていた」という「政治への距離感」がある種の閉塞感になっ ているわけです。ということは、一つの方向性として何らかの形で「あらゆる人がそ れぞれの層で利害団体を構成する」という方向性が一つあるのではないでしょうか。 例えば都市の浮動票と言っても、富裕層と貧困層、単身家庭と子育て家庭では全く 利害が異なる訳です。地方と言っても、生存のために中央からの再分配を必要として いる地域と、そうではない地域では行き方が違ってくるでしょう。全世界を相手にし ている企業やその関係者は、アジアの近隣諸国との関係悪化とか日本の孤立化には反 対のはずです。そして勿論、世代別の利害の対立というのは、もうこうなったら表面 化して議論の俎上に乗せて行くしかないでしょう。 その結果として、7つとか10といった利害団体ができて行って、それがそのまま 政党になって行くか、あるいは政党の支持団体として選挙のたびに支持政党をスイッ チしつつ政党の政策パッケージに影響力を行使して行くかという方向性があると思い ます。前者の場合は、中選挙区制になり、後者の場合は二大政党であって、その支持 母体がフレキシブルに流動するという形になると思います。 いずれにしても、今回の「二大政党制実験の失敗」という教訓には深く学んで、日 本独自の民主主義の成熟を進めて行くには、理念的な対立軸を人工的に作って行くの ではなく「今、ここにある利害対立構造」を表に出して、それぞれの利害団体が堂々 と立ち上がって政治に参加して行く、その延長上に「納得のできる理念と政策の組み 合わせ」が2つから5つの政治勢力としてまとまって行くというプロセスが必要では ないかと思うのです。 とにかく、首相公選とか一院制といった憲政の枠組みをいじっても、この問題に前 進がない限り政治の閉塞感は解決して行かないでしょう。 ---------------------------------------------------------------------------- 冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ) 作家(米国ニュージャージー州在住) 1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。 著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空 気」「場の空気」』『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』『チェンジはどこへ 消えたか〜オーラをなくしたオバマの試練』。訳書に『チャター』がある。 最新作 は『場違いな人〜「空気」と「目線」に悩まないコミュニケーション』(大和書房)。 またNHKBS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。 ◆"from 911/USAレポート"『10周年メモリアル特別編集版』◆ 「FROM911、USAレポート 10年の記録」 App Storeにて配信中 詳しくはこちら ≫ http://itunes.apple.com/jp/app/id460233679?mt=8 |