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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130724-00000000-sundaym-pol
サンデー毎日 7月24日(水)17時0分配信
◇岩見隆夫(いわみ・たかお=毎日新聞客員編集委員)
参院選が終わって何が起きるか。すぐには何も起きない。
差し当たって注目されるのは、自民党の石破茂幹事長の処遇ぐらいだろう。この人事はむずかしい。安倍晋三首相はハンドリングを誤ると、長期政権戦略に狂いが生じるかもしれない。が、それもすぐにどうこういうことではない。
むしろ、念頭に置くべきは、安倍さんがよほどガードを固めないと、自民党一強体制がそう長続きするはずがないということである。内部から崩れるか、外側から蚕食されるか、とにかくいまの自民党は一強を誇るほど頑丈な体質ではない。
兆候はすでにあちこちに表れている。たとえば、
〈リベラル〉
という言葉。一種のイメージ語でしかなく、きちんとした意味合いで政界に定着しているとは言い難いが、昨年、民主党政権が崩壊したころから使われだした。新しい理念は〈リベラル民主〉で、といった具合に。何を言いたいのかはっきりしないが、〈安倍と違う政治路線〉をリベラルという言葉で言い換えようとしているのは想像がつく。
リベラルは〈反安倍〉の保守勢力結集を目指すシグナルとみれば、わかりやすいかもしれない。参院選後は野党再編が起きるだろうという観測がしきりだったが、負け犬同士をつなぎ合わせたところで、何かが始まるわけでもない。〈一強〉対〈反一強〉のせめぎ合いこそ、政局の流れとみた方がいい。
ひところ自民党リベラル派の代表格とみられていた河野洋平前衆院議長(引退)は、月刊誌『世界』八月号のインタビューで、
−−かつて、自民党はリベラルな、あるいは良識的な政治家が多く存在し、アジア外交においても存在感を発揮していたように思います。また、そうであったからこそ長く国政を担うことも可能であったのではないか。現在の自民党、あるいは野党の政治家への助言を−−
と問われて、答えている。
「私自身の夢を言うならば、自民党の中の良心的な人々、リベラルな人々に頑張ってもらって、バランスを欠いた右偏重の現在の自民党をもっと、中庸を行く政党に戻してほしいと願っています」
右偏重の安倍政治は非良心的、非リベラルとみている。つまり、リベラルという線で自民党を仕分けているわけだ。さらに、河野発言の続きが興味深い。
「民主党の方々にも頑張っていただきたいと思うのですが、どうも今の民主党は、政策的に理解しづらく、いったいどのような方向をめざしている政党なのかが私にはつかめません。
ある意味、いま一番、政党としてしっかりしているのは日本共産党です。長い歴史があり、筋が一貫しています。しかし、現状のままでは政界における広がりは難しい。ならば、欧州の共産党のような、より大胆な政治的決断が必要でしょう。社民党は、その歴史とそれを支えてきた人たちにも、政策にも、共感できるところがあります。
いずれにせよ、政権を取ることを本気で考えるなら、思い切った妥協も必要となります。正論を言いながらも小さく固まっているのでは、多くの国民の期待を担うことはできないのではないかと思います」
河野さんは相当大胆なことを言っている。自民の非リベラル勢力とは袂を分かち、民主から社民、共産まで網羅した新リベラル保守勢力を糾合し、政権を狙ったらどうか、と聞こえるからだ。
そういうダイナミックな展開になるかどうかは予測の限りではない。だが、安倍自民党による一強政治が続けば、反一強の動きが加速されるのは容易に予想できることだ。それを政界再編の流れと言ってもいいし、新たな保守二党時代への胎動とみることもできる。
◇欠けていたのは包容力 失敗から学ぶべきこと
だが、戦後史を振り返っても、新党の成功例はないと言ったほうがいい。一九五五年の保守合同・自民党結党以後、同党を離党し新党に走ったのは、河野洋平、武村正義、小沢一郎の三人である。
河野さんはロッキード事件さなかの七六年六月、衆参議員の仲間六人と新自由クラブを結成(同七月、田中角栄前首相逮捕)、一時はブームになったが、内部抗争から次第に衰退した。十年後に解党、自民党に復党したが、結果的に〈新党のむずかしさ〉を内外に印象づけることになった。
そのせいか、新自ク旗揚げから十七年間、自民党分裂の動きは表面化しない。次に武村さんらが離党して新党さきがけを結成したのが九三年六月、同月小沢さんらも新生党を結成した。
前年の九二年五月に細川護熙前熊本県知事が日本新党を旗揚げしたのは離党ではなく、細川さんは非議員だった。当時、なぜいま新党か、と聞いたことがある。
「直感ですね」
と細川さんは答えた。老化した自民党に代わる新保守党への期待を世間が抱き始めていたということだろう。
その後の経過はご存じのとおりだ。小沢さんの腕力で、自民・共産を除く八つの党派を一つに束ね、細川さんを首相に担いだものの、しょせんは野合政権、短命に終わる。武村さんのさきがけは、自民、社会両党と連立政権を作ったりするが結局消滅。
また、小沢さんが離党から今日までの約二十年間にたどった道は、ほとんど常軌を逸していた。政党の転変をみても、新生党から新進、自由、民主に吸収、未来、生活とめまぐるしく、何を目標にしているのか見当もつかないのだ。もはや影が薄い。
いま、肝心なことは、河野、細川、武村、小沢、さらに加えれば菅直人、鳩山由紀夫の失敗例から何を学び取るかである。反一強や反安倍を唱えるだけでは犬の遠吠えにすぎない。
細川さんの〈直感〉ではないが、時の空気を読むのは大事だ。政治家はおしなべて優れている。しかし、空気だけではことは成らない。
お歴々に欠けていたのは、大きくまとめる包容力ではなかったか、と私は思う。いずれ、かなったリーダーが現れるだろう。
<今週のひと言>
十六歳の恐怖、やっぱり大家族。
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