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2013-07-22 反戦な家づくり
今回の選挙結果は、ある程度予想していた範囲ではあり、がっかりはしているけれども、昨年末のような衝撃を受けてはいない。
昨年末340万票あった未来の党の比例票が、今回の生活の党では94万票まで激減した。
私は140万くらいかと思っていたので、さらに少ないとは言うもの、驚愕することはない。
他の国は事情を知らないが、日本で投票先が一極集中になるのは、考えてみれば納得できる。
なぜなら、日本での投票行動は、現世利益だからだ。
マクロな意味で、投票先は「明日のパン」をくれるところ だった。
これは、ず〜〜〜とそうだった。
税金をばらまく自民党か、賃上げのための社会党か、という選択だった。
どちらも、それなりにそのご利益のある間は大きな勢力を保っていた。
しかし、労働組合が潰されその効能がなくなると社会党も潰れていった。
そして、冷戦が終結し、経済成長期も終焉する中で、税金のバラマキも国民に行き渡らなくなり、むしろむしり取られることが見えてくると、さすがの自民党も野党に落ち、生活を守ってくれそうな民主党が大勝した。
ところがどっこい、「国民の生活が第一」と言っていた人たちは党内で手足を縛られ、裏切り者どもが自民党と大差ない政治をやらかした。
上げて落とす心理効果は絶大で、マスメディアの攻勢もあいまって、やっぱ自民党のほうが頼りになる と思い込んでしまった。
で、アベノミクスとかいう、まるで風説の流布みたいなことをやらかして株価を操作し、明日のパンが欲しい人はこぞって自民党に投票した。
争点がどうのこうのと、選挙の度に報道されるが、本当の本音は、どの選挙も争点は「明日のパン」だ。
それ以外だったことなんてない。
そして、それはそれで正直な「民主主義」なのであって、その投票行動自体に文句をつける筋合いではない。
もちろん、自民党がご飯を食べさせてくれる というのは ずっとずっと騙されているのであって、その意味では「民主主義」なのか?という疑問もないではないが、騙そうとするのも権力のお約束なのだから、騙しのない民主主義なんて、この世には存在しない。
その意味では、今回の自民圧勝はまず間違いないだろうと、予測せざるをえなかった。
アベノミクスなんていうまんじゅうは、泥まんじゅうならまだしも、毒まんじゅうなんだということに気がつくまでには、まだしばらく時間がかかるのだろう。
ただ、そうした投票行動の中でも、数は多くないけれども、少し違う動きは必ずある。
色々批判もあるが、共産党は常に450〜〜500万票を獲得している。共産党に入れてもあまり現世利益はないから、これは違う行動原理といえる。
また、社会党が崩壊して、あまり現世利益のなくなった社民党も300万票くらいはとってきた。
あわせて、あわせて800万人くらいの人は、「明日のパン」が第一ではない投票行動をとってきた。
今回の参院選でも、52%という投票率でも720万くらいは「明日のパン」じゃない投票をしている。
■■
歴史的に,日本の投票箱は、現世利益を求める賽銭箱と区別されてこなかった。
それはアカンやろと と思っている人がざっと800万人いる。
この800万人が、まずはどうするか だ。
うち、300万くらいは固い固い共産党支持者だ。
共産党が受け皿としての機能を維持し続けてきたことは、何やかんや言っても特筆に値する。
私自身、大阪選挙区では4人目の共産党を通すべきという現実的な選択をした。
共産党の組織力は見習わなくてはならないだろう。
ただ、共産党の最大の目的は組織温存だ、という点も見ておかなくてはならない。
政策は良いことを言うのだが、常に少数政党であることに満足し、どこまで本気なのか・・・
そして、本気で政権をひっくり返して、言行一致させようと言う勢力が現れると、きまって後から石を投げる。
できるだけの連携はするべきだが、300万くらいの固い固い人たちは、どこまで行っても固い固いままだろうと想像される。
すると、残り500万。
これだけの人が、「明日のパンを第一」にせざるをえないところまで追い込まれず、あるいは追い込まれていても高楊枝でやせ我慢しながら、自分で判断しながら投票している。
政治家の側から言えば、まずはこの500万に「もう一回できるかも」と思わせる舞台作りをすること。
500万人の市民の側から言えば、「俺がやらなきゃ誰がやる」という状況なんだと自覚すること。
詳細は、また明日にでも書きたいと思っているが、とにかく、今はエンジンを始動する前の、バッテリーとセルモーターを準備しなくてはならない。
政治家は、俺についてこいじゃなくて、もっと市民に頼るべきだし、市民は文句垂れる前に動かなきゃ ということだ。
■■
山本太郎さんが当選したことは、ほぼ唯一の光だった。
もちろん、糸数慶子さんの勝利の意義は絶大だが、こちらは本土側はむしろ何もできなかったという忸怩たる思いが強い。
彼の覚悟とやり方に、生活の党も社民党も、学ぶべきだろう。
政治家というもののあり方、立ち位置が、これまでの「政治家」とはちがっている。
と同時に、山本太郎は身の危険を自覚ながら国会に乗り込む。
勝利の記者会見でも、万歳もせずニコリともしていなかった彼の姿を見た人も多いだろう。
86年前、やはり国会で孤軍奮闘していた山本という議員がいた。
山本宣治は1929年、治安維持法への国会での反対討論を封じられ、その直後に右翼に暗殺された。その時の日本人は、山宣を守らず一人にしてしまった。
山本太郎は、自分をウォッチングして欲しい、と言っていた。圧倒的な注目があることが自分の身を守る と。
意識的に注目するという意味と,視覚的にユーストなどで注目するという 両方の意味があるだろう。
いずれにしても衆人環視で山本太郎の身の安全をはからなくてはならない。
山本太郎を、第2の山宣にしてはいけない。
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