05. 2013年7月21日 12:25:05
: Rkm6umMf3o
「 怪しい保守主義者石原慎太郎 http://blog.livedoor.jp/hanadadesu1958/lite/archives/29631536.html」 今や、保守主義のオピニオンリーダーの石原慎太 郎であるが、本当に保守を理解しているか、甚だ 怪しいのである。石原は戦前の日本がカッコいい といった、単なるミーハーではないだろうか。何 しろ、石原は60年安保の時は、左翼文学者の大江 健三郎らと一緒に「若い日本の会」を作り、安保 反対!を叫んでいたのである。 最近、石原慎太郎を筆頭にやたらに威勢のいいこ とを言うのが増えているが、石原慎太郎だって戦 争を知っている世代とは言っても、終戦の時は13 歳だ。自分の13歳の時を思い出したら分 かるだろ う、そんなに社会のことなんか分かってやしな い。だけど、この頃のことを思い出すと多感な少 年期なので、苦しいことも美化したくなるもの だ。 ちなみに、石原慎太郎の父親は戦争中山下汽船の 社員で戦争には行かず、また家族は満州などの外 地ではなく小樽で過ごした。石原家は大金持ちで はないが、当時では中流階級で戦争の苦しい中で も比較的恵まれていた方である。そして、終戦か らたった11年で、アメ リカナイズされた金持ち の、湘南の遊び人の太陽族を描いた「太陽の季 節」といった、軟派青春大衆小説でチヤホヤされ たのだ。あれのどこが、昔からあった日本の良さ を大事にし、保守なんだ。 石原の天皇陛下に対する認識であるが、今上天皇 のご成婚成婚パレード投石事件というのがあっ た。(195 9〔昭和34〕年4月 10日)当時皇太子 夫妻は、馬車に乗り皇居を出て,いよいよ国民に 対するお披露目のパレードに移った。半蔵門から 四谷見附を経て,東宮仮御所に至る約3キロの道 のりの途中,このパレードの行列が二重橋から祝 田橋に向けて右折したとき,ひとりの少年が皇太 子夫婦の乗った馬車に駆けよって,石を投げる事 件が発生したのである。 石原は『文藝春秋』1959年8月号に「あれをした 青年」というエッセイを寄せ,こう述べていた (161頁 下段)。 「天皇が国家の象徴だなどという言い分は,もう 半世紀もすれば,彼が現人神だという言い分と同 じ程度笑止で理の通らぬたわごとだということに なる,というよりも問題にもされなくなると,と 僕は信じる。 彼を取調べ,彼を裁き,彼を気違いという名目 (?)で放り出した人たちも同じだったに違いな い。彼のいうとおり現代では狂っている人間がま ともで,まともな奴がおかしいということを誰も が感じているのだ。」 石原は、明確に天皇が国家の象徴であることを否 定したのだ。それでは、参考までに、三島由紀夫 の「文化防衛論」(昭和44年刊行)の言葉を紹介 する。 「明治憲法下の天皇制機構は、ますます西欧的な 立憲君主政体へと押し込められて行き、政治機構 の醇化によって文化的機能を捨象して行ったがた めに、ついにかかる演繹能力を持たなくなってい たのである。雑多な、広汎な、包括的な文化の全 体性に、正に見合うだけの唯一の価値自体とし て、われわれは天皇の真姿である文化概念として の天皇に到達しなければならない。」と、三島は 言っているのだ。日本に対する考え方の違いは歴 然である。 石原の君が代に対する考え方は、こうだ。「日の 丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、 個人的には。歌詞だってあれは一種の滅私奉公み たいな内容だ。新しい国歌を作ったらいいじゃな いか。好きな方、歌やあいいんだよ。[選挙]東 京をどうする都知事選候補予定者に聞く/7石原 慎太郎さん(毎日 1999/03/13東京朝刊 3頁)。 「太陽の季節」に、天皇に関する考え、安保反 対、君が代が嫌い。どこを、どう取ったら保守主 義者と言えるのだろうか。
|