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【赤木智弘の眼光紙背】なぜ「なぜ」と問うのか?
2013年07月20日 08:50
赤木智弘の眼光紙背:第281回
僕は「見出し」を作るのがすごく苦手で、見出しで読ませる記事はすごいなと感心するのだけど、今回はあまりの見出しの衝撃で、つい読んでしまった記事を紹介したい。
『「ジブリ宮崎駿監督がミニコミ誌で「改憲反対」のなぜ』(*1)
この見出しを見た途端に「すげぇ」としか言葉が出て来なかった。
「なぜ」だよ? 主張したそのこと自体に対して「なぜ」だよ?
「宮崎駿が改憲反対を主張」ではなく「ミニコミ誌で「改憲反対」のなぜ」だよ。
宮崎駿という大人が、冊子に改憲反対の意見を書いている。
その意見そのものに対して「どうして改憲反対なのか」と展開するなら当然である。しかし、この記事の場合は見出しと記事が一貫して、宮崎勤がジブリのミニコミ誌で改憲反対を主張している「その事自体」に対して「なぜ」と問うている。
すなわち「なぜこの人はミニコミ誌に政治的な意見を書くのか?」という、不思議な疑問を呈しているのだ。
そりゃジブリ側だって「書かれていることがすべてです」と回答するしかないだろう。要は「ちゃんと読んでこい」ということだ。だって、主張の内容に対する取材ではなく、主張しているそのこと自体に対する取材になど、一体なんと答えればいいのだろうか?
スタジオジブリのミニコミ誌『熱風』は、震災後には宮崎自ら「NO!原発」プラカードを首から下げて、さながらデモ行進のように歩くという表紙を採用したこともあり、宮崎の政治的姿勢表明の場でもある。そこに政治的な文章が載ることは当たり前のことといえよう。
しかし、世の中には宮崎駿に限らず、大人が政治的な態度を表明することを良しとしない人達がいる。大人は政治について関心があっても、それは投票のみで発揮するべきであり、社会生活を営むにおいては政治的主張をするべきではないと考えている人がいる。
そうした人達からすれば、なるほどゲンダイと同じように「宮崎駿のような著名なアニメ監督が、なんで政治的主張をしているんだ!?」と驚くのかもしれない。
僕はそうした素朴な感覚が、そのまま見出しに出てきたことに非常に驚いた。そこにさっぱり揶揄が見られないところに、「あー、この記事を書いている人は、僕とは違う世界に住む人間なんだなー」という断絶を思い知った。
大人が政治を語れない社会は健全ではない。宮崎駿は表現者として、アニメという手法も取れば、ミニコミ誌で政治を語るという手法もとる。ただクールジャパン的な意図に操られるのではなく、彼自身のエゴも含めて伝達していく。それは大人として当然の良識的な態度であると僕は考える。だからこそ、政治的発言をすることそのものに対して「なぜ」という疑問が素朴に出てくる現状に、僕は愕然とするしかないのである。
*1:ジブリ宮崎駿監督がミニコミ誌で「改憲反対」のなぜ(ゲンダイネット)http://gendai.net/news/view/108960
http://blogos.com/article/66590/
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