http://www.asyura2.com/13/senkyo151/msg/193.html
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天木氏の年金制度認識に対する投稿に対していただいたsfCvYHzcaQ さんのコメントへのレスです。
「天木氏の年金制度に対する理解では国民を救うことはできない」
http://www.asyura2.com/13/senkyo150/msg/146.html
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sfCvYHzcaQ さん、コメントありがとうございます。
返信が大変遅くなってしまい申し訳ございません。
【引用】
「前半部分は至極納得。
最後の部分がわかりません。
GDPを高めることは誰でも異論のない事だけど、
さらっと、供給力の話にして
それが、どういう経済学的視点なのか、つまり、
世間一般ではGDPギャップが問題なっているのに対して
それとは違う視点なんでしょうか?
私としては、潜在GDPはあるのに需要が追いつかない
現象が問題であるように思うんですが、これは間違いかな。」
【コメント】
まず、貴殿が疑念を抱かれているのが、対象投稿の
「現在の日本にとって最大の課題は、国内の供給力(産業部門GDP)を高める(維持する)ことである。
高い次元(高い生産性)で供給力を維持できれば、年金制度をはじめとする社会保障制度も維持できるのである。
経済の問題は、おカネではなく供給活動力なのである」
という部分だと受け止めます。
先だって、経済板でも、「この人は経済学とは無縁だね。「供給力増大」奇妙な概念で、競争力でもなければ、資本収益率でもない量的概念。まして、後先のことなど何も考えていない」というコメントをいただきました。
(※ 念のため、この人とは私あっしらのことです:「対中輸出、日本が3位に後退 貿易構造に変化:対前年比韓国11.6%増・台湾36.8%増のなか日本は13.8%減少」 http://www.asyura2.com/13/hasan81/msg/136.html )
貴殿や経済板でいただいたコメントの問いにきちんと答えることは、一冊の本を書くに等しい分量が必要なので、ここでは基本的な概念に限定して説明させていただき、参議院選挙後に少しずつ説明を積み上げていければと思っています。
● 近代資本制経済社会は供給→需要の論理
表題部に、「デフレギャップ―需要が足りないのは供給が不足しているからである」と書きましたが、多くの人が、何をアホみたいなことを書いているんだ、あっしらはやっぱりおかしいと思う可能性があることを意識したうえで書いています。
経済論理がきちんと理解されていない原因の一つが、近代資本制経済社会の基本構造に対する無理解だと思っています。
まず、供給とは、モノの供給量ではなく、供給活動に費やされるおカネの量だと理解してください。
モノの供給活動そのものも、モノの供給自体を目的としているわけではなく、供給活動に投じたおカネより多いおカネを獲得することを目的としています。(G−W−G)
近代資本制経済社会は貨幣経済であり、人々がその社会で生きていくためにはおカネが必要不可欠です。そして、ほとんどの人にとっておカネを手に入れられる手段は、モノの製造やサービスといった供給活動に雇われることです。
供給活動への参加によって得られる賃金や報酬が、供給活動によって供給されるモノやサービスへの需要の大きな原資になっているわけです。
近代的経済発展や都市化とは、自営農民が減少しそのような立場の人々の割合が増大することを意味します。
ポイントは、自分の企業だけでなく、多くの企業が様々な設備を購入し多くの人を雇っていることが、お互いの供給活動に対する需要の源泉になっているということです。
近代経済世界は、セイが見抜いたように、供給=需要(供給→需要)なのです。
土地やお金を自活できるほど十分には所有していない多数派のひとは、なんらかの供給活動に従事することによっておカネを得ることになります。そして、そのおカネで生活必需品から娯楽までを手に入れます。それが需要というわけです。
需要があるから供給があるという考えは転倒したもので、近代経済においては、供給活動にお金が投じられることで需要が形成されると考えなければならないのです。
一般的によく使われる「需要があるから供給がなされる」とか「供給に較べて需要が少ないからデフレになる」といった説明も、ミクロ的には(一企業の観点では)正しくても、マクロ的(国民経済的)視点に立てば、そのような説明は、需要となるおカネはどこから湧いてくるのかという肝心の問題を脇に追いやっていると言えます。誤りとまでは言いませんが、実際は、ほとんど説明になっていないのです。
それらの説明の元になっているミクロ経済学の「需要供給曲線」も、一企業には受け容れやすい説明ではあっても、近代経済社会におけるある断面のある取り引きを算術的に説明するものでしかありません。
「需要供給曲線」を使った典型的な説明が、「需要・供給曲線では、需要曲線(DD)を右上の方にシフトさせて現在の価格で需要と供給が一致するようにすれば物価は下落しなくなる。同じようなことは、供給曲線を動かすことでも実現できる。供給曲線(SS)が左上方向に動いても、現在と同じ価格で需要と供給が一致するようになる」といったものです。
経済成長を求める立場なら、後半の手法は忌避すべきですから、需要を増やして供給過剰の状態を脱却することで物価を上昇させるとする前半の説明を尊重するでしょう。
冒頭部分で、「経済論理がきちんと理解されていない原因の一つが、近代資本制経済社会の基本構造に対する無理解」と書きましたが、無理解ぶりを示す典型がこのような説明なのです。
「需要供給曲線」というミクロ経済学的説明は、需要を増やすためには供給活動に投じられるおカネを増大させならないという論理が霧散してしまったものなのです。
いや待て、だからこそ、ケインズ的な考えが重要だという声がそろそろ出てくるかもしれません。
需要が足りないのなら、政府が財政支出で需要を増やせばいいという説明です。
これは一見正しそうな説明ですが、政府が財政出動で増やしているのは、ほとんどが供給であり需要そのものではないことから、必ずしも正解ではありません。
均衡予算内の財政支出は、供給活動に従事した人たちから公的部門へのおカネの移転と支出(供給活動に従事した人たちが自分の需要を賄うおカネを犠牲にしたもの)ですから、意味がある財政出動は赤字財政による支出です。それでも、効果がある財政出動と言えるのは、需要を増やすことではなく供給を増やすものです。
財政出動で需要を増やしたと言えるのは、売れない物を公的資金で買って過剰な在庫を減らしたときくらいです。しかし、それは、一時的な効果でしかありません。
意味がある財政出動は、GDPが持続的に増大する路線に経済社会を戻すことです。そのためには、財政出動が、供給活動の増大につながらなければなりません。公共事業(政府資本形成)はその典型です。
社会保障などの充実も、需要の増加で供給の増大を招来することに意味があります。
● 「GDPギャップ」(需給ギャップ)について
GDPギャップは、実際のGDPと中長期的に持続可能なGDP(潜在GDP)との乖離率だとします。
GDPギャップのマイナスは、供給に対して需要が不足していることだとか、デフレギャップと説明されますが、ホントウでしょうか?
ここまでの説明を理解された方であれば、GDPギャップでデフレやインフレを説明することはできないことがわかるはずです。
GDPギャップは、経済成長の推移をベースに蓄積された資本や人口動態などから算定される潜在GDPと現実のGDPのズレとか好不況は語れても、その数値自体に、消費者物価を規定する内容を含んでいません。
GDPギャップと物価変動の関係は、投資が盛んに行われる好況時には物価上昇になりやすく、供給活動が低迷する不況時には物価上昇が抑えられるという現実をGDPギャップの変動を使って説明しているに過ぎないものとだ考えています。
物価変動を説明するのに、わざわざGDPギャップなる概念を持ち出す必要はないというか、持ち出してもほとんど意味がないのです。
そうでなくてもデフレ脱却効果はないのですが、GDPギャップに物価変動の主因があるのなら、アベノミクスの第1の矢とされる超金融緩和政策はほとんど効果がないことになります。
● デフレについて
貴殿が「潜在GDPはあるのに需要が追いつかない現象が問題」という指摘をされているので、デフレについて簡単に説明させていただきます。
デフレは、「供給量の増加>需要金額の増加」もしくは「供給量の減少<需要金額の減少」が持続的であることから起きる経済事象です。
供給されるモノやサービスの量的変化とそれらを買うために使えるお金(需要)の量的変化について、持続的にお金の方がより少なくなる傾向にあることがデフレ状況だと思っています。
このような認識を前提にすれば、やっぱり、需要が足りない(追いつかない)ことが問題だと思われそうですが、これまで説明してきたように、需要の原資となるおカネを手に入れる方法を考えれば、問題は需要ではなく、そこ(供給活動)にあるとわかります。
供給量の増加ではなく、供給活動に投じるお金(資本)の増大がデフレ脱却の核心です。
わかりやすく言えば、同じ量のモノやサービスを提供しながら、その供給活動に従来よりも多くのお金を費やすことがデフレ脱却の必須条件です。
それをざっくばらんに言えば、コストすなわち人件費を引き上げることです。
これまでの説明で、みんながそうすれば、少しタイムラグがあるとはいえ、自分のところが供給するモノやサービスの販売価格もアップし、コスト増加を吸収してくれる予測ができるはずです。
むろん、そんなことを言っても、利益や存続を行動判断の第一とする企業が、自発的に賃金をアップすることはないというのも現実です。
ではどうするかと言えば、政府が管轄するサービスに関わる人件費のアップを出発点にするほかありません。
例をあげれば、介護や医療に従事する人たちの報酬基準を引き上げることです。
(生活保護や年金の支給額を引き上げてもいいのですが、世論はとうていそれを受け容れないでしょうから、受け容れやすい分野から行っていきます)
デフレから脱却する政策のなかで現実性がある最強の政策は、モノやサービスの供給量を増大させないかたちで供給活動に投じるお金を増やすというものです。
耐久消費財や食品などの生産量は変わらないまま、介護や医療に従事する人たちの可処分所得を増やし続ければ、自ずと物価指数は上昇します。
このような意味で、過酷なわりに報酬が少ないことが知られている介護士や看護士の賃金がアップする政策を採るべきだと考えています。
公共投資や設備投資も、直接には消費財を生産しないかたちで「供給」(=需要)を増やす動きなので、消費者物価を上昇させる大きな要因となります。
輸出や海外からの観光客も、国内での供給量を増やさない(国内供給活動を伴わない)需要を手に入れると同時に、供給活動が生み出したモノやサービスの国内供給量は減少する(外国人が国内で消費してくれることも含め)ということで、最大の消費者物価上昇要因です。
愚かというか、消費税増税のためにはやむを得ない“媚び売り”政策だったのでしょうが、デフレ脱却を国是としながら、年限付きとはいえ国家公務員給与を削減したり(地方にもそれを要求)、生活保護支給の切り下げや年金のデフレ調整による削減を政策化している政府には驚くばかりです。
多くの人が生活苦にあるわけですから、公務員の給与を削減するのはいいとしても、それをそっくり他の誰かに回さず、財政支出の削減につなげれば、デフレは深化する一方です。
政府が財政政策を考えるとき、「供給」の増加がデフレ脱却の要諦であることを常に考えなければなりません。
現状では、企業の設備や人員の稼働率を引き上げることを企図した財政出動も否定はしませんが、政府が関与している供給活動に従事している人々の可処分所得を増加させる財政出動を優先すべきだと思っています。
インフレは金融政策で抑制できますが、デフレは国民生活レベルを上昇させることでしか抑制(脱却)できない経済事象という理解が重要です。
● 供給力の増強こそが少子高齢化社会に必要な政策
最後に、「高い次元(高い生産性)で供給力を維持できれば、年金制度をはじめとする社会保障制度も維持できるのである。経済の問題は、おカネではなく供給活動力なのである」と書いた部分を簡単に説明します。
人口減少、少子高齢化という人口動態を考えれば、供給活動により少ない人数(お金)を投入することで、これまで以上の産出を得られる供給力の上昇(増強)が欠かせません。
「供給」は、需要の源泉であると同時に、モノやサービスを提供する活動です。
供給力が衰えれば需要も減少しますが、民主国家日本では、財政出動をしてでも生活保護や年金を支給せざるを得ません。保険料ではなく赤字財政を財源とするそれらは、供給活動を伴っていないので、大きなインフレ要因となります。
需要が増大することで供給が増大するようになればいいのですが、赤字財政が増えても、利益を第1の基準とする企業は、その需要を輸入によって賄おうとする可能性が高いと思っています。
デフレ状況が15年も続くなかでは理解しにくいと思いますが、インフレとデフレは紙一重の経済事象です。
国際開放系にある国民経済で起きているデフレは、けっして“悪”ではなく、その国が強い国際競争力を維持している証しです。それと同時に、デフレが続いていることは、国民経済の運営者(政府)がその優れた経済力をもてあましているというか活かし切れていないことを示すものでもあります。
デフレが強い国際競争力を示すものであれば、国際競争力の劣化は、インフレへの転化を意味します。
日本はデフレから脱却して緩やかなインフレに移行すべきだと考えていますが、デフレとインフレのどちらがより深い問題かと言えば、実質生活レベルを切り下げなければならないこともある(悪性)インフレだと思っています。
円高傾向のなかで日本のグローバル企業がとってきた経営手法は、供給力や競争力を高める設備の更新ではなく、“コストの切り下げ”=賃金切り下げによる生産性の上昇です。
有力企業は、長いデフレ不況状況にある日本国内での資本増強を控え、海外での資本増強に精を出してきました。これがボディブローのようにじわじわと日本の体力を弱体化させていくはずです。
安倍政権(財務省)が、法人税について、税率の切り下げではなく、投資減税にこだわるのも、有力企業になんとしても国内で資本増強をして貰いたいからだと推測しています。
最後の最後に、安倍政権は、日本経済をデフレの深みに投げ込むことになる消費税増税を凍結しなければなりません。円安を奇貨として、グローバル企業の国際競争力強化はしばらく放置し、経済成長の回復に専心すべきです。
長くなりましたので、今回の説明はここまでにさせていただきます。
来週から、少しずつ経済論理に関する投稿をしていきたいと思っています。
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