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国民が愚なら せめて政治テーマ一つずつに政党を選ばせるべき
http://www.asyura2.com/13/senkyo150/msg/901.html
投稿者 heizon 日時 2013 年 7 月 17 日 15:13:02: Od3JK8CdPPxkc
 

スイスのような国民投票を柱とする政治制度を主張すると、決まって「国民は愚だ」という反論がくる。国民が愚なら「アベノミクスは是か非か」「原発は是か非か」「消費税は是か非か」などという難問に答えられないはずなのに、それを選挙で問うとはどういうことか。

代議政治の最大の問題は「テーマAは与党を支持、テーマBは野党を支持」という国民は一票に集約できないことだ


無理やり一票に集約すると、「反対したかったテーマも賛成したものとして受け取られる」
これは人権侵害では・・

重要な政治テーマは 一つずつ十分な議論を尽くして 国民は「どの政党の主張を支持する」かを表現できなければならない  

 一任した議員の価値観で法律が作られるのは民主主義とは言えず、しかも政党を問わず「役所と組織に遠慮せざるを得ない」議員体質からは偏った法律しかできない

「笑顔と握手、誰の作文か検証できない」資料でどうして一票を投じられるのか

スイスのように重要テーマ毎に国民投票(もしくは参政員制度)するような政治制度を日本にーーー  

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コメント
 
01. 2013年7月17日 15:31:19 : 3NO9L2ieOg
スイスと比較するのも土壌が違うので単純に比較出来ないのでは。
重要な案件を国民投票に委ねた場合、巧妙なプロパガンタを駆使して大衆を操るもの勝ちに日本の場合なるのでは。
私はとりあえず中選挙区制に戻る方が良いと思っている。
中選挙区制の良い所は自民党の敵が自民党の所であり、足の引っ張りあいが良い意味の戻しバネの役割を持っていた。

02. 2013年7月17日 15:39:39 : xhATvubCQI
何?「国民が愚ならば」とは。自分は随分と賢いとのアピールですか?

03. 2013年7月17日 18:24:45 : 7OpGsifAXA
>1
それこそ今現在の選挙そのものではないか。
馬鹿で柔道しかできん谷を代議士にえらぶようではな。
だからそれは直接民主制を避ける理由にはならない。
民主制には必然的に付随する欠陥であり、それをどう回避するか考えるべきだ。
人類が民主主義の有効性を確保するためにどれだけ試行錯誤してきたか。

外国では形骸化したとはいえ、決戦投票程度の対策を持っている。
日本には何もない。
どんな不正も操作もやりほうだい。
この国の政治制度は民主主義標榜寡頭政治だ。


04. 2013年7月17日 19:38:28 : lqOPOFnyLE
適切な政治家を育成してこなかった、できなかった国民のせい。政治家へ期待すべきことを、明確に市民に伝えてこなかった政治学者・一般教養の失敗であろう。
直接民主制もまた、(国民が正しくても)政策があまりに揺れてしまうので決して有効なものではない。じっくりと優れた代議制度を検討する以外にない。

05. heizon 2013年7月18日 10:59:06 : Od3JK8CdPPxkc : PfjJ9224eM
「文化経済学」書評原稿( http://hayashiland.com/2002bunka_keizai.pdf)より抜粋
Bruno S.Frey and Alois Stutzer,Happiness and Economics:How the Economy and Institution Affect Human Well-Being, Princeton University Press,2002、
訳者 : 林 敏彦(放送大学教授)
・・・・人々は政治的決定過程から阻害されていると感じるときは幸福度が低く、それへの参加が保証されていると感じるときには幸福感が高い。・・・中略・・・
日本では、幸福感は実現値と期待値との相対関係にかかわる個人の人生観の問題であり、他方経済政策はデフレ、失業、企業業績、国際収支などのマクロ指標の「改善」が目的だとして、両者の視点がかみ合っていないとの印象を強くする。
どうも、個人が幸せになる道は、実現値を高めていくか、期待値をむやみに引き上げないか、いずれにしても個人の努力の問題だと考えられる傾向がある。
しかし、フレイとシュトゥッツァーは、人々は個人的状況よりむしろ社会のあり方に幸福の源泉を見出すのであり、その社会の運命を左右する決定に参加できていると感じられることで、個人的には逆境にあっても幸福を感じることができる、と主張する

英エコノミスト誌前編集長B・エモット氏(著書・日はまた沈む、官僚の大罪、他)の 98年のご発言ですが、
「直接民主制の要点は、政治家の行動を変えるだけではなく、市民の行動と態度を変える。世の中の出来事に全く何も影響力を及ぼせないとしたら、人々は単にシニカルになり、無責任に振舞うだけだろう。(直接民主制によって) 影響力、もしくはそれを持てる機会を与えられ、責任まで負わされれば、人々は責任を持つて行動するようになるものだ。−−−」
(司法制度は国民の常識を判決に参加させる裁判員制度Hhという歴史的変革をしました。裁判員になられた人々の殆どが「当初は嫌々であったが、判決に参加してみて、自分の人生にとって大きな生長の機会になつた」と述懐されておられるのです)

評論家ア ルビン・トフラーは「第三の波の政治」の中で、現行の代議員制度の限界を指摘しつつ、住民会議、直接請願権、住民投票などを適宜組み合わ せた半直接民主主義を提唱しています。


06. heizon 2013年7月18日 11:05:42 : Od3JK8CdPPxkc : PfjJ9224eM
 五十嵐仁法政大学教授は「現代政治その動態と理論」の中で「今日の大規模社会においては直接民主制が適用できる範囲は限られており間接 民主制が主流によらざるを得ない。
しかしそれは空洞化、形骸化されやすいという  弱点をもっている。間接民主制のもとで民主主義の実質を確保する為には可能な限り  国民の意思を直接問い、その意思が表明される機会を多くする必要があろう。
 このような間接民主制と直接民主制が結合されて、はじめて民主主義は実現されるのであり、その基礎をなすのは一人一人の政治参加への主体的な取り組みである」「国民主権とは、国民は自己決定することができる ということではないか。
直接民主主義は間接民主主義をただ補完するための制度にすぎないとする現在の考え方を改め、直接民主主義と間接民主主義の選択制とするのが望ましい。これが国民主権を具現化する方法であり、 21世紀にふさわしい憲法の姿ではないか」とされておられます。

 山口定大阪市立大学名誉教授は「政治体制」の中で、
「参加民主主義」は、1、市民にとってその利害を守るための最善の方法は決定の形成に参加することであるという考え方、つまり功利主義的な参加論といえる  2、参加に関する発展理論 ....   参加は参加する人の能力、人格を成長させるという主張である ーーー。


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