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終盤戦への雑感
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2013年07月15日 18時04分10秒 世川行介放浪日記
泣いても笑っても、あと一週間だけの戦いになった。
どうも、
新聞を立ち読みしたり、TVニュースを覗き見する限りにおいては、
「生活の党」の予想得票数は、想像以上に著しい低下傾向にあるようだ。
昨年末の総選挙の結果から考えると、
それは、当然と言えば当然のことで、
僕は、その原因は、
1 円安株高状況への国民の満足
2 小沢一郎の、民主党からの離党と、何度もの党名変更への不信
3 マスメディアの小沢黙殺戦略の成功
にあると考えている。
1については、
これは、9割方の責任は、
経済音痴で、国民が願った経済生活向上の本当の場所を察知できず、
経済環境整備の努力を何もしなかった、
鳩山由紀夫や菅直人や野田佳彦といった、民主党の元首相にある。
だから、その責めは、前現問わずの民主党議員が負うべきであり、
他党に移籍したから許されるといったものではないだろう。
2の1については、
小沢一郎を離党にまで追い込んだオリジナル民主党の幹部たち、
具体名で言うと、菅直人、仙谷由人、前原誠司、野田佳彦たち、
かれらが一番悪い。
が、
出ていった小沢一郎も、人心を読み間違った。
たしかに、民主党内に小沢排除気運が強まったからという言い分はあった。
しかし、
折角政権交代を果たして、国民の期待を担いながら、
自派の阿呆な武闘派に引きずられて民主党を離れ、
結局、国民の熱い期待を裏切った。
あれはやってはいけない離党劇であった。と僕は思っている。
2の2については、
小沢一郎の作戦ミスだった。
「民主党」から「国民の生活が第一」、さらには、「未来の党」、「生活の党」と、
1年の間に、4つも、所属党名を変えた。
この一連の党名変更に国民が不信感を抱いたとしても、
それは国民を責められない。
小沢一郎や小沢党議員たちは、
自らの正当性ばっかりを訴えずに、
率直に国民に謝罪すべきであった。
3については、
官僚機構とマスメディアが連携した時の怖ろしさを、思い知らされた。
これが国家権力というものの威力だな、と思うと同時に、
この国が、20年の歳月をかけ、官僚たちによって大政翼賛会化されてきた事実を、
哀しい思いで、認めた。
と書いたものの、
まあ、
そういったことがあろうがなかろうが、
僕はこの20年間、一貫して小沢一郎に優しい眼差しを向けて来たので、
今さらどうということもなく、
淡々と行動を続けてきた。
自分たち自身で誓約した数は、
電話一本のお願いだったにもかかわらず、
何とか果たしたみたいだ。
こういうことを書くと、
小沢支持者からは罵声を浴びるかもしれないが、
僕は、今回の戦いは結果放棄しているみたいなところがあって、
今回の結果よりも、次の戦さの準備をすべきだ。という姿勢に立っている。
美川憲一の古い歌ではないが、
駄目な時ゃ駄目さ。何やったって駄目さ。
なのだと思っている。
<風>に100%頼るのは馬鹿阿呆間抜けのすることだが、
<風は>必要であり、
その<風>が吹いていない時は、
無理をすれば悪い結果しか出てこない。
無理をしてはいけない。黙って風にさらされることも必要だ。
総帥である小沢一郎は、それをよく知っている、と僕は思っていて、
心は、すでに、次の戦さに向かっている。
今回、善きにつけ悪しきにつけ、数々の学習をさせてもらった。
選挙現場に不慣れな僕たちではあったが、
今回得た教訓で3年間は何とか乗り切れるだろう、という気がする。
あと一週間、
そうした思いや教訓をしっかりと抱きしめて、
次の戦さの土台作りのために、淡々と戦ってみたい。
【生活の党】小沢一郎代表街頭演説 広島県安芸太田町
公開日: 2013/07/15
2013年7月15日
広島県山県郡安芸太田町上殿632-2 道の駅「来夢とごうち」の前での街頭演説
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